どういうことか、オレは二階のソファに寝転がりながら、やけに立派なシャンデリアを見上げていた。 もちろん、例の――オレが窓を銃弾でぶちぬいてやった――白亜の豪邸の二階で、だ。 十五分ぐらい前にオレの銃を叩き落とした色白男。あいつは、あろうことか、銃を持って乗り込んできたしてきた暴漢をショットガンでおどしながら、鍵もかけずに二階の角部屋に押し込んだ。 しいてやったことといえば、ガラスの掃除をしてくる、と喋ったことぐらいだ。 そして、そのまんま、戻ってこない。 無茶苦茶なやつだ。意味が分からない。 オレが言うのもなんだが、やつは頭がおかしい。常人の行動じゃない。 よく腕を点検してみたら、きっと注射針の跡がある。ラリってやがるとしか思えない。 (おっかしいなア) どうしてこうなったんだろう? オレはソファから垂らした指先で、脱ぎ捨てた靴をいじりながら考えた。 いまごろ、オレは適当な民家で家人を皆殺しにし、駆けつけた警察官に射殺されているか、君には黙秘権がある、または弁護士を雇う権利があるだとか怒鳴られながら、足の速いマスコミにアイドルなみに写真を撮られているはずだった。 予想外のできごとに、調子が狂う。 こんなはずではなかった。本当に予定外。 オレは寝返りをうった。壁が目に入る。いかにも現代アーティストが描きましたって感じの、色彩感覚がトんだ絵がかけられている。ここの持ち主はおそらく成金だ。昔からの金満家なら、もっと上品な絵を飾るだろうし。金持ち事情なんてよく知らないが、たぶんあたっている。 ここはあの男の家なのだろうか? あの男は何者なんだろう? 三十分経っても、一時間経っても、男は戻ってこなかった。 そうこうするうちに、眠くなる。ひさしぶりに全速力で走ったせいだ。色彩ゆたかな絵画が、上下のまぶたに挟まれてどんどん暗くなっていく。 あの男、オレを通報したんだろうか。 ふっと、そんな考えが頭によぎった。それなら、ここでうとうとしていていいはずがないが……。しかし、オレは動かなかった。 通報するぐらいなら、とっととオレを撃ち殺していたはずだからだ。あのとき、指先ひとつ曲げるだけで、男はオレを殺すことが出来た。 (なンで、オレ、生きてんだろ?) いよいよ、よくわからなくなった。 オレはたぶん、22年間の人生ではじめて、真剣に悩んでいた。 目蓋の裏のまぶしさに、オレは目を開いた。いつのまにやら、マジで寝入っていたらしい。 窓の外から、真っ赤な夕陽が差し込んでいる。オレはそのある種、神聖なまばゆさを、不思議な気持ちで眺めた。 夕陽。オレに夕陽を見る未来があるとは思ってなかった。 この時間には、とうに射殺されてあの世で最後の審判を待っているか、ゲロ臭い留置所にぶちこまれていたであろうに。 (実はオレはとっくに死んでいて、最後の力を振り絞って、夢を見ているってオチだったりして) そのほうが納得がいく展開だった。 オレは大真面目に両手を握って開き、感触を確かめた。 手足は確かにそこにあり、着たままのシャツの襟がごわついていて――残念ながら、オレは自分がまだ生きていることを実感した。 しょうがないので、オレは部屋から出ることにした。なにがしょうがないのかは、オレにも分からない。ただ、なにもわからないままソファでごろついているのも居心地が悪かった。殺人犯ともあろうものが、本当におかしいことだと思う。 こっそり窓から抜け出しちまおうとも思ったのだが、そううまくはいかなかった。 背の高いニレの木が建物にくっついていると見えたのは外からだけで、窓の中から見てみると、とうてい手足が届きそうにないほど遠かった。人生ってそんなもんだよなあ、とオレはサイコな殺人犯らしくないことを、また考える。 結局、ドアから出ることにした。いたって普通だ。 ノブに手をかける。やっぱり鍵はかかっていなかった。いまさら驚きはしなかったが、奇妙なことは確かだ。 なかば夢心地で階段を降りる。金細工の手すりの飾りのでこぼこをを指で辿りながら 寝起きだからか、なんなのか、足の裏がふわふわとした。雲を踏んでる心地だ。 夢のほうがまだ現実味がある。 無駄に優美な半円を描いた階段は、すぐに終着点を迎えた。 開けっぱなしにしたドアの向こうに、オレがガラスをぶち抜いた、例のリビングらしき場所がうかがえる。木端微塵にしたガラスも、オレンジ色の花瓶の欠片も、きれいに片付けられていた。 猫足のテーブルのそばで、細長い影が夕陽に伸びている。 