We are THE バカップル20
20



目の前に、ハスタのニヤニヤ面がある。
その手にはメジャーが握られていた。
ハスタはメジャーの端を指先で弾くと、医者がカルテを取るように、
メモ帳にペンを走らせた。
上側に”ヤッターマン”のドロンジョ様がそびえたっている、
昔懐かしいデザインのボールペンが細かく揺れる。

メモの中身は、俺たち――ミルダ、ベルフォルマ、俺――のスリーサイズだった。

と言っても、胸囲や腹回りのセンチメートルだけではなく、
手首や足首、はたまた首周りや股下の長さまで測られた。
むろん服は着ている。
が、着ているからと言って男に体のあちこちの太さやら長さやらを
測定されるのが気持ちのよいものかと言うと、断じてその逆だ、と言おう。
それはベルフォルマにとっても同じ、いや、俺が感じている不快感の
数千倍の不愉快を感じているのだろう。
ハスタの骨ばった指が体のあちこちを行き来するたびに、
ぞぞぞっと鳥皮が弟子入り志願するほどの鳥肌を立てていた。

ベルフォルマは大人しかった。
今にも瞬獄殺を放ちそうな顔をしているが、すんでのところで殺意の波動をこらえているのが、
ぷるぷると痙攣する拳から見て取れる。


なにがベルフォルマをそうさせるのか。

俺たち暫定イノセンス戦隊の面子で、一番盛り上がっている人物。
それがベルフォルマだった。
表面的に一番騒がしいのはアニーミだが、
彼女はある意味お祭り気分で盛り上がっているだけだ。
騒げれば比較的なんでもいいタイプなのだろう。
だが、ベルフォルマは少し違った。
彼もお祭り好きであることは、もはや疑いようがないが、なんというか、
うまく形容できないが。

初めてヒーロー変身セットを買ってもらった5歳児。

そういうニュアンスで盛り上がっているように思う。
まったく、男の子はやんちゃで困る。

で、だ、つまりベルフォルマは、本気でなってみたいのだろう。
ヒーローに。
そして、ヒーローに不可欠な物品を手に入れるためには、
ハスタは欠かせない人間だった。


***************************


「オレもイノセンス戦隊のひとりだから」

数秒置かず、ハスタは続けた。

「…と言っても、本メンバーなわけではないんだよねぇ。
オレはいわゆる一つのお助け要員、そう、サブキャラクター的存在なのさ〜。
悪者ンジャーってやつらから、そうお手紙が届いたんだよぉ。
熱っ烈なラヴレターに思わずズキズキワクワクが止まらないぜっ!」

驚愕に打ちひしがれる俺たちをよそに、揚々とハスタが言った。

「だがサブキャラにもお役目を与えるのが美しいストーリーの必須条件なんだぜ。
いいかい、ヘイメン?オレの役目はイノセンス戦隊専属スタイリストだ〜」

さっと、ズボンと一体化したようなポーチから、使い込んだメジャーを取り出し、

「さあさあ裸になってオレにケツ向けな!オトコノコたち!
……お前らのサイズ…オレが、1ミクロ単位で測ってやるぜ…?」

やつなりのキメ台詞が低い声で囁かれた瞬間、
ミルダが悲鳴をあげ、ベルフォルマはハスタにつかみかかり、
俺は腕組みしてアニーミたちになんと説明をすればよいかを考えていた。


それから俺はハスタのわかりにくい言葉回しに、
各々恐怖と憤慨を覚えているミルダとベルフォルマをなだめ、
ハスタから話を聞きだした。
ハスタ語を変換すると、こうなる。

”私はイノセンス戦隊に影ながら味方するものです。
あなたたちのユニフォームを作成する役目をおおせつかっております。
だから身体のサイズを測らせていただけませんか?”

