ぱん、ぱん、ぱん、と乾いた音が響き渡った。 見ると、甲冑姿の阿修羅大魔王が手を下ろすところだった。 異装の男が甲冑の隙間から湯気を出しながら歩み寄ってくる様子は、一層異様なものだった。 「見事なり!お主らの勝ちだ!」 ぼんやり床に座り込んでいた戦闘員Aがはっとして腰を浮かせた。 大魔王が彼女の二の腕を掴んで立つのを手伝ってやる。 戦闘員Aは申し訳無さそうに、大魔王の後ろに並んだ悪者ンジャーの面子に頭を下げた。 「すみません…。やっぱりダメでしたね、私じゃ。皆さんには悪いことをしました」 大魔王がその頭に、ガチャコラと手を置く。 「いや…、謝ることはない。お前はお前なりにがんばったのが見ていて分かったぞ。 我らの代表として、正々堂々たる勝負を完璧に果たしたのだ。胸を張れい。」 目じりの勾配がきつい瞳がこちらを見る。 「さて、イノセンス戦隊の有象無象どもよ。勝利の味に酔いしれるのもいいが…」 俺、ミルダ、アニーミ、ベルフォルマ、ラルモと見て、最後に俺に視線が戻った。 「ふん。俺は俺の仕事をせんとな。ローズ!」 セクシーローズが、将軍付きの小姓のような仕草で黒塗りの竹刀を差し出す。 塗装の荒いおそまつな聖剣――いや、今は魔剣なのか――も、それなりに見えた。 雰囲気補正200パーセント超の竹刀を掴んで振り上げ、大魔王は高らかと叫んだ。 「これにて!イノセンス戦隊VS悪者ンジャー第三次抗争終了、およびぃ! 悪者ンジャー解・散・を!宣言するッ!!!」 一瞬、しーんと静まり返った後、 「え、えぇーーーーーー!?」 「ど、ど、ど、どういうこと!?」 「おい、解散ってあの解散かよ!?」 大魔王の雰囲気に呑まれていたミルダたちが、一気に色めきたった。 観客たちは当然意味もなにもわからないからぽかんとしている。 「海産物の海産やないことは確かやな」 ラルモだけは何を考えているか分からない、いつものとぼけた顔をして言った。 その頭をアニーミがぽかりと殴る。 「いちいちうまいこと言おうとすんなってのよあんたは!…って、そんなことより!」 大魔王を睨み付けながら、眉尻を上げる。 「どういうことよ。まだ2,3回しか戦ってないでしょーが」 確かに、これが朝8時から放映される特撮番組なら異例の打ち切りスピードだ。 大魔王は、まあ聞け、と身を乗り出したアニーミを片手で制した。 「何を隠そう、今宵がタイムリミットだったのだ。我らには時間がなかったのだよ」 「はあ!?なんじゃそら!そんな理由…」 アニーミがざっと仲間内の表情をうかがった。 ミルダとