We are THE バカップル24
24



その日は、晴天だった。
雲ひとつない青い空の中央では太陽が元気良く燃え盛り、
レーザーのような熱光線を、砂浜とその上でたむろする人間たちに浴びせている。

予想していた通りに砂浜は海水浴客でごった返していた。
家族連れやカップルのみならず、ひと夏の思い出を作りに来た友達グループや
ナンパ目的の若い男たちなど、様々な人種が人口密度過多な状況を作り上げていた。
海際から少し離れた場所にある海の家付近の混雑は、通勤ラッシュを思い出させるほどだ。
人々のざわめきで波の音などかき消されるぐらい、活気があった。

俺はパラソルの陰で守られたゴザの上に寝転がり、素足を伸ばした。
日に当たっていない砂はひんやりとしていて、汗ばんだ背中の熱を奪ってくれる。
グラサン越しに日差しを眺める俺の鼻に、海の家に付き物の安物カレーのにおいが流れ込んできて、
早くも食欲がそそられる。
海に来ると、なぜ、こうもカレーが食いたくなるのだろうか。
不思議でならない。誰か論文を書け。

熱せられた砂は燃え上がるようだったが、その上を海から吹き込む風が洗い、
体感温度はそれほど暑くなく、こうしてパラソルの下に入ってしまえば過ごしやすいぐらいだった。
ゴザやその他の備品などは持ち寄ることが出来たが、流石にパラソルを所有している家庭はなく、
しかたなく現地でレンタルすることとなった。
あまり紫外線に強くない俺は日陰で昼寝でもして時間を潰そうと思っていたので、
パラソルは生命線とも言える物品だ。多少の出費は仕方ない。

ともかく、カレーの匂いと人々のざわめきに満ちた海岸は、
いわゆる”閑静”だとか”リゾート”といった雰囲気は微塵もなかった。
海外の海のようにのんびりと過ごせる雰囲気ではないが、
これはこれで”日本の夏”という感じがして、俺はいいと思う。
まわらない寿司屋と回転寿司を比べるようなものだ。それぞれ趣き深いものさ。



「リカルドー!早く行こうよ!」

ビーチサンダルを脱ぎ捨て、熱砂の上で飛び跳ねながらミルダが俺を呼ぶ。
透けるような白い肌にまったく筋肉の見えない体つき。
どう見ても、はっきりさっぱり海が似合っていない。

俺は半身起き上がりながら、サングラスの位置を直した。

「俺は、いい。お前らだけで行け」

「ええー!折角だから一緒に泳ごうよー!」

「いいっていいって、やる気のねぇやつはほっとけよ。
それより、早く行こうぜ。足の裏が熱くってたまんねぇ!」

不満げなミルダを、ベルフォルマがなだめる。
なかなかの長身であり体格もいい彼は、細いバンドで前髪を上げていて、
ミルダとは正反対、まさに海の男という風情だ。

「なんやおっちゃん、泳がへんの?もったいないで〜」

のんびりとした口調で俺の顔を覗き込んだのは、ラルモ。
彼女はクリーム色のチューブトップにフリルが付いた水着を着用していた。
おおよそアニーミセレクトとは思えない乙女チックな水着だったが、
彼女の褐色の肌色に明るい色の生地が映え、よく似合っていて、とても可愛い。
写真に撮って「これが俺の妹だ」とほらを吹いて周りたいほどだ。

「ほーんと、空気読めっつー話よね。
何しに来たんだっつーの。これだからオッサンって」

その水着を選んだ主が、早速持ち前の口の悪さを発揮した。
更衣室からラルモが出てきたときは、アニーミもさぞかし
乙女趣味な水着を選んだものだと思ったが、彼女自身は実にシンプルな装いだった。
無地の白いビキニに、動きやすそうなデニムのショートパンツを履き、
首元に大きく無骨な水泳用のゴーグルをぶらさげている。
泳ぐ気マンマンといった佇まいである。
そのまま沖のほうの島まで競争して、半日は戻ってこないでいてくれるとありがたい。
その間に、ぶっ続けで車を運転したせいで不足している睡眠欲を癒すことにしよう。


