幸せ2






次の日から、ハスタは早速傭兵として戦地に赴くことになった。
自由な隊列を組んで戦場に向かう傭兵部隊の中の、比較的後続に配置された。
槍は持たされていない。ハスタは両腕に、狙撃部隊の予備のライフルを抱えさせられていた。
ハスタ自身の武装は、部隊から供出されたナイフ一本だけだ。
鎧も着るように言われたのだが、ハスタは断った。
大人しく後衛で控えているつもりだったからではない。
慣れない鎧を着ても、動きが鈍るだけだと考えたからだ。
もとより、後方で雑用や援護をしているつもりなどなかった。
戦闘が始まったら、どさくさに紛れて飛び出し、ナイフ一本を振り回して戦うつもりだった。
命令を聞かなかった罰として殺されるかもしれないが、そうなったら、
そのときのことはそのときに考えればいい。

ハスタは、その刹那刹那で動く、動物的な思考の持ち主だった。

ハスタは、昨日散々殴られて腫れ上がった顔を親指でなぞった。
隣には、一応の世話係をおおせつかったリカルドがいる。
伸ばしかけの髪を後ろで結わえたその青年は、固い表情をしていた。
これから戦場へ向かうのだから、当然だろう。
しかし、気負いや緊張で動けなくなるような、甘っちょろい人間ではないように、
ハスタには思えた。

(殺してみたい)

入念に銃の具合を確かめる青年の横顔を盗み見ながら、
ハスタは当然、そう考えた。
しかし、いま襲い掛かるのはうまくない。
なにしろ、彼はもちろん、彼の仲間は全員武装している。
ナイフ一本で皆殺しにするのは無理だろう。
不意をついてこの青年の首を掻ききることはハスタとってむずかしいことではないが、
その後が問題だった。周りの傭兵に、5分で蜂の巣にされるだろう。
死を恐れているわけではないが、死ぬのはつまらない。
そう、つまらない。死んだら、もう誰も殺せなくなる。
ハスタにとっての死とは、自己の消失への恐れではなく、
ただただ、つまらないこと、それだけだった。


「ハスタ」

不意に、隣の青年が声をかけてきた。
ハスタは目だけ向け、肩をすくめて返事をうながした。

「苗字はなんだ」

「エクステルミ」

「……言いにくいな」

青年は、自分で聞いておきながら、興味がないようにつぶやいた。
青年がハスタに話しかけることは、多くはない。
もしかしたら、黙っているハスタが緊張でもしているのかと思って、
わざわざ話しかけてくれているのかもしれない。

「ハスタでいい」

ハスタは、それだけ答えた。
どうせ、殺す男だ。会話をするより、ナイフ一本でどう立ち回ろうか
考えているほうが、楽しい。
青年も、曖昧に返事をしたきり、もうそれ以上は何も言わなかった。


ほどなくして、戦場に辿りついた。
炸薬が破裂する轟音と、異臭が漂っている。
砂塵と黒い煙が吹き荒れる劣悪な環境の中で、
数え切れないほどの人間がもみ合っているのが、遠目に見えた。

(蟻の喧嘩みたいだ)

ハスタはそう思いながら、しかし、高揚した。
あの虫けらの群れのように蠢く場所が、己が行きたいところだ。
人間も虫も、ハスタにとっては同じようなものだった。
殺せる虫、殺したい虫、殺しにくい虫、殺しに来る虫、そして、自分と言う虫。
あの群れの中には、殺せる虫がたくさんいた。
そして、もれなくあの虫たちは、殺しに来る虫だ。殺していい虫だ。
それは、素晴らしいことのように思えた。
殺して、殺されて、誰も惜しまれず、虫たちは、ぽろぽろと死んでいく。
全てがまっさらな場所だ、と思った。
黒煙の向こうの風景が、輝いてみえた。



ハスタはライフルの束を投げ捨てて、虫たちが蠢く戦場の中へ駆け出していた。
リカルドとかいう青年が腕を掴んだ気がするが、すぐに払ったのでわからない。
ハスタはナイフを抜きながら、前衛の中に走り出て、
”殺していい虫”の一匹の喉を掻ききろうとした。
しかし、虫は生意気にも鎧を着込んでいて、ハスタのナイフは弾かれた。

(あぁ、そうか)

武装した人間相手に戦った経験は多くない。
今までのやり方では駄目なのだ、と気付いたとき、
ハスタは落胆するどころか、とてもうれしくなった。
これでもっと、工夫が出来る。
どう殺すか、どうやったら殺せるか、考えることが増える。
この世界にまた、よろこばしい変化があらわれた!

