We are THE バカップル30
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ラウェイという格闘技をご存知だろうか。
ミャンマーの国技として千年以上の歴史を持つ実戦格闘技である。
ムエタイと似ているが、スポーツとして確立したムエタイとは違い、
肘打ちや膝蹴りはもちろんのこと、投げ、締め技、頭突きなども許可されており、
目潰しと噛み付きがかろうじで禁止という究極にルールを軽減した格闘技だ。
選手はグローブすら身につけず、バンテージ(白い包帯みたいなやつな)のみを巻いて戦う。
限りなく実戦に近い、ほぼノールールのガチンコバトル。それがラウェイである。

俺も警察官だったころにムエタイをかじったことがあったのだが、充分過酷な格闘技だと思った。
スパークリングのときによく鼻血を噴いていたのを思い出す。
あれよりも実戦形式を重んじているというのだから、考えるだに恐ろしい。

何が言いたいのかと言うと。

まず、今までのドッジボール勝負を空手に例えよう。柔道でもボクシングでもなんでもいい。
そして現在。コートの中でラウェイが起こっていた。正確には体育館全域で。

体育館をひっくり返してルール無用の大騒ぎ、見るも無残な現状だった。
何十個と数える気が起こらんほど無数のボールが絶え間なく飛び交っている。
ドッジボール用の球だけではない。バレーボール、サッカーボール、果ては軟球まで行きかっている始末だ。
もちろん、その数の球を俺たち十人――イノセンス戦隊と悪者ンジャーの十人――でさばくのは不可能だ。
では、どこのどいつの何人がこの戦地さながらの様相を作り上げているかというと――

ぼすん。
俺の背中にかるく野球ボールが当たった。
振り返ると、生意気そうな男子小学生がしたり顔で俺を見ていた。
俺の顔を見て、ぎゃあぎゃあ笑いながら走り去り、同じようなジャリどもに自慢げに何かを話している。
ボールを当てられた俺に対して、誰もコート外へ出て行けと言いはしなかった。
それもそうである。
今や、内野外野などという概念は給料日前の俺の口座の中身より空虚だった。

状況説明。まず、コートの右側。
そこではバレーボールを抱えた少女たちが中学生らしき男子たちと張り合っていた。
試合開始前に俺を写メろうとした例のいかにもギャルっぽい女子高生どもだ。
彼女たちはバレーボール部員だったらしく、敵陣にアタックをかましてはキャッキャとはしゃいでいた。

左側。袖まくりした父親とジャージを着込んだ母親が一対。向かいに同じような格好だが少し年嵩の夫婦。
互いに子供の前でいいところを見せようと、真剣な顔でサッカーボールを繰っている。
その横で、ひまをもてあました子供同士がバレーボールを転がしあって遊んでいた。

その他にも同じようなグループがいくつか。
それぞれ陣地のようなものを築き、おのおの自分の敵と戦っている。


言うまでもなく、彼らは元々観客だった者たちである。
どちらがどちらの陣営に属しているのか俺は知らん。彼らも知ったこっちゃないだろう。
では、元々のメインであった俺たちがどこで何をしているかというと。

「わひゃ〜!た、大変ですね!毒物さん、もっと頭を低くしたほうがいいですよ!」

「ハハハ、まるで戦争ですね。怖い怖い」

運動音痴筆頭のミスター毒物と戦闘員Aはだんごのように固まって伏せていた。
ときおりバウンドした各種ボールが背中や尻にぶつかり小さく悲鳴を上げている。
そこだけ切り取ってみたらまるでイジメの現場だ。

「ねえ、甘いものが食べたいのですけれど」

そんな修羅場とは関係なく、優雅な声を上げたのはセクシーローズ。
いつの間か出したパイプ椅子に腰掛けた彼女の周りはぞろりと親衛隊が取り囲んでいた。
主に若い男で構成されたその肉壁どもは、だらしない顔で彼女の胸や脚に見入っている。
ボールが頭や足に当たろうとも微動だにしない。
少年のうち一人が「あ、俺チョコもってきます!」と従順にも走っていくが、
すぐにバレーボールが頭に激突し、撃沈した。

「てめぇ!誰に向かってボールぶつけてんだアァアアアアアン!?」

倒れた少年のすぐ近くで、ベルフォルマが日焼けした男子高校生の胸倉を掴んでチンピラ叫びしていた。
メットが少しよれていることから、頭にボールを食らったらしい。
食って掛かる腕を、後ろからラルモが「まあまあ」と取り成していた。

「ぎゃあ!せ、背骨がー!」

コートの中央から一際大きい金切り声が轟く。見たくないが、見ねばならない。
視線をのろのろと動かすと、アニーミがギックリ腰を起こした老婆のように背に手を当て座り込んでいた。
その足のすぐそばを、凄まじい勢いのバスケットボールが4連続で叩き、
「ぎゃわわわわ!」と可愛らしさがどこにも見当たらない叫び声をあげる。

「ちょちょちょちょっとお!半身不随になったらどうすんのよ!
あんた、自分の腕力を考えて投げなさいよね!」

「やかましい!真剣勝負に手加減もなにもあるかッ!」

すかさず阿修羅大魔王が怒鳴り返した。
ブラックパピヨンと大魔王のコンビはバスケットボール籠を丸ごと占領しており、
パピヨンが素早くパスするボールをキャッチしてはバッティングセンターのマシンのように射出していた。

再び球の弾丸が降り注ぐ。アニーミはたまらず頭を抱えてまるくなった。

「ぎゃあっ!だいいち、あんたさっき私に当てたでしょうが!反則よ反則ー!」

「球が当たったものを狙ってはいかんというルールはなーい!
貴様、人の顔をぼこぼこ殴りおって!こうなったら徹底的にこらしめてやろうぞ!」

「なによそのムチャクチャなルールーーー!!!」

「貴様らが言い出したことだろうがーーー!!!」


「あ、あっちゃ〜……」

腕を組みつつ狂騒はなはだしい現況を眺めていた俺の横で、床にひれ伏していたミルダが呟いた。
俺の顔を見上げ、苦笑いし、拳を握った手で自分の頭をこつんとやる。
台詞を付けるならこうだろう。

『こんなつもりじゃなかったのにな、テヘッ☆』


俺の喉にため息が上りかけたが、その前に、なぜこんな状況になったのかを説明しなければな。
いきなりのことで驚いているだろうと思う。俺も驚いている。はっきり言って半分放心状態だ。
ばんばんと体に当たるボールの痛みのおかげで魂が浮遊してゆくのをかろうじで免れている。
とにかく、俺の理解が追いつく限りを順を追って説明しよう。

あれは、ミルダが俺たちを集めて、作戦を立案したときまで遡る。


……………………。


「だからね、ルールがないなら、作っちゃえばいいんだ」

あのとき。顔の横にピンと人差し指を立てて、ミルダは言った。

「顔面アウトはルールになかったって言葉を逆手に取るんだよ。
こっちも新しいルールを作って、相手を無理矢理アウトにしちゃえばいいんだ」

俺たちの反応をうかがうように見回し、

「といっても、一人だけでいいんだ。阿修羅大魔王さえ外野に出せれば、あとは簡単だから」

「でも、あっちが承知しないでしょ。あの性格じゃあさ」

言葉の終わりに口を挟んだアニーミを指差し「それだよ」とミルダが言った。

「リカルドが顔面アウトになった時点でこっちの面子は立ってるんだ。
もし抗議されたら――いや、絶対に文句を言ってくるだろうから、そのときは元のルールに戻せばいい。
リカルドがアウトになっている以上、あちらも大魔王をコートの中に戻しはしないはずだよ」

