通り魔をしたのは、別に世の中に嫌気が差したわけでも、人間に絶望したわけでもなかった。 ただ、したかったからしただけ。 このまま逮捕されて、そう供述したら、どれほどの人間が殺意を抱くだろうか。テレビニュースに映し出されたオレの顔写真を見て、何百人がつばを吐きかけながら、こいつだけは殴り殺したいとつぶやくだろうか。 そんなことを考えながら、オレはサニア州の片田舎、それも両側にとうもろこし畑しかないとんでもなく鄙びたあぜ道をひた走っていた。 息が切れない程度に遅く、逃走しているという状況を忘れないほどには早く。 (心配しなくたって、死刑になるさ) 少なくとも、二十人は撃ったと思う。 サニア州で三番目ぐらいに繁盛しているストリートの昼下がりに、ハンドバッグにひそませた銃を、ホットドッグでも取り出すふりをして抜き、三分にわたって乱射した。 たぶん、六人ぐらいは死んでるだろう。 だろうと言うのも、銃を撃ったのなんてはじめての経験だったからだ。血煙りで前が見えなくなるものだとも思ってなかった。映画では、どんなに人が殺されていても画面はクリアーだったのに。まったく想定外だ。 だからオレは、サツが駆けつけてくる前にUターンで逃げだした。本物の死体ってやつを、間近で見たかったから。つまり、次の獲物を探して走りまわっているのだ。もとから逃げ切れると思って長距離ランナーのまねごとをしているわけじゃない。 変装なんてしていなかった。サングラスも覆面も、服の替えも用意してない。銃を買った店ですぐに身元が割れるとわかっていたからだ。いまごろは、テレビやラジオでオレの人相風体がひっきりなしに流れていることだろう。 けど、こんなことになるのなら、持ってくればよかったな。時間稼ぎになったかもしれないのに。 十五歳のときからあたためていた計画だった。にしては、なんてお粗末な状況だろう。 もしかしたら五分後にはとっつかまってるかもしれない。ピンク頭の身長6フィートの男なんてレグヌムあたりじゃ珍しくないが、この田舎町にそうそういやしない。目撃情報は大学ノート何冊分になっているのか。 ともあれ、テレビの前の人間がのろいを飛ばさなくとも、そう遠くない未来にオレは電気椅子送りになる。いや、オレは銃を持ったまま走っている。問答無用で射殺される可能性だってある。 そうなる前に、一人でも多く殺しておきたい。今度はしっかり、死体を観察してやろう。 だが、人っ子ひとりどころか、家すら見当たらない。そろそろ足がだるくなってきたし、陽がかたむいてきた。完全に陽が落ちてしまったら、こんなところだ、野外にうろつくやつなんていやしないだろう。 赤ずきんのバアさんの家をみうしなって右往左往している狼の気分だ。 それにしても、オレはなぜ、こっちに逃げているのだろう? 適当な住宅街にでも逃げ込んでいたら、そこらじゅうが赤ずきんのバアさんの家だったのに。 不思議といえば不思議だが、オレは頭がおかしい。それぐらいの矛盾行為ぐらいするだろう、と自分でも思う。 いっそ、誰かに呼ばれてるってことにすればどうだ? オレに殺して欲しい獲物がおいでおいでしてるって。きっとそいつは、前世でオレに恨みでも買ったにちがいない。 思わず笑い声をあげそうになったとき、とうもろこし畑の切れ目に、白いブロック塀 のようなものが見えた。 あっ、と声が出そうになる。 オレは猫みたいに背中を丸め、走る速度を落とした。 近づいていくうちに、ブロック塀に見えたものは、白いレンガを積んだ垣根だということがわかった。その清潔な白さが、とうもろこし畑とあぜ道にさっぱり似合っていない。それもそのはず、垣根がぐるっと守っていたものは、邸宅といってまったくさしつかえがない、たいそうな家だったのだ。 ところどころ灰色のレンガをちりばめた三角屋根の両側に、同じ色の屋根がせりだしている。双子のようなその屋根と屋根の間から、背の高いニレの木が数本ちらついているのが、塀ごしに見えた。中庭に植えてあるんだろう。 少し古めかしいが、白亜の豪邸とはまさにこのことだ。さぞや金持ちが住んでいるに違いない。 