結局、俺以外の若者四人組は、さっさと海に向かうことに決めたようだ。
口々に海への感想や昼飯の相談などをしながら、がやがやと波打ち際に向かってゆく。

四人並んだ背を見守っていたところ。不意に、アニーミの白い背中が目に留まった。
適当に塗ったせいか、日焼け止めクリームがまだらになり、あちこち白い塊が残っている。
あれでは妙な焼け方をしてしまう。

「アニーミ」

「あ?なによ」

俺は起き上がりざま指で招いた。
近寄ってきたアニーミの肩に手を置き、背中を向けて座らせる。

「まだらになってるぞ」

「えっ、わっ、わわっ、いやっ!いいって!」

新しく手に取ったクリームをアニーミの背中に塗り広げると、
冷たさと驚きにアニーミの体が大きく跳ねた。

「ちょっと、セクハラ!セクハラ!あんた、私のこと狙ってんじゃないでしょうね!」

「安心しろ、よこしまな気持ちなどこれっぽっちもない。ホモだからな」

それもミルダ限定で、女に全く興味がないわけではないが。

「それはそれで、なんかムカつくんだけど…」

彼女の怒った肩越しに、むくれた頬が見えた。

「ま、いいわ。これはこれで女王様気分よね。
せっかくだから綺麗に塗ってよ」

アニーミがすとん、と砂の上に尻を落とす。
俺は了解、とだけ返して、アニーミの背中にクリームを塗布する仕事に戻った。
アニーミはしばらく、むっと眉を吊り上げたまま海を眺めていたが、
不意に、目だけぎろりと振り返り、

「ねーリカルド。あんたさ、人の話聞くの、うまいほう?」

と、怒ったように聞いた。

「さあな。ただ、口を挟まないことは得意だ」

「あっそう。じゃ、それでいいわ。
今から言うことは、そうね、独り言みたいなもんだから。
それ塗りながら、適当に聞き流してくれる?」

俺がうなずきだけ返すと「ホントーにどうでもいいことなんだけど」と前置き、

「私ね、毎日楽しいことだけして過ごそうなんてこれっぽっちも思っちゃいないの」

「意外だな」

「もう!さっそく口挟んでんじゃん!」

アニーミの足がだんっと砂を叩く。
そこで俺は初めて、彼女が足だけにマニキュアを塗っていることに気が付いた。

「楽しいことばかり考えて生きているように見えたんでな」

「まっ、そう見えるのも分かるけどね。実際、中学生ぐらいまではそう思ってたから」

アニーミが、フン、と鼻を鳴らした。

「そりゃあねぇ、楽しいことばっかりだったらどんだけいいかって思うわよ。
でもね、当たり前っちゃ当たり前だけど、現実ってそうじゃないでしょ。
辛いことも、ムカつくこともやまほど。むしろそっちのほうが多いくらい。
楽しいことは自分で作りださなきゃならないけど、つらいことって避けようがないでしょ?」

いきなり何を言い出すのやらと思ったが、俺は返事もせず、黙っておいた。
アニーミの背中に日焼け止めクリームを伸ばす俺の前で、
彼女の自称独り言は続く。

「そーいうとき、普通さ、怒ったり泣いたりするの我慢するわよね。
みっともないからってのもあるし、それで心配されたり距離作られるのがヤだから。
でもねぇ、そんなもん。我慢したってどうせ後から返ってくるもんなのよ。
だって、我慢してるだけなんだもん。ムカつきも悲しみも消えてないんだから。
そういうものって、そのとき我慢できても、後からジワジワやってくるもんじゃない?
つまり、我慢とか辛抱ってさぁ、溜め込んでるだけで結局意味がないってことよ」

まるで用意していた話のように、アニーミは饒舌に話した。

「だから私はね、決めたのよ。
ムカつくときはぞんぶんにムカついて、悲しいときはワンワン泣こうってね。
人間関係だってそうよ。私はイヤなことはイヤだってキッパリ言う。
そのせいで陰口言われたり、ギクシャクしちゃったりするときもあるけど、
私はそれでもいっこうに構わないわ。
だって、ムカつくもんはムカつくし、納得出来ないもんは納得出来ないもん。
私は心から納得出来ないうちには、譲歩なんかしない。
それが私が15年の人生でたった一つ、そうしようって思ってる…
そうね、哲学みたいなもんよ」

