We are THE バカップル4



俺はハスタを部屋に上がらせると、勝手に色々触るなと言い置いて、茶の準備をしにキッチンに入った。
湯を沸かす間に、コーヒーの残量をチェックする。
俺は振り向いて、居間の、低いテーブルの前の座布団に座り込んだハスタを見た。

「おい、コーヒーでいいか」

「コ〜ラ〜はないにょろ〜?」

「あるか。マンションの前に自販機があるから、飲みたければそこで買ってこい」

ハスタは、ならいいや、と言って、顔を戻し、テレビのリモコンをいじりだした。
三三七拍子のリズムでチャンネルを変えて遊んでいる。
その様子は、やつが十代だったころとなんら代わりがなかった。
いや、こいつは、例え三十代になろうが四十代になろうが、このままなのだろう。
そう思わせる男だった。


ハスタとは、俺がまだ新米の警察官のころ、交番勤務をしていたときに知り合った。
そのとき、こいつはまだ中学生だった。
体が大きく、私服を着ていれば20代に見えたが、やつはまさに荒んだ十代の生活を送っていた。
家にも帰らず、学校にも行かず、真昼間から駅前でだらだら煙草をふかしているか、喧嘩をしていた。
仲間とつるんでいることもあったし、一人でいることもあった。

それだけならまだいいが、こいつはたびたび万引きをしては補導されてきていた。
いや、万引きというより、ほとんど奇行に近い。
コンビニのレジの中に堂々と入ってきて、カートンごと煙草を抜き取ったり、
スーパーの缶詰をその場であけて、食べながらうろついたりするといった
奇怪な振る舞いを、こいつは三日に一度ぐらいの頻度でやってくれた。
ひどいときには、商店街の八百屋のスイカを奇声を上げて叩き割った。
なぜそんなことをしたと問いただすと、ハスタは飄々とした様子で、

「スイカ割りがしたかったから。夏だし」

と答えた。
むろん、何度補導され、何度手痛い説教をしてやろうとも聞く耳をもたない。
むしろ力を入れて叱れば叱るほど、こいつは面白そうに笑うだけだった。
この妙なガキには、先輩の警察官も手を焼いていた。

親のことがまた、警官たちのやる気をそいだ。
ハスタの親は呼びつけられるたびに謝罪だけはするが、どこか迷惑そうだった。
ハスタのほうを見もせず、形だけの侘びを入れて子供を連れて行く。
ハスタも、そんな親を無視した。おそらく、家庭内でも同じような状況なのだろう。
更正の余地はまったく見えなかった。

しかし、警察官になったばかりで熱血だった俺は、ハスタをどうにか更正させようと必死になった。
駅前で、路上で、コンビニの前でこいつを見かけるたび、見回り用の自転車から降り、近況をたずねた。
そして、煙草はやめろ、家に帰れ、と口うるさく注意した。

ハスタはおおむね俺のことを無視したが、たまに迷惑そうな素振りを見せた。
危うく、ハスタの仲間にからまれ、リンチにされかかったこともあった。
だが、俺はやつに構うのをやめなかった。

腹が減っている、と言えば金を貸してやった。
寒い日に外にいるハスタを見つけて、軍手を買い与えたりもした。
今考えれば一人の少年に入れ込むことなどえこひいき以外のなにものでもなく、
警察官としてとても優秀とは言えない態度だったが、若い俺はそのことに気付きもしなかった。

しかし、それを続けて数ヶ月も経ったころ、俺の熱心さがハスタの何かに通じたのか、
ハスタのほうから声をかけてくるようになった。
派出所まで訪ねてきて、置いてあるせんべいを食ったり、くだらない冗談を言って笑った。
驚くことに、落し物を届けに来ることもあった。その頃には、ずいぶん俺に懐いていた。
俺が定例にならって、落とし主から報酬の申し出があった場合受け取るか、
と聞くと、やつはいつも嬉しそうに笑って、

「正義のミカタはそんなもん受けとらないよん」

と、言った。
そんな関係が、俺が刑事になるまで続いた。
刑事を辞め、東京に移り住んでしばらく経ったとき、
同じく学校に通うため東京に出てきていたこいつと再会してから、付き合いが続いている。