俺たちは腕を組み、お互いの顔を眺めあった。
こうして前回最後の場面に立ち返るわけである。
ここまではいい。なんの問題もない。俺の自宅の洗濯機よりもクリーンだ。

いや、違うか。この時点で、俺たちは見落としていたのだろう。
敵は俺たちのこざかしい計略の上を行く行動力の持ち主だということに。


このような会話を経て始まった俺の負傷休憩以降の後半戦。
俺はボールを掌で叩きながら前後を見渡した。
外野で準備運動をするパピヨン、棒立ちの毒物と戦闘員A。
内野の中央に堂々と立っている大魔王と、その後ろでくねくねとひまそうに爪を眺めているローズ。
俺たちの素っ頓狂な茶番と突然の休憩にざわついていた観客も元の位置。
全てが休憩前と同じ様子だった。
だが、一つだけ違うものがある。俺たちの胸中だ。

手はずはこうだ。
まず、俺がアニーミにボールをパス。アニーミがボールを持ったまま敵陣に走りこむ。
相手は当然驚くだろうから、その隙にアニーミが大魔王にタッチ。大魔王アウト。
いくら大魔王の運動能力が優れていようとしつこく追い回したらいつかは、という思考回路による
すこぶる安直な作戦だ。時間がなかったのでしょうがないと言いたいが、
先の茶番不意打ち作戦を考慮する限り、俺たちが立てられる戦略などこの程度のものだろう。

俺はスローインのようにゆっくり慎重にボールをパスし、アニーミの様子をうかがった。
アニーミが、すこし緊張気味に俺を見返す。
言わずとも分かる。「やるのね!?やっていいのね!?」と目が訴えかけていた。
うなずき返すと、アニーミは満面の笑顔を浮かべて、すうっと空気を肺いっぱいに吸い込み…

「せっぇえええいいいやああああああ!チャーーージバレットぉおおおおッ!」

鼓膜ごと破壊されそうなどら声をあげて、一心不乱に突進した。

「ぬおう!?」

大魔王が目を剥く。
ここ数十分彼には驚いてもらってばかりだが先般行われた行事ではこちらが驚かされてばかりだったので
意趣返しだとでも思ってがまんして欲しいところだ。
二人の体が激突する。
あの大魔王も自重と甲冑の重さがプラスされた重力には勝てなかったのだろう。
どたーんと派手な音を立てて、アニーミもろとも仰向けに倒れた。

「そらそらそらそらぁ!思い知りなさい!」

馬乗りになったアニーミが、やめとけばいいのに大魔王の顔をボールで殴り続ける。

「ぐわっ!なんだ!?貴様!これ、やめんか!ルール違反だぞ!」

「ホホホホホホ!ボールで直接殴っちゃいけないってルールあったかしらあ!?
外野が陣地に入っちゃいけないってルールがあったかしらあ!?
ないわよね!ないわよねそんなルール!言ってなかったもんね!聞いてないもんね〜!」

高らかな笑い声とボールが奏でるぼこすかという音。
敵側と観客が唖然と見守っているのがわかった。
思えば、この時点から俺たちはレールをたがえてしまったんだろう。

「阿修羅様になにを!」

「きゃわ!」

いつの間にか外野から抜け出していたパピヨンが横から体当たりをした。
アニーミがもんどりうって床に放り出され、ぽーんとその手からボールがはじけ飛ぶ。

「アイタタタ…。ちょっとあんたぁ!なに勝手に入ってきてんの!ルール違反よ!」

身を起こしながら、身も蓋もないことを叫ぶ。
パピヨンは目を回している大魔王を先祖ゆかりの秘蔵品を扱うような手つきで抱え起こし、
キッと涙交じりの視線で睨み返した。

「外野から内野に入っちゃいけないなんてルールありません!」

言い返そうとしたアニーミの頭を、ぽこん、とボールが叩いた。

「自陣に入ってきた敵をアウトにしちゃいけないってルールもないわね。はい、アウト〜」

セクシーローズが、誇らしげに両手でボールを持っていた。
この女は本当に抜け目がない。アニーミが目を白黒させて口をぱくぱくと開閉している。

さてどうしたものかと考えていた俺の横から小柄な影が飛び出した。

「ちょい待ちや〜!」

だかだかだかっと、大またの足音。血相を変えたラルモがアニーミの元に駆けつける。

「そりゃあまりにせこいで姉ちゃん!そんなん言うたらなあ…」

ぱっとセクシーローズの前に手を差し出す。

「ボールちょい貸して!」

有無を言わさぬ、大阪のおばちゃん口調。
ローズが、思わずといったようにボールを渡す。
すかさずラルモがそれを投げ返した。
再び思わず受け取ったローズの顔を指差し、

「ほい、これであんたアウト!どや!こんなんが通用してまうんやで!」

「まあ!なんなのかしらこの子は!」

ローズが表情を変えた。怒りのあまり、ばん、とその場にボールをたたきつける。
きれいにネイルアートをほどこした指先をラルモに向け、

「あなただって私が渡したボールを取ったじゃないの!あなたもアウトになってしまうわよ!」

ラルモが憮然とした顔で肩をすくめる。

「さっきのは同意の上やからセーフや!」

「そんなルールないわ!」

「今作ったんや!あんたも同じことしたやろ!」

「お〜ぬ〜し〜らぁああ〜……」

地響きよりも低い声が、泥沼状態のアウトの押し付け合いをさえぎった。
眩暈状態から復活した阿修羅大魔王がボールをわしづかみ、憤怒の表情で立っていた。
鬼気迫るとはこのことだろうか。三白眼が更につりあがり、今にも筋肉で鎧をはちきりそうな風情だ。
怒気が湯気になって彼の周囲に漂っているように見える。
一瞬にして俺たち全員に同じ感情がのぼった。
『まずい』と。

「そんなにルール無用の戦いがしたいのならばなあ!このアス……阿修羅が、
腹いっぱい食らわしてやるわああ!」

ほら見ろ。怒りのあまり本名まで口走りそうになっている。これは相当キてる。
などと冷静に考えているひまはなかった。
阿修羅大魔王が、見るも恐ろしい形相と速度でこちらに突っ込んできたからだ。

「うわあああコッチ来んな!」

「俺がそっちに行ってはいかんというルールがあったか!?えぇ!?」

あのベルフォルマでさえ反射的に逃げ出していた。
もちろん俺も逃げた。あれはやばい。命にかかわる予感がする。

「逃げるなライダー!シャドウ!そのこしゃくな頭を粉砕してくれる!」

「俺知〜らね!コートの外に逃げちゃいけねぇなんてルールもねぇ!」

「その通りだ。相手にしてられん」

おのれ、と恨めしそうに吐き捨てる大魔王の背側で、赤毛が飛び跳ねた。

「ちょぉっとル……ブルー!全っ然あんたの言うとおりになんないじゃないの〜!
どうしてくれるわけ〜!」

「えっ!」

一人逃げ遅れ、得意の存在感の無さでコートの端に溶け込もうとしていたミルダの努力が
水泡に帰した瞬間だった。
阿修羅大魔王が、獲物を見つけたチーターのような素早さで、ミルダに狙いをつける。
凍り付いているミルダのそばへ妙に静かな足取りで近づき、

「ほう。お前が発案者だったのか、ブルー。賢いなあ」

不気味な微笑を浮かべた。
ミルダのユニフォームが冷や汗で真っ青に染まる。

「い、いえいえいえいえいえ僕はそんな…!ちょっとそんなこともありかな程度にしか……!」

ぶんぶんと顔の位置が一秒たりとも固定されない速度で首を振っていたミルダの肩に
甲冑に包まれた手が優しく置かれた。

「ブルー」

「は、はいっ!?」

大魔王がにこりと微笑んだ次の瞬間、

「くたばれぇええぃ!!!」

容赦のない一撃がミルダの脳天に落とされた。
声もなく崩れ落ちたミルダが倒れ伏せながら、俺のほうを見た。
口だけが動く。『な・ん・で…た・す・け・て・く・れ・な』

「良き来世を」

俺はミルダが言い終える前に、胸の前で十字を切った。ぱたりとミルダの上半身が伏せる。
たまにはスパルタだ。ある意味自業自得なところもあるしな。
そのとき、ガラガラガラっとけたたましい物音。

「阿修羅大魔王様!ボールをお持ちしました!」

「おぉ、でかしたぞパピヨン!」

パピヨンがバスケットボールが丸ごと入ったカートごと引きずってきた。
姿が見えないと思ったら体育倉庫まで取りに行っていたらしい。

「おぉい!ずっけぇぞ!」

隣のコートまで逃げ足を伸ばしていたベルフォルマが、立ち止まって叫んだ。

「ボールの数を増やしてはならぬというルールなどなーい!」

「ふぉんならこっちはこれで勝負ひょ!ギギギギ…!」

完全に開き直って叫ぶ大魔王の脇からアニーミが飛び出る。
両手いっぱいにサッカーボールを抱え、口にバレーボールをくわえていた。

「姉ちゃん!ナイス根性!」

ラルモがすかさずアニーミの口からバレーボールを外してやる。くっきりと歯型がついていた。

「顎が外れそうになったけどがんばったわ!」

「せやなあせやなあ、さすが姉ちゃんやなあ!」

目を輝かせながらボールに付着したよだれをアニーミの衣装でぬぐっているのがなんともラルモらしい。
二人はボールをそれぞれ持てるだけ折半すると、大魔王の元にどっと駆け出した。

「行くわよ!ブルーの仇ー!」

「デカイからって偉そうにすんなやー!」

こういうときの女は男よりよっぽど勇ましい。
あの大魔王相手に物怖じせず突っ込んで、超至近距離でボールをぶつけ合いだした。
小さな体でひょいひょいと動いて翻弄し、まるで巨象にたかるハイエナだ。

「うっしゃあ!加勢するぜ!」

真っ先に逃げた男がこぼれたサッカーボールを拾い上げ、援護射撃をはじめる。
俺も仕方なく加勢した。
四方八方から攻撃を浴びる大魔王が、腕で顔面をかばいながらうめいた。

「うぬう!多勢に無勢とは卑怯な!」

ちくちくと近くから遠くから集中砲火を浴びる大魔王がうざったそうに歯軋りし、首を後ろにめぐらせた。

「おい、毒物と戦闘員!おぬしらも加勢せんか!」

ボールの及ばないところでのんびり雑談をしていた二人が、これまたゆっくり顔を見合す。

「……。…いやあハハハ。私たち運動は不得意ですしねえ。ね、戦闘員A?」

「えぇ毒物さん。むしろお邪魔になってしまいますものね」

「ですよねぇ。逆に悪いですよねぇ」

「逆に悪いですよ。やめておきましょう」

のらりくらりと花見をしているような口調。大魔王の顔に青筋が浮き上がるのが見えた。
どうやら俺の人間関係ラインは運動が苦手なやつほど腹黒くなるシステムになっているらしい。

大魔王もやる気のない二人にはさっさと見切りをつけたらしい。
このままではいかんと周囲に目をくばる。
まず一番近くのセクシーローズに目線が止まったが、彼女のほうは大魔王を見ていなかった。
気付いているだろうに「あ、ハートが剥がれちゃったわ」などと自身のネイルを眺めながら
明後日の方向を向く。
さすがに哀れだ。ぜひとも後でフォローをしてやって欲しい。俺は同じ男としてそう願った。

大魔王は一瞬だけ博士に捨てられたフランケンシュタインのような顔をしたが、
次いで目にしたものを見て眼差しを変えた。
それこそが、今のカオスな状況の八割を担っている要素、観客たちであった。

「おい、お前ら!お前らも入れ!俺に手を貸せ!」

急に振られた客たちが、ざわっとさざめきたつ。

「いいから来い!」

強い口調で言われ、ふらふらと学生らしい少年たちが戸惑いがちに歩いてくる。

「お願いです!助けてあげてくださらない!?私では、どうしようもなくて……」

ローズが演技がかった口調で少年たちの手を取った。
実は、彼らこそがローズの肉壁係の顔ぶれ。
数秒の沈黙の後、気持ちのよいぐらい明朗な返事でボールをとりとり、反撃をくわえた。

「きゃっ!なによこいつら〜!」

「見物客や!あのおっさん、野次馬を味方に引き込みおった!」

形勢逆転、不利になったアニーミとラルモがボールに追われてその場から渋々離れる。
まったく、男ってやつは。我が身のことながら度し難い。

「おい、流石にやりすぎだぞ!」

たった一人。その場で唯一常識的な制止を試みた人物がいる。何を隠そうこの俺だ。
だが大魔王はボールを片手にアニーミを追い回し、聞く耳持たずに叫び返した。

「やかましいわ!応援を頼んではいけぬルールはない!」

「いーのよシャドウ!そっちがそういう考えならねぇ、私にだって…!」

アニーミが真っ直ぐ観客の群れにスライディング、一番間近にいた男性に無理矢理ボールを持たせる。
その背中側に隠れ、迫り来る阿修羅大魔王を指差し、

「さ、あんた投げなさい!光栄にも敵の親玉を仕留めさせてあげるわ!」

無茶なことを叫び、ぴゃっとその場から逃げ出す。
かわいそうに、矢面に立たされたその男性はいきなりのことに凍り付いており、
更に哀れなことに目の前には大魔王の見事な体格が迫りつつあったからたまらない。
うわっとおめいて検討外れの方向へボールを投げだしてしまった。
その先にいたのがまたもや運悪くやや柄の悪そうな高校生。
ボールを茶髪頭にくらって「なにすんだテメェ!」と男性にくってかかった。
少年の仲間がこぞって立ち上がり、その内ひとりが床にサッカーボールをたたきつける。

