ルカの大冒険12

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「ルカ!この大馬鹿野郎!」

グリゴリの里へ到着すると同時に、スパーダが飛びついてきた。
背に両腕を回し、背骨を折らんほどに抱き締めてくる。
僕は息苦しさを感じたが、いつかと同じ暖かさに、笑った。

「おい、本当にルカか?幻覚じゃねぇだろうな、ちくしょう。
あ〜ったく、この馬鹿、アホ、間抜け野郎!心配で死ぬかと思った。
慰謝料払えよ、慰謝料!」

スパーダが僕の首の根っこを掴み、ぐらぐらと揺すり出す。
僕は彼に対抗して、彼の腹を軽く殴っておいた。
彼は機嫌が良さそうに、ゲラゲラ笑っていた。
とても懐かしかった。

「僕はまだ学生だし、慰謝料はきついな。
これで許してくれるといいんだけど」

僕はそう言いながら、懐の中からスパーダの帽子を取り出した。
それを彼の胸元に投げつける。
スパーダの緑色の目が見開かれて、それから、噴出した。

「お前、後生大事にこんなもん持っとくなよ。形見か」

「漂流した先の女の子が拾ってくれたんだよ。感謝しなよ」

彼は指先で帽子をくるりと回すと、頭に乗せた。

「やっぱり、スパーダにはそれがないとね」

「馬鹿、帽子のことなんざとっくに忘れてたよ」

彼は、からからと笑っていた。けど、目の端がかすかに光っている。
僕は指摘せずにおいた。
スパーダは、ひとしきり僕の顔を眺めた後、ふと、思い出したように腰に手を当てた。
僕の胸元に指をあてて、ぐ、と押す。

「ルカ兄ちゃん!」

「は?」

彼が、いきなり鼻にかかった裏声で叫んだ。
僕は驚いて、一歩下がった。

「心配ばっかさせよって、ほんっま、世話が焼けるんやから!」

「……、なに?おかしくなったの?」

「お前の胴の上に乗ってるのは、ただの飾りか。
自慢の頭を働かせろ。今の、伝言。エルマーナから」

「エルから?」

彼は頷いた。

「あぁ、手紙でな。俺ら、パーティの仲間と連絡取り合ってたんだよ。
無駄に心配させる気はなかったけど、ま、一応な。俺たちだけ知ってんのも不公平だろ」

な?と、彼はリカルドのほうに振り向いた。
リカルドは接岸した船の係留をグリゴリの青年に任せている最中だった。
短く、あぁ、と頷く。

そうだったのか。全然知らなかった。

「続きもあるぜ。…えぇっと、確か……」

スパーダが、とん、とん、とこめかみを叩く。

「ルカ兄ちゃん、絶対、帰ってきてくれるって信じてるからな。
無事に戻ってきたら、うちに元気な顔みせてな。……だったっけな」

意外と、方言が様になっている。
きっと何度も練習したんだろう。彼は妙なところで真面目なところがある。
スパーダは思い出したように指をぱちんと鳴らした。

「そだ、イリアとアンジュからも伝言を預かってたんだった。
まずはイリアからな。なに、すぐ終わる。ちょっとこっち来てみ」

スパーダが、ちょいちょい、と指先で招く。
首を傾げながら歩み寄る僕の肩を、スパーダががっちりと掴んだ。
ニヤニヤと笑っている。嫌な予感がした。

「動くなよ」

彼は言い終えると同時に、僕の頬をばちん、と平手打ちした。
もちろん手加減はしているが、それでも、割りと容赦のない力だ。
視界がぐらっと揺れる。

(…っ!)

「…いきなり何するんだよ!」

僕は頬をおさえながら、スパーダをにらみつけた。

「それがイリアからの伝言だよ。一発、引っ叩いといてけってさ。
いいんじゃねぇの、愛を感じるぜ、愛」

それはそうだけど、と僕は思ったが、
スパーダは笑ったまま、肩を竦めた。

「んで、アンジュからなんだけど……あー」

彼は、あからさまに嫌そうに顔を歪めた。帽子を下げて、目を隠す。
口元が、ぴくぴくと歪んでいた。
何か葛藤をしているようだ。しばらく黙って、やがて、諦めたような息をついた。

「いいか、ルカ。今から俺がやることを、五分後に忘れろ」

彼はそういうと、僕が答えるより前に顔を寄せてきた。
鼻の頭に皺を寄せて、顔を歪めている。
彼の顔が視界一杯に広がった瞬間、僕の口の端にあたたかいものが触れた。

スパーダの唇だ。僕は驚いて後ろにとびずさっていた。
危うく海の上に転落しそうになる。
僕はバランスを取りながら、信じられない思いでスパーダを見た。
彼は顔を蒼白というよりは紫色にして、摩擦で火が出そうなほど、袖で口をこすっていた。

「うぇっ…!うげぇえええ!あ゛ぁ〜くそっ、アンジュのやつ!
やべ…、気分が…。…っおい、リカルドー!口ゆすぐもん持ってきてくれー!」

スパーダは自分の喉を両手で締め付けながら、顔を青くして叫んだ。
僕はしばらく呆気に取られてた。

(アンジュ)