薬缶が鳴る甲高い音に、俺ははっとした。
いつのまにか、火にかけていた薬缶が沸騰している。
俺はガスレンジの火を止めて、薬缶を掴んだ。

「……つ」

熱された取っ手が思ったよりも熱く、俺は手を引いた。

「どしたん?」

「薬缶が熱かった」

俺の様子に気付いたのか、ハスタが首を捻ってこちらを見た。
俺は指先を吹き冷ましながら答えた。

「にゃにそれ、ドジっ子属性?でもオレ、ドジっ子属性ないからねぇ〜、ザンネン」

ハスタがここぞとばかりにからかう。
後二ヶ月はこのネタを引っ張られるだろう。
俺は濡れ布巾で薬缶を掴むと、二人分のコーヒーを注いで、テーブルに戻った。
やつの前にカップを一つ置き、俺もテーブルに付く。
もっともちゃぶ台のように低いテーブルなので、椅子ではなく、座布団の上にあぐらをかいて座った。

ハスタは湯気のたつカップを持ち上げて、何度か口を近づけては離していた。
どうやら一気飲みをしようとしているようだ。
こいつの意味のない行動にも、もうとっくに慣れた。
やつが火傷を負った場合は放っておこうと決めて、俺はテレビに視線をむけた。
結局チャンネルはニュースに合わせられていて、都心のどこそこで火事が起きたとか、
あまり明るくない話題を、アナウンサーの真面目そうな声が読み上げていた。

「リカルド氏」

不意に、ハスタが呼んだ。
コーヒー一気飲みを諦めたのか飽きたのか、
テーブルに置いたカップの前に顔を近づけて、ふー、と息を吹きかけている。
目だけを上に向けて、ハスタは俺を見ていた。にやりと口元が笑う。

「呼んでみただけ、って言ったら怒る?」

「二回目に怒る」

俺は言いながら、指先でテーブルを叩いた。
ハスタの注目が指に向いたのを見て、くい、と指先を動かす。

「なに?」

「煙草」

「禁煙してるんじゃなかったの?肺活量が落ちるとかで」

「別に、もうその必要もないだろう」

ハスタは片眉をひょいと上げると、ジーンズの尻を探って、ぽんと煙草の箱をテーブルの上に放った。
それを取り、煙草を一本つまみ出し、唇に咥える。
すかさずハスタが、どこかのホストのように火をつけたジッポをうやうやしく差し出してくる。
凝った作りをしたジッポだ。自作したのかもしれない。
俺は火種に煙草の穂先を近づけて、軽く吸い込み、火をつけた。
瞬間、濃厚な煙と、メンソールの味が口内になだれ込む。
一瞬で喉が痛くなり、俺は眉をしかめた。

「強すぎだ」

「これでも減らしたっぴ」

ハスタは指先でジッポの蓋を弄りながら、怒るおっさんがいるから、と笑った。
そして首元から提げていた携帯灰皿を取り、口を開いた形でテーブルの上に置いた。

「使って。この部屋、灰皿ないっしょ。オレって何気に気が効くオトコ?魅力的〜」

「自分で言うと、その魅力も半減だ」

俺は腕を伸ばして、携帯灰皿の底に、まだわずかにしか積もっていない灰を落とした。

「あっそうそう、リカちゃんリカちゃん、お土産忘れてた」

コーヒーに口をつけたハスタが、ガサゴソと紙袋をいじりだす。
掌サイズの包装紙……というよりぐしゃぐしゃの紙の塊を取り出して、無造作にテーブルに置いた。

「新しいピアス。前の渡してから、結構経ってたでしょ」

「そうだったか?まあ、ありがとう」

俺は手を伸ばして、包装紙のようなものを剥いだ。
ただ輪になっただけの、シンプルなピアスが四つ、包まれていた。
俺が両耳に開けているピアス穴と同じ数だ。
しかし、その銀の輪は、今俺がしているものと全く同じに見えた。
今しているものも、ハスタが作ったものだ。
何か模様でも入っているのかと思って裏返してみたが、それもない。

「前のとどう違うんだ?」

「よく見てよ、そっちのが曲線がキレイなんだって。
シンプルなもんほど、作んの難しいのよ?」

それには同感だったが、そんな些細な調整は、俺の目では分からなかった。
指先でつまんで掲げてみたが、やはり、全く同じに見える。
ハスタはそんな俺の顔を見て、嬉しそうにニコニコ、というよりは、ニヤニヤしていた。