鎧を着込んだ兵士が、幅広のソードを振り被った。
玄人相手に闘いなれていないハスタの目にも、
振りが大きく、隙が多いと感じた。
ハスタをただの素人の子供だと思って、なめてかかっているのだろう。
ハスタはその隙を見逃さなかった。
剣が振り下ろされる軌道を見切って身を低くし、男の横に滑り込む。
そしてすれ違い様、胴鎧の隙間にナイフを滑り込ませた。
ハスタの予想なら、この位置は腎臓にあたるはずだ。
しっかりと刃が内臓に届く感触を見届けて、ハスタはナイフを引き抜いた。
男はうつ伏せに倒れた。
まだ息があるようだったが、鎧の重さに負けて動けないでいる。
ハスタは男の兜を蹴り飛ばすと、露出した首を素早く掻ききった。
血飛沫で視界がふさがるのを避けるために、数歩下がる。
滝のように高く、血が吹き上がった。
何度も何度も見た光景だ。
この、比較的殺しにくかった虫も、殺しやすかったあの虫たちも、
流れる血の量は、平等なんだなと、ハスタは思った。


ハスタの初陣は、手際よく終わった。
鎧も着ずに前線に居座り続けるハスタを止めようとする人間はいたが、
ハスタは無視した。力ずくで止めようとしていたら、先にその人間を殺していたであろうから、
そういう人間がいなかったことは、ハスタにとっても幸運だったろう。
ハスタが5人目の敵を打ち倒したとき、もう止める人間はいなくなっていた。
部隊は勝利し、ハスタの働きは傭兵隊の頭にも届き、たいそう気に入られた。
次からは最初から前線に配置してくれることを約束してくれた。

戦闘が終わったとき、ハスタは槍を持っていた。
前から持っていた槍ではない。戦闘の途中で、敵兵から奪い取ったものだ。
ナイフはとっくにどこかへ消えていたが、それを咎めるものはいなかった。

戦場に出て、ハスタは驚いた。
今までほとんど弱いものしか相手にしなかったが、戦場の兵士たち、傭兵たちは、強かった。
ハスタは、手ごわい人間を相手にすることに悦びを覚え出した。
弱い人間を多く殺すよりも、より強い相手を殺す悦楽のほうが強いということを知った。

楽しかった。楽しくて楽しくてたまらない。
苦戦した相手にとどめを刺す瞬間、ハスタはあまりの悦楽に震えた。
ハスタはこの素晴らしいプレゼントに、とても感謝した。



その日、戦勝会と称した飲み会の喧騒が、部隊を覆っていた。
ハスタの闘いの手際を誉めたがる人間から何度も誘われたが、
だが、もとからハスタには、興味がないことだった。
もとより、誰かに認められるために戦っているのではない。
自分のために、自分のためだけに、人を殺したいという欲求のためだけに、
武器を振るっているにすぎない。純粋にそれだけだ。
しかし、自分のためだけに戦っていない人間がいるのだろうか。
ハスタは少しだけ、疑問に思った。
自分が殺してきた虫たちは、一体なんのために戦ったのだろう。
自分が殺してきた、あの殺しやすい虫たちは、なんのために生きていたのだろう。
殺されるためか?違う気がするが、ハスタにはわからなかった。

ハスタは、もとより自分が他の人間とちがっている、と考えてもいない。
ハスタにとっては己こそが世界の規範であり、常識であり、中心だ。
他の人間の世界を垣間見たいとは思わない。

(ひとり)

ハスタはただ一人の、ハスタだった。
それは孤独と言えるかもしれない。
しかし、ハスタはそのままで、幸せだった。
そう、誰よりも、ハスタはハスタのままだけで、幸せだった。



ハスタは喧騒から抜け出し、自分にあてがわれたテントに戻っていた。
柱に寄りかかりながら、槍を抱えて、目を閉じる。
精神が、心が充足し、なみなみと満たされていた。
次の戦地では、どんな敵がいるのだろうと思うだけでわくわくした。
その敵をどういう手順で殺して行くか、今日殺したあの敵たちは、
もっとどうしたらうまく殺せたか、それを考えながら眠りにつきたかった。

しかし、ハスタはそのまま眠ることが出来なかった。
テントに人が入ってきたからだ。
まだ、お開きになるには早い時間だ。
ハスタは目を開いて、やってきた邪魔者を見た。
リカルドとかいう青年が、難しい顔をして立っていた。

「なぜお前を連れてこなかった、と散々愚痴を言われた」

青年はそう言うと、手に持った布と瓶を投げて寄越した。
ハスタは瓶を片手でつかみとって、顔の前で傾けた。なんだろう。

「油。手入れぐらいしておけ」

青年はそう言って、さっさと背を向けて去ってしまった。
ハスタは、あの青年を殺そうと思っていたことをすっかり忘れていた。
もちろん、情がわいたわけではない。
それよりも、次の戦場が楽しみだっただけだ。


それから、青年はたびたびハスタの世話をやいた。
些事に疎いハスタにいろいろなことを教えた。
文字すら読めないハスタに簡単な読み書きを教えてくれた。
ハスタが重傷を負ったとき、看病をしてくれもした。
ハスタはべつにありがたいとも思わなかったが、
迷惑でもないので、青年がいろいろしてくれるままにした。
青年のほうに、世話係として以上の感情があったかは判らない。


そして、二年の時間が流れた。ハスタは15歳になっていた。
もう立派な傭兵だった。戦場でも有名人になっていた。
そのかわり、ハスタに話しかける人間はいなくなった。
しかし、ハスタはそんなことは気にもしなかった。
この二年間は最高だった。
好きなだけ殺して、好きなだけ、どうすればうまく人を殺せるかを考えていられた。
今日も、そんな最高の一日になるはずだった。
ハスタは意気揚々と戦地に向かった。

しかし、この日、傭兵部隊は壊滅した。






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