幸せ

幸せ




ハスタにとって一番古い記憶は、女の首を絞めて殺した記憶だった。
後ろから組み付いて、自分より身長の高い女の首を、腕で締め上げ、殺した。
ハスタの腕を必死で掻き毟っていた女が、泡を噴き、白目をむいて倒れたとき、
すかさず上に覆いかぶさって、数分締め続けたのを覚えている。
もしかしてもう死んでいたのかもしれないが、そのとき、ハスタは、
えもいわれぬ興奮を感じていた。
その瞬間、ハスタの世界は色づいて、音が賑やかになった。
世界はつまらないものから美しいものに変容していた。


家族のことは覚えていない。
いたのかもしれないし、最初からいなかったのかもしれない。
殺したのかもしれない。
しかし、記憶に残っていないということは、さほど手ごたえがないやつらだったということだ。
どうでもいい。
だが、家族連れは好きだった。
殺しやすいのに大勢でいる上に、男、女、子供まで、一度に殺せて気持ちがいい。
まず男を殺して、女が逃げる前に女を手際よく殺し、最後に子供の息の根を止めるのが、
ハスタの好きな手順だった。

最初は、とりあえず目に付く人間を殺してまわっていた気がする。
ちょうど隣人をみかけたので殺してみたのが最初だった気がするが、
それが最古の記憶の女なのかは、よくおぼえていないのでわからない。


ハスタは、最初は素手で殺人していた。
相手が死ぬまで殴り、首を締め上げて窒息させ、五体を駆使して首の骨を折った。
それから、石を使うことを覚えた。石で殴れば、素手より早く殺せることを知った。
次に試したものはナイフだった。素晴らしい道具だと思った。
場所を選んできりつければ、一瞬で人間が死ぬ。
しばらくナイフを使って、人の急所を調べた。
首、心臓、肺、太腿の付け根。肋骨をかいくぐり内臓を貫く技量を学んだ。
ナイフに飽きた後に手に取ったものは剣だった。幅広の、ブロードソード。
うまく扱えたが、それからハスタはたびたび武器を変えた。
刀、銃、フレイル、特にこだわりはなかったので、色々試した。
いずれも人を殺すには十分な武器だったが、どこか違和感があった。

いつか、なんとなく、なんとなく槍を持った。
一番うまく使えた。手に馴染んで、手足のように動かせた。
ハスタはそれから槍しか使っていない。



もちろん憎まれ、追われたが、ハスタは、殺せる人間が増えたな、ぐらいにしか思わなかった。
天性の身体能力と才能で、彼らを返り討ちにすることはたやすかった。
しかし、ついにハスタにも危機が訪れた。
自治組織が結託し、被害者の遺族が傭兵を雇って、おおぜいでハスタを殺そうとしたからだ。
ハスタはまだ、若かった。
強靭な肉体に悪魔の技量を持っていたとしても、まだ13の少年は逃げ回ることを知らなかった。
正面から兵士や傭兵を殺してまわる内に、ハスタは疲れ果てていた。

(死ぬなぁ)

がりがりに痩せ、ところどころ傷ついた自分の体を見て、ハスタはそう思った。
次に彼らがやってきたとき、自分は死ぬだろうな、と考えた。
別に怖くはなかったが、そうなればもう人を殺せなくなるのが、残念だった。

ハスタは槍を引きずりながら、森を歩いた。
死ぬ前に、一人でも多く殺してやるために、何か食うものが欲しかった。
何日、あるいは何週間食べ物を口にしていないのか覚えてないが、
誰かの姿を見つけたら、真っ先に殺して、食べ物の有無を確かめるつもりでいた。


森の切れ目から、炊事の煙が見えて、ハスタはそちらに向かって歩いた。
食べ物が煮えるにおいが漂っていて、大勢の人間の気配がする。
殺しきれるか心配だったが、別にそこで死んでも構わなかった。


森を抜けたとき、まず飛び込んできたのはテントの群れだった。
見張りらしき男たちが、ハスタの姿を見つけて駆け寄ってくる。
ハスタはすかさず槍をふるって男たちを殺そうとしたが、うまくいかなかった。
消耗していたせいか、男たちが強かったのかは、わからない。
一人が槍の柄を握って止め、もう一人がハスタの腹を、銃の柄で殴りつけた。
ハスタは地面に転がり、胃液を吐き出した。男の靴先が飛ぶ。
腹部に2,3発蹴りを食らって、ハスタは動けなくなった。

ハスタは、やっぱりここで死ぬな、と思った。
だが、男たちはハスタにとどめを刺すことはなかった。
男たちはハスタを後ろ手に縛り、念入りにリンチを加えた後、
一際大きなテントの中に放り込んだ。
槍は取り上げられていた。どこにあるかは分からない。

テントの中では、椅子の上でふんぞりかえっている、壮年の男がいた。
屈強な体つきをしていて、偉そうに足を組んでいる。腰に長い刃物を吊るしていた。
男は、ハスタを見て、お前か、と言った。

「槍を持った迷い猫は。……ふぅん、顔のわりには体つきが立派だな。
肝も据わっている。お前、いくつだ?」

「13」

ハスタは短くつぶやいた。
殺すなら早く殺してほしいところだ、と思っていた。

「帰るところはあるのか」

男は聞いた。ハスタは、ない、とだけ答えた。
男は腕を組みながら、ふぅん、と唸った。何かを考えている。
しばらくして、男が、まあいいか、とつぶやいて、再びハスタにたずねた。

「ちょうど人手も足りないしな。戦場に出てみるか?」

ハスタは、

「いいよ」

とだけ、答えた。
男は頷いて、かたわらで銃の分解をしていた青年に、リカルド、こいつの世話を頼む、と言った。

「めんどうだ」

青年は、こちらを見ずに答えた。
壮年の男が、生意気を言うな、と低く言った。

「問題を起こしたら、殺してもいいぞ」

「しょうがないな…」

呼ばれた青年は、ちらとハスタを一瞥して、興味がなさそうに目をそらした。
あきらかに歓迎されている雰囲気ではなかったが、それでも青年は、
ハスタに飯を与えて、粗末なテントの寝床に案内してくれた。

ハスタは手づかみでスープを食っている最中、青年の姿をそれとなくうかがった。
まだ10代のようだったが、戦いなれている空気がした。
どう殺してやろうかな、と思ったが、それよりもハスタは眠くなって、
とりあえず寝た後に考えることにした。

(まだ生きていられるもんなんか)

ハスタは固い床に転がりながら、そう考えた。

(まだ殺せるのか)

いつしか、思考はそう変わっていた。
ハスタはうれしくなり、目を閉じた。





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