「コートに合わせてコーディネートしてんだから、あのコート着るときは、それつけてねん」

ハスタが自分の耳たぶを弾きながら言う。
コートとは、いつも俺が着ている黒いコートのことだ。
あれもハスタが作ったものだ。暖かくて丈夫なので、重宝している。

「あぁ、いつも悪いな」

ハスタは、うん、とだけ返すと、カップを傾けて、コーヒーを一気飲みした。
まだ熱いはずだが、こいつの感覚はなんでもズレていることが常なので、
今更俺も驚きはしない。
ハスタはカラになったカップを前に、ごちそうさま、と手を合わせると、
よっこらせ、と大儀そうに立ち上がった。

「もう行くのか」

「ン、それ届けに来ただけダシ、課題制作つまってるシ。また来るピョン。
次はナンにしよっか?ヘソピアスとかどう?オレがあけたげるよん」

「お断りだな」

俺はハスタを戸口まで送ると、居間に戻った。
自然と、ため息が出る。呆れているのでも、疲れているのでもない。

あの奇行ばかりしていた小僧が、今ではちゃんと学校にも行って、将来のために学んでいる。

そう思うと、感慨深いものがあった。
若かりしころの自分を誉める場所を探すとするなら、
真っ先に、ハスタの世話を焼いてやったことを誉めるだろう。

しばらく感慨に浸った後、カップを片付けようと、テーブルまで歩み寄った。
空になったカップの隣に、口を開いたままの携帯灰皿が残されたままになっていた。
俺は息を吐き、灰皿の蓋を締め、玄関を振り返った。
数秒考えた後、灰皿を手に玄関のドアまで歩み寄る。
靴を履きながら、ドアを開いた。

次に来たときに返せばいいとも思ったが、今行けば追いつけるかもしれない。
マンションの入り口からハスタの背が見えなければそのまま戻ろうと考えて、
俺は玄関に一応鍵をしめると、エレベーターに乗った。
なぜかいつも魚臭いエレベーターに憂鬱な気分になりかけながら、
俺はハスタがそう遠くまで行っていないことをのんきに願っていた。



しかし、俺は5秒後にその願いを後悔することになる。
マンションから出た瞬間、男の怒鳴り声が聞えたからだ。

(まさか)

さっと嫌な予感がよぎる。俺は早足で声が聞えた方向へ向かった。
すぐに、声の主は確認できた。
マンションの前の道端に、ハスタの長身を見つけたからだ。
バイクに乗った男と向かい合っている。見るからに剣呑な雰囲気がただよっていた。

(やっぱり。あの馬鹿)

俺は顔を歪めた。

「もう一回、同じ台詞が言えるか?あ?言ってみろよ」

バイクに跨った長身の男が、熱をふいた。
フルフェイスのメットをかぶっているせいで顔はうかがえないが、
声がまだ高く、少年だということがうかがえた。どこかで聞いたことがある声だ。

「ゴメンネ〜、オレ、五秒ごとに新しい人格が出てきちゃうのよ。
さっきキミとおしゃべりしたのはオレの第二人格のイブラ・ヒモビッチさん。
彼が出てきたときにもう一回たずねてよ。オレの人格は108億人いるから、次に出てくるのは明日だけど。
で、なにキミ。因縁つけるの大好きな人?困っちゃうわネ、ボク、このとおりマジメだから。
サラリーマンだから、リーマン、リーマン。満員電車でギュウギュウ!」

(馬鹿)

アホのハスタが、バイク男の怒りを煽るような台詞ばかり言う。
あいつはヤクザのベンツに傷をつけても同じような態度なんだろう。
少年が、いよいよバイクから降りた。
いつでも飛びかかれる用意だろう。怪しい雲行きだ。

「ナメんじゃねぇ」

少年はそうはき捨て、ヘルメットを脱いだ。
見覚えのある顔だ。本当に、つい最近見たばかりの。
だが、俺は少年の名前を失念していた。
確か、サ行から始まる名前だったか?頭の中でサ行を順に辿る。
サ…シ…ス…。

「スパーダか?」

俺は閃いた名前を、口に出していた。
少年が、ぱっと燃えるような瞳を向けてくる。
だが、俺を見て一瞬、その目に不思議そうな色が浮かんだ。
近眼の人間がするようにじわじわと目を細めた。

「……誰?」

少年が思わずといった風に呟いた瞬間、ハスタが俺にウィンクしてきた。
俺は、あぁ、知らんふりをして戻れば良かった、と深く後悔して、額をおさえた。

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