少し迷うような間を置いて、

「素直に生きなきゃ、死んでるのと同じだから」


そう言ったきり、長い口上が途絶えた。
海に入って遊ぶミルダたちを眺めながら、じっと、黙って膝を抱えている。
俺は何も言葉をかけなかった。
続きを言いあぐねている気配がしたからだ。
俺は日焼け止めをゴザの上に戻し、ビーチボールに空気を吹き込みだした。
言いたいことがあるなら言えばいい。
そして、言いたくないことがあるなら、やはり言わなくてもいいのだ。

さほど大きくもないビーチボールは、すぐに酸素と二酸化炭素で腹を一杯にし、
張りを取り戻していた。
アニーミはその間中、自分の足の爪を眺めたまま、動かなかったが、
俺が手持ち無沙汰にビーチボールを手の中で跳ねさせたころ、再び口を開いた。

「……ねぇ、これ、言うつもりなかったんだけど、せっかくだから言うね。
私、あんたとルカがどーいう関係か知ったとき、すっごく反対したの。
そりゃあもう猛烈によ。あの家から引きずり出してスマキにして閉じ込めようかとも考えたわ」

それはそれで面白いんじゃないのか。
この現代社会でスマキにされてる人間を見る機会なんてほとんどないからな。

などと、俺は茶化しはしなかった。
それは、アニーミがおどけるような口調の中でも真剣な横顔を見せていたせいでもあるし、
俺自身、ミルダとの生活が心の支えになっているからでもある。

「だって納得出来なかったんだもん。
納得できないうちは、譲歩するつもりはないってさっき言ったわよね。
でもさ、ルカったら、あんたと一緒にいるのがどんだけ楽しいか切々と訴えてくんのよ」

からかうように言った後、ふう、と息をつき、

「ま、半分ノロケだったけどね。でもそれ見てたら、何にも言えなくなっちゃった。
納得できなくても譲らなきゃいけないときってのもあるもんね。
ま、それは今は置いといてさ、そんとき私、気付いたことがあるの。
気付きたくなかったことだけど」

す、と息を吸い込む音。

「私、いつのまにか、ルカのこと、自分のペットみたいに思ってた。
私がいなきゃナンにも出来ないやつだって、面倒見て、優越感に浸ってたってわけ。
だから、あいつが私の手を離れてくのが、イヤだったの。
もちろんあんたが男だったってのもあんだけどね。
私の知らないところで、私の知らない関係を作ってて腹がたったし、
なんで教えてくれなかったのかって裏切られた気持ちにもなった。
普通さ、そういうとき、友達なら、素直におめでとうって言うべきなんでしょ。
あいつのこと、純粋に友達だって思ってたつもりだったのに…。
私、ヤな女だよね。すっごく、ヤな女」

そう言って、自分の膝に、ぐっと額を押し当てた。背がまるくなる。
まだ生乾きのかさぶたを触るような、にぶい痛みを滲ませた声だった。

(そんなことはないだろう)

そう、俺は口に出しかけた。
人間関係に、普通、だとか、そうするべき、などという決まりなどない。
十代の内なら、なおさら。
お前が色々面倒を見てくれて、ミルダも感謝してるだろうに。
その裏でどんな感情が働いていたとしても、それは変わらんだろう。
自分が嫌な人間だと思うのは、早計すぎるんじゃないか?

だが、そういったことを、やはり俺は言わなかった。
そんな言葉が欲しいわけではないだろう、と思ったからだ。
彼女は、気休めを言われるためだけに、自分の胸のうちを明かす人間ではない。

「でもさ、私こうも思うの」

アニーミが砂に手を付いて、振り返った。

「素直に生きるつもりなら、自分のイヤなとこ、汚いとこ。
そういう、認めたくないとこも素直に受け止めなくちゃ意味ないな、ってさ。
だから私、誰かにこれ、聞いて欲しかったの。
まだまだ整理できてない気持ちだけど、うぅん、だいぶ胸、スっとしたわ」