「本当!?うわぁ、信じられない!」

素直に喜ぶミルダがさきほどのことを忘れたように、ハスタを歓迎していた。
あまり近寄るな。ハスタが移る。
ベルフォルマも、すっかり大人しくなっていた。
不機嫌な顔をしているが、まんざらではない表情だ。
数分ハスタと組み合った結果、そして俺が無理矢理引き離した成果の証として、
服のあちこちがよれていたが。

「腕は確かなんだろうな?」

俺はうなずきだけ返した。
ベルフォルマの目に苦々しい葛藤が走る。

「…おい、テメェ」

ベルフォルマが、目にするのも不快だとばかり、刺々しい視線をハスタに送る。

「ヘンなもん作りやがったら、ただじゃおかねぇからな」



その一言を皮切りに、身体測定の時間がはじまった。
俺、ベルフォルマと採寸を済ませた後、ミルダの寸法を取るため、
ハスタがメジャーを握りなおす。

「キミはチビだからねぇ、目立つデザインを考えんと。
えっと、イブラ・ヒモビッチくんだっけ?」

「えっ、いや、ルカ・ミルダです。…さっき名乗ったのに…」

「んっん〜?ミル・ルルダくん?ルミ・ランダくん?まあいいや、腕上げて」

俺は、ハスタが”うっかり”指を滑らせてミルダの尻でも触ろうときには、
”うっかり”後頭部を強打しておこうと拳を握っていたのだが、
その心配もなかった。
まだアマチュアだが、仕事に関しては真面目な男だ。


「さって、野郎ドモはこれでコンプリート?」

俺たち三人の採寸を終えたハスタが、大儀そうに出てもいない汗を拭いながら、
部屋の中を見渡した。

「んで、レディースはどこ」

「買い物に行っている。じき戻ってくるから、それまで待て」

ハスタが、ふぅん、と鼻を鳴らした。
俺は、机の上のガスコンロに乗っている鍋を顎で示した。

「鍋の予定なんだが、お前も食うか?」

ベルフォルマが、げっ、と声を出した。
ハスタは首を横に振った。

「いんや、早めに取り掛かりたいから、帰る」

俺は、そうか、とだけ言って、腕を組んだ。
ともあれ、何か礼を考える必要があるだろう。
物を作る苦労というものは、若輩ながら、分かっているつもりだ。

「ハスタ」

「りゅん?」

表紙に”DEATH NOTE”と書かれた黒いメモ帳にスケッチを走らせていたハスタが、
顔を上げないまま、首をかしげた。

「礼を言う」

ハスタは、ははっ、とあかるく噴出した。
珍しい笑い方だ。いつもは人を小馬鹿にした笑みしかしないのに。

「礼が欲しい正義の味方なんて、いないよ」

「……そうか」

俺は会話をやめて、窓の外を見た。
オレンジ色に包まれた空を眺めながら、昔のことを思い出す。
新卒のいも臭い警察官だった俺と、不良少年だったころのハスタ。
その不良少年が落し物を届けに来たとき、決まって、言う台詞があった。
そのときだけは、年相応のあかるい笑顔を見せて。

”正義の味方はお礼なんて受け取らないよ”

もしかして、ハスタはハスタなりに、正義の味方に憧れているのではないだろうか。
この突拍子も脈絡も常識もない男でも、ヒーローを夢見ることがあったのだろうか。
人並みから外れた生活の中で、荒みながらも、小さな夢を見ていたのかもしれない。

(イノセンスピンクは空いていないが)

別に色など関係ない。なんなら、イノセンスレインボーでもいい。
ハスタ、お前も、イノセンス戦隊に加入してみないか?
サブ要員ではなくて、実際に戦うヒーローとして。
とんだお遊びだが、ヒマ潰しぐらいにはなるさ。
そんな言葉が、喉まで出かかっていた。

ミルダとラルモは、きっと歓迎してくれるにちがいない。
アニーミとベルフォルマは反対するかもしれんが、
お前の作り上げたものを見たら、考えも変わることだろう。


「ハスタ…」

俺が口を開きかけたとき、玄関のチャイムが鳴った。

「OHOHお待ちかねの女子組ご帰宅ネ。ハイハーイ!特攻隊長、オレ!出迎えます!」

直立不動でぴんと手を伸ばしたハスタが、ばたばたと玄関先に駆けつける。
図体がでかいだけに、歩幅が大きい。
俺はつかまえ損ねたハスタの背中を眺めて、鼻息をついた。
まあいい。帰り際にでも聞けばいいさ。


