そこは色彩にとぼしかった。 黒、黒、黒の中に、ほのかな青い光が燃えている。 光の正体は大人の身の丈の二倍はありそうな大槍だ。 闇の中には天地も左右もない。ただ広がるばかりである。 ただ、青い槍を基点とし、両側に立つ一対の人影があったので、そこが中心といえるかもしれなかった。 ――やっと会えたね ――そうだね 二つの声が揺らぐ。波紋となって闇の中をさざめき、声の波はぶつかりあって、なんの抵抗もなく融和し、一つの波になる。 だから、二人は同じことを考えた。 ――あの二人は、殺さなくちゃね ――特に”あいつ”は生かしておけないね ――殺せるかな? ――殺せるさ 二つの影はささやきあうように笑う。 ――でも、練習しなくちゃね ――誰で? ――ちょうどいいのがいるよ ぽた、ぽた、ぽた、闇の中に声の雫が落ちる。ひそやかな相談事が続く……。 一対の影はひとしきりの計画を練り終えて――中空の槍の中に、溶け込んでいった。 ********************************** ソルディアは、頭痛に耐えかねて目覚めた。 なにやら、またあの夢を――あの、とほうもなく幻想的な馬鹿馬鹿しい夢を見た気がした。 昨日の交換市で出会った青年。アシハラから来た、黒い瞳のケン。 彼のことを考えると、どうにも寝つきが悪くって、ワインを二瓶も開けてしまったのだ。 なぜ、自分はあの青年に対して不快などと思ったのだろう。 後悔していた。 ろくに会話もしないまま、握手を振り払い、そっぽを向いて帰ってきてしまった。 あるまじきことだったと思う。 そうとう気を悪くしただろうなとも思う。 反面、彼は”そんなあつかい”をされても仕方がない、といったような、本当に理不尽きわまりない気持ちがわく。 それがまた、決まりが悪い。なんと大人気ないのだろう。 ――いい男だったから、ちょいと過敏になっちまっただけさ 目の前にいたら、耐え切れないほど不愉快なのに。 今にして、こうやって思い出してみると、見た目も爽やか、声も物言いも快活で、いかにもしっかりしていそうな青年だ、と思う。好感さえ持てた。 それが気に食わなかったのかもしれない。 夫を亡くして二年、若い、笑顔が優しげな男が現れて、ちょっと揺らいだ自分の心にがまんがならなくて、冷たく当たってしまったのかもしれない。つまり、八つ当たりだ、ただの。もしくはヒステリー。 そう結論づけたほうが、なんとなくマシだと思った。 ソルディアは半時かけて起き出し、部屋の中身を視線であらためた。 なんら代わり映えはない。 ほら見たことか。ソルディアは黒髪をかきあげながら、自らに毒づいた。 あの青年が、ケンが、襲い掛かってきたり、ましてや夜這いに来たりなんぞ、するわけがないだろうが! ――欲求不満の姑かい、私は ため息をついたとき、ノックの音がした。 ヴィクトリア夫人だろうか。まだ、彼女が来るには早い時間のはずだが……。 思ってから、気づいた。 夫人は、夫婦そろって街へ出向いている。朝の定期便は、今朝はないはずだ。 一気に、嫌な気分になった。 ソルディアは壁の猟銃をとり、足音を殺してドアに近づいた。弾はこめてある。昨夜、ケンのことが気になって――警戒して、とも言い換えられるのだが、もはや自らの被害妄想であると決め込んだソルディアには、その言葉を連想したくはなかった。 しかし、ドアの外でノックをしたのは、そのケンかもしれない。 黒い瞳を殺意に光らせて、懐に小刀を握り、息を潜めているかもしれない……。 「どなた?」 三歩分の距離をあけたドアに、ソルディアは問いかけた。 つばを飲み込む。どくんどくんと心臓は鼓動を早くする。胸の裏が痛い。 「パタスです」 予想外に低い声が返ってきた。 ソルディアは安堵と同時にいぶかった。 木こりのパタスとは同じ山で仕事をしているが、お互いテイトリーが違うこともあって、顔をあわせることはおろか、まともに会話をすることも少ない。わざわざ訪ねてくるなんて、何事だろう。 「今、開けますンで」 さきほどとは違う種類の、嫌な気分になる。不安といってもいい。 ソルディアは猟銃を壁に直し、寝巻きのまま、ドアを薄く開いた。 パタスの盛り上がった筋肉と、ぼさぼさの頭髪と髭面がのぞいた。 赤茶けた日焼け顔は――こわばっている。 「ソルディアさん、大変だ」 パタスは押し殺した声で言った。しかし、殺しきれない震えが唇に伝わっている。 ソルディアは、やっぱり嫌な気分になった。 いやな予感ばかり。 よく当たる。 あの人が死んだときも。 「ティムと、ヴィクトリア姉さんが……」 パタスは、簡潔に語った。 レッド夫婦の死体が、今朝方、街へ降りる道の半ばで発見されたことを。 ソルディアは絶句しながら――。 ケンの姿を、思い出していた。 |