その目にはまだ、少しだけ憂鬱が宿っていたが、おおむね普段どおりの輝きだった。
俺の顔を下から見上げて、にっと笑う。

「…なんだ」

正直、俺は彼女のいきなりの告白に若干戸惑っていた。
サングラスをかけていて、よかったと思う。

「あ〜ら、話はまだ終わってなくてよ?」

アニーミは俺の手をさっと取って、握った。
その目が、悪戯っぽく光る。

「素直に感じるのは、ヤなことばっかりじゃないんだから。
もちろん、楽しいことも。どちらか一つじゃダメ。そうでしょ?」

握る手に力がこもる。

「嬉しいことされたら、ありがたいって素直に思うことにしたわけ。
……でっもさ〜、あんたなら分かんでしょ?
実際ありがとうって言うのって、結構恥ずかしいもんなのよねぇ〜。
私、怒ったりすることは素直だけど、好意には素直じゃないし」

「何が言いたい」

「まっだわかんないの?こっの、ニブチン男!
アンタにさあ、ありがとう、って言ってんのよ!」

アニーミが両手で俺の手を挟み、ぐぐっと顔を寄せた。
眉を怒ったように吊り上げて、口元をニヤニヤさせているが、
口の端がぴくぴくと震えていた。
怒っているのか笑っているのかわからない。ちょうど中間ぐらいの顔だ。
どうやらアニーミは緊張したり照れたとき、笑うクセがあるらしい、と俺が考察していると、

「日焼け止め塗ってくれてありがとう、話聞いてくれてありがとう。
あと、上着貸してくれてありがとう!アレ、嬉しかったから!
ルカを大事にしてくれてありがとう!いっつもご飯作ってくれてありがとう!
色々文句言ったけど、ほんとはいっつも感謝してんだからね!」

怒涛のような言葉の後「はい、デレタイム終了!」と言って、ぱっと立ち上がった。

「…ふうっ!あんた、こんなにありがとう言われるのって、本当稀なことよ!
あっりがた〜く受け取りなさいよね!」

逆光になっていても分かる。
頬が、茹でられたエビのように赤くなっていた。



俺は耐え切れず、体を折り曲げて笑ってしまった。
なぜだか、愉快でたまらない。

「ちょっと!今の、笑うとこじゃないから!
あんた結構失礼なやつね〜!」

アニーミの眉がみるみるうちにつりあがり、顔色が茹でたエビからエビチリにレベルアップする。
俺はしゃっくりを止める要領で自分の胸をどつき、笑いの衝動をどうにか抑えてた。

「いや、長い前置きだったな、と思ってな」

アニーミが、あんたねぇ!と叫びながら、握りこぶしを振り上げた。
俺は手でそれを制し、

「俺も、素直じゃないんでな。ありがとう、アニーミ」

と言って、膨らましたビーチボールを、彼女の頭に乗せた。
アニーミが口を尖らせたまま黙り込み、ビーチボールを両手に持つ。
彼女が何か言い返したそうに口を開いた瞬間、

「おーい!いつまでイチャついてんだ!早く来いよー!」

波打ち際から、ベルフォルマの声が飛んだ。
それを皮切りに、海水を掛け合って遊んでいたミルダとラルモも、口々に野次を飛ばす。
アニーミが脇にビーチボールを抱えて、拳を掲げた。

「だ〜れがイチャついてるですって!?冗っ談じゃないわよ!」

そこまで否定されると、男としては物悲しいものがある。
俺がグラサンの奥で悟るように目を細めていると、

「あっ!言い忘れ!」

走り去ったはずのアニーミが、砂を巻き上げて戻ってきていた。

「リカルド、さっきのことだけどさ!」

さっと手を伸ばし、俺のグラサンをむしりとる。
腰を折り曲げて目線を合わせ、ジリジリと本当に光線が出そうな目で、睨みつけてきた。

「誰にも言うんじゃないわよ。言ったりしたら、針千本、ホントに飲ませちゃうからね」

「あぁ、確約しよう」

俺が答えながら、グラサン返却用に片手を伸ばすと、アニーミは満足げに微笑んで、
俺の掌の上に叩き割れん勢いでグラサンを乗せた。


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