ルカの大冒険11

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薄っすらと白んだ大気。
大地が目覚めたばかりで、何もかもが新鮮な気配を宿した朝。
その中に、僕たちは立っていた。
集落中の村人が広場に集まっていた。
早朝から仕事をする女たちだけではなく、男衆と子供たち、長老も僕らを見送りに来ている。
色黒の肌が立ち並んでいる。変わった服。純粋な瞳。土のにおいがする彼ら。
首や腰に吊るしたどくろ、彼らの親族だったものたち。
勉強を教えた子供たち。親切にしてくれた女たち。一緒に狩りに出かけた男たち。
そして、ザザと、ザザの母親。
僕は、彼らの顔を、一人一人大切に眺めた。

僕は毛皮ではなく、漂流してきたときに身に着けていた服を着ている。
少し離れたところで、リカルドが門に背をもたれ、腕を組んで待っている。
彼も普段の服を着ていた。旅立つために。

僕は一歩進み出て、見送りの中央に立つザザの前に歩み寄った。
彼女はスパーダの帽子を脱いで、手に握っている。
僕は鼻の頭を掻いて、笑いかけた。

「また来るよ。今度は、僕の友達も連れて」

彼女は曖昧に頷いただけだった。
うつむいて、僕の顔を見てくれない。
僕は彼女の手を取って、

「キョウ、ハ、ゴチソウジャ」

と、言った。

「僕は結局、君たちの言葉を、これだけしか覚えられなかったね。
でも、大事な言葉だ。これだけ覚えていれば、いいと思ったんだ」

ザザが、やっと上を見た。
黒い瞳の縁に、涙がたまっている。

「きみは、あのことを後悔してるかもしれない。でも、気にしないで欲しい。
引き止めてくれる人がいることは、幸せなことだから。
僕のことは忘れてもいいけど、今の言葉は、忘れないでいて。
僕も、そのことだけは、絶対に忘れない。ずっと、友達だ」

僕は彼女の手を離し、長老にお辞儀をすると、背を向けて歩み出した。
トーテムポールに寄りかかっていたリカルドが、背を離す。
彼とともに旅立つために、僕は門へ向かった。

僕の言葉は若く、彼女に届いたかは分からない。
けれど、心をこめた。僕が言えることは、あれだけだ。

「ルゥカ!」

僕は振り向いた。
ザザが駆け寄っていた。
僕の手を持ち上げて、スパーダの帽子を握らせる。
僕は驚いた。

「これは、きみのものだって言っただろ」

ザザは首を横に振った。

「これ、ルゥカの友達のモノ。だから、返すしないとあかん。
ルゥカの友達なら、私の友達よ。友達、大事にするもの」

彼女は両手で僕の手を導いて、帽子を僕の頭に乗せた。

「ザザ、わかった。ルゥカのおかげでわかったよ。
遠いも近いも、おなじ。時間、長いも短いもおなじ。
家族のドクロ身に着けるのは、遠くても近いこと、長いは短いこと、私たちは知ってるから。
友達も、同じ。近くても遠くても、友達。ルゥカとザザ、友達」

彼女は、泣いていた。
顔にあふれた涙を、ぐいとぬぐって、笑った。

「ずっと、友達」

僕は大きく、ゆっくり頷いて、再び背を向けた。
背後で、村人たちが口々に別れの言葉を口にする。
僕は彼らの言葉が分からなかったけれど、何を言っているのかは分かった。
元気で、気をつけて、さようなら、また来てね、いつでも帰ってきて。

晴れやかな気分だった。





見慣れたコートのすそが、潮風にはためいている。
僕たちは海原の上にいた。
早朝に出発して、すでに昼過ぎになっていた。
島はもう、影も形もないだろう。けれど、僕は島の方向を振り返らなかった。
高い日差しが、波間に反射して、眩しいほどに輝いている。
僕は、彼に命令されて、帆を繋ぐロープを縛ったり緩めたりしていた。