「ウゲッ!なにこいつ!」

「うわっ、なんなぁ!ビックリしたぁ!」

両手に買い物袋を提げたアニーミとラルモが、あからさまな声を上げた。
ハスタはかまわず、アニーミと、その後ろのラルモをためつすがめつ眺め、

「ほうほう。…ふぅ〜ん、…へぇへぇへぇ」

しきりにうなずく。
アニーミがラルモをかばうように片手を上げて、眉を吊り上げ、

「なによ。言いたいことあんならハッキリ言ったら」

とすごんだ。
だが、逆効果だ。
ハスタは腕を組みながら、唇をとがらせた。

「ん〜、あのね…よくてBカップってとこだマイッチング、って思ってたんだりゅん。
もっとボインちゃんを想定してデザインしてたのになぁ。
キミ、今からブラジルに飛んで、食塩でも詰めに行ってくれないかい?」

薬缶が沸騰した音が、アニーミから響いた。


*************************


「お前は、今世紀最後の馬鹿だ」

「21世紀はまだまだこれからデショ?」

「これから100年、お前を超える馬鹿は生まれて来ない」

俺はハスタの広い額に絆創膏を張ってやりながら、深々と息をついた。
見事アニーミを激怒させたハスタは、返礼として”ひっかき”をもらった。
顔や手の甲などあちこちに猫に引っかかれたような傷跡が走っている。
玄関口に鈍器になりそうなものがなくてよかった。
こいつが死んでも、葬儀で葬式まんじゅうをもらえるぐらいしかメリットがない。

手の甲の傷を痛そうにさするハスタに、俺はこれっぽちの同情の念もわかなかった。
アニーミの人となりを知らないとはいえ、初対面の女性にあんなことを言えば、
こうなるのは当たり前だろう。
むしろ、これぐらいで済んでありがたい。はいつくばって神に感謝すべきだ。
こいつより、オリバーくんのほうがもう少しかしこい。


「ったく、なんなのよあいつ!ほんっと信じらんない!」

「うち、あの人の顔見てるとなんか胸焼けするねんけど」

俺は肩越しに、イライラした様子で鍋にキムチをぶちこむアニーミを眺めた。
怒りのエキスが混入しなければいいのだが。


女性陣の採寸をおおまかながら済ませた後、ハスタは言葉どおり帰り支度を始めた。
なぜ採寸がおおまかなのかと言うと、ハスタに触れられるのを嫌がったアニーミが、
ラルモに測らせたからだ。
ラルモのものも同様にアニーミが測った。
素人の採寸が当てになるとは思えないが、まあハスタならなんとかしてくれるだろう。

「布は買ってある。一週間後には仕上がるピョン」

玄関で靴を履きながら、こともなく、ハスタは言った。

「…早いな。もっとゆっくりでもいいんだぞ」

そんなもん。との言葉を俺は飲み込んでおいた。

「細かい小物はもう出来てるし、オレひとりでやるわけじゃないからねぇ」

編み上げになったブーツを結わえ終えたハスタが、
よっこら、と立ち上がった。
ブーツを履いているせいもあるが、立ち上がると、
玄関の段差分を差し引いても、俺より背が高い。
八年前はまだ頭半分ぐらいは俺のほうが高かったはずだ。
煙草を吸うくせに、図体だけはすくすくと伸びる。
育ったのは、背丈だけではないようだが。

「ハスタ」

ハスタは返事のかわりに、イタリア人のように俺を指差すことで、続きを促した。

「お前も戦隊に入らないか。忙しいなら、臨時でもいい。
ふざけた茶番だが、気分転換ぐらいにはなるだろう。
いまさら一人増えたところで、やつらも何も言わんだろうし」

俺はつとめてシンプルに言った。
しかし、ハスタは即答した。

「いや、そのつもりはない」

「なぜだ」

俺は眉をひそめた。
ハスタは己の胸に親指を押し当て、

「だって、オレのヒーローはもういるから」

ウィンクを混ぜて言った。
そして付け足すように、つぶやいた。「安上がりなヒーローだったけどね」と。





そのまま返すのもどうかと思ったので、俺はハスタに礼が出来ないかと聞いた。
ハスタは数秒考えた後、「じゃあ長ネギ!」と答えた。
俺はハスタに長ネギを与え、わぁい長ネギだー!と叫んで出て行ったハスタを見送った。