考えるまでもなく、この豪邸に侵入することを決めた。 オレはサイコな凶悪殺人犯らしく、真正面から乗り込むことにした。 というのも、ここの家主は救いようのない馬鹿なのか、それとも、この世には善良な人間しかいないと思い込んでいるのか、せっかくの立派な鉄の門扉を開けっ放しにしていたからだ。 オレはすんなり門を抜けた。犬の咆え声も聞こえないし、警備会社のマークも見当たらない。ついでに、門扉と玄関までつなぐアシハラ風の飛び石のまわりはすべて芝生で、足音を殺す必要すらなかった。 ここの家主はやっぱり底抜けの馬鹿だ。だからオレみたいなやつに殺される羽目になる。 オレはちょろちょろと水を垂らしている噴水のそばに屈みこみ、窓から屋内をうかがった。 窓は中庭の風景を楽しむためか、広く壁をくりぬかれている上に、ぴかぴかに手入れが行き届いている。おかげで、中身が丸見えだ。 革張りのソファ。猫足のテーブル。アンティーク風のまがりくねったオレンジ色の花瓶。 だが、どこにも人影が見当たらない。留守なのかもしれない。そうだとしたらガッカリだ。 でも、金持ちの家なら、えらく高級な酒ぐらいごまんとあるだろう。 あの見るからに座りごこちのよさそうなソファで高く足を組み、コニャックグラスを片手に傾けて、踏み込んできた警官にようこそ我が家へ、なんて言いながら射殺されるのも、それはそれでおもしろいかもしれない。 そのとき、黒いものがソファの向こうをよぎった。オレはすばやく伏せた。体の下敷きになった芝生が音を立てたが、窓の中にまでは聞こえていないだろう。 ――紛れもない、人影だ! オレってラッキー だが、もしかしたら姿を見られたかもしれない。だとしたら、家人がどれほどの平和主義者であろうとも、いまごろ通報しているだろう。すばやく踏み込む必要がある。 オレは身を隠すことをやめて、堂々と走り出した。 走りながら、マフィア映画の鉄砲玉を真似して、前かがみに狙撃した。 窓ガラスに7発。防弾ガラスかどうかは賭けだったが、窓はあっさり撃ち抜かれた。流れ弾でさっきのオレンジの花瓶が砕け散る。どこかで木材がはぜる音もした。 オレはところどころ穴空きチーズみたいになった窓ガラスを蹴り破り、屋内に侵入を果たした。電話は一階か、二階か。普通は一階だろう。オレは素早くあたりをうかがった。 てっきりここがリビングだと思っていたのだが、この部屋には電話どころか、テレビすらなかった。金持ちの家に、何個リビングがあるものなのかは知らないが。 オレはガラスの破片が散った床を、必要以上にじゃりじゃりいわせながら、最初に目に入ったドアに向かって歩いた。 さっきの人影のやつは、いまごろ震えているだろうか? がたがたする手で受話器を片手に助けを求めているか。重要なのは、男か女かだ。出来れば女がいい。繁華街で撃ったやつらは、ほとんど男ばっかりだったから。 オレはわくわくしながら、ドアを蹴りあけた。 誰かがいたら発砲して、誰もいなかったら、制圧完了、と言うつもりだった。 誰もいなかった。 「制圧……」 瞬間、手の骨に強い痺れが走った。 あっと叫ぶひまもなく銃が手から滑り落ちる。 打ちすえられたとわかったときには、床をすべる銃が、皮靴で踏みつけられていた。 やられた、と思った瞬間に、痺れが痛みだと気付いた。 「上を見ろ。ゆっくりな」 男の声だ。 オレは催眠術にかかったように、男の言うとおりにした。靴から少しずつ、視線を上に移動させる。黒いズボン、黒いタートルネック、黒い……。 ぎょっとした。オレは銃口をのぞいていた。その向こうに、男の顔が見えた。 色白の肌。鋭い目。険しい眉。あまっちょろい金持ちの顔ではなかった。 この男がドアのそばに隠れていたのだ。壁に張り付いていたのかもしれない。息を殺して待ち伏せし、正確に銃をたたき落とした。 オレは痺れた手の痛みも忘れて、呆然と男の顔に見入った。 男の額を一心に点検していた。なぜか、そうせざるをえなかった。そこになければないはずのものを探していた。 「おいたはそこまでだ、小僧」 男が言った。 その額に傷は、なかった。 |