たまには猫耳もいいよね・前編
たまには猫耳もいいよね・前編


発端の発端は、この女である。

「ふっふっふっふ……」

怪しげな笑いを浮かべるこの人。
青い縦ロールに薄化粧も上品な、言うなれば麗人の域に入る女性である。
しかしその桜色の唇は今、あやしげな形に歪んでいる。
安普請の宿屋の一室。アンジュ・セレーナと同室のエルマーナ・ラルモは短い眉を歪めた。

「なんやあ、アンジュ姉ちゃん。気味悪いで。ハスタみたいな笑い方して……」

「あんなものと一緒にしないで欲しいわね。ふふふふ……コレよ」

アンジュは、パッと両手を開いて見せた。
綺麗に磨かれた爪が目に入る。

「いやあ、ようお手入れされてるようで。女性の鏡でんなあ」

「そっちじゃなくて!これよ!」

どうやら位置が悪かった。
アンジュが手の位置を下げると、エルマーナの視界に掌サイズの小瓶が飛び込んだ。
まさしく小瓶である。本体はカクカクっとしたガラス製で、蓋の部分の意匠がやたらと凝っていて、その姿はまさしく”私は魔法の小瓶です”と全身で主張しているかのようだ。
エルマーナは珍しそうに目をしばたたかせた。

「なんやあ、これ」

「やっと言ってくれたわね。その言葉を待っていたのよ」

アンジュは満足そうに頷くと、くるっと背中を見せた。綺麗な縦ロールがぶるんと揺れる。

「なんと、これは……」

「うんうん」

「これは……」

クイズ番組もかくあるかという”タメ”具合である。
エルマーナは内心「早よせいや」と思いながら、固唾をのむフリをした。

「人に猫耳を生やす薬なのよ!」

「な、なんやって〜〜〜!!!」

数秒後。

「……ホンマなん、それ?」

冷めた反応に、アンジュはがくっと肩を下げた。

「エルぅ?あなたねぇ……。まあいいわ」

アンジュは小瓶を手の中で弄びながら、エルマーナの顔をのぞきこんだ。

「これを夕飯に混ぜるのよ。考えてもごらんなさい。あのリカルドさんやスパーダくんの頭から猫耳がぽんぽんと生えてくるのよ。なんて面白い状況なのかしら」

「そらおもろいけどなあ。なんでうちには打ち明けたん?」

「共犯者が必要だからよ」

アンジュはさらっと言った。

「こういうものは単独犯でやるものじゃないの。いわゆる服毒よ。服毒殺人は大体二人組みでやるのがセオリーでしょう。私はセオリーというものをできるだけ大事にしたいの」

「例え悪いなあ……。まあ構わんけどな。しかしええんかいな、聖職者がそんなんで」

「聖職者でも人間です。面白いことには勝てないの。それに、説明では効力は一日だって書いてあったし、体に害はないそうだから」

「そやそや、それそれ!」

エルマーナがピンと指を立てると、アンジュは目をぱちくりさせた。

「それそれとはどれどれ?」

「やからそれそれや。その、説明してくれた人ってのは誰なん?そもそも誰から貰ったんや、そんなもん」

「エル?そういうことはね……」

アンジュはエルマーナの肩に手を置いて、優しげな表情で首を横に振った。

「聞かないのがお約束なのよ……」

「大人の事情か……」

こうして、発端の発端は共犯者を得て発端に転じた。


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「今日もスープかよ!こちとら成長期だぜ!肉を食わせろ肉をよお!」

「ほんっと、野宿じゃないときぐらいは、マシなもん食べたいわ」

「まあまあ。しょうがないじゃないか。装備品とかアイテムとか、出費がかさんだんだから」

安普請であるからには、食事も付いていないわけで。
ルカたちパーティは厨房を借りて今夜の空腹をしのぐ夕食を作っていた。

「ったく、かしましいな……」

でこぼこしたジャガイモをナイフで削ぎ切りにしながら、リカルドが呟いた。
そのナイフに謎の赤黒い染みがこびりついているのが、キッチンに立つ彼の傭兵らしさを演出する唯一のものだったろう。