そのあと俺はやつが一人でもあのテンションなのか疑って、
さりげなく窓からマンションの出口をうかがっておいたのだが、
長ネギを振り回しながらスキップして行く姿を見つけ、俺は自分の疑念を打ち消した。


「あのハスタとかいうやつ!マジふざけんじゃないっての!」

ちゃぶ台の前で円になってキムチ鍋をつついている間も、
アニーミの怒りは、ガスコンロでぐつぐつと音を立てる鍋のように煮えたままだった。

「ああいうやつはね、女を胸でしか見てないのよ!
私の知り合いにもいたわ!そいつ、何て言ったと思う!?
好みの女のタイプが”胸は大きすぎず小さすぎず、Eカップかな”だって!
大きすぎずEカップってなんなのよ!もちろんどついてやったけどね!」

別にあのハスタも胸だけで判断しているわけではないだろうと思ったが、
俺は反論せずにおいた。
焼き栗を素手でつかむ勇気は持ち合わせていない。

「確かに、ちょっと失礼だったよね。言われるほど小さくないのに」

「あ〜?ナニあんた、私の胸を語れるほど、ジィっと見てたわけ?
いっつも存在感がないと思ったら、それを生かしてそんな悪事を働いてたのね!」

箸先で切り分けた豆腐を口に運ぶミルダへ、
ころっと機嫌の変わったアニーミが突っ込んだ。
ミルダが慌てて、箸の先をふるふると振る。

「ち、違うよ!別に特別注目して見ていたわけじゃないって!」

「あっら〜、今度は注目するほどないですって?
なるほどなるほど、あんたの性格、よ〜っく分かったわ!」

「も〜!そういう意味じゃないってば…!」

机に肘を突いてミルダに顔を寄せるアニーミは、ハスタのことなど忘れたように
笑顔だった。もっとも”可愛い”よりは”獰猛”と言ったほうがいい笑みだったが。

「まっ、ルカいじりはこんぐらいにして…、あんた、スパーダ!」

矛先がベルフォルマに移る。
豚肉だらけの取り分け皿の中身を掻き込んでいたベルフォルマが、
いきなり名指しされて、ぶはっと飲むこむ最中だったものを噴出しかけた。
さりげなく、ラルモが麦茶をそそいだコップを差し出している。

「なっんだよいきなり!」

麦茶を飲み干したベルフォルマが、口の端に付いたモヤシをぬぐいながら叫んだ。

「いきなり、はこっちの台詞よ!」

アニーミが、箸の先をベルフォルマの鼻先に突きつけた。
行儀が悪いぞ。

「今日のクイズ、忘れちゃいないでしょうね?
私が大活躍したクイズのことよ。あんたの趣味、剣道ってどういうこと?
そんっなこと一言も聞いてないんだから。大体剣道って趣味なの?
ジックリタップリ納得するまで聞かせていただきますからねぇ」

そのことか。そういえば、そんなこともあったな。

「…っ、なんっで答えなきゃなんねぇんだよ」

「あらあら、この戦勝会が誰の手柄かもう忘れたってわけ?
この私のがんばりがあったから勝てたんでしょーが!
つまり、今日の王様は私!王様の聞いたことは素直に答えるの!」

ぐぐっと言葉につまったベルフォルマをなだめるように、ラルモがその肩を叩いた。

「ええやんええやん、剣道なんってかっこよろしい趣味やんか。
これがフィギュア作成とかメイド喫茶めぐりとかやったら
うちらも突っ込んで聞かへんで?ええ機会やん。教えてくれへん?」