そのサッカーボールがこれまた数奇にも、そばに座っていたカップルの片付けかけの弁当箱を殴った。
ふたが裏返り、箸やバランが散乱する。男を威嚇していた少年たちが、あ、と振り向いた。
すかさずカップルの彼女のほうが立ち上がり、言葉も無くゆっくりとボールを拾い上げ、
少年の顔にぶつける。
瞬く間にその場でもみ合いがはじまった。
アニーミの一瞬の介入のせいで、とんだ茶番だ。


その逆側から、ぞろぞろと背丈の低い集団がやってきた。

「おーい!救援連れてきたで〜!後で一緒に写真撮らせたげてや〜!」

ラルモが数人のジャリども…失礼、小学生たちを引き連れて戻ってきた。
彼女は子供達の肩を抱えながら、腕を振り回して野次馬たちを指差し、

「ええか。あそことあそことあそこの人らは味方になりそうやから攻撃したらあかん。
あれとあれとあれは敵になりそうやから一発かましたれ」

何を基準に判断しているのか知りたいところだが、聞いたところで
「ん、テキトー」と返って来るのは自明の理なので
俺はあえて何も言わなかった。どうせどいつもこいつも俺の言うことを聞きやがらない。

俺はふいにどうでもよくなった。もう知らん。

そうなるとやることもないので、まだ伏せっているミルダの首に手をやり、脈を確認してみる。
よし、ちゃんと生きてるな。あぁよかった。


………………………………


以上。回想終わり。
俺が忘我の心地で事態を遠望しているうちに、状況はもっと悪くなっていた。
あれから十分。たかが十分でこの、地獄の釜の底に垂れた蜘蛛の糸すらもぎとって武器にするような
負けず嫌い対負けず嫌いの引くに引けぬ状況が出来上がってしまったわけである。
こっちが味方を増やせばあちらも増やし、駅前に隣あって立ってしまったデパートのように
対抗しあっての客取り合戦。
それでも人間いつの時代もグループは出来るもので、いつしか状況はむきになった観客たちが
勝手に自分の戦争を起こし、好き勝手暴れまわる結果になった。
俺たちの作戦は粉々に砕け散った上にとんでもない二次災害を引き起こしたというわけだ。

さて、ここで一息付かせてもらってもいいだろうか。
あれをだ。俺の大得意であり、癖でもあるあれ。

「……まったく」

深々と、ため息ひとつ、真夏の日。
国語の夏季休暇課題に提供してもいいぞ。


*********************************


場を見守って数分。喧騒も変わらず、熱気も変わらず。
立っているだけですーっと首筋を汗が流れ落ちる。
そんな地獄の釜の底で俺が何をしていたかというと。ただ、心の中で数字を数えていた。
300。この魔法の数字までに状況が動かなかったら、俺は行動を起こす気でいた。
すでに295までカウントしている。296、297、298…。

ふっと息を吐く。

「帰るぞ」

俺は唐突に踵を返した。
隣ではらはらと状況を見守っていたミルダが弾かれたように振りかえる。

「え!?ちょ、ちょっと…!」

俺は構わずに出口へ歩き出した。飛んでくるボールを無造作に叩き落とす。

俺はすっかり興ざめしていた。やけになって、すべてが本格的にくだらなく思えてくる。
自分でも不思議だったが、人間の心なんて元から不思議なもんだ。
自己分析は家に帰ってからゆっくりすることにしよう。
だが、三歩も歩かないうちに、ミルダが腕にすがってきた。

「待って!帰るって、どこに?」

手首を握って、俺の足を止めさせる。俺は目だけ振り返った。

「家だ。車で三十分。お前もよく知っている我が家」

「なんで」

俺はため息混じりに言った。

「10秒やる。俺たちの周りをよく眺めてみることだな」

ミルダは俺から視線を外さず、目を揺らした。
雨に濡れた子犬が助けを求めるような、お得意の顔。俺はこの顔に弱い。
意識的にやっているわけではないだろうが、そうだとしたら末恐ろしい。

だが、今回ばかりはほだされる気は起こらなかった。
俺はミルダの腕をあえて邪険に払い、

「俺はもう付き合いきれん。帰って、シャワーを浴びて、一服して、テレビを見る。
くだらんが、少なくともここに突っ立っているよりは建設的な時間の過ごし方だ。
心配するな。誰も気付かん。この騒ぎじゃな」

「僕は帰らないよ」

ミルダがかたい声で言った。

「お前がそうしたいならそうすればいい。終わりそうになったら連絡しろ。
一応閉会式には出てやらんとうるさいからな」

再び歩き出そうとした俺の腕がぐんと下がる。
見ると、ミルダがおもちゃをねだる子供のように腕にぶら下がっていた。
ため息が出る。

「この人たちをこのまま放っておくの?」

「俺にはどうにもできん。気が済むまでやらせるしかない。
夕飯を食って帰ってくるころには全員床にひれ伏しているだろうさ」

「でも…」

ミルダが口ごもる。ごにょごにょと言葉を濁らせた後、言いにくそうにつぶやいた。

「リカルドがいなくなったら、誰がこの場をまとめるのさ」

「俺の知ったことではないな」

「大人げないよ。27でしょ?」

「まだ27だ。社会に出れば三十路前の男なんて小僧もいいとこだ」

「そういう話じゃなくって!」

興奮した声が耳をついた。
藁にでもすがるように腕に手をからめ、小刻みに揺らす。

「僕のせいみたいなものじゃないか。放っておけないんだ。
こんなうやむやな戦いじゃ、どっちもスッキリしないよ。
最初はまともに試合をしてたんだから。きっと、大魔王が怒ってるのもそれだよ」

「そう思うならそう演説しろ。壇上にでも登って」

「僕が人前苦手なの知ってるでしょ?」

「だから俺にやれと?」

俺はぴしゃりと言った。ミルダが息をのむ。

「自分ではやりたくないから俺に押し付けるのか。甘やかしすぎたかな。
いいか、俺はお前のわがままを聞いてやるロボットじゃないんだ。
お前に都合のいい行動をとるためだけに生きているわけでもない」

真っ直ぐにミルダの目を見下ろし、冷たく言い放つ。
バイザー越しの青い目はショックに潤んでいた。ゆるゆると腕が外れる。
俺はそれを叩くように払った。

「なんでも俺に頼るな。たまには自分で考えて自分で働け」

言い捨て、歩き出す。一歩、二歩、三歩。

少し冷たすぎないかって?
教育的指導だ。最近は本当に甘く当たりすぎていたからな。
三つ子の魂百までと言うが、俺に言わせてみれば思春期の魂百までだ。たまにはビシっと言わねばならん。

俺はゆっくり五歩目を数え、振り返った。
ミルダは俺の後を付いてなかった。頭が胸に付くほどうつむいて、自分の爪先を見つめてる。

(落ち込みすぎだろう)

思わず笑いそうになった。わかりやすすぎる。全身で『僕、落ち込んでいます』と宣伝してようだ。
その姿を見ているうち、すうっと頭のどこか片隅に冷静さが戻った。

俺は2,3度咳をし、ミルダの前にとって返した。俺の足を見て、のろのろと視線をあげる。
まだ説教されると思って怖がっていた。眉が下がったままだ。
心の底に眠っていた”ドS魂”が呼び起こされそうになったが、そこはぐっと我慢して、