「まあまあ、あの年頃のときはちょっとうるさいぐらいがちょうどいいですよ」

「うん、せやなせやな。あ、おっちゃん、もう具はそれぐらいでええんちゃうん?」

「そうか?もう少し栄養のあるものをだな」

「いいですいいですって。備蓄することも大切ですよ」

「うんうん、普段は粗末な食事のほうが、ご馳走出たときにうれしゅうなるしな」

「う、うむ、そういうものか?」

「そういうものですそういうものです。さあ、後は煮込むだけでしょう。私とエルが見てますから、リカルドさんはどうぞ体を休めてください。お酒でも召し上がって、ね?」

「そうそう。いっつも任せっきりやからな。たまには手伝うて」

「うむ、そうか。悪いな。任せたぞ」

アンジュとエルマーナはニコニコと”体の半分が鈍さで出来ている男”を厨房から追い出すと、顔を見合わせた。
ぴしっ。そんな音が幻覚で聞えそうなほど緊張が走る。

手はずはこうである。
エルマーナ、鍋の前に待機。
アンジュ、それとなくエルマーナの背後に立ち死角を作る。
エルマーナ、ブツを投下前に二人分の食事を隔離。その後、鍋にブツを投入。

アンジュは厨房を背に立ち、自慢の縦ロールを指先で二回ほどくるくるっと巻き込んだ。
二人で取り決めた”GOサイン”である。
エルマーナは目顔で了解を伝えると、ポケットから小瓶を取り出した。
緊張の一瞬。思わずアンジュの肩に力がかかる。
五感を、いや第六感すら駆使してテーブルで歓談する四人を観察……いや、監視する。

(オリフィエルさん、私に力を貸して……!)

もしもオリフィエルがその場にいたら、苦笑を浮かべずにはいられなかったろう。
なぜならテーブルでわいわいトランプをやっている四人は、キッチンに立つ二人組の動向をうかがうどころか、キッチンの方角すら見ていなかったのである。

「おーし、出来たでぇ!!!」

エルマーナが、ひときわ大きな声で言った。
ミッションコンプリートの合図である。

「おっ、待ちくたびれたぜぇ!」

何も知らないスパーダが、嬉しげに顔を上げる。
ばしっとテーブルにたたきつけられたトランプからは、ババが覗いていた。
どうやらババ抜きは彼の負けであったようであるが、勝負はうやむやになったようだ。

「あ〜、お腹空いた〜!」

「ハラペコなんだな、しかし!」

「ふふふ、すぐに持って行くから、ちょっと待っててね」

演技派の聖女はまさしくヒナにエサを与える親鳥のような笑顔を見せながら、おたまで鍋をぐるぐるにかき混ぜた。
ふっと一瞬、エルマーナと視線が絡む。
”ミッション・コンプリート”
アンジュとエルマーナの唇が、音も無く同時に動いた。


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どのような計画でも、不具合は付き物である。
であるからして、企業などは不具合やトラブルに対抗するため、計画頓挫時の対抗策を考えたり、マニュアルにも示していたりするのだが。
この思いついたら見切り発車でGOな計画に、対抗策やマニュアルがあるはずがない。

トラブルの”発端”はこの男。

「おい!なんか俺のだけ具が少なくねぇ!?」

スパーダ・ベルフォルマ。
イリア・アニーミと並んでこのパーティのトラブルメーカーである。
そんな彼が今、己の前に並べられた皿を持ち上げて高らかと叫んでいる。

「ほら、やっぱり!なんでルカのだけ多いんだよ!ヒイキじゃねぇ!?」

スパーダは隣の席のルカの皿を覗き込みながら、わあわあと言った。
ルカ・ミルダは困り顔で眉を下げている。
彼のスープの中にはスパーダの口内から飛び散った唾液が多分に混入していることだろう。

「じゃあ、僕のと交換しようよ。僕、別に具が少なくてもいいし」

だから、ルカがそんな聖人君子のようなことを言うのも、半分くらいはそのせいだ。

「いーや、それじゃあ駄目だ。何の解決にもならねぇ」

めんどくさいことに、このヤンキー然とした少年は、質実剛健、曲がったところが大嫌いで、ヘンなところで公平なのである。
スパーダの隣の席で、リカルドがうるさげに舌打ちした。

「そんなのなんだっていいだろう。さっさと食え」

「そうだそうだ!据え膳食わぬは武士の恥なのだな、しかし!」

「いつからアンタが武士になったのよ……」

うるさい外野(スパーダ視点)の意見を右から左に聞き流し、スパーダはポンっと手を叩いた。

「うっし、いっぺん全部鍋に戻そうぜ。そんでまた配りなおせば公平だ」

「んなっ!?」

「うへあっ!?」

すっとんきょうな声が上がる。前半はアンジュ、後半はエルマーナである。

「な、なにを言っているのかしらスパーダくぅん?」

「そ、そやでぇ。スープが冷めてしまいますがな」

「んなもんあっため直せばいいじゃねぇか。よし、全員皿を前に出しやがれ。おい、ルカ!」

「へ、へい!?」

いきなりお鉢が回ってきたルカが、時代劇の同心の下っ端のような声を出した。

「皿ぁ持って来い!一から”よそい”直しだ!」

そう言って、止める間もなくキッチンに行ってしまった。
そのとき彼がさらって行った皿がまた悪かった。自分とアンジュの皿である。
これがごちゃまぜになったら……。アンジュはさぁーっと蒼ざめた。

(ま、まずいことになってしまった!)

