Another Satan2






レグヌムからナーオスへ向かう街道から少し外れた森の中に、少年と少女はいた。
柔らかな銀髪の少年が木の幹にもたれ、その前に膝を付いた少女が向き合っている。

昼の木漏れ日が、少年の線の細さと、赤毛の少女の活発そうな面持ちを照らし出している。
二人とも、まだ若いゆえに泥臭さが残るが、五年後、十年後には人目を惹く人物になるだろう、端正な顔をしている。
はたから見れば、森で逢瀬をしているお似合いの恋人同士のようでもある。
しかし、そうではないことは辺りの惨状から見て取れた。
彼らの周囲には数体の、獣とも植物ともつかない異形の死骸が転がっていた。
辺りには、鮮血が漂わせる酸臭がたちこめている。
紛れもない、殺し合いの後である。

少女が少年の腹部に手を押し当て、漏れ出る淡い光が少年――ルカ――の顔を照らしていた。
ルカは、光が収束してゆくにつれて、傷の痛みが引いてゆくのを感じていた。
優しげな緑色の光に体を包まれ、疲労すら癒されてゆく。

晶術と呼ばれる癒しの技に神経を集中させていた少女が、ひと段落したのか、
少年が右手を預けるように乗せた大剣を、ちらりとうかがい見た。

この大剣にしても、少年の背に届くほど長く、屈強な男でも扱いに苦労する代物である。
しかし、ルカは苦労することなくこの剣を振るうことが出来る。
それを現すかのように、剣の先から中腹にかけて鮮血が飛び散っていた。
少女の癒しの力も、ルカの身体能力も、全ては転生者の、人ならざる力がゆえである。

「あんたも銃を使えばいいのに。剣よりよっぽど使い勝手がいいわよ」

剣から少年の顔に視線を移し、危なくないし、と多少憮然として付け加える少女の言葉に、ルカは困ったように笑った。
この少女はルカを、母親のように心配する。

「それは、イリアだからだよ。僕は銃を持ったことすらないし。
僕には剣のほうが合ってるよ。アスラが剣を使っていたからね。
それに、怪我をしても魔法で治せるじゃない」

「その怪我を治すのは、誰だと思ってんの?」

イリアと呼ばれた少女が、可愛らしい眉を、きゅ、と不満げに寄せた。

「そうだぞー。イリアは心配してるんだぞ、しかし。照れてるんだぞ」

イリアの足にもたれてまどろんでいたコーダが、小さな両手をふりあげて言った。
この、陽気で食べること以外に興味のない小動物も、自分なりに主人を慕っている。

「あーもーうるさい!あんたは黙ってな!」

顔を赤くして怒鳴るイリアにコーダは聞く耳なしで再び寝転がり、その頬をつねろうとするイリアの手を、ルカが止めた。

「まあまあ。イリアからもらった剣、気に入ってるんだ。
銃を買いなおすにしても、レグヌムにはもう戻れないし」

「でも、危ないでしょ。私の力だって、まだ弱いの。重傷は治せないわよ。
イナンナなら、もっと強い力が使えるんだろうけど……」

イリアが、はっと口をつぐんだ。

「イナンナ…」

ルカは、イリアが引っかかったのであろう名前を、考えるように口にした。

イナンナ。
自分の前世であるアスラが愛した、唯一の女性。
夢に度々登場したその女性に、ルカは憧れを抱いたこともあった。
美しく優しい女性は思春期の少年にとって魅惑的であったし、夢の中では自分であったアスラと恋仲だったのだから、
その思いも格別のものだった。
イナンナの転生であるイリアと出会ったときは、喜びのあまり有頂天にもなった。

しかし、ルカは最近、イナンナの存在に、どこか違和感を覚えていた。
アスラとイナンナの愛の記憶を思い起こすたびにわき上がったあたたかな気持ちが、今は霞がかかったように失せている。
イナンナという人物は実際にいた、それは間違いのないことだと、ルカは分かっている。
イリアの身のうちに、イナンナの記憶と共にその力も受け継がれていると……。
ただ、あれを、愛し合ったアスラとイナンナの姿を、本当にあったことだと実感することが出来ないのだ。

そう、まるで本当に夢の中の出来事だったように。

「……やめよ。前世の話って、あんまり好きじゃないの」

黙り込んだルカをどう取ったのか、イリアが首を振りつつ、そう切り出した。
治癒の魔法を解き、傷跡のあった場所を観察する。
裂けた布地の周りに血液こそ付いているが、ルカの肌は、まるで傷などもとからなかったように滑らかだった。