「お前は、本当にしょうがないやつだ」

ミルダの弱い目が不思議そうにまたたいた。
俺は両手を上げて、笑った。

「降参だ。思えば、あの雨の日から俺たちの関係はこうだったな。
お前は王様で俺は召使だ。たまには優位に立ちたくて、少し意地悪をした」

それに、とミルダの頬をつねる。

「確か俺は作戦参謀だったな。役割を忘れるところだった。作戦を考えるから作戦参謀だ」

俺は自分で言いながら、冷静さを欠いたことを恥ずかしく思っていた。もう少しで本当に家に帰っていた。
最後まで見守ると決めたはずだったのに、役目を放棄してしまうところだったのだ。

「それじゃあ…」

ミルダの目に力が戻る。再び、あの横着でさえある笑顔が広がる。
「泣いたカラスがもう笑った」俺はやつのバイザーを鼻まで下げてやりながら苦笑した。
ミルダがおたおたと位置を直す。俺はその肩をぽんと叩き、

「大きな音を鳴らす手段をもってこい。まずはそれからだ。
声を張り上げたところでやつらに聞えるとは思わんからな」

「う、うん!」

ミルダが一目散に体育館倉庫へ走り出した。途中、足を止めて駆け戻ってくる。
胸に銀色の頭が飛び込んでくる。きらきらした目が見上げた。

「大好きだよ、リカルド!愛してる!流石僕のハニーだね」

体の力が抜ける。こいつはロクな大人にならない。





ガコン、ガコンと気の抜けた音が体育館の端まで響き渡った。
半分をオイルに満たされた一斗缶の音色はたゆんだものだったが、それでも充分な大きさだ。
半数の目がこちらに注目した。抗争に必死になって聴力を失っていた残りの半数も、異変を察して注意を向けた。
俺はにぶい銀色の一斗缶を力の限り棒で打っているミルダに「もういい」と言って、演壇に両手を置いた。

「お忙しいところすまないが、耳を貸してもらいたい!」

俺は持てる限りの大声で叫んだ。それも、なるべく落ち着いた口調に聞えるように。
大騒ぎしているときはかえって冷静にしたほうが注目を集める。
全員が拍子抜けしていた。なんとかして彼らの意識を制圧してしまわねばならない。

「まず、言っておかなければならないことがある。
今このような状況になっているが、これは俺たちの本意ではない。
我々の目的は試合で決着をつけることであり、ボールを使ったストリートファイトじゃない」

俺は一呼吸おいて、壇上から全員を見回した。
ひとまず様子を見ているようだったので、続ける。

「俺たちがご大層な衣装で駆けずり回った数十分を、どうか思い出して欲しい。お前たちを……」

ふと『お前』は適切ではないかと思いなおす。
元々口がいいほうではないのでこういうときは苦労する。

「……あなた達を巻き込んだのは俺たちだ。だから、やめろとは言わん。好きなだけやってくれていい。
しかし、せめて俺たちの決着がつくまで休戦していただきたい。それが俺からの提案だ」

特に賛成も反対の声もあがらなかった。顔を見合わせて、小声で話し合いをしている。
たちまち、あちこちで起こった小さなざわめきが会場中に広がり出す。

俺は彼らがブーイングをはじめる前に、ミルダの手から鉄の棒を取り、ドーンと一斗缶を叩いた。
ミルダとは腕力が違う。鼓膜を直接叩くような大音声に、ざわついた会場が少し静まる。

「それにぃー!」

俺は喉が痛くなるほどの大声をあげた。今度はざわめきがぴたりと止まる。この場の全員の視線が俺を見る。
正直気恥ずかしいことこの上ないが、しかたがない。

「こんなことをしていても一向に決着が付かんだろう。体力が尽きるまでやりあうつもりか。
第一、そのうち怪我人が出るぞ。誰の監督責任になるんだ。俺はお断りだ」

はっきり言おう。後半が俺の本音だ。
そのとき、赤毛が壇上近くに駆け寄り、不満げに腕を振り上げた。

「ここまでやっといて、なに情けないこと言ってんのよ!こうなったらとことんでしょうが!」

「黙れ」

俺は持てる限りの低い声で言った。アニーミがむっと黙る。
威圧感を出すのはお手の物だ。昔はこれで飯を食っていた。

俺は鉄の棒を肩に担いだまま演壇から身を乗り出し、出来うる限り一人一人の顔を見詰めた。

「とにかく、一度頭を冷やすためにも仕切りなおしをさせて欲しい。
その後でどうしようが勝手だが、俺たちが決着をつけるまでの時間はくれ。
俺からは以上だ。異論があるやつはここに登って演説しろ」

俺は演壇から外れ、一斗缶を回収した後階段へ向かった。
感触はあった。一度も噛まなかったしな。
もう少し喋った方がよかったかと思ったが、わずかな時間でも中断させることが大切だった。
江戸時代の火事と同じだ。燃え移らないことが一番重要。打ちこわし万歳。
思ったより大きな音が出てよかった。注目を集められなかったら失敗していただろう。
一斗缶というのも意外とでかい音が出るもんだな。

俺はふと思い立ち、カルガモの子供のように俺の後ろをつけているミルダに振り返った。

「よくこんなものがあったな」

ミルダがぽやんと見上げた。
肩に担いだ鉄の棒を持ち上げてみせると、あぁ、それね、頷き、

「ちょっと貸してみて。え〜っと…たぶん、ここをこう…。ほら、出来た」

俺の手から棒を取っていじる。ややあって棒がシャコンと三倍ほど長くなった。

「バスケットゴールの高さを調節するやつだよ。高校の体育館倉庫にもあったんだ」

「それは?」

ミルダが引きずっている一斗缶を指差す。

「たぶん、ワックスが入ってるんだと思う。すっごく重たかったんだからね」

大儀そうに息を吐いたあと、デへへへっと笑う。

「なんだ、気持ち悪い」

「うぅん?ありがとうハニー。立派な演説だった。僕はリカルドに投票するよ」

俺は馬鹿、と言ってミルダの頭を小突いた。





「せっかくいいとこだったのに、見事にぶった切ってくれちゃったわね。
まっさか、あんたがあんな目立ちたがりだと思わなかったわ!」

コートの中央。アニーミが腕を組みながら、肩をいからせていた。

俺の大演説の結果、野生に戻りかけた闘争本能が萎えたのか、またはただたんに白けたのか、
観客たちは各々の位置に戻っていた。演壇に登って異議を唱え始める浮かれものもいなかった。
コートに散らばったボールを総出で片付けている最中、まだ険悪な雰囲気のグループもいたが、
おおむね試合前の状況だった。全員汗をびっしょり掻いている以外は。おかげで体育館中が汗臭い。

彼らがこの後再戦をするかどうかはわからないし、どうでもいい。
俺の関係のないところで好きなだけやって好きなだけ汗をかけばいい。
子供づれもいるんだ。怪我人が出るような馬鹿はしまい。

