スパーダのがんばり物語
スパーダのがんばり物語



 ろくでもねぇ人生を送って来た。
 けど、その中で、俺はメシアと出会った。
 俺はいまだに、そいつに勝てそうにない。




「だっから、早く成仏しろつってんだろ!」


 俺は取調官よろしくとばかりに机にダーンっと手をつき、目の前のオッサンに向かって、天も割れよと叫んだ。
 薄暗い一軒家の廃屋の中、あまりの勢いに机が傾き、湯のみがぐらぐらと揺れる。俺の声がぐわんぐわんと狭い室内に反響した。テーブルに食器棚やソファなど、生活感のある家具がのきなみ揃っているこの家を廃屋と言っていいもんかと思うが、実際、ここには今、人間は誰も住んでいないのだから、差支えはない。人間は、な。

「おぉ、危ない危ない」

 倒れそうになった湯のみに、さっと差し伸べられた手は、青白い。その手は湯のみに触れることはなく、すかっと空を切った。

「だぁら! お前は、物に触れねーの! いい加減、自分が幽霊だって自覚持ちやがれ!」

 と、俺は湯のみを立てなおしながら、青白い手の持ち主に言った。

「とは言ってもなあ」

 目の前に腰かけた恰幅のいい男は、口元にたくわえたチョビヒゲを指先でいじりながら、どこか困ったように呟いた。
 その手も顔も、腹巻きにステテコ姿っつーマヌケ極まりない胴体も、全てが半透明。座っている椅子の背面がうっすらと透けて見える。

 そう、このオヤジ、幽霊なのである。
 しっかも、自分が死んだっつー自覚が薄い、俺らのギョーカイで言うところの、いわゆる無自覚浮遊霊ってやつ。死因は確か、事故死か何かだったと思う。

「オッサンさあ〜……」

 俺は上昇した血圧を下げるべく深呼吸をし、テーブルに肘を付いた。

「あんたもそりゃ、いきなり死んじまって気の毒だとは思うよ。けど、あんたが成仏しないと、俺が帰るに帰れねぇんだよ」

 俺の目的は、このでっぷり肥ったオヤジの幽霊を、成仏させることである。
 幽霊というものは、この世に未練があるから留まるのであって(たぶん)、その未練とやらも、どーせ大したこっちゃない。誰それに遺言を伝えてくれだの、もう一度顔が見たいだの、そういったことに違いない。そんなら、パパっと伝言なり遺族の前に引っ張ってくなりしてやりゃあ、すぐに済むことだろ。冷たいようだが、その通りなんだから仕方ない。いっちょ成仏させて来るか、と気楽にやって来たはいいものの……。
 
 このオヤジ、別に家族に伝言することはないと言う。そんな幽霊、あるかあ? 
 普通さ、いや、俺は死んだことがないから幽霊の普通は分からねぇが、とにかく、事故死した幽霊ってのは、家族に言いそびれてたことを伝えたり、無事な姿を眺めたりして、なんかそんな綺麗で大団円な流れで、ありがとう、キラキラ、スゥ〜ってなもんで成仏していくもんだろ。俺、間違ってるかあ?

「だぁら、なにが不満なんだよ。なんで成仏しねぇんだ、お前ぇは」

 この質問をするのも何十回目だか。

「俺だって好きでこの世をさまよってるわけじゃないのだ」

 そういうと、オヤジは困ったように眉を寄せた。困っているのはこっちだっつうのに。

「だいいち、成仏しろ成仏しろと一方的に言われても困る。俺ん家は代々無宗教だし……。そりゃあ家には仏壇ぐらいはあるが、寺なんかガキのころ葬式で行ったギリだ。あんた、しろしろと言うばっかりで、肝心の成仏の仕方を教えてくれんじゃないか」

「うっ……そりゃあ……」

 このオヤジ、とぼけているようで鋭いところを突きやがる。俺は思わず言葉につまってしまった。
 正直なところ、俺には幽霊がどうやったら成仏できるのかなんざさっぱり分からない。
 上記したような、曖昧な『まあ、こんな感じだろ』というプランがあるだけだ。 

 そもそも、幽霊とテーブルで顔つきあわせて話し合っているのも妙な光景だ。経文でも唱えりゃ雰囲気が出るんだろうが、そういうスタンダードな除霊的作法は、とある理由で禁じられているのだ。もっとも、俺は経文なんざ一文字も読めねぇがな。

