前例 4
前例 4



 ダリアは混乱しながら、牧場と広場を繋ぐ小道を走っていた。
 広場に向かうとき持たされた麻袋も――ベーコンや、木材や、生活に必要ないろいろなものと交換するための、大事な牧場の恵みが入った袋も――いつのまにか、置き去りにしたまま。

 張り出した木立が頬を叩いても、色素の薄い髪が枝に引かれても、もつれるスカートを懸命に引きながら、ダリアは走る。
 一番安心できる場所へ。
 裏返したスープ盆に漆喰を塗ったような外観の、素朴な我が家へ。
 幼い頃からずぅっと使っているベッドにを目指して。
 お母さんが干してくれたふかふかの布団に飛び込みたかった。

 道はのっぺりしている。どこまでも続いているように思える。牧場はまだ見えない。
 はぁはぁ、犬みたいに喘いでいる自分の息と、どくんどくんとこめかみの血管を走る早い血流の音がうるさい。

 いつも通りの一日のはずだった。
 だいたいいつも通りの時間に仕事を終わらせて、あたためなおしたスープを飲んで、お父さんとお母さんに行ってきますと言って、家を出た。そのときまでは、うきうきしていた。
 週に一度のにぎやかな日。いつもと同じだけれど、いつもよりちょっぴり楽しい一日。
 もしかしたら、ずっと抱えていた”ささいな”悩み事を相談して、すっぱりいい気分になれる日だったかもしれない。


 けれど、広場の様子はいつもと違った。
 ダリアは街路樹の一つに隠れ、なにごとかとうかがった。
 子供たちが、やけにたくさんいる。大人たちは少しぴりぴりしている。なんだろう。
 ソルディアの姿は見当たらなかった。珍しいと思った。一度も、いなかったことなどなかったのに。もう帰ってしまったのだろうか。相談事はどうしたものか……。

 つらつらと考えながら探しているうち、
 ”あの人”を見つけた。
 黒い髪と、黒い目をした”あの人”を……。
 
 最初は、良く晴れた日の蜃気楼だった。
 白んだのは視界ではなく、ダリアの頭の中だった。
 気付いた時、ダリアは立つはずもない場所に立っていた。
 白亜の宮殿に。月のかかる夜空の崖の上に。異形が飛び交う戦場に。波打つ銀髪がダリアの視界の端に灯る。
 世界は水面に映った虚像だった。ダリアは水面の裏側に立って、今ある世界を見下ろしていた。世界は二重写しで、どちらが本物なのか、そのときのダリアには分からない。今でも感覚は疑わしい。しかし、感触はしっかりとあった。ちょうど、今朝の夢と同じように。


 ”あの人”は子供に親しげに囲まれていた。しかし、子供たちの姿は水面の裏側で、ろうそくの火を一本ずつ吹き消すように、一人ずつ消えていく。
 けれど、”あの人”は……水面に映った青年の姿は消えない。
 無機質に変貌する。顔が解け落ちて金属となり、手足はひん曲がって、一定の規則を持った創造物になった。
 黒金にふちどられ、淡く光る、不思議な武具の名前は……


 ダリアはびくんと足を止めた。家はもう、すぐそこだったが、脅かされた鶏のように立ちすくんだ。
 犬が、けたたましく吼えていた。

 デュランダルとゲイボルグと”名づけた”二匹の犬が、
 土嚢を積み上げた囲いを隔てて……

――あっ

 ダリアは、引き離した二匹が一夜の間に元に戻っている原因を見た。
 犬は、いとも簡単に土嚢を飛び越えていた。
 天然のばねを生かしてひょいっと飛び上がり、苦もなく、もう一匹のほうへ。
 二匹はうめき声を上げながら、もみ合っている。

 その、二つの塊に。
 空想の、剣と槍を、
 幻想の武具を重ね合わせる。
 それは、目の前でつばぜりあいをしている。
 金属がこすれる。火花は鉄のこすれあいではなく、魔法の鋼鉄が反発しあって生まれている。

 犬がもみ合う。
 剣と槍はお互いをはじきあう。
 犬がもう一方の犬を押し倒す。
 槍は粉々に砕け散る……。


 ダリアは音にならない悲鳴をあげた。
 牛舎を横切り、鶏小屋の前を通り、懸命に走る。
 ドアに手をつく。
 しかし、ドアの内側から鍵をかけたって、ベッドの深くにもぐりこんだからって、なんの意味があるのだろう?


 囲いを作っていたと思っていたのはダリアだけで、本当はそんなもの、なんの意味もなかった。


 ダリアは安心できるはずの我が家のドアに手をつき、ノブを握ることのないまま、崩れ落ちた。
 スカートに広がる自分の影を見る。影の形はぼんやりとしていて、今にも、まったく違うものに変わりそうだった。


 きっとあの人も。
 いとも簡単に、囲いをひょいっと乗り越えて、
 あの人は、
 もしかして、

 また私を裁きに来たのだろうか?
 



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