We are THE バカップル26
26



「うむ。やはりカレーはジャガイモと肉、肉だな!
少し、ボリュームが不足しているが…」

「そうねー。ほんとはこの倍は欲しいトコなんだけど…。
まあ、ブチブチ言いながら食べたらカレーが哀れだわ」

「あぁ、お前の言うとおりであるぞ。
200円という値段から考えれば、充分な買い物と思わねば」

「まあ、リカルドのお金なんだけどね!
やっぱ、人の金で食べるごはんって、おいし〜わー!」

「ガハハハハハ!」

などと、なかむつまじ〜くカレーをつついている馬鹿二人。
言わずと知れたアスラとアニーミが、さんさんと陽光がふりそそぐテーブルに並んでかけていた。
俺がカレールーを与えてやってからずっとこの調子で、もりもりとカレーを口に運んでは、
やっぱり中辛が一番だとか、このルーは冷凍だとか、野菜の原産地が心配だとか、
よく話題が尽きないものだと思うほど食べると喋るを交互に繰り返していた。

犬猿の仲だった二人が(俺から見たら似たもの同士なんだが)
今や手のひらを返したような仲のよさだ。
きっかけさえあればころっと仲良くなってしまうあたりが、この二人の長所なのかもしれない。

「も〜、姉ちゃん、喋るのはええけどカレー垂れてきてるで。集中して食べようや。
あ〜あ〜、水着についたらどないするんよ。白いから落ちひんでぇ?」

「アスラ様、失礼いたします。お口の端にカレーが……。
あと、勝手ながら髪も結わえさせていただきますね。今にもカレーに付きそうで…」

アニーミとアスラの横からそれぞれ布巾を持った色黒の手と色白の手が伸びた。
二人の専属保母さん、ラルモとサクヤだ。
地味な藍色の色の水着に和柄のパレオを付けたサクヤの姿は、正直、ちょっと可愛い。

そう、海に来ていたのはアスラだけではなかった。
アスラにサクヤ、今は席に付いていないが、イナンナまでいる。
いや、アスラとイナンナが恋人状態なのは周知の事実であるから、
むしろサクヤのほうが勝手にひっついて来たのだろう。

「ルーならば、私のカレーうどんのものを分けて差し上げましたのに…」

「うぅむ、しかしサクヤよ、俺は純粋なカレールーが欲しかったのだ」

どこかで聞いたなこの会話。
ともかく、まさにオールスターと言うべき顔ぶれだ。

……ん?いや?

「オリフィエルはいないのか?」

アスラの髪を愛しげに結わえているサクヤが、ぽわん、とした目を上げ、

「あ……はい。お誘いしたのですけれど、お子さんと一緒に過ごしたいから…と」

「そうか…」

サクヤが、くす、と笑った。なんだ。

「いえ…、オリフィエルさんと仲がよろしいのは知っておりましたが、
そのように残念そうな顔をされると。
やっぱり無理を言ってでも来ていただくべきだったかしら、
なんて…ふふっ」

「気持ちの悪いことを言うな…」

と言いながらも、実はまんざらでもなかった。
オリフィエル不在に、俺は少々落胆していた。
というのも、俺はそろそろ彼に電話でも入れようかと思っていたところだったからだ。
今後の――そう今後のことについて、ちょっとした打診をするためだ。
もちろん、ヘンな意味ではない。
だが、ヘンな意味で取りそうなやつが、ここに一人いた。

「ふーん…。そんなに仲がいいんだ」

ミルダが、テーブルに肘をもたれながら、俺の顔をのぞきこんでいる。
ジトっと目を半分閉じて、睨むような眺めるような曖昧なニュアンスの視線。
そんな目で見られるいわれはないし、ちょっと想像するのもいやだ。

「勘違いするな、俺はただ…」

「きゃぁー!」

俺の言葉を途中で切り裂いたのは、サクヤ。
絹を裂くような悲鳴に、俺もミルダも思わず目を丸くしてしまった。

「アスラ様…!あぁっ、かわいいかわいいかわいいかわいい!」

彼女は立ち上がって、髪を高くポニーテールにしたアスラの頭部を
よだれを垂らしそうな顔で抱き締めていた。
華奢な肩がぷるぷると震えている。

「サクヤ……」

対してアスラは微妙な表情。
ひまわりの飾りが付いた髪ゴムを頭頂部で揺らしながら、眉を下げ、なんともいえない顔である。
飼育用ライオンと、ライオンを猫だと勘違いしてあれこれ勝手に遊ぶ子供のようだ。

そうなのだ。何事に対しても白黒をはっきり付けるアスラだが、
ことサクヤに対しては、曖昧な反応をすることが多い。
もともと他人の人間関係にさほどの興味がない俺だが、
流石にこの二人の関係がどういった工程で培われてきたのか気になってきた。


「何をしているのかしら?」

そのとき、ぞっとするような冷たい声が俺の背後から響いた。
振り返ると、イナンナがいた。
桃色の面積の少ないビキニに身を包んだ姿はどこかのグラビア雑誌から抜け出したように見事で、
少し近寄りがたいぐらいの雰囲気である。

そして今、もっと近寄りがたくしているのが、その表情だ。
”学園の豊穣の女神”とさえ言われている彼女の顔はいまや、
”女冬将軍”とでも言う具合に冷たく凍り付いている。
優美な柳眉を吊り上げ、さくさくと天然モデル歩きでサクヤに詰め寄る。
そのイナンナから離れて、ベルフォルマがミルダの隣に戻ってきた。
イナンナと少し話があると言って、彼女と共に席を外していたのだ。

「もう、話終わったの?」

「ん、あぁ、まあな。大した話じゃなかったしな。
それよりさ、へへ、こりゃ面白いぜ」

ミルダの質問を受け流し、ベルフォルマが目の前の光景を顎でしゃくった。

「サクヤ。あなた、私とアスラ先生の関係は知っておいでよね?
知っていて、こういうことをするの?ちょっと非常識ではないかしら?」

怖い先制攻撃をしたのは、イナンナ。

「あら、別にまだ結婚をしているというわけではないでしょう。
なら、私にだってまだまだチャンスはあるはずですわ。
大体これはちょっとしたスキンシップで、やましい気持ちなどありませんから。
そう、これだって……」

サクヤはそう言うと、なんと、大胆にも、アスラの片腕にぶらさがるように腕を組んでしまった。

「まあ!ちょっと、離れなさい!」

「あ〜らら、こんなのイタリアじゃ日常茶飯事、チャメシゴトですわよ。
あなたこそもっとグローバルに物事を見たほうがいいんではなくって?
いやだわ、嫉妬深い女って」

「ここは日本でしょう!話をそらさない!
郷に入れば郷に従え、その場その場のTPOを守るべきです。
恋人の前でこれみよがしにベタベタするなんて、人としてだらしないわよ!」

イナンナの正論にも、サクヤはたじろがない。
ぷすっと嫌な笑いを漏らして、口元をやんわりとおおった。

「だらしない、ですって?私ねぇ、マティウスさんから聞いてますのよ。
イナンナ先生って、家の中じゃジャージなんですってね。
あらやだ。外じゃあんなにめかしこんでくるせに……」

「な、なぁんですって〜……っ!」

「あら、私は本当のことを言っているだけですわ。
そっちのほうこそだらしないんじゃありませんこと?
しかも、ババシャツをマティウスさんに洗わせてるらしいじゃないですか。
マティウスさん、嫌がってましたよ?」

イナンナが、綺麗にネイルの塗られた爪先を握り締めた。
怒髪天の表情だ。

「それを言うならあなただってねぇ!この前の飲み会!
あなたは覚えていないのでしょうけれど、すごかったわよ!
サクヤ先生の地元、山形だったかしら?」

「そ、それが何か関係あるんですか!」

「あるわよ。あなた、三次会の間中、ず〜っと山形弁で喋ってたのよ。
しかもず〜っと泣き言ばっかり。みっともないことこの上ないわ!」

「や、山形弁のどこがみっだぐないっぺか〜!?」

「愚痴を聞かされるほうの身にもなってくださいという意味です。
大体ねぇ、あの後泥酔したあなたを送っていったのは私なんですからね。
あぁ思い出したらムカついてきた!タクシー代寄越しなさいよ!」

「そげな…、そんなもの、千円かそこらでしょう!
そんなこと言うなら、この前映画に行ったとき私が払ったじゃないですか。
貯金降ろし忘れたーとかオマヌケなこと言って。チャラですチャラ!」

「まあ!何を言い出すかと思えば!
あれは最初からあなたのおごりっていう話だったでしょう。
確か私の誕生日だったわよね。今更そんな話持ち出すなんて、
なんて執念深い女なの!いやらしい!」


それからどんどんアスラから外れた会話は軌道修正を見ることはなく、
数分経ったころには二人してビールを片手にわいわいと
校長の愚痴やら、教頭のズラ疑惑やらといった話題に上滑りしていった。

お前ら、本当は仲いいだろ?