そのアンジュの横で、エルマーナが法事の最中のようにうなだれていた。


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「なっ、なんっじゃあこりゃあああああ!!!」

一番最初に叫んだのは、やはりスパーダだった。

「うわああああああああああああ!!!」

二番手、ルカ。

「ぎゃあああああああああ!!!!」

三番手、イリア。

「ぬあっ……!?」

やや控えめなのが、リカルド。

「あぁ……」

「こうなってしもうたか……」

意気消沈の二人組みが、アンジュとエルマーナである。
なんということでしょう、というスタンダードな言葉を使うまでもなく、彼らの頭には、それはもうふさふさと可愛らしい猫耳がちょこんと生えていた。

「うわっ!うわっ!マジで生えてやがるぞこれ!」

「待って、スパーダ!これは夢だよ!誰か僕を叩いてくれ!」

「分かった!オラァ!歯ぁ食いしばれ!」

スパーダの渾身の右ストレートを頬に吸い込んだルカがきりもみ回転で床にたたきつけられる。

「そんなに思いっきり殴るなよ!……あぁ、やっぱり生えてる!夢じゃないんだ!」

涙目で頭部に手をやったルカからは、ふっさふさの白い猫耳が生えていた。

「うっわあ……、マジなわけ、これ……?」

宿屋備え付けの鏡で己の顔を覗き込んだイリアが、悪いものを食べた顔になった。赤い猫耳がぺたんと閉じる。

「どういうことなんだ、これは……」

元から白い顔をさらに青白くしたリカルドは、スカーフで己の頭に生えた彼の価値観ではとうてい許容できない頭部の物体を隠している。元から強面なので、まるで強盗のようである。

「さ、さあ、なんやろ……びっくりやなーホンマ……」

同じく猫耳の被害にあったエルマーナは、出来うる限り誰とも目を合わさずに呟いた。

「ま、まあ、天術が使えるんだし、こういうこともあってしかるべきよね……」

主犯・アンジュは窓の外を眺めながら言った。その背中からは身に押し寄せる後悔がにおっており、青い猫耳は怯えるようにぴくぴくと痙攣していた。

「いわゆる猫耳というやつなんだな、しかし!」

小さな頭部に不釣合いな緑色の猫耳を生やしたコーダが言った。元が元なだけに、猫耳オプションのインパクトが薄い。見る人が見ても”あぁ、そういう生き物なんだな”と思うであろう。

「ただでさえ転生者っていうだけで肩身が狭いのに……どーすんのよ、コレ!」

「確かに、困るよね……。全員帽子を被るにしても、それはそれでとても怪しい集団だよ。父さんと母さんになんて説明しよう……」

「つーかカッコ付かねぇだろ。猫耳生やして”前世の因縁を断ち切ってやる!”とか言っても」

若い三人はすでに、猫耳を”一生モノ”として考えているようである。

「ま、まあまあ、そう暗くならんと。多分、一日ぐらいで治るて」

「なんでそう言い切れんだよ」

スパーダのジト目に、エルマーナは思わず後じさった。

「そ、そらあ、なんとなく……と言うしかないというか……」

「まあまあスパーダくん。そうカリカリしなくてもいいじゃない。だって、ほら、別に毒物を盛られたわけじゃないし?どこも悪くなってないでしょう?ただ、猫耳が生えてるだけで……」

「その猫耳が問題なんだっつーに!だあ!もう!無理矢理もいでやろうかこの野朗!」

「待て、ベルフォルマ」

己の薄緑色の猫耳を引っ張っていたスパーダを、リカルドが制した。
静かな声だ。全員の目がリカルドに集中する。
みんなの心のうちはこうである。
”何か策が!?”

「考えてみたんだが……」

ごくり。誰かがつばを飲み込む音が響いた。

「この状態で秘奥義を使って覚醒状態になったらどうなるんだろうか……?」

…………………………。
三点リーダー十個分の沈黙が経過した。
その間、全ての視線がリカルドからスパーダに移った。
デュランダル……猫耳……タケコプター……。
それぞれの頭の中で、それぞれの想像が飛躍する。
そしてそれは好奇心となり、押さえがたい欲求となってむくむくと膨らむのだった。

「検証してみましょう」

すっかり後ろめたさが吹き飛んだアンジュの台詞に、反対するものはいなかった。

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