男がいた。 テーブルにブーツの足をあげて、肩にライフルを担いでいる。丈夫そうなズボンを履いたベルトに、オレの銃が無造作にさしこまれていた。向こうの壁を睨むように眺めながら、煙草を吸っている。まるで軍人だ。 人のことは言えないが、この男だってとうてい豪邸に住むべき人物とは思えない。この男には、高級ワインも、シャンデリアも、現代風の妙ちくりんな絵画も、シャム猫も大理石もてんで似合いそうにない。 ウィスキーグラスを灰皿代わりにしたその男は、肩越しに視線をよこした。 「寝ていたのか」 平然と言う。 オレは答えに窮した。寝ていたのかと問われればその通りなのだが、うん、寝ていたピョン、と言うべきなのかどうか。こういうとき、どう答えたらいいのか、どこで習った覚えもないし、シミュレートしたこともない。 オレがいっこうに答えないので、男は少し奇妙な顔をした。 そんな顔をしたいのは、こっちのほうだ。 「まあいい。角部屋は好きに使え」 オレはどんどん無口になった。言っている意味がわからない。 男はいよいよ眉をひそめた。あきれているようにも見える。 「お前をかくまうと言っている。いやとは言わせんぞ」 「はっ?」 さすがのオレも驚いた。 男はめんどくさそうに煙草の煙を吐いた。 「お前をかくまう。外国に逃がしてやるわけにはいかんがな。……長くて2,3日。それ以上はお前を隠せない。……その間に、やり残したことがあるなら言え。俺にできることなら、なんとかしてやる」 (こいつ、やっぱラリってんのか?) オレが何者か知ってたら、正気なら、こんなこと言えない。けれど、男のどこにも、狂気の色はなかった。オレが見る限り、だけれど。 男はオレの内心など見透かしたように、はすに視線を外した。 「お前の名前は知ってる。なにをやったのかも。テレビでさんざ、連呼されてたからな」 男の口が、オレのイニシャルの形に開きかけた。 しかし、オレの名前が呼ばれることはなかった。男が言うのをよしたのだ。 しばらく戸惑ったすえ、言うのをやめたような気がした。 「……とにかく、俺から言うことはそれだけだ。わかったら、戻れ。腹が減ってるなら、後で飯を持って行ってやる」 男は長い足をテーブルから降ろし、立ち上がった。結構な長身だ。オレより視線の位置が低いのは、男の姿勢が悪かったせいもあるかもしれない。 男はグラスの底で煙草を揉み消すと、 「外には出るなよ。そぶりがあったら射殺するからな」 一転、物騒なことを言い出した。 「……」 かくまうと言ったり、射殺すると言ったり、一体この男はなにがしたいのだろう。 オレみたいなのをわざわざ軟禁するメリットがあるのか。繁華街の真昼間に銃を乱射した、22歳の元学生を。 腑には落ちなかったが、オレは手ぶらだ。襲いかかるのはもちろん、家から出ようとしても射殺されるというのなら、大人しく男の言うとおりにしておくしかない。いまさら、男の銃の扱いに疑問は抱けない。オレよりうわてであることは間違いない。 別に殺されたっていっこうに構わない身の上だが、2,3日生きながらえたところで困るということもない。 こいつが何をもくろんでいるのかはしらないが、乗ってやるのも悪くないかなと思った。 思った瞬間、ふっと言葉が口から滑り出た。 「アンタの名前は?」 自分でも、なんでそんなことを聞いたのか分からない。 男は、やっぱりためらった。 オレは男の額を見ている。 前髪を上げきった額は隠すものなどないはずなのに、オレはそこに確かな証拠を探している。 「俺は……」 男が自らの額に触った。節のたった中指で、額を斜めになぞる。 本格的に妙な心地になった。 なぜか男の名前を思い出しそうになる。 初対面なのに。知るはずもないのに。 けれど、名前は次々に思い浮かんだ。男の名前も、女の名前もあった。オレは、男をどの名前で呼べばいいものか、なぜか真剣に悩んでいる。22年間で、二回目に悩んだ瞬間だ。 男はオレを見ている。髪は黒いのに、目が青い。 そのとき、ふっと浮かびあがった名前があった。たぶん、一番近いだろうと思った。 オレはそれを呼ぼうとしたのだが、 「必要ない。俺たちには」 男がさえぎった。 確かに、それもその通りだと思って、オレは男の名前を決めるのをやめた。 オレはオレのままで、男は男のままで、この家の中では、成立しているのだ。 そんな気がして、オレは、しばらく男にかくまわれてやることを決めた。 |