We are THE バカップル3

  

自室の横に設えた小さなアトリエの中で、俺は灰色の軟体をこねくりまわしていた。
粘土だ。人の顔程度の大きさはある。
というか、今やその粘土は人の顔だった。
丸みを残した輪郭に、小造りな鼻と口に大きな目。中性的な顔立ち。
どう見ても12、3歳ぐらいに見えるが、15歳の少年の顔を作っているつもりだ。
決して俺が下手なわけではない。
モデルがそういう顔をしているので、忠実に再現しているだけだ。

「ねぇ、まだぁ?肩こってきた」

そのモデルが、不満を口にした。
俺の正面の椅子に腰掛けたミルダが、自分の肩をもむ。

「動くな」

俺はミルダにそう忠告して、もうほとんど出来上がったと言っていい顔の像を整えた。

「顔が戻らなくなったら、リカルドのせいだからね」

ミルダはため息混じりにそう言うと、表情を直した。
口の端を吊り上げて、にこりと作り笑いをする。
ときおり頬が痙攣した。
長いこと同じ表情を取らされた筋肉が、悲鳴をあげているからだろう。

俺はちょくちょく、こうして粘土で人間を作った。立体を把握する感覚を鍛えるためだ。
別にモデルは誰でもよかったのだが、
ちょうどいいところにちょうどよくヒマそうな同居人がいたので、
晩飯をプレーンハンバーグから玉子焼き乗せハンバーグにグレードアップすることを条件に、
ここにこうして座ってもらっている。
昼飯を食ってすぐに始めたので、すでに3時間は経っているだろう。
そろそろ粘土の代わりにハンバーグの種をこねないといけんな、と思っていると、
ミルダが口を出した。

「今どのぐらい?見せてよ」

俺は顔像を裏返し、ミルダに見せてやった。
ミルダが頬の筋肉を両手でほぐしながら、どれどれと身を乗り出す。

「へぇ〜、やっぱりうまいね。でも僕、こんなにかわいいかな?
なんかリカルド補正入ってない?」

言外に、僕のこと、そんなにかわいいって思ってくれてるんだ、と
含ませたものを感じたので、

「あぁ、高校生というより、小学生だと思っている」

と、言っておいてやった。
目を細めてむっと唇を尖らせるミルダに、
表情を戻せ、と告げてから、俺はあまった粘土の塊をちぎり、
前髪の部分を少し付け足した。これでちょっとは大人っぽく見えるだろう。

ふと俺は思い立って、頬の部分を整えるふりをして、
ミルダモデルの顔像の口の上に、紳士風チョビヒゲを付け足した。
見事なほどに似合っていない。
袖で鼻の頭を拭うふりをして、噴出しそうになった口元を隠す。
それから俺は努めて表情を変えずに、粘土顔の頬にうずまきを描いてやった。

しばらくして、俺は、大儀そうな息を吐き、出来たぞ、と言った。
ミルダは椅子から立ち上がり、体をぎこちなく伸ばしている。

「尾てい骨が痛いよ。次からは、もっといい椅子に座らせてね」

「賞が取れたらな」

そう、この二ヵ月後に、コンクールが控えている。
そこで賞を取れれば、美術館に展示されるらしい。
もちろん、俺も応募するつもりだった。
人から認められずとも満足行く作品が作れればいい、という芸術家は多い。
俺もどちらかと言えばその類だが、やはり野心めいたものは捨てきれない。

ふと気付くと、ミルダが腰を屈折させながら、俺をにやにやと眺めていた。
何かを企んだ顔だ。

「作品作りに貢献したご褒美に、オランダ旅行をプレゼントして欲しいな。
もし賞を取ったら、さ」

またその話か。俺はうんざりと目を細めた。
こいつはこれを言い出すとしつこい。

「オランダより、インドのほうがいい。お前は、ガンジス川のほとりで心を洗い流せ」

ミルダが反論しようと口を開く前に、俺はやつを手で制した。
そして、粘土の塊の頭を、指で叩く。

「それより、見ろ。いい出来だぞ」

ミルダは何か言いたげだったが、やはり自分がモデルになっているとなっては気になるのだろう。
俺の隣まで歩み寄り、ひょいと作品をのぞきこんだ。
わくわくとした色をたたえた横顔が、みるみるうちにゆがむ。

「ちょっと!いつの間に…、あーもうっ!早く直してよ!」

大きな目をくりくりさせ、ちょびひげを指差して怒り出す。
俺は体を折り曲げて笑いながら、首を横に振った。

「いやだ」

「えぇ〜…、こんなのスパーダかイリアに見られたら、一年はからかわれるよ…」

「せっかくいい出来なんだ。そのまま乾燥させて、飾っておこう」

ミルダが、顔を赤くしながら、横目で俺を睨みつける。
手を腰に当てて、子供っぽく頬を膨らませる。

「も〜…。意外と子供っぽいよね、リカルドって…」

「そうかもしれんな。…ミルダ」

俺は片腕を広げて、ミルダを招いた。
まだ不機嫌そうに目を細めているミルダだが、大人しく俺の膝の上に乗った。
俺はミルダの腰を支えながら、首を伸ばして、唇を重ねた。
ミルダが、少し驚いたように目を見開く。