「俺は作戦参謀だからな。それらしい行動をとっただけだ。なあ?」

俺はへこんだ一斗缶を点検しながら、ミルダのほうをうかがった。
ミルダはニコニコしてうなずいた。

「顔あわせてニヤニヤしてんじゃないわよ!私はそういうねぇ、内輪話的なノリが大っ嫌いなの!
なんのつもりであんなことしたのか綺麗さっぱり話してもらいますからね!」

「まあまあ、落ち着きや姉ちゃん。確かにアレは尋常やない状況やったで。
スパーダ兄ちゃんなんか、あやうく乱闘騒ぎに発展するとこやったもん」

率先して小学生軍団を派遣していたラルモは、その部分だけ記憶喪失になったかのような口ぶりだ。

「うるっせぇな!本気でやるかよ。俺は有段者だぞ。素人相手に手ぇ出すもんか」

「ベルフォルマの辛抱をたたえるのは後にしてだ」

俺は言った。

「なんのために、と言ったな。なんのためもない。決着をつけるためだ。
あのままじゃ全てがうやむやになってた」

「大勢でわいわいできて楽しかったじゃない。お客さんも、見てるだけじゃ退屈だろうしさ」

アニーミがいかにも不満げに口を尖らせた。
だが、俺は分かっていた。本気で反論する気などないのだ。
いざ遊ぼうと思って靴を履いた子供がおつかいを命じられたときのように、一応反抗してみせているだけだ。

「いつ終わるか分からんだろう。全員へたばるまで待つつもりだったのか」

「私はそれでも一向に構わなかったわ。分かりやすくていいじゃない。
バトルロイヤルよ。最後に立ってたやつが勝ち。シンプルでいいわ」

別に、俺はそれでも構わなかったんだがな。

「それじゃ納得のできんやつもいるということだ」

さっきはミルダが望んだから動いた。
しかし、今になって思えば内心気にかかっていたのは悪者ンジャーの面子だ。
あいつらが調子にのったことは確かだし、どうにかまとめようと思えば大魔王がやればよかったのだ。
いくら頭に血が上っていようと、それはあいつの役目だったはずだ。俺より簡単に出来たはずだしな。

だが、まあ。一応事情を知っている者の一人として、少しぐらいやつに貢献してやってもいい。
やつらの納得する形で終わらせてやりたい。そう思うぐらいには、俺もお人よしだということだ。
あやうくキレて帰りかけたことはこの際置いておく。

そのとき、コートの向こう側から呼ぶ声が聞えた。大魔王が腕を振り上げ、招いている。
ミーティングでもするつもりなのだろう。俺は腰を浮かせ、ガキどもを見た。

「お前たちは来るな。また喧嘩になる」

ラルモがアニーミを、ミルダがベルフォルマを押さえ込むのを確認して、俺は立ち上がった。





「……話は大体分かったが」

俺は腕を組んで、悪者ンジャーの面々を見回した。

「本気で言っているのか?」

「俺はいつでも本気だ」

大魔王が不機嫌そうにうなった。まだ先ほどの騒ぎを引きずっているらしい。

「悪かった、言い方を変えよう。お前たちはそれでいいのか?」

「いいもなにも、それしかなかろう。これ以上時間を押したくはない。
公平で、なおかつ俺たちも貴様らも納得できる案はそれしかあるまい。ゴチャゴチャと文句をつけるな」

「つけていない。それでいいのかと確認しただけだ。後でクレームを言われても困るからな」

大魔王がぶすっと黙り込む。いい年して、純粋なほど素直な男だ。
ミルダが年をとれば、あるいはこういう風になるのかもしれない。想像したくないが。

「リカルドさんは心配してくださっているんですよ。こう見えて優しい人ですから」

戦闘員Aの柔らかな声が飛ぶ。

「コートの中で本名を呼ぶなよ」

「あ、それもそうね。コートの中でウッカリしないようにしないと。すみません、アサシンシャドウさん」

にこりと微笑んだ後、青い巻き毛がこっくり縦に揺れた。なんとも忌々しい。

「とにかく。お前らがそれでいいなら、こちらも異論はない。
どのような結果になっても後に遺恨は残さん。それでいいな?」

俺は大魔王を見た。彼はすっと目を細め、

「無論だ。せいぜい俺の名前が引き当てられんよう天に祈っていろ」



俺はコートの中に戻り、相手が提示してきた内容をかいつまんで説明した。
あちらとしても正規のルールに戻すことを望んではいるが、それには問題点があること。
まず、どこまで時間を巻き戻すかという話になり、毒物と戦闘員Aは正規のルールのころに討ち取ったので
考える余地はないが、問題は俺と大魔王とアニーミで、このうちの誰かを戻せばそれはそれで不公平になること。
いっそ三人を全員戻した後に正規ルールで再戦というのも考えたのだが、それでは時間がかかりすぎること。
大魔王はノーカンだし、こちらも相手に当てることができないのだから、どうしても長引く。
そうこうしているうちに観客が痺れを切らせて再びあの騒ぎに発展しないとも限らない。
だからここは公平に、くじ引きで選出した各一名のタイマンで早期に勝敗を決めてしまおうと…

「なぁにそれ!?あっちに有利じゃん!」

俺の言葉をさえぎって、アニーミが立ち上がった。

「もともと人数で勝ってたのはこっちよ。くじ引きたって、あっちが作るんでしょ。
全部大魔王って書かれてたらどうすんの。勝ち目ないわよ!」

「最後まで聞け。事前に全員でくじを改めるよう取り付けてきたから大丈夫だ。
くじを引く係りも観客の中から選ぶ。不正はできない」

できたとしても、やるようなやつらではないが。

一斗缶を指先で叩き、アニーミに座るようにうながす。
アニーミは座らなかったが、俺は続けた。

「あちらの立場で考えてみろ。この決断はやつらにとって苦しかったはずだ。
実際に働いていたのは大魔王とパピヨンで、他の三人は使い物にならん。
怖いのは大魔王だけだ。五分の一の確立でジョーカー、五分の三でスカだからな」

「それに比べ、こちらはほぼ全員がそこそこ動ける。
全弾こめた銃とロシアンルーレット用の銃で対決するようなものだ」

”ほぼ全員”と曖昧な言い方をしたのは、一重にミルダへのやさしさだ。

「あちらに有利などとんでもない。これ以上俺たちに都合のいいルールがあるか?
これを跳ね除けたら、次は本当にあちらに有利なルールを出してくるかもしれんぞ」

俺は四人の顔を見回しながら、彼らが言葉の意味を飲み込むまで待った。
異論も反論もない。俺はアニーミを見上げた。

「どちらにせよ一発でケリが付く。分かりやすくていいじゃないか。
分かりやすいのが好きなのだろう?アニーミ」

彼女は数秒だまっていたが、やがてすましたように目を閉じた。

「作戦参謀は口がうまいのね」

肩をすくめた後、ニヤっと挑戦的に笑った。

「いいわ、乗ってやろうじゃないの。本当のとこはね、最初っから思ってたのよ。
どうか私の名前を引かせやがれ、神様、ってね」


**************************************


百年以上も前。神は死んだ、かのニーチェは著作に記した。
アニーミにとっての神は今まさに死んだものらしい。
不機嫌絶好調な面持ちでぶすっと頬をふくらませ、腕を組み斜に立っている。

