刻み付けること 中篇
2
戦場跡地は、一種の静けさを保っていた。
パチパチと炎の爆ぜる音だけが響いている。
打ち捨てられた武器や焼け落ちた布が散乱する中に、俺達の影は溶け合っていた。
遠目から見れば、ただ死体が重なり合っているだけに見えるかもしれない。
しかし、時折細かく、上の影が動いた。
俺の腹の下に顔を埋めた男――ハスタ――が、俺の性器を舐めしゃぶっているからだ。
男に、しかもあのハスタにモノをしゃぶられて勃起するはずがないと、当然そう思っていたが、
あまりに丹念に、というより執念深く這い回る舌に、徐々に陰茎が立ち上がって行くのを感じていた。
血は止まることなく流れているというのに、腰の裏に熱が溜まり始める。
妙に真剣な顔で陰茎を口に含んでいたハスタの目が、笑うように細くなった。
歯の間から差し出した長い舌が、陰茎の先端を嬉々として撫でて行く。
(この、クソ野朗)
怒りで吐き気がする。
肩をもう少し起こせるなら、喉もとに槍の切っ先がなければ、迷わずもう一度つばを浴びせてただろう。
そうしている内にも体の中心には熱が通う。
地面に血を奪われて、いよいよ目の前が白くなってきた。
戦地だった場所のど真ん中で、肩から刃物を生やして男に押し倒されている自分の姿を想像し、
反吐が出る思いだった。
とはいえ、一丁前に勃起していることについて、情けなくはあるが、恥じる気持ちはなかった。
男というのは度し難い生き物だ。
生命の危機に陥ると、生存本能とやらが働いて下半身が活発になるらしい。
ガラムの戦場で、勃起したまま死んでいる兵士を仲間たちで笑った記憶がある。
それよりも、ここからどう逃げるかを考えなければならない。
隙を見つけて殴ってみるか?一発当てれば怯むだろう。
いや、肩が自由に動かない。充分な一撃が加えられるとは思えない。
なら銃を拾って突きつけるか、とも思ったが、ハスタは意外と小賢しい。
ここからでは見えないが、簡単に手に届く位置に銃を放ってはいないだろう。
説得は?……論外。
「…はッ…」
卑猥な水音が一層高くなった。
生ぬるい感覚が、先を争って背筋にせり上がる。
腰が動き、勝手に踵が地面を削った。
こいつは何がしたいのだろう。
不気味な予感が胸に浮かぶ。
肩が痛い。血は止まったのか?
ふと、影が視界を覆った。
一瞬、ついに目が駄目になったかと焦ったが、そうではなかった。
ハスタの雄偉な体躯が俺に影を落としている。
気付けば、ハスタの片手が俺の顔の横にあった。
ぬっと頭を近づけて、嬉しそうに俺の顔を覗き込む。
知らずの内に顔が歪むのを感じる。
「お前…」
自分で思ったより低い声が出た。
「お前、一体何がしたいんだ」
ハスタが噴出した。俺の顔につばがかかる。
「何って、ナニだよ。わかんねぇの?うっそ、どんだけ鈍感なワケ?」
やっぱりな。
不気味な予感が的中した。同時に嫌悪感が身を走る。
「男に掘られるぐらいなら死んだ方がましだ」
きょとん、とハスタの目が丸くなった。
それから、腹を折って大笑いする。
馬鹿でかい笑い声が、灰色の空に響き渡る。
「あーあー…、そうだよねぇ。フツーそう思うよなあ?分かるよ、その気持ちさぁ」
まだ、ひぃひぃと笑いに腹をひきつらせ、目の端に涙さえ浮かべながら、ハスタが言った。
「安心しなよ。アンタを掘る気はねぇから」
俺が、どういうことだ、と疑問を口にするより先に、ハスタが口を開いた。
「掘られるのは、つーか掘られさせていただくのは?オレ」
今度は俺が目を剥く番だった。
なんだと?なんて言った?こいつは。
「桃色ポルノの特出し劇場だ。ゆっくり楽しんでってくれよ」
ガチャガチャと金属を弄る音が遠く聞えた。
よっ、と気楽そうな掛け声で、ズボンの片側を足から外す。
ハスタの下肢が露になってからようやく、俺は事態を飲み込んだ。
「ハスタ!」
俺の怒鳴り声に聞く耳も持たず、ハスタの手が自分の後ろに伸ばされた。
貧血だけではなく、意識が遠のきそうになる。
俺が、ハスタを?
十年以上前から、小僧のころから知っているやつと、しかもよりによってあのハスタと?
「ハスタ、今すぐやめないと、お前の頭に穴を開ける」
「お楽しみの後なら、どうぞご自由に?」
ハスタの顔が、嘲るように歪んだ。
ほのかに息が上下しているのは、自分で後ろを弄っているせいだろうか。
「今、すぐに、やめろ」
ありったけの殺気をこめて言ったが、効果はなかった。
ハスタがひょいと肩をすくめ、短い鼻歌を歌う。
瞬間、いよいよ頭に血が昇った。
血がもったいない、とも思ったが、こらえようがない。
「いい加減にしろ!……お前は狂ってる、異常だ」
ハスタの動きが止まった。
愉悦を滲ませていた目が、すっと無表情になった。
やつの顔につばを浴びせたときと、同じ冷め方。
「オレもそう思う」
顔が近づく。
俺の目を真っ直ぐにのぞきこんで、嘲るように笑った。
「その異常者と、アンタは今からヤるんだよ。楽しみな」
目の奥に、名伏しがたい激情がちらりとのぞいていた。