Revesal
Reversal


この、年齢の割りには幼い顔つきをした少年が落とした爆弾に、
俺は戦場に上がったばかりの新兵のようにうろたえていた。
”リカルドと性的な関係を結びたい”
何度も脱線しかけ、紆余曲折する話に辛抱強く耳を傾け続けた結果を、要約することこうだ。
つっかえる度に間を置くので、ここまで聞き出すのに相当な時間がかかった。
どうやら耳がイカれたらしい。
そう思って何度か問いただしてみたが、返ってくる答えは同じだった。
どこか小動物を彷彿とさせる顔立ちは、今や真剣味に満ちていた。

事の発端は、ミルダが俺の部屋を訪ねてきたことから始まった。
珍しいことではない。宿に着き、それぞれに割り当てられた部屋に散ると、
ミルダはしばしば俺の部屋を訪れた。
別段追い返す理由などないので、テーブルの両脇の椅子に掛け、
俺は酒を、ミルダは水を飲みながら、他愛も無い会話をする。
話題の中心は進行ルートにある町のことや、軍事情勢のことだ。
稀に前世のことに話が及ぶこともあった。
そんな時、ミルダは決まって夢見る少年のように楽しげな笑顔を見せるのだが、
俺はそれをたびたび苦々しく眺めた。
天上の記憶が転生体に僅かの影響も及ぼさないとは思っていない。いないが、
それでも前世は前世だ。今生きている人間が縛られるものではない。

(しかし)

本当にそうか。言い切れるのか。
棘のような引っ掛かりが胸中に浮かぶ。
ナーオス基地で出会った男を思い出していた。
あの男が俺にだけ語りかけてきた言葉を。
あの男は、俺の。

考えに沈み、俺は黙り込んだ。
両手に囲った酒杯の水紋を眺める時間だけが過ぎていたのを覚えている。
思えば、このときからミルダはおかしかった。
いつもなら、黙り込んだ俺を気遣う言葉を――過剰と思えるぐらいに――注ぐのだが、
このときばかりはミルダも口を閉ざしていた。
今ならミルダが何を考えていたのか大体分かる。
内心の思惑を、ともすればこの部屋を訪れるときにはすでに抱えていた言葉を、
告げるべきか悩んでいたのだろう。
しばらくして、部屋に戻れと告げ、扉の前まで送り届けたとき、ミルダが口火を切った。
そして今、その発言に、俺が悩まされている。



「…………」

極力顔には出さなかったつもりだが、自信はない。
俺がミルダに何度目かの確認を投げかけて以来、部屋には沈黙が流れ続けている。
――なぜ、こんなことになったのかが分からない。
眉間を押さえる。知らん内に皺が寄っていた。
何を間違って俺などと体を重ねたいと思ったのか。
俺とて27の健康な男だ。当然溜まるものもある。
これが名も知らぬ女性からの誘いだったら、一も二もなく承諾していただろう。
すっかりパーティの保護者役に成り果て、発散する暇も機会も失われていた。
ガルポスの宿の100ガルド追加サービスは期待外れもいいところだった記憶は新しい。
折を見て歓楽街に足を運ぼうと考えたこともあったが、
万が一女性陣に思惑が漏れる可能性を思うと気が重かった。
アニーミにはここぞとばかりにからかわれるだろう。
水を得た魚のようになった彼女の顔が目に浮かぶ。
ラルモにいたってはまだ子供だ。出来るならば性的な話題には触れさせたくない。
セレーナは、嗜めながらも苦笑いで容認するだろうが……。
男を抱くことに抵抗があるわけではない。軍ではさして珍しいことではない。
しかし、ミルダは転生者であることを除けば、真面目な、普通の少年だ。
男相手にしか性的欲求を覚えないタイプではない。
ならば当然、性対象は女性のほうが望ましい。
それもアニーミのようにお互い慈しみ合える関係を築ける女性と。
そう思うのは、長らくこの子たちを見守っていたために湧いた父性からか。

「ねぇ、リカルド…」

沈黙に耐えかねたのか、ミルダが声を掛ける。
変声期を迎える前の少女のような声は不安に曇っていた。

「僕の言ったこと、わかりにくかった?」

「違う。黙ってろ」

そうだ、もしミルダを抱くようなことになったとしよう。
その場合、当然身体に無理を強いることになる。
前線の主力を担うミルダの動きが鈍るのはまずい。
前衛の不調は後衛にも波及する。翌日の戦闘に差し支えるような真似は避けるべきだ。
――いや、違うな。そうじゃない。
結局のところ、俺は葛藤しているだけなのだ。
銀髪で童顔の、通俗的な単語を用いるならば美少年がどれほど懇願しようが、
どれほど俺の性欲が積もろうが、
この、純真で、気の弱い、一回りも年下の少年をかどわかすような真似をしてもいいものか。
例え同意の上でも。
と、俺のなけなしの良心が訴えかけているだけのことだ。
今夜を共にすることで、この後のミルダの人生にいささかの影響も及ぼさない確証は無い。
ミルダの顔へ視線を移す。

「…っ……」

不安げに俺を見上げ続けていた目が、震えるように揺れた。
溜息が漏れる。

断るべきだろう。それも、なるべく傷つけずに。

当たり障りの無い言葉を捜して再び黙り込んだ俺が上手い宥め文句を思いつくより先に、
ミルダが口を開いた。

「リカルド、もう、……いいよ。困らせてごめん」

「いや……」

「いいって。本当にもういいんだ。気持ち悪いよね、
こんなこと言われたって。……本当にごめんなさい。忘れて」

「ミルダ」

ミルダは答えず、辞去するつもりなのだろう、背を向けた。
今まで以上に頼りない背中。諦念と後悔が圧し掛かっている。
それもそうだ。
ミルダのような内気な少年が、こんな打ち明け話をするのに、
どれほどの労力と勇気を振り絞ったのか分からない。
だがミルダの申し出を受け入れることは躊躇われる。傷つけたくないからだ。
しかし、断ればどうだ。やはり傷つくのではないか。
華奢な肩越しに、ドアノブに掛けられる手が見えた。
弱りきった動物のように覚束つかない指先。

待て、と反射的に口から滑り出ていた。
それでもミルダは頑なに背を向け続けている。
「聞えんのか」と声を低くして告げると、やっと肩が動いた。
瞬間的に後悔したが、もう遅い。ミルダが振り返った。
大きな瞳が泳いでいる。叱られるとでも思っているのだろうか。
腕を組みながら見返す。

「待てと言ったろう」

「リカ……」

「やはり、ガキはガキだな」

俺も甘くなったものだ。

「礼儀を教えてやる」

ミルダの顔が強張る。

「せめて返答を聞いてから帰るのが、礼儀というものだ」

これで、後には引けなくなった。




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