「本当にあんたって、私にとって疫病神なのね。神様は何を見てんのかしら」

家に住み着いた疫病神を脅すような目で俺を見る。
そんな目で見られたって、好きで疫病神になったわけではないのだからどうしようもできない。

「俺だって、お前の名前が引かれることを期待していた」

アニーミだけではない。ベルフォルマでも、ラルモでも、まあ俺以外のやつなら誰でもよかった。
しかし、今日という日は365通りの運勢でいうなら「あなたが一番目立つ日」だったらしい。
俺は”ブラックシャドウ”と記された紙片を見下ろし、ため息をついた。


くじを取る係はいかにも目立ちたがり屋といった様子の男子高校生になった。
彼に引かせる前に全員でくじを検分した。
アニーミなど麻薬捜査官のような入念さで数センチぽっちの紙切れを長い間にらみつけていた。
監査を終えたくじはミスター毒物の私物の筆箱に押し込んだ。
その筆箱、缶ペンだったんだが、これがもう汚いのなんの。
消しゴムのカスだの、蓋を閉め忘れたマジックの跡だの、鉛筆の削りカスだが散乱し、到底許せん有様だった。
俺が筆箱だったら三行半を叩きつけたあげく出家している。
なんの話だったか。あぁ、そうだ、くじのことだな。

で、そのくじ入り筆箱をパピヨンが少年に渡し、十数回振らせた。次に目を閉じさせ、ラルモが蓋を開ける。
雑用係を両チームから派遣したのは、不正がないようにとの配慮だ。
缶ペンの中に指が突っ込まれたとき、好き勝手に雑談をしていた観客が静まり返った。

好き勝手、というと語弊があるかもしれない。俺は彼らのことを勝手に観客と呼んできたが、
なんの前触れもなく仮装大賞よろしくな格好で乗り込んできたのは我々のほうなのだ。
そもそも金ももらっていないのに客とつけるのはどうだろう。
彼らも楽しんでいるようだから別段悪いことをした気にもなれなかったが。
成り行きとはいえ、よくもとんちんかんな男女四人組に加勢したり攻撃したりできたものだと思う。

ともかく。俺はこのとき少年の背中に”絶対に俺の名前を引くな”と神通力を送っていた。
そんな神がかり的な能力が俺に備わっていたか否かは先ほどの会話を見てもらえれば分かるだろう。
俺の願いは神だか仏だかに見事に却下され、同時にアニーミの願いも退けられた。


「リカルド、がんばって!リカルドなら絶対に勝てるよ!」

ミルダがやけに明るく声をかける。こいつは俺が目立てば目立つほど嬉しいらしい。
その肩を、ベルフォルマが意地悪そうに抱えた。

「バーカ、がんばるもなにも負ける要素がねぇだろ。持病の肺ガンが発作でも起こしたら話は別だけどよ」

俺は肺ガンなど患っていない。全身呆れるぐらいに健康だ。そもそも肺ガンは持病ではない。
しかし、ベルフォルマの言葉は間違ってもいなかった。
つまり負ける公算は限りなく低い。
それこそ、アニーミの理不尽な怒りに呆れた神が、じゃあめんどくさいからと俺を骨そしょう症にでもしない限り。

俺の対戦相手は戦闘員Aだった。
四人の仲間に囲まれながら、球の握り方はこうだとかフォームはこうだとか、今更講義を受けている。

件の男子高校生は悪者ンジャーの手札のうち、三枚潜んだジョーカーを引き当てた。
名を引かれた主は至極あっさりとした反応だったが、残りの四人はたいそう残念そうにしていた。
いや、ミスター毒物だけは大笑いしていたか。


「でも、油断大敵なんちゃう?色仕掛けにハマらんようにせんとな」

とぼけた顔でラルモが言った。
彼女は俺と戦闘員A――の中身――の関係を知っているのだろうか。
ラルモなら何もかも知っていそうな気もするし、わざと知らずにおいて楽しんでいる気もする。

「ありえんな。ベルフォルマじゃあるまいし」

「名誉キソン的なこと言ってんじゃねぇ。俺がいつ鼻の下伸ばしたってんだ。
少なくともおっさんに言われるいわれはねぇぞ」

不愉快そうな声を上げた主を、アニーミが肘鉄砲で突き飛ばす。

「どの口で言うわけ?海で胸がおっきい子が通るたびジロジロ見てたじゃない。
あんたのせいで、私たち陰でクスクス笑われてたんだからね。恥ずかしいったらないわ」

ライフセーバーと浜辺で口論しあうこと以上に恥ずかしいことなどない思うのだが、
自分が起こした事件については頭にないらしい。

「い、言い過ぎだぜそりゃ。そんなにジロジロ見てはいねぇよ」

「あら。それじゃあ見てたってことは否定しないのね?」

アニーミの意地悪い笑みに、ベルフォルマが忌まわしそうに舌打ちした。

「お前は絡み方がねちっこいんだよ!この蛇女!」

「私が蛇ならあんたはミジンコね!心の広さも器もミジンコ並!」

「そのへんにしとけ」

俺は口喧嘩がまだ初期段階のうちに割って入った。
やらせておいたらいつまでもやるからな、この二人、いや、このガキどもは。
びっくり大家族の長男になった気分だ。ハスタがいたら過労死してる。入隊させなくてよかった。

だが、そんな疲労とも、もうおさらばだ。
あと五分かそこらで全ては終わる。

解散になって、はいさよならとばかりに散り散りになる四人でもないだろうが、
俺に関して言えば、託児所の先生的気苦労はここらでお開き、解放されるのだ。
妙な衣装を脱いで、ただの社会人と高校生と中学生という肩書きに帰る。
夢見心地の作戦会議やら特訓やらではなく、勉強や部活や学校生活に戻る。
俺にとっては分かっていた終わりだ。こいつらはそれを知って、どう思うだろう。