「今、舵、放せる?」

僕は縄を少しゆるめて、舵を取っている彼へ訪ねた。
彼は答える代わりに、舵を固定し、僕のほうへ歩み寄った。

「聞き忘れてたんだけど」

僕はさりげなく彼の顔を覗き込んだ。
彼と二人きりになって、僕の気分は高揚しているけれど、
彼はそうでもないんだろう。顎を上げて、僕の言葉の続きを促している。

「なんであのとき、僕を撃ったの?」

僕は少し、意地悪な質問をした。
彼は眉をぴくりと動かして、気まずそうに視線を横に外した。

「別に、お前を殺そうとしたわけじゃない。
殺気を感じたから威嚇射撃をしただけだ。
そもそも、お前だと気付いて撃ったわけでは…」

彼が喋っている途中、僕は動いた。
懐の中に飛び込み、襟首を掴もうと手を伸ばす。
彼が咄嗟に身を引いた瞬間、僕は彼の足を払った。
そして、バランスを崩した彼の胸倉を掴み、甲板の上に押し倒す。
素早く受身を取る彼が体を起こす前に、ナイフに見立てた指を喉仏に突きつけた。

「はい、一本。油断大敵」

彼が小さくうなった。

「何がしたいんだ、お前は」

うめくように言って、目を細める。
睨むというほど険はない。けれど、呆れている目。
彼らしくて、僕は笑った。

「せっかく二人きりになったんだから、イチャつきたいじゃない。
リカルドが悪いんだよ。すっごく、隙だらけー、って感じだったもん。
戦場だったら死んでたよ」

「倒されてやっただけだ。勘違いをするな」

さすがに、声色に不機嫌が混じっている。
でも、僕は怖気なかった。

「それでも一本は一本。ご褒美は?」

彼が、僕の頭に手を伸ばした。僕は、殴られる、と思ったけど、よけなかった。
予想に反して、彼の手が、やさしく頬に触れた。
指先で、僕の目鼻立ちをなぞって確かめる。
穏やかな目をしていた。

「お前、少し変わったな」

「日焼けしたから?」

彼は、それもあるが、と言って、微笑みを浮かべた。

「あの時もそうだった。お前を撃ったとき。木の向こうから、獣染みた気配が伝わってきた。
背中を見せて逃げていくお前の姿を見ても、俺はお前とは気付かなかった。
毛皮を着て、裸足で駆けて行く姿は、一匹の獣そのものだった。
それがまさか、このお坊ちゃんだったとはな」

彼が、僕の頬をつまんで引っ張る。
僕はヘンな顔をしながら、首をかしげた。

「ワイルドになったってこと?」

「さあな。言葉では表現できん。だが、悪い変化だとは思わない」

彼は起き上がりながら、肘で僕の体を押しのけた。
僕が再び彼を押し倒そうと肩にかけた手も、素早く叩き払ってしまう。

「ねぇ、ご褒美は?」

「言い忘れてたんだが」

不満の声を漏らした僕から離れながら、彼は鼻をつまんだ。

「お前な、洒落にならんほど臭い。自分では気付いてないらしいから、言っておくぞ。
風呂に入るまで近寄るな。においが移る」

彼はさっさと、船首のほうに戻ってしまった。
舵を片手に持って、僕をわざと無視している。
僕は彼の背中から近寄って、後姿を眺めた。
彼が僕に気付いていないはずはないのだが、その背は動かなかった。
尻尾のように結わえられた後ろ髪だけが風に跳ねている。
僕は、小さくため息を出して、一歩近寄った。

「僕も、言い忘れてたことがあるんだけどな」

彼が振り向きかけた瞬間、さっとその唇を啄ばむ。
ぴく、と瞼が動いた。怒る2秒前だ。
僕は彼に怒鳴られる前に、体を離した。

「助けに来てくれてありがとう。うれしかった。大事にされてるんだなって実感した。
不謹慎かもしれないけど、すごく幸せな気持ちなんだ。
そしたら、ずっときみに、言わなきゃいけなかった言葉があるって気付いた。
だから、ちょっと恥ずかしいけど、ちゃんと伝える。言うよ?」

彼は少し驚いている様子だったけれど、
毒気を抜かれたように、黙って、僕の言葉を聞いてくれた。
僕は深く息を吸い込んで、彼の目を真っ直ぐ見た。

「愛してるよ、リカルド。
きみを愛して、きみに愛されて、僕は世界一の幸せ者です。
ありがとう。これからもよろしくお願いします」

言い終わると同時に、僕は深々と頭を下げた。
僕が頭を上げたときには、彼はそっぽを向いていた。
舵に集中するふりをして、顔が赤いのを隠している。
彼は、片手で口元を覆い隠しながら、

「了解」

とだけ、言った。





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