「……んなもん、気合でどうにかなるだろ。気持ちの問題だ、気持ちの」

「そんな、体育会系みたいなこと言われても……」

「うるっせーな! 幽霊なんて気持ちの塊みたいなもんだろーが! なんかこう、手でも合わせて、ふんって気合入れりゃあ、どうにかなるって!」

「どうにかなるって、って……あんた、なんの根拠もないではないか」

「根拠のあるなしじゃねーんだよ! とりあえずやってみろよ!」

 俺が叫ぶと、オヤジは若干のためらいを見せたものの、わりかし素直に手を合わせた。

「フンッ!」

 いきんだ掛け声が上がる。一秒、二秒、三秒……十五秒待ったが、何も起こらない。

「だぁああもう!」

 俺は頭を抱えてもんどりうった!

「一体何時間やってると思ってんだ! こちとら、気合入れるために昼飯まで抜いてきたんだぞ! クソッ、思いだしたら腹減ってきた……!」

 実は言うと、昼飯を抜いたのは金がなかっただけだったが、んなことはもう関係がない。こちとら、正午からずっとこのオヤジと押し問答を続けているのだ。来るときは日照で明るかった廃屋も、夕方を回った今じゃ不気味なことこの上ない。
 こんなショボくれた家でオッサンと二人きりで何時間も……ヒステリックにもなろうってもんだ。

 ……いや、そういや、もう一人、というか、もう一匹、いた。

「君さぁ、怒鳴りちらしたって言うこと聞くと思ってんの? 犬の躾じゃないんだからさァ」

 そいつは間延びした口調で言いながら、ピンク色の頭をぬるりと向かいの壁から突きだした。

「そんなんじゃ、誰も成仏なんてしないゾ。なぁんにも分かってないピョロな〜、チミは」

 いかにも小馬鹿にした喋り方、ニタニタ笑ういやらしい赤い目、半透明であってなおドハデな服装が目ざわり極まりないそいつには、ちっちっちっと指先を顔の前で振りながら、さも愉快そうに言った。
 俺は迷わず、そいつに向かって湯のみをブン投げた。

「おぉうっと、あっぶなぁ〜いん。怪我しちゃう」

 当然湯のみはやつの体を通過して壁にぶちあたり、プラスチック製にふさわしいチャチな音を立てただけ。だが、その音が、更に俺のカンに障る。幽霊ってやつは、なんで、どいつもこいつも、腹が立つやつばっかりなんだ!

「ハスタ、てめぇ、俺の補佐だろうが! ちったぁ手伝いやがれ!」

「補佐する元がこれじゃあ、いくらオレでもどうしようもないっていうかネェ? っていうかオレ死んでるし。見守ることぐらいしか出来ぬこの身が恨めしいピョン、いや、ほんと」

 ハスタは心底ムカつく仕草で肩をすくめた。

「それにさぁ、オレ、リカルド氏から余計な手も口も出さないように言われてんのオ。お目付け役ってとこ? あ、お目付け役って響き、なんかカッコイイなり」

「う・る・せ・え・よ!」

 こいつと知り合ったのはまだ一週間ちょい前ぐらいだ。だが、断言出来るね。こいつとは、とことん馬が合わねぇ。
 いや、馬が合うかどうかってレベル話じゃない。やつのしゃべくる言葉ひとつひとつが、生理的に気にくわねぇ。生きてるやつでも死んでるやつでも、これほどイラつくやつに会うことはあるまい、と若干17歳にして俺は確信している。

「ったく……」

 我ながら泣けてくるぜ。世の中の同年代どもは、そりゃあ楽しい学生ライフを送ってるだろうってのに。このストレスまみれの環境はなんだい、神様。俺に恨みでもあんのか、と言いたいところだが、勢いで家出なんてかました俺にも一抹の責任はあろう。

「あのう、それで、俺はどうしたらいいのだ?」

 俺とハスタの言い合いに、つぶらな目をぽかんと見開いていたオヤジが言った。

「……明日、また来る。正午にはここにいろよ」

「はあ、ってことは、今日はどうしたら……」

「んなこたー、好きにしやがれ! 女湯でもなんでも覗きにいきゃーいいだろうが! 幽霊なんだから!」

「あんた、なんにも分かっちゃいないな」

 突然、オヤジが厳しい顔になった。

「いまどきね、世界で一日に何人ぐらい死んでると思う? 俺みたいに成仏せずに霊になってる輩も大勢いるのだ。その中には、フェミニスト団体もたくさんいる。あいつら、銭湯だの、女の一人暮らしが多いアパートだの、女子トイレだの、どこにでも居て見張っているのだぞ。覗きに行った日には、どれほど痛い目にあうか」