俺はガキどもの顔を見た。
この夏の、たった一週間かそこらで、彼らは――悪者ンジャーの狙い通りに――変わったのだろうか。

「お前らは、代表して戦いに行くチームメイトにかける言葉すらないのか?」

まだ不機嫌そうに体を揺すっていたベルフォルマの動きが、ぴたりと止まった。
顔はあいかわらずマスクに覆われてうかがえなかったが、おそらく不敵に笑っているんだろう。

「やっちまえ。遠慮するこたねぇ」

「一発でかいのカマしたれ」

「私たちの勝ちに相応しいのをね」

ラルモの言葉を受けて、アニーミが続いた。
俺はミルダを見た。ミルダはこくりと頷くと、しっかりした口調で言った。

「やっちゃって、リカルド」



「あなたと私が選ばれるとは思いませんでした。なにかの因果でしょうか」

コートの中央で、ボールを持った戦闘員Aが囁きかけた。
周囲に人はいない。マスクから覗いた瞳は、二人だけの秘密を語る童女のような色だった。

「誰と誰が選ばれても因果だ。俺とお前に限ったことじゃない」

そっけない返答に、戦闘員Aは鈴が鳴るような笑い声をあげた。

「運命、ってロマンチックな言い方したほうがよかったかしら」

「あいつは知り合いか?」

俺はコートの外に退避したミスター毒物を目で示した。
戦闘員Aは少し逡巡する素振りを見せたあと、

「まあ、隠し立てしても仕方がありませんね。親類です」

「どおりで似ていると思った」

容姿はともかく、こっそり毒素満載な性格が。俺はあきれた。
苦々しい思いが顔に表れていたのだろう、戦闘員Aはまた笑った。

「運動音痴なとことかそっくりでしょう。でも、どうしてそんなこと聞くんですか?」

俺は答えなかった。彼女はボールを両手で持ち、首をかしげた。

「おーい!コソコソ話すなー!とっとと始めんか!」

大魔王から喝が飛ぶ。
もう不機嫌な刺々しさはなかったが、もたもたしてると再発するだろう。

「後で話す。さっさと済ませよう。怒鳴られるのはもうごめんだ」

戦闘員Aは悪戯っぽく笑うと、丸めた拳を突き出した。

「同感です。いきますよ。ジャン、ケン…」

ポン。
俺がパー、戦闘員Aがチョキ。彼女の勝ちだ。
戦闘員Aは手に持ったボールを抱えなおすと「ジャンケン勝負にしてくれたらいいのに」と愚痴を言った。
ボールで口元を隠し、愛らしい仕草で小首をかしげる。

「女だろうが容赦はせんぞ、って言います?」

俺は、言うな、と答えた。

「女だろうと手加減はせん。お前も、せめて本気でやれ」

戦闘員Aは、運動は苦手なのになあ、と観念したように呟いた。


白線テープで区切られた自陣と敵陣のそれぞれ真ん中で、俺と戦闘員Aは向き合った。
俺の後ろ、本来なら敵陣の外野にミルダたち、あちらには大魔王たちが揃って立っている。
その周囲をぐるりと観衆が取り囲んでいた。ざわめきはあるが、はやしたてる声も野次もない。
一様に佳境に入ったスポーツを観戦する緊張した面持ちで見守っていた。

戦闘員Aが、ゆっくりボールをバウンドした。
床を打つ音が十数回。その間中、彼女は真剣な面持ちだった。
きゅっと引き結んだ口、額から垂れ落ちる汗。マスクからのぞく真剣な目が睨むように俺を見ている。
彼女がこんな真面目な表情をするところなど見たことがない。

いや、あったか。
仕事中、銀色の器具やチューブを持つ彼女の顔は、真剣そのもの……

「さぁあああああああああ!!!」

勇ましい雄たけびに、思考が分断された。
戦闘員Aの姿がどんどん近くなる。コートのぎりぎりでブレーキをかけ、球を振りかぶる。

意表を付いてのことだろうが、俺は動じなかった。
俺の平常心が並外れていたからではない。単純に動作が遅かったためだ。
投げたボールも直線というよりほとんど山なりコースで、気合のわりにはお粗末だ。
運動音痴なりにがんばったんだろうがなあ。

「よっと」

俺は難なくボールを止めた。止めたというよりは受け取ったといったほうがいいぐらいだったが。
戦闘員Aを見ると、慌てて手足をばたつかせながら後じさりしていた。焦る様子は年相応だ。
この分だとそう早い球を投げることもない。思ってたよりあっけなく終わりそうだな。
足にでも当ててやろうとボールを持つ手を後ろに引いたとき、いらんことを言うやつがいた。

「シャドウー!必殺技叫んで〜!」

ミルダが黄色い声をあげた。勢いをくじかれて、床を滑ってずっこけそうになる。
こらえた拍子に指先から球がまろび出そうになり、俺はミルダを睨んだ。

「さ、叫ぶことによって最大筋力が発揮されるって、科学的にも立証されてるんだよ…!」

ガキの妙なウンチクほどうざいもんはない。

「あぁ、でもそりゃ分かるぜ!剣道でもよぉ、声出しが重要だったりすんだよ!」

ベルフォルマが他意なく同調した。

「確かにそうよね!だいたい必殺技がなきゃ戦闘モノとは言えないわ!」

「ってことや!おっちゃーん!必殺技必殺技〜!」

どうやらマズイことになったらしい。
コードネーム通りに、影でこっそりひっそりサポートする役目でいたかったのに。

「必殺技!」「必殺技!」「あっそーれ!」「必殺わーざ!」

観衆までも口々にはやしたてだした。必殺技コールの合間に手拍子まで入れている。
なんだかな…。

まあいい。発つ鳥跡を濁さず。最後くらいサービスしてもいい。
ガキどもがすっきり結末を受け入れられるようにも。

俺は居住まいを正した。やると決めたからには徹底的にだ。
戦闘員Aをビシッと指差し、出来る限り高らかに叫ぶ。

「一撃だ!」

一瞬場が静まり返り、あ、はずしたか、と冷や汗が出る一秒前、わーっと喝采が起きた。
うん、これは少し気持ちがいいかもしれん。
いわずと知れた、プロレスのマイクパフォーマンスを真似したのである。
ブラウン管の中のプロレスラーは「一分だ!」と叫んでいたが、一分も飛んだり跳ねたりする気はない。

雰囲気に押された戦闘員Aは、かわいそうなぐらいびくびくしていた。
人を丸め込む弁舌を持つ彼女だから、希少価値が高い姿だ。気分がいい。

しかし、なんと叫んだものか。
スーパーダイレクトボールだとか超轟速弾だとか小学生レベルのネーミングしか思い浮かばない。

――あぁ、あれでいいか。

以前ミルダがやっていたゲームで、俺と同姓同名のキャラクターが使っていた技。
ミルダはそのキャラクターがすこぶるお気に入りだった。

「エンシェントトラジディ!!!」

直訳すると古代の惨劇。意味は分からないがすごそうだ。
俺はE・トラジディを怒鳴りながら、手ぶらの腕をあたかもボールを投げるように動かした。
戦闘員Aがひゃあっと叫んで目をつむるのを見届け、下手からすくうような動きでボールを放った。
ぼん、と戦闘員Aの太ももに軽くボールが当たる。
威力を失ったボールがころころと、ワックスの効いた床を転がる。

俺は両手を腰に当てて、顔をうつむかせ、静かに笑った。
よし、キメ台詞だ。

「よき来世…」

「いよっしゃああああああああああああ!!!」

「やったぁあああああああああ!!!」

「うっしゃああああああああああああ!!!」

キメ台詞が掻き消える。
駆け寄った仲間たちが、俺の肩や背中を痛いぐらいにバンバンと叩きまくるせいで、俺はよろけた。
観客も一緒になって飛び跳ねていた。楽しそうな、嬉しそうな顔、顔、顔。
ギャルっぽい派手な女子高生たち。目立ちたがり屋の男子生徒グループ。小生意気な小学生。
弁当を突付いていたカップルに、柄の悪そうな少年たちと、家族連れ。
普段街ですれ違う人種の、こんなことでもなければ見る機会などなかった笑顔。

ミルダを見る。
半分涙を浮かべながら、しかし見たことがないほど楽しそうな顔で笑っていた。



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