ラルモが、屈託のない目でベルフォルマの顔を覗き込む。

「いつごろからやっとるん?最近?それともちっちゃいころから?」

さすがのベルフォルマも、年下の女の子の頼みには弱いらしい。
不機嫌さをよそおって視線をそらした後、無造作に豚肉を口に入れ、

「ガキのころからだよ。
ハルトマン…ジジィが、5歳ぐらいんときに道場に連れてってくれてな。
それから、ずっと続けてる」

「ふぅん、そうだったの。でも、うちの学校って剣道部あるじゃない?
私、よく体育館のそば通るんだけどさ。あんたの姿、見たことないのよねぇ。
剣道部には入らなかったわけ?」

ベルフォルマが、少し言いにくそうに口ごもった。

「入ってたよ。…お前らが来る前にはやめちまってたけどな」

「なんで?」

あっけらかんと、アニーミが聞いた。
ベルフォルマが、貝のように黙り込む。
不意に、ぽん、とミルダが手を叩いた。

「あぁ、そっか。そうだよね」

「なによ、一人で納得しないでくれるぅ?」

「あ、う、うん、あのね」

アニーミが、ミルダの腕を肘で突付いた。
ミルダはいやそうな顔をせず、己の閃きに誇らしげだった。

「スパーダって三年生でしょ?受験だよ。
部活動って、受験生はやらないんでしょ?
僕は部活に入ったことないから、よく知らないんだけどさ」

アニーミが、あぁ、そうか、と言ったような吐息を付き、
ニラの塊を口の中に放り込んだ。

「三年になっても続ける人もいるけど。そうね、たいがいは引退するわよね。
そっか。最近知り合ったから、こいつが三年生だってこと忘れてたわ」

タラの切り身をはふはふと貪っていたラルモが、細かくうなずいた。

「へぇ〜、なるほどなあ。勉強のために趣味の剣道をやめたんや。
なんやあ、スパーダの兄ちゃん、えらいやん」

「あ、あぁ、まぁな…」

ベルフォルマが、まごまごと答えた。
ひっかかりを覚えたが、俺はあえて見なかったふりをした。

人間には、秘密があったほうがいい、と俺は考えている。
多少後ろ暗いものがある人間のほうが、注意深くなるし、やさしくなれる。
そして、その秘密を打ち明けられる人間に出会えたときに、
そういう相手の大切さ、素晴らしさを知ることが出来るのだから。
そうは思わないか、ミルダ。違うか?



それからは、他愛もない会話が続いた。
もっとも、たいがいはアニーミが先頭を切ってベルフォルマと連携し、
ミルダをいじりまわし、それをラルモがにこやかに眺めているという図式だ。
俺はたまに会話に加わりながら、もくもくと、鍋の具を追加したり、
あくを取ったりといった地道な作業を続けていた。
別に強制されてやっているわけではない。他にやるやつがいないだけだ。
こういう地味な作業も嫌いではないしな。

かくして、8時半も回ったころ、打ち上げはお開きになった。
打ち上げと言っても未成年だらけだ。
いたって健康的な打ち上げになったのは言うまでもなく、
ミルダたちはもちろん、俺も、一滴たりとも酒を飲んでいない。

鍋と食器を片付け、机の上を拭いた後、アニーミたちは去って行った。
子供だけで夜道を歩かせるのもどうかと思ったが、
ラルモはベルフォルマとアニーミが家まで送り届けてくれるそうだ。
アニーミいわく、
「マスコットキャラはさらわれやすいから気をつけないといけない」
そうだ。
それを言うならヒロインキャラのアニーミも当てはまるのだが、おそらく彼女も、
ベルフォルマがぶちぶちと文句を言いながらも家まで送り届けてくれるだろう。
なんだかんだで、そういう男なのだ。ベルフォルマは。