「はい、終わりっと。ナーオスに着いたら、アイス、奢りね。トリプル!」

己の魔法の成果を確認した後、イリアが白い歯をむき出しにして笑った。

「え〜!ちょっとぉ、そんなとこで無駄遣いしてどうすんのさあ」

ルカが、困ったように眉を下げて、情けない声をあげた。

「そんなことですってー!魔法だって結構疲れんのよ!
必要経費よ、必要経費。コーダだって食べたいでしょ?アイス」

「アイス!アイス、どこなんだな、しかし!」

アイス、という単語に反応して飛び起きたコーダに、ルカは苦笑をもらした。
身一つで家を出て追われる身になり、不安に包まれてもおかしくない状況なのに、ルカの心はあかるかった。
ともすれば、何一つ知らないまま、学校に通っていたあの日常よりも。
それも、このコーダと、なによりイリアの存在があってのことだろう、とルカは思う。

「もう。しょうがないなあ。一つだけだからね」

ルカの言葉に、コーダがぱっと明るい顔を見せた。
瞬間、藪を揺らす音が響いた。ルカとイリアの顔に緊張が走る。
いつの間に潜んでいたのか、狼のような外観のモンスターが、鋭い牙を剥き出して飛び込んできた。

「ルカ!」

真っ直ぐにこちらに向かってくる獣を睨みながら、イリアは素早くホルスターから銃を抜いた。
運悪く、木にもたれかかっているルカのほうが近い位置にいた。
イリアは努めて気を落ち着かせ、銃口をモンスターに向けた。ルカを守るために……。

しかし、二丁の銃から弾丸が発射されることはなかった。
トリガーを引くより早く、ルカが手を伸ばしたからだ。モンスターにではなく、イリアに。
瞠目するイリアの目に、己の手から弾き飛ばされた銃が映る。
視界の端で、ルカが剣を握ったのが分かった。
ルカが体を起き上がらせるのが、妙にゆっくり見えた。
銀髪が揺れて、ルカの目がこちらを見る。
穏やかなブルーグレーの瞳が、冷ややかに自分を見ていた。

ルカは何か言おうと口を開きかけたが、それより怪物が飛来するほうが早かった。
強靭な四肢で地を蹴り、ルカに飛び掛る。
ルカは振り向き様の一薙ぎで怪物の腹を真っ二つにすると、二度と動かぬように頭蓋に剣先を突き刺した。
血が噴出すが、それもじきに止んだ。
ルカはしばらく、ぴくぴくと痙攣する怪物の死骸を見下ろして、完全に動かなくなると、ふっと息を付いた。

「びっくりした。危なかったね」

安堵したような笑顔で振り返る。
イリアは言葉を失ったまま、立ち上がることが出来なかった。

「あ…」

「大丈夫?」

ルカの様子には、先ほど見せた雰囲気は微塵も感じられなかった。
イリアは黙り込んだまま、ルカを見詰めていた。

今のは、なんのつもりだったのか、と問いただしたい気持ちでいっぱいだった。
しかし、それを問う勇気が、なぜかわいてこない。
まるで、答えを聞くことが怖い、とでもいうように。

ルカは、しばらく無言で木々の間を眺めて、あぁ、と呟いた。
ゆっくり歩いて、ぽつんと落ちた銃を拾い上げる。

「ごめんね。咄嗟のことだったから。伏せてもらうつもりだったんだけど、うまくいかなかった」

イリアの前に屈みこんで言うルカの声も、いつも通りだった。
しかし、イリアは言葉につまって、なぜか答えることができなかった。
ルカは、じっとイリアの目を見て、まばたきをした。
ゆっくり、確かめさせるように、イリアの両手に銃を握らせる。

「……驚いただけだよ。もう、済んだことだろ。二人とも、怪我もなかったし」

「……そう?」

やっと搾り出した声は、思ったより弱いものだった。

「でも、怪我しないように、気をつけてよ……わかってる?」

じっと、手の中に戻った銃を眺めて言うイリアの言葉に、ルカは微笑み、

「わかってるよ。驚かせてごめんね。ありがとう」

優しげな口調だが、どこか空々しい響きだと、イリアは思った。

「イリア。イリアー?どうしたんだな、しかし」

足元で跳ねるコーダの顔を、見ることができなかった。





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