刻み付けること 前編

刻み付けること





辺りには、死体のにおい、火薬のにおい、血のにおいが充満していた。
もはや篝火のようになった火種が幾度か爆ぜて、俺に馬乗りになった男の横顔をちらちらとなめる。
瞳孔の小さい、白目がちの目が映し出しているのは、紛れもない、俺の姿だった。

「苦しい?」

ハスタが、あざ笑うように囁いた。
きなくさい黒煙が、ハスタの肩の向こうをゆっくりと流れて行く。

”あんた、ヒュプノスだろ?”

気を取られたのも、思考を巡らせたのも、瞬きに満たない時間のはずだった。
だが、その一瞬の不覚が形勢の逆転を招き、結果として俺は、今現在、やつの下に組み敷かれている。
肩を押さえつける手が、石のように冷たい。生きている人間だとは思えない。

「苦しいよな〜。そりゃそうだ。そんなんされたら、オレだって苦しい。
折角あんたと昔話でもしたかったのに」

槍の柄が枷のように喉仏を圧迫している。
身じろぎしようとするたびに激痛が走り、動けない。
ハスタがあともう少し力をこめれば、情けなく失神するだろう。

「……、とでも…、って…ろ……」

「…あ?なに?」

ハスタが前屈みになり、咽喉を締め付ける力が増す。
激痛が走り、無意識に顔が歪む。

「あぁ、ごめんごめん」

肺に酸素が雪崩れ込み、ひゅっと喉が鳴った。呼吸が浅く、速くなる。
不意に、ぬっと白い顔が目の前に突き出た。
聞き逃した言葉を得ようとでもしているのだろうか、ハスタの顔が、おもしろそうに覗き込んでくる。

すかさず、俺はやつの顔面につばを吐き付けた。
どろりと唾液がやつの頬を垂れ落ちて顎まで伝う。
ハスタはそれを拭うこともせず、すっと、表情の消えた目で俺を見ていた。

「ふざ、けるな」

ありったけの威圧を込めて言った。が、どうしても声がくぐもってしまう。

「ふざけてない」

ハスタが眉を下げて、すねたように、口の端を歪めた。
やけに真剣な声。子供のような意地が滲んだ響き。

「……で?言いたいことは?」

「死体とでも喋ってろ、クソ野朗」

お前には、そっちのほうがお似合いだ、と続けようとした言葉は、再び強くなった圧迫に飲み込まれた。

「リカルド氏って、もうちょい賢いと思ってたんだけどにゃあ…」

ハスタがため息混じりに鼻を鳴らし、そばに転がった銃剣を取った。
俺の銃だ。
つい先ほどまで、この男を狙っていた銃。
ハスタの目線が、銃身を一通り撫でて、俺の顔に止まった。


うんざりした。
敵の刃にかかるならまだしも、自分の銃で撃たれて死にたくはない。

「これ、なんてんだっけ。ライフル?狙撃銃?」

ハスタの骨ばった手が、珍しい玩具でも触るような手つきで、銃身をいじくりまわす。
見慣れた銃のはずなのに、ハスタが持つだけで、まるで他人の銃だ。

いや、元からこいつは、なにを持っていても似合わなかった。
飯を食っていても、冗談を言っていても、戦場にあっても。
誰と一緒にいても。恐らく、俺と共に居る時も、なんだろう。
今目の前にしているこのときでさえ、どこか現実感が危うい。
物語の世界の住人のように、人間の匂いがしない男だった。

「これ引けば、リカルド氏の脳みそ、ぐちゃぐちゃになっちゃう?」

ハスタの目の端に、無邪気な子供のように皺が刻まれる。
器用に片手で銃を回すと、銃底を己の肩に押し当て、銃口を俺の眉間に向ける。
ライフルの向こうに、笑いながらトリガーに親指をかけるハスタの姿が見えた。
カチ、とかすかな音がなる。

ハスタは口笛を一つ吹いた後、「ドカン!」と大声を出した。
銃口が上に逸らされると同時に、赤い瞳が猫のように細くなる。

「今、ビビったろ?」

けたたましい笑い声が響いた。



(馬鹿か、こいつ)

少なからず、俺はいらだった。
どうせ殺すならさっさと殺して欲しいのだが。
今なら指先一つで俺の脳みそを吹き飛ばせるはずだ。
いや、俺を地面に引き倒したとき、首を掻き切ることさえ出来ただろう。

猫がねずみをいたぶるように、少しずつ痛めつけて殺すつもりなのか。
頭のネジが抜け落ちた人間がやりそうなパターンだ、と思った。

ならば、チャンスはある。
やつが俺をいたぶろうと気を散らした瞬間、よそ見をする一瞬だけでもいい。
いずれにせよ、拘束が緩んだ瞬間、不意を付いてやつを跳ね飛ばすことさえ出来ればいい。
そこからライフルを奪い、やつの眉間に一発ぶち込むこむ。
難しいかもしれないが、やらねばならなかった。

俺は傭兵だ。騎士ではない。
傭兵は生き恥を晒して生き残るのが仕事だ。
生き残り、完璧に契約を実行する。
次の契約はもう交わしている。こんなところで死ぬわけにはいかない。

