後例 8
後例 8



 
 その日のサニア州はよく晴れていて、雲ひとつなかったが、トウモロコシ畑もまぶしい片田舎の、さる金持ちの別荘で、鳥も逃げ出す銃声が響き渡った。
 豪勢な屋敷に充満する血のにおいは、先日隣の州で起こった十二人死傷の大惨事ほどではなかったが、訪れた者の嗅覚を刺激するには十分だった。
 
 この日、別荘に訪れた婦人警官も、端正な顔を歪ませた。

 青い癖毛のその婦人警官は、別荘を裏手から周り、庭へ出た。ニレの樹のそばに、微量のガラスが落ちている様を一瞬眺め、リビングらしき場所においては窓すらすっぽり抜け落ちている様には不審顔を隠せなかったが、それよりも、テーブルのそばに立っている男の姿に目線は釘付けられた。
 上から下まで黒い服を着て、長く伸ばした髪まで黒い、まるで影のような男である。

「――さん」

 婦人警官は少しのためらいの後、その男の名を呼んだ。
 男の目がゆっくりと婦人警官のほうへ向く。ひどく顔色が悪いが、瞳は快晴を思わせる青だった。

「……ご連絡、ありがとうございます」 

 しばし男の瞳を見つめてから、婦人警官は丁寧に頭を下げる。

「礼を言わねばならんのは、こっちだ」

 男の物言いはあくまで素っ気無い。ただし、今回に限っては、元気がないと言い換えてもよさそうな具合で、語尾に覇気がない。
 青毛の女は頭を上げた。

「殺したんですね?」

「殺した」

 二人の間に、沈黙と、静寂に付随する諒解の空気が流れた。

「正当防衛という形で、始末します」

 女が口火を切る。

「あなたは友人の別荘に立ち寄った際、運悪く逃げ込んだ凶悪犯に出会い、武装した彼に逆らえず、強制的にかくまわされていた。――そうですね」

 最後は諒解を求める言葉になった。
 男の目は曇っている。こめかみが動く。歯をかみ締めている。

「私の言った通りですね。そうですね?」

 女は残酷な口調で言った。それが彼女の役割だと、彼女は十分に理解していた。
 男は口の中で謝りの台詞を述べると、首を縦に動かした。
 女は気づかれぬように、ふっと息を吐く。

「五分後に、無線で知らせます。その間に、矛盾のない供述を用意しておいてください。彼の指紋がついた凶器は?」

「やつが元から持っていた銃。あと、ナイフを握らせた」

「ナイフは、あなたの所持品ですね? ……では、それも奪われたということにしましょう。ナイフと銃を、そのままの状態で、適当な場所へ移動をお願いします。あなたの指紋も付いているでしょうが、誰の指紋も付いていないよりは不可解ではありません」

 女は一息に言い放ち、今度はふぅっと、男にも伝わる程度のため息を吐いた。

「また……こうなっちゃいましたね」

 二人を取り巻く空気が変わる。女の目には、いまほどまでなかった、古い友人同士が語り合う色を帯びている。

「お前には……申し訳ないと思っている」

 男が言う。女は笑う。それが慰めになるのだと、女は分かっている。

「”長い”縁ですもの。そんなこと、気にしてません。けど……」 

 女が言いよどむ。男は、なんだ、と聞く。

「本当に、不謹慎なことです。いいんですか?」

 男は何も言わない。

「少しだけ、うらやましく思っているんです。私は、いつも、協力しかできませんから。物語の中心には立てません。あなたと、彼の闘いを決定付ける要素には、決して」

「俺が好きでやっていることだ。お前が気に病むことは、なにひとつとしてない。……あいつにも、感謝している。別荘を汚してすまなかったと、伝えてくれ」

 女は、ふふっと笑った。

「直接お伝えくださいな。あの人は、お金持ちですから、私以上に気にしていませんよ。でも、不思議ですね。いつもいつも、あの人はお金持ち。輪廻転生とか、生まれ変わりとか、もうたくさんだって思ってたのに、あの人を見ると、ついついうらやましくなっちゃいます」

 今度は、男も少し笑った。

「でも、私たちはもう、前世ではなく、現在が大切だと、あのときに答えを手に入れたはずです」

 男は、わかっているさ、と言った。

「それでも、この後悔を、ガキどもに受け継がせるわけにはいかん」

「またそんなこと。今度は、あの子たちのほうが、先に産まれてくるかもしれないのに。そうしたら、私たち、年下ですよ、年下。なんだか、気恥ずかしいですね」

「出会えれば、の話だがな」

 女は深く頷いた。そして、リビングに上がりこむと、男の腕にそっと触れた。

「私、もう行きます。……あなたも、あなたの人生の流れに、戻ってください。今のあなたには、今のあなたの人生があるのですから」

 去る女の後姿を見ながら、男は、やはり、わかっているさと呟いた。
 ナイフと銃をリビングに置いて、男も庭に出る。女が無線で話す声が聞こえてくる。
 男は土を踏みしめながら、次に打つ一手に考えをめぐらせて……。
 門を出るころには、それらを全て、忘れ去ってしまうことにした。

 
 十分後にはけたたましくサイレンを鳴らした大勢のパトカーと、ほんのおまけのような救急車が別荘を取り囲み、その五分後には一人の人間の死骸が運び出されて、五時間後には別荘の周囲はすっかり静かになった。

 その日は最後まで天気が崩れず、おだやかな日和だった。





NO END




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