「楽しかったね」

唐辛子が付着した鍋を洗っている俺の横に、ミルダが顔を出した。

「食費がかさむ」

ミルダが、くすりと笑った。

「またまた。リカルドも結構楽しそうにしてたじゃないか。
眉間の皺、薄くなってたよ」

伸ばしたミルダの指先が、俺の眉の間に戯れに触れる。
言い返そうとしたその瞬間、部屋が揺れた。
地震ではない。物凄い勢いでドアが開かれたのだ。

「ルカ!リカルド!ちょっとこれ見て!」

そんなことをするのは、もちろんアニーミしかいない。
靴を脱ぎ捨てる彼女の後ろに、ベルフォルマとラルモの姿もあった。
共通して、全員が嬉しそうに顔を輝かせていた。

俺はアニーミが振り回している紙を受け取って、
中身に目を通した。


”イノセンス戦隊の皆さんへ

はいどうも。ミネラル不足の季節が続きますね。
だからと言ってくれぐれも冷たいジュースを一気飲みなどなさらぬように。
おなかが冷えるあまりか、体内に充分な水分が浸透しませんからね。
少し我慢して、熱いお茶なんかをチビチビ飲むのが効果的なんですよ。
あ、そうそう、話が逸れましたが、悪者ンジャーVSイノセンス戦隊の、
第三次抗争の日程が決定しました。
一週間後の3時に、市民体育館に来てくださいね。
我々もそこで待ってます。種目はそのときに発表しま…
あ、書いていいようなんで、書きますね。
種目はドッチボールで勝負です。いやぁ、若い頃を思い出しますねぇ。
練習なんかをしとくといいかもしれませんよ。
頑張れ若者!
ではでは。

悪者ンジャーより”


汚い字だった。紙も、先日寄越した手紙の材質ではない。
メモ…そう、居酒屋などによくありそうな、メモ用紙だ。
前の手紙よりくだけた口調に、俺はこの手紙の筆者のひととなりを思い浮かべた。
多分、眼鏡をかけて髪は寝癖でぼさぼさの三十代後半男にちがいない。

しかし、俺が留意していたのは、そんなことではなかった。
その手紙を読んだ瞬間、俺の脳裏にある言葉が浮かび上がっていた。
数時間前まで俺の家にいた、ピンクのあいつの台詞だ。

”一週間後には仕上がるピョン”

なるほどな。
偶然とも思えるが、俺は偶然を信じない。
ミルダのことは除外だ。あいつは軌道を無視して墜落してきた隕石のようなものだ。
ともかく、俺は確信をしていた。

お前もか、ブルータス、と。

(だが)

もはや、そんなことはどうでもよかった。
誰が関わっていようが、誰が裏で画策していようが、
俺にはもう、いい意味で、どうでもいいことだった。

俺は今まで、お前らは勝手にそうやって色々やっていればいいさ、と思っていた。
しょせんガキと、ふざけた大人の遊びだと。
踊る阿呆の輪に入ることはない。
しかし同時に、そんな自分の無関心を気に病んでもいた。

俺はもう、大人だ。ある程度事情も察している。
あの輪の中で、何も知らずに、ただ踊る阿呆でいるわけには、いかない。

ラルモとも、また違う。
彼女は案内人のようなものだ。
ズレ始めたストーリーに、それとなく修正を加える編集者のような役割だ。

俺は、何も知らない。推測することしか出来ない。
知ろうと思えば容易に知る手段はあるが、俺はそれを、しなかった。
なぜなら。
それをすることは、興醒めすることだと、無意識に気付いていたからじゃないのか?
他の誰でもない、俺自身がそう思っていたのではないか。
どんでん返しの映画のネタバレを聞いてから本編を見るようなものだと。
そろそろ、不満ばかり言っていないで、事実を認めるべき頃合いだ。

俺は、この事態を、楽しいと思っている。

それはもう、間違えようがない事実だ。
ならば、踊りながら見る阿呆でいようではないか。
俺一人ぐらい、見守る楽しみを感じていてもいいだろう。
苦労も二倍、楽しみも二倍、それが俺の立ち位置だ。


俺は手紙を握りながら、一同の顔を見渡した。
レッドであるアニーミ、ライダーであるベルフォルマ、ピンクであるラルモ。
そして、ブルーであるミルダを。

「明日から特訓だ。異論のあるやつはいるか?」

もちろん、なかった。
俺の顔も、イノセンス戦隊になっていただろう。
そう、コードネームアサシンシャドウ、なんてふざけたネーミングが似合うほどには。

まったく、ばかばかしくて面白い。


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