僕の唇の端には、本来彼女の唇が触れるはずだったと気付いたとき、
僕は思わずニヤけていた。
ごめんねリカルド。それとこれは別物だからさ。

「エル、イリア、アンジュ…」

僕は、彼女たちからの三種三様の激励に、深く感謝した。







「僕、みんなのことを羨ましいと思った」

僕は風呂上りであたたまった体を拭きながら、言った。
リカルドのシャツだ。袖もすそも長いので、これだけで寝巻きになる。

「どのみんなだ」

ベッドに腰かけたリカルドが、酒を傾けながら言った。
自室に戻った彼は、着くなり酒を開けた。
多分、僕を見つけるまで飲んでいなかったんだろう。
少し弱くなっているらしく、顔がアル中の親父のように赤かった。

「旅の仲間だよ。イリア、スパーダ、アンジュ、エル、そしてきみ」

彼は興味が無さそうに鼻を鳴らして、ほどいた後ろ髪を無造作に指で梳く。
いかにも眠そうだった。

「理由を聞いたほうがいいか」

「うん、お願い、お母さん」

僕は彼の隣に腰掛けた。
彼がズボンを投げて寄越したけど、僕はそれをわきによけた。

「着ろ。尻が冷えるぞ」

「島にいる間は下着すらはいてなかったよ。大丈夫。
――あのね、きみたちだったら、もっと色々、上手くやれたんじゃないかな。
もっと早く脱出出来ただろうし、ザザにも、きっとさみしい思いをさせたりしなかったよ。
僕が出会った人たちは、みんな、そういう強さを持っていた。敵も、味方も。
その分、僕はお気楽だし、要領が悪いし、不器用だ。
だからね、皆は本当にすごいな、すごかったんだな、って思った」

「お前がお気楽なのは否定せんが」

リカルドは、億劫そうに腰を浮かして、飲みかけの杯をテーブルに置いた。

「その、すごいやつらに好かれている自分が、すごいとは思わないのか」

彼は眠たげに欠伸をして、目の端を親指でこすった。
息が酒くさい。そうとう酔っているんだろう。
けれど、彼の口調はしっかりとしていた。

「人徳…いや、絆というべきか。それがお前の力なんだろう。
努力では得られない力だ。天性のもの、または自然に育って身に付けるしかない。
それが、お前にはある。もっと誇れ」

リカルドは、話は終わりだとばかりに僕の太腿をぽんと叩き、毛布に手を伸ばした。
僕はその瞬間、彼の手首を掴んで、ベッドの上に引き倒した。
すかさず馬乗りになり、押さえ込んだ。
彼が迷惑そうにうなる。

「眠い。明日にしろ」

「明日もそう言うくせに」

僕は笑いながら、彼のシャツに指をかけた。
上手く外せなかったので、僕はシャツのボタンを引きちぎり、胸板に手を這わせた。
抗議の声を上げようとする彼の喉をつかんで、頭をベッドに縫いとめる。
普段ならこうもいかないんだろうけど、酔っているせいか、動きが鈍い。
彼は横目で床に散らばったボタンを眺めて、喉を窮屈そうに動かした。

「酔っ払いをいじめるな」

「流される口実が欲しいかと思って」

僕はしたり顔で囁いておいた。
彼は、怒るかと思ったが、軽くため息しただけだった。

「本当に変わったな、お前」

「こういう僕は嫌い?」

彼は、いや、と笑った。

「困りものだが、悪くはない」

僕は彼の肌をたどった。
腰に手を這わせて、震える息を引き出す。
唇を合わせ、彼の息を僕のものにする。





僕という島は、生まれたときはちっぽけな無人島だった。
けれど、そこに流れ着いた人たちがいる。
まずは僕の父と母が来た。それからエディとニーノ、友達たち。
怒涛の旅の中で、更に多くの人たちがなだれ込んできた。
僕の島は豊かになった。そして、主の僕さえ知らない美しさを、僕の島が持っていたことに気付いた。
イリア、コーダ、スパーダ、アンジュ、エル。大切な仲間たち。
チトセ、マティウス、戦った敵たち。アスラ、イナンナ、デュランダル、前世で見たあの人たち。
ザザ、彼女の母親、ヘンな帽子の長老、集落の村人たち。
世界中、訪れた街で一言会話を交わした人たち。すれ違っただけの人たち。

彼らもそれぞれの島を、この世界の海の中に持っているんだろう。
僕は彼らの島に時折顔を出し、ときに会話もせず一瞬で過ぎ去り、ときに抱き合って過ごす。
僕の島にはしばしば嵐が来て、スコールが降る。土は痩せ、植物は元気をなくし、陽がかげる。
しかし、厚い雲を吹き飛ばす風を、僕はもっている。
それは僕自身の力であり、島に住む人たちの祈りの風でもある。

(近いも遠いも、短いも長いもない)

僕という島はちっぽけだ。けれど、彼らが島を訪れたという事実は消えない。
この海の中で僕という島はひとつだけれど、それでも風が種を運び、
僕の島のにおいを他の島に届けてくれる。僕は彼らの雲をも取り去って、陽を取り戻すことが出来るだろう。
たとえ僕という島が沈んでしまった後にも、永遠にその命は続いていく。
それは、とても愛にあふれている気がした。
そして、僕の島の中心には、常に、長身の男が仏頂面で座っている。

「ミルダ?」

僕はいつのまにか、泣いていた。
薄っすらと汗を浮かべたリカルドが、僕を不思議そうに見ている。
僕は涙をぐいとぬぐって、笑った。

「なんでもない」

僕は僕の島の愛しい住人を、抱き締めた。


僕の島は今、晴れきって、あたたかい陽が降り注いでいる。
風が機嫌よく吹いて、緑は栄え、何もかもが瑞々しい。
世界中の人たちにありがとうを言いたい気分だ。
僕は心の中で、それを実行に移した。


この美しい世界に、ありがとう!





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