*****************


さて、ライフセーバーオズバルドが出てアスラが出てイナンナとサクヤが出て…。
次はどんなやつが出てくるのか、出てくるとすれば彼らを超えるインパクトだろう、
ならばハスタあたりか?と考えていたのだが、さすがにもう打ち止めだったらしい。

あれ以降奇怪な闖入者はもちろんのこと、これといった事件もなかった。
夕陽の中で青少年ならではの悩みを打ち明けられることもなく、
女性陣にからんだチンピラを勇敢に撃退するようなこともなく、
溺れかけた少女を救出したらその少女が記憶喪失だったり、
海底から這い上がってきた巨大なクラーケンを力を合わせて撃退するようなことも、
もちろんなかった。

あれから俺たちがやったことと言えば、アスラたちも交えて海で泳ぎ、
ビーチボールをし、飽きれば波打ち際で砂の城を作成したり、かき氷を食ったり、
うたた寝しているミルダを首から上を残して砂で埋めたりと……、
まあ、海水浴でありがちなことをずらりとやっていただけだ。
おおむね平和に過ごしたと言っていい。

楽しい時間というのは体感時間が短い。
気付けば夕方になっていて、海水浴客もカップルを残して引き上げる時間になり、
海辺にはまばらに人影が認められるぐらいだ。
夏場なのでほんのりと薄ら明るいが、もういい時間である。
アスラたちはともかく、ガキ連れの俺は、そろそろ帰宅せねばならない。
俺は携帯で時刻を確認しながら、まだ波打ち際で貝を拾ってキャイキャイ言っている、
あの疲れ知らずのガキどもを、どう口説き落として連れ帰ったものかと考えていた。


六人乗り用のレンタルワゴンに乗り込む間、アニーミなどはさも惜しげに海を眺め、

「あーあ、なんか、やり足りないな。やっぱ泊まりにすればよかったかしら」

確かに、あともう少しぐらいは居てもいい気にさせられる日だった。
だが、少し惜しいぐらいで帰るのが一番いいのさ。
食事でも腹八分目が体にいいと聞くしな。


それから海水浴客の帰宅ラッシュで瞼が落ちるギリギリの渋滞を乗り越え、
アニーミとラルモを自宅の前まで、ベルフォルマは寝床の溜まり場へと送り届け、
俺たちの自称合宿、他称日帰り海水浴は終了した。

「う〜……、アイタタタタ、全身筋肉痛だよぉ…」

家に帰ってすぐ、ミルダがベッドに倒れこんだ。

「軟弱だな。普段から鍛えておかんからそういうことになる」

ミルダが首だけ起こす。とろんと眠たげな目。

「リカルドは痛くないの?」

「元警察官の筋力をナメるな」

俺は濡れた水着やゴザ、道中出したゴミなどで重くなっているバッグを放り捨て、
ミルダの襟首をつかんで、ベッドから引き起こした。
ついでに太腿の裏を叩いておく。

「あー!いたっ、痛い!ほんとやめて!」

「そのまま寝るな。シャワーでいいから、潮と砂を流せ。片付けは俺がしといてやるから」

本当に痛かったのだろう。ミルダを放すと、涙目で睨みつけてきた。

「も〜……、たまに意地悪だよね、リカルドって」

「目が覚めただろう?……さ、ほら、行け」

ミルダの脇の下に手を入れて立たせてやりながら言うと、
ふぁい、と気の抜けた返事が帰ってきた。
欠伸まじりに、ぎこちない歩き方で風呂場に向かってゆく。
いつもなら一緒に入ろう入ろうとうるさいのだが、よっぽど疲れているらしい。
ガキは体力のペース配分が出来ないもんだからな。

「さて……と」

風呂場から水音が響き出したところで、俺は携帯を取り出した。
上着から煙草とライターを引っ張り出し、ベランダの引き戸を開く。
サンダルを引っ掛け、手すりに寄りかかりながら、ある人物の電話番号を押した。
コール音が流れる間、煙草に火を付ける。

「「はい、もしもし」」

10コールほど経ったころ、のんびりとした声が出た。

「俺だ。オリフィエル、今大丈夫か?」

受話器の向こうで、小さな笑い声がたつ。

「「知っておりますよ。出る前に名前ぐらいは確認しますのでね。
えぇ、大丈夫です。何かご用ですか?」」

「お前たちの、おかしな副業に関して訪ねたいことがある。
お前と、アスラと、イナンナと、サクヤのな」

俺が用意していた台詞を言うと、オリフィエルは数秒黙り、

「「その件ですか。いやあ、流石リカルドさん。とっくにお気づき、ということですな」」

「馬鹿にするな。気付かんほうがおかしいだろう。
おまえら、よくあれで行けると思ったな」

「「ハハハ、えぇ、まあ、私もそう思いますよ。
でも実際、あなた意外は気付いていないんでしょう?
なら、全然全く問題はないじゃないですか。ね?」」

ね?と言われてもな。

「「で、何用でしょうか。
まさかこんな雑談をするために連絡をしたのではないでしょう?
用件によっては、お答えしかねることもございますが…」」

「フン、ガキどもはともかく、俺はヒマじゃないんでな。
お前らはどうなんだ。そろそろ夏休み明けの準備があるだろう」

「「えぇ、まあ、私はともかくして、他の方はね。
……どうしたのですか、珍しく、回りくどいですね」」

「なら、はっきり言わせてもらう。
俺も仕事がある。これ以上長引くようなら、面倒見切れんぞ」

「「あぁ、なるほど、そういうことですか」」

少しして、オリフィエルが言った。

「「我々も、できれば短期ですませたいと思っていたのですがね。
しかしなにぶん、状況が状況でしたので。
短すぎても説得力が沸かない。かといって長すぎるとだれてしまう。
私たちも、そのあたりには頭を悩ませていたのですよ」」

恐らく微笑交じりに言われたであろうその言葉のあと、
数秒間、考えるような間が流れ、

「「……答える前にもう一つ。なぜ、私に聞くのですか?
海でアスラ殿たちにお会いしたのでしょう。
そのときにお尋ねになればよろしかったのに」」

「あいつらは、聞いても答えちゃくれないだろう。
その分お前はずさんそうだからな。それぐらい見ていれば分かる。
つまり、一番やる気がないやつを選んで電話した」

電話口の声が、軽く噴出した。

「「私なりに真面目になっているつもりなのですがねぇ。まあ、いいでしょう
お答えいたしますよ。少々お待ちを」」

がさがさと、通電にノイズが混じる。
しばらくして、再びオフィリエルの声が響いた。

「「あなたのおっしゃった通り、私たちにも仕事があります。
ですから、そろそろ大詰めを予定しています。
今度の勝負、ドッチボールでしたか?アレがクライマックスです」」

「早くないか?」

俺は反射的に聞き返していた。
早く終わらせてくれなければ困ると言いながらも、
俺もそこそこ、楽しんでいたクチである。
いわゆるオオトリという勝負は、まだ先だと思っていた。

俺の返答を聞いて、オリフィエルが再び噴出した。
遠慮ない笑い声が響く。

「おい」

「「いえいえ、意外と楽しんでいただけているんだなと思いまして。
お気を害されたなら失礼。謝りましょう」」

まったく謝意の感じられない口調で言われても説得力がない。

「「それに関しては、我々も残念だと思っているのですよ。
本当は、もっと色々予定していたものですから。
商店街の八百屋さんに乗り込んだりデパートの屋上でアトラクションをしたり…」」

「ベルフォルマあたりが諸手を上げて大喜びしそうだな」

「「同感です。ぜひ大喜びしていただきたかったのですがね。
ハスタくんが、この前来たでしょう?ほら、服飾の学校に通っている」」

いきなりハスタの名前が出て、俺は一瞬、ベランダから階下を見渡した。
噂をすれば出てくる類の人間だからな、あいつは。
幸いどこにもピンク頭は見当たらなかった。

「あぁ…、それがどうした」

「「まあ、彼のことはあなたのほうがご存知でしょうが。
そのハスタくんに急遽コスチュームを頼むことになってですねぇ、
結構予定も前倒し気味になっていたので反対したのですが、
アスラ殿が、思い出にもなるし気分も盛り上がるだろうからどうしてもと言って聞かなくて。
ほら、サクヤさんもイナンナさんもあの調子でしょう?
他に誰も止める人がいないので、押し切られましてね。
そういうことで、結局アレです。タイムリミットということですね」」

じりじりと領地を減らしてゆく煙草を眺めながらぼんやり事情を把握する。
つまり見切り発車で収拾がつかなくなった、ということなのだろう。
いい大人が集まってなにをと思ったが、
率いているのがあのアスラなのだからしかたがない、と思いなおした。

「「まっ、そんな小話はさておき……、
一応、あなたにだけは、今後の予定をお知らせしておきましょう。
ミルダくんたちには他言無用で願います」」

俺は無言になり、話に意識を集中しなおした。
沈黙を肯定ととったか、オリフィエルが話を続ける。

「「先ほどクライマックスと申しましたが、その後も個別の専用イベントは用意してあります。
残念ながらその中にあなた用のイベントは入っておりませんが…、
別にあなたも、中心に立ちたいとは思っていないでしょう。
その分、あなたへの負担も減らせると思いますしね。
まあ、詳細はこうご期待、と言ったところですな」」

「早く終わるならそれに越したことはないが…、
お前たちは、本当にそれで終わりでいいのか?
お前やイナンナはともかく、アスラが納得するのか」

サクヤを含めなかったのは、あいつはいつでもアスラの意思に従うだろう、と思ったからだ。
あいつはアスラロケットの補助部品みたいなもんだからな。

電話口の向こうの音に吐息が混じり、オリフィエルが笑ったのが分かった。

「「もう私たちの目標は、ほとんど果たせたと言っても過言ではないですから。
なにせ、このゲームの目的は…」」

「待った」

俺は煙草を咥えながら、オリフィエルの言葉をさえぎり、

「その件については、終わった後に聞かせてもらう」

「「……ほう?」」

オリフィエルが、おもしろがるように喉を鳴らした。

「「なぜです?全てを知っておいたほうが、動きやすくなるでしょう。
そのために、私に電話をかけたのではないのですか?」」

俺は煙草の煙を吐く間を置いて、いたって真面目に返しておいた。

「裏が分かっている物語ほど、つまらんものはないからな」



電話を切り、ベランダから寝室に入ると、ちょうどミルダが戻ってきた。
牛乳を片手に、頭にタオルを乗せ、風呂上りのせいか肌が薄っすらと桃色になっている。
携帯を片手にベランダから出てきた俺を見て、不思議そうに目を丸くしていた。

「電話、してたの?」

「あぁ…」

フィルタぎりぎりになった煙草を、灰皿で揉み消しながら、曖昧に返事をす。
風呂場へ向かおうとした俺の前に、さっとミルダの細い体が割り込む。
俺を見上げるミルダの目が、じとっと細くなっていた。

「もしかして、オリフィエル先生?」

なんでこんなときだけ鋭いんだ。

「取引先からだ」

俺はとっさにそう答えていた。まずいことに目をそらしてしまったが。
別にやましい話をしていたわけではないがいらん口論になるのもさけたい。
うっかり口を滑らさないともかぎらない。
口外無用だと釘をさされたしな。

「ほんとに?なんか、怪しいんだけど。……ちょっと、携帯見せて!」

「おい、やめろ!見せん!」

手の中の携帯をもぎとろうとするミルダの手をはたき落とす。
しかしミルダは、一旦言い出したらしつこい。
眉を吊り上げ、俺の体をよじのぼらん勢いで食いついてくる。
筋肉痛はどうした。

「見せないところが逆に怪しい!絶対絶対オリフィエル先生だ!」

あぁ、めんどくさい。俺も結構疲れてるのに。
しかたなく、俺は一計を案じることにした。

諦めた風にため息をつき、ミルダの肩に片手を乗せる。

「ミルダ、わかった、わかった。携帯は見せる」

「ほんと?じゃ、見せて」

ミルダが片手をさしのべる。
俺はその手を取り、じっとやつの目をのぞきこんだ。

「その前に、ちょっと話がある。ミルダ、お前、今日、動けるか?」

「えっ…、なんで?」

ミルダがきょとんとする。
よし、ひとまず勢いを止めるのは成功。

「前から頼まれてた、アレをしてやる。アレだ。
どうだ?して欲しいだろう、アレ。今日が駄目なら、明日でもいいが…」

ぱっと、ミルダの目が輝いた。
驚きに目を見開きながら、俺の服を引っ張る。

「えぇっ!?ほんとに!?いいの!?なんで!?」

俺は腕を組み、しみじみとベランダの外へ目線を投げた。

「海は人を解放的な気分にさせると言うが…、俺も、やきが回ったかな……」

そして口元を覆い隠し、照れているふりをしておく。
ぞっとする。もうすぐ三十路になる男が。

しかしミルダには効果があったようで、目を輝かせながら、俺の腕に飛びついてきた。

「やったー!それならもちろん、動けるよ!今日しよう!
あぁ…うれしいなあ…後で、やっぱりやめた、とか無しだからね!
やっほー!今日はいい日だなあ!」

「あぁ、そうだな、よかったな。風呂入ってくる」

本当によかったよ、お前が単純で。
俺は牛乳瓶を片手に飛び跳ねているミルダを背に、風呂場へ向かった。
もちろん、携帯は手に持ったままだ。脱衣所に置いておけば、盗み見しようとしても分かる。
俺はシャワーを浴びながら、この先待ち受けているアレを思い、憂鬱になった。
図らずも身売りをしてしまった気分だ。
ドナドナと連れ去られる子牛の気持ちが少し分かった気がする。


さて、ここから先はいわゆる大人の世界というやつだ。
割愛させていただく。


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