「積極的だね」

「たまにはな」

俺は上機嫌だった。
顔が思わず笑ってしまう。

「風呂にはいってくるから…」

「やだ、今がいい」

俺は、服の中に手を滑り込ませ出したミルダの肩を掴んで止め、

「勘違いするな。風呂にはいってくるから、その間にタマネギを刻んでおけ。
ハンバーグが食いたいんだろう?」

俺はそう言って、ミルダを無理矢理降ろし、風呂場に向けて歩き出した。
背後でミルダの抗議の声が響く。

「リカルドの、寸止め大王!思わせぶり〜!」

だが、俺は上機嫌だった。
やりがいを見つけたことで、俺の人生は、楽しくなった。
ミルダのことは頭が痛いが、それでもやつが俺の人生に頭痛だけをもたらしたかと言えば、
それは、違うと答えるしかないだろう。

俺の毎日は、色づいているように見えた。
そのときは。



***************************************



ミルダを保健室へ連れて行き、スパーダなる少年の起こした騒動を見届けた後、
俺は再び保健室に戻っていた。
そしてそこで、俺の過去の職業をあかした。
しきりに詳細を聞きたがる保険医オリフィエルとミルダの質問をかいくぐり、
俺は背中に申し訳程度の湿布を張られたミルダを連れ、教室に戻った。
アニーミは、まだアスラのお説教を受けているようで、授業には戻っていなかった。
まあ、もとから盛んな創作活動をしているわけではなかったから、別にいいだろう。
俺は生徒たちに授業の続きをするように告げて、教壇に戻り、出席簿を拾い上げた。
アニーミの欄に何と書こうか考えていたとき、
いつの間にか隣に来ていたミルダが俺のそでを引っ張った。
俺は振り向いて、なにやら複雑そうな表情を浮かべているミルダを見た。
ミルダが小声で切り出す。

「あの…先生、さっき、僕が言ったことですけど」

さっき?刑事の仕事について訪ねたことだろうか。
俺は意図が分からず、眉を寄せた。

「あ、二人きりのときに、言いたかったこと、ってやつです。
あの、あれ、今のところは、忘れてくれませんか?
……え、え〜っと…。そ、その内、日を改めて、言います」

ミルダはそう言うと、俺の返事を待たずに、自分の席へと駆け戻った。
アニーミはちゃんと掃除をしてくれていたようで、ミルダの席はすっかり綺麗になっていた。
彼の席の両隣の男子生徒が、二人して彼に話しかけるので、ミルダは恥ずかしそうにしていた。
確か、エディとニーノとかいう名前だったか。
太った少年と痩せた少年にからかわれるミルダは、まさにのび太のようだった。
これで眼鏡をかけていれば完璧だな、と俺はのんきに思いながら、
教壇から離れて、生徒たちの作品を見て回ることにした。

机の間を回りながら、先ほどミルダが言ったことを思い出す。
何の用事だったのだろうか。少しも気にならないと言えば嘘になる。
だが、俺は生徒の作った下手糞な木像に口出ししている内に、そのことをすっかり忘れていた。





その後、何事もなく授業は終わり、俺は放課後を待たず帰宅していた。
結局アニーミは最後まで戻ってこなかったが、特別俺が気にすることではないだろう。
彼女らのクラス担任のサクヤという若い女教諭に事情を報告し、俺の仕事は終わった。
アニーミがアスラに連れ去られたことを話すと、サクヤは、上品な顔に、少し嬉しげな表情をうかべた。
控えめにしたつもりだろうが、一瞬にして周囲に花を浮かべそうなほどテンションがあがったのを、
俺でさえ分かった。
席の近いの教師たちが苦笑いをしている。
彼女は俺に丁寧に礼を言い、走るのをぎりぎりで我慢しているような駆け足で職員室を出て行った。
アニーミが連行されたのが生徒指導室ならば、そこにはまだイナンナもいるだろう。

(そういう意味の、苦笑か)

俺は、生徒指導室が修羅場の様相を呈さないことを祈りながら、学校の駐車場へ戻った。



いつものように車を走らせ、俺は自宅のマンションのそばまで来ていた。
マンションのゲートが見えた瞬間、ふと、派手な服装の男を見つけた。
毒々しいと言えるほどの色彩センスの服に身を包んだ、長身の男だ。
まだ若い。ひまそうに煙草をふかしながら、ぼうっとしている。
見覚えのある男だ。

俺は車をやつがいる路肩へ寄せて、ウィンドウを開いた。

「煙草はやめろと言っただろう」

「あら、お巡りさん、もうオレ22ですピョロよ?」

やつはニヤけ面を顔全体に広げながら、首から提げた携帯灰皿を指先で弾いた。
右手の爪の先が、二本だけ黒く塗られている。

「マニキュアか?塗るなら全部に塗れ。だらしがない」

やつは自分の爪を顔の前に掲げて、しばしキョトンとした後、ぶはっと噴出した。
背を折り曲げて、ひぃひぃと笑っている。
俺は眉を寄せた。

「これ、オシャレだよ。あ〜おかし。あいっかわらず、ファッションに疎い太郎だね」

奴はまだ笑いながら、車の窓に肘を乗せてきた。

「ひさしぶり、リカルド氏」

そして、ふうっと俺の顔に煙をふきつけた。
俺はすかさずウィンドウを閉じ、やつの肘をはさんでいおいた。

「痛いいたいイタイ痛い!いや〜ん、切断されちゃう!」

げらげら笑いながら、男がふざける。
俺はため息を吐き出した。

「……ハスタ。なんの用だ」

うるささに負けて、再び車のウィンドウを下げた。
ハスタが素早く、車の中に顔を突っ込んで来た。
今度は、隣に紙袋もおまけされていた。

「新作、出来たから。献上につかまつりましたポン」


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