「悪いコト考えてるでしょ?」

ハスタの声によって、思考が中断する。
動物的な目が、俺の目を真っ直ぐにのぞきこんでいた。

「リカルド氏は、オレのこと、馬鹿だと思ってるだろうけど」

銃剣の先が、そっとスカーフを撫でる。

「ケッコー、賢いトコもあんだよ。鋭いってこと。
例えば、今あんたが、どう逃げようか、オレを、殺そうかとか……。
分かるよ?考えてただろ?目を見れば…分かるよ、そんぐらい」

鋭い刃の切っ先が、肩で止まる。
ハスタの手の中で、ちゃり、と銃身が翻された。

「意外と顔に出るねぇ、アンタも」

風を切るような音が、聞えた気がする。
ふりかぶる腕が見えて、次の瞬間には、右肩に何かが押し込まれていた。
熱いような、冷えたような、嫌な感触が肉を貫く。ぶわ、と冷えた汗が全身を濡らした。
わけが分からず、肩の先を見て、ぞっとした。

コートの布地がへこみ、黒い染みが、急速に広がっていた。
その中央、肩口から、ライフルが生えていた。銃剣が深々とめりこんでいる。
さほど長くもない刀身は、それでも肩を貫き通し、地面にまで達し、標本の虫のように俺を縫いとめていた。
叫んだつもりだったが、喉を押さえつける槍のせいで、まともな声が出ない。
痛みに白んだ視界で、背中が、僅かに地面から離れたのを感覚だけで感じた。
肩口の傷が更に広がる。痛みを抑えるために呼吸を止めてしばらく、胸倉を掴んで引き寄せられたのだと気付いた。

「痛いべ〜?」

「貴、様…!」

憎悪をこめてハスタを睨みつける。
視線の先のハスタは、なんでもないように笑った。

「でも、こんなもんじゃないよ。動けないようになってもらわないと、……んー…、困るから」

唐突に、俺の背中に地面の感触が戻った。
突き飛ばされたのだ、と思い至るより早く、貫かれた肩口に新たな衝撃が襲った。
どん、と体の中心から揺さぶられるような衝撃と痛み。
ハスタが、銃底を、杭でも穿つように殴りつけていた。

「なあ?オレ、ふざけちゃいないよ?分かってる?わかんねーだろうな、アンタには」

耐え難い振動が、肉を、骨を揺らす。

「……ッ、ぐっ…!ハス、…!や、めろ……ッ」

生きたまま標本にされる蝶だ。勝手に四肢が痙攣する。
足が跳ねて、膝がハスタの背中を蹴り付けた。
なんとか止めさせようと、ハスタの腕を、うまく動かない手で取ろうとする。
その手を邪険に振り解いて、ハスタは言った。

「アンタなんか、死ねばいいのに」

ハスタは、銃を殴っている間中、ずっと無表情だった。



数分経ったか、それとも数十秒だったか分からない。
ようやくハスタの手が止まったと思ったら、今度は俺の肩に串刺しになった銃剣を弄り出した。
銃と一体化したままでは剣の部分が自立しないためだろう。
些細な振動が骨に響く。

全身の血の一割が流れ出してしまったように思う。
傷口がどうにか乾こうにも、埋まる刃が新しい傷を切り開いていく。
背後まで周って来た血で、冷えた体とは裏腹に、背中が熱い。
ずたずたにされた肩の痛みが酷い。
血を流しすぎて頭がふわふわしてきた。まずいな。どう逃げるか。

不意に、かちゃかちゃと金具を弄る音が聞えてきた。
下腹部に違和感を感じる。視線を下に下すと、ハスタの俺のズボンのベルトを弄っていた。
止め具を外し、ズボンの前を開くと、露になった下着に頭を寄せた。

「おい…!」

俺は目を剥いた。
とっさにハスタの頭に左手を伸ばすが、あえなく手首を取られる。
万力のような力で締め付けられ、肩を剣に貫かれて、どちらの手も動かせなかった。

ハスタの白い前歯が下着を噛み、下へずらす。
露出した下半身が風に晒された。顔がひきつるのを感じる。
間を置かず、萎えたそれをハスタの舌がへろりと掬い上げた。

「な……っ!?」

怒りよりまず先に、俺は驚いていた。一瞬、痛みさえ遠くなる。
ついに本格的にイカれたのか?
俺はパニックになった。
事態は、俺の想像力では手に余るものだった。

驚愕する俺を尻目に、ハスタはあっさりとそれを口に含んだ。
亀頭を薄い唇が包む。裏を舐め上げる赤い舌が真白な歯の隙間からのぞいた。
俺の目に据えたままの視線が、笑うように細くなる。
目じりに細かな皺が刻まれた。子供くさい顔。
先ほど見た、親に叱られてすねた子供のような幼い顔ではない、遊んでいるときのガキの顔。

卑猥な行為のはずが、どこかそういう雰囲気とは離れている、と思った。
大型の獣がふざけてじゃれついて来ているような雰囲気だ。
もっとも、それどころではないのだが。

「ハスタ、やめろ」

「んー?」

ハスタが鼻息だけで答える。

「ふざけるな。殺すぞ、殺す……おい!」

聞く耳持たず、ハスタが根元までそれを口に含んだ。
ぬるついた感触が下半身を支配する。
思わず腰が跳ねた。

「ハスタッ!」

「うるっせえな…」

俺のありったけの大声に、ハスタがうるさそうにそれから口を抜いた。
根元に鼻先を寄せ、ちらりと俺を見上げる。

「……今しかねぇんだよ。頼むから、黙っててくれ」






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