「そ、そりゃあ、初耳だな……」

 幽霊社会ってのも、色々あるもんだ、と俺は思わず感心してしまった。

「うむ。タコ殴りにされて帰された。チラっと見ただけなのに、あんなにしなくても……」

「覗きに行ってんじゃねーか、そのスケベオヤジ!」

「人のことを言えた義理か! 貴様だって死んだら覗きにいくつもりだったんだろうが! そうじゃなきゃ覗くなんて発想でないもんね!」 

「あんだとぉ〜!? お前ぇと一緒にすんじゃねぇよ!」

 ハスタがオヤジの隣に居座り、うんうんと相槌を打った。

「あ〜あ、これだからエロガキは……。お前さぁ、人権とか、プライバシーとか、考えたことあるぅ? お前みたいなのが、死んだらそりゃあもう厄介な霊になっちゃうのよねぇ〜」

「女房も取らんうちに死ぬと、心残りが出るからなあ。俺みたいに、女房子供をこさえた男はそんなことないが……」

「ハスタの馬鹿はともかく、オヤジ、テメェはちゃっかり覗きに行ってただろーが! ……あぁ、もういい!」

 俺は頭をかきむしった。ばっと踵を返し、玄関に脱ぎ捨てたスニーカーを突っ掛け、ドアを開く。

「いーか! 明日の正午からだぞ! 忘れずに来いよ! え〜……ブタバルド!」

 オヤジを指さし、大声で叫ぶ。はたから見てみりゃ、誰もいない空間でがなりたてる危ない人だが、んなこた気にしちゃいられない。なにしろイラついてるし、腹が減ってる。さっさと退散するに限るぜ。……と、玄関先に出た矢先、

「お〜い、待ってくれ〜い」

「あん!?」

 オヤジの声に呼び止められ、振り向く。これ以上なにがあるってんだ!

「玄関の鍵、ちゃんと掛けてってくれよ。この家、まだ売れてないんだから、泥棒なんかが入ったら、売値が下がるだろう」

「そうそ、生身のニンゲン、お前しかいないんだから。エロガキのぼっちゃん」

 ハスタのニヤけ笑いをにらみながら、俺は勢いよくドアを閉めた。ほんっと……ムカつく!
 俺はガチャガチャと幽霊二匹が居座る廃屋に乱暴に鍵をかけ、キンと肌寒い住宅街を、煮えたぎる腹の内に任せ、肩で風をきって突っ切ったのだった。


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 駅前のほど近くにある、周りを駐輪場で囲まれたしけた一角に”喫茶スナイパーの暇つぶし”という、格好がついてるんだかついてないんだかよく分からない名前の喫茶店がある。
 駅に近いという立地がそうさせるのか、真っ黒なアスファルトが思わせるのか、どことなく、いや、はっきりと小汚い店だ。俺の住むアパートほどじゃないが、そうとうボロが来ていやがる。排気ガスで薄汚れたガラスからのぞくスパゲッティやサンドイッチの食品サンプルも、ドアの横でくるくるとだるそうに回る店名入りの四角い発光看板も、客寄せどころか客避けの効果しか発揮していないように思う。とにかく、辛気臭ぇ店なのだ。

 俺は喫茶店に隣接する、豆腐屋兼自転車屋から張り出した空気入れのポンプをまたいで、喫茶店の傷だらけのドアノブに手をかけた。
 ドアを開けた瞬間、暖房のむわっとした熱気と、コーヒー豆の苦い香りが鼻先をくすぐった。毎回思うが、喉の奥が痛くなる臭いだ。ガキだと思われそうだが、俺はコーヒーが好きじゃない。

「おーい、リカルドー!」

 俺はダウンジャケットのポケットに両手を突っ込みながら、首を伸ばしてキッチンのほうに声をかけた。
 この店ときたら、客が来てもオーダーを取りにきやしないから、出迎えなんぞあろうはずもない。というか、俺はこの店に客が入っているのを見たことがない。店主が言うには、副業だけでも食っていけるらしい。じゃあなんで喫茶店なんてやってるのかと聞くと、なんとなくだそうだ。余裕があるやつは羨ましいこって。

 三十秒ほど待って、キッチンから、年のころは三十路前ぐらい、長い黒髪を一本縛りにした、時代錯誤な髪型の男が出て来た。そこらのひきこもりより真っ青な顔色だが、体格がガッシリしているだけに、軟弱な印象はない。額に走るよぎり傷にスゴみがあるが、きっちり着込んだ黒いエプロンと、手元の布巾で台無しになっている。顔の造りといえば、まあ、俺様ほどじゃあないが、そこそこイケメンってとこ?

 男ことリカルドは、めんどくさそうに鋭い目を眇めて言った。

「首尾はどうだ?」

「どうもこーもねーよ……」

 俺は手近な席にドカっと座り込み、足を組んだ。

「あのオヤジ、手がつけられやしねぇ。ありゃ、成仏する気ねーよ」

「失敗したなら失敗したと、はっきり言ったらどうだ」

 店主は座りもせず、俺のかたわらに立った。
 俺には分かる。話し合う態勢じゃない。逃げ道を塞がれている。

「……だってよ、あいつ……」

「故人をあいつ呼ばわりするな。それと”だって”は無しだ。言い訳は聞かん」

 ぴしゃりと遮られ、俺は黙るしかなくなった。無口そうにみえてこのおっさん、なかなか口が回るほうなのだ。言い返しても、きついカウンターが返ってくるだけだ。

 俺が黙りこくっていると、深々としたため息が頭上で聞こえた。

「だから言っただろう。除霊は、根気と慈愛の心が必要だ。ガキがやる仕事じゃない」

「…………」

「これで三度目だぞ」

 視線を落とした俺を逃がさないように、店主がテーブルに手を付いた。

「頼みこむからやらせてやったが、こうも失敗続きじゃ話にならん。最初から俺が出向けば終わるヤマを、お前に回してるのはなんのためだと思ってるんだ? 手間が増えるばかりのやつを雇う余裕も利益も、うちにはないぞ」

「…………」

 こう言われてしまうと、本当に返す言葉がない。また、ため息が聞こえた。

「悪いことは言わんから、とっとと家に返れ。高校も卒業しないままじゃ、今の時代渡っていけんぞ」

「帰れるかよ。大見栄切って飛び出してきたっつーのに……」

「なら、他のバイトでもなんでも見つけろ。今のお前に給料を払うほど、俺は優しくないぞ。来月はどうやって生活していくつもりなんだ。その様子じゃ、実家に仕送りを頼むわけにもいかないんだろう。ホームレスにでもなるつもりか」

 返す言葉が一つも見つからない。重い沈黙が流れたが、それもすぐに、能天気な声で砕かれた。

「ただいま〜んもす」

 ハスタが、物理法則を一切無視して(まあ、幽霊だし)、ドアを通過して上半身を出していた。リカルドが、体ごとハスタに向き直る。かなーりシャクだが、正直、俺は思ったね。『助かった〜』と。

「どうだった?」

「あ〜、ありゃ、ちょこっと手こずるかもしれないニャン。なんつーの、無意識のうちに心残りがあるみたいでさぁ……」

 リカルドが、片手を上げてハスタの言葉を途中で止める。
 俺に視線を向けたリカルドが、迷惑そうに一言、

「お前はもう帰れ。明日からは、来なくていい」

「なあっ……!?」

 唐突なクビ宣言だ。そもそも、正式に雇われたわけではなかったから、文句いう筋合いがない。にしたって、ちょっと酷すぎるんじゃねぇか!? 世間の風って、もうちょっと優しいもんだって、俺は思ってたぜ。

 思わず立ち上がって呆然としている俺を、本当に迷惑そうに見つめながら、

「迷惑だと言ってるんだ。明日は俺が行く。頼むから、もう来んでくれ」

 つまり、頼み込むほど来て欲しくないぐらい、足手まといということだ。流石に、俺のなけなしのプライドも、このときばかりは音を立てて崩れ去ったね。
 リカルドは少し不憫そうに眉を歪めて、俺の肩を叩いた。

「コーヒーぐらいはおごってやるから、そう落ち込むな。……そら、行け」

 俺はリカルドに腕を引かれて、無理矢理ドアの外に叩きだされたのだった。
 有無を言わさず、ドアが閉まる。ガチャガチャと、向こう側で小さな音が立った。
 ……鍵までかけやがった、あの野郎……!
 立ちすくむ俺の前に、唐突に、にゅう、と例の憎たらしげな顔が突き出た。ハスタのニヤケ面だ。

「次はお客さんで来てねぇ、ス・パ・ア・ダ、くぅん」

 案の定とどめを刺されて、俺は逃げるようにその場から駆けだした。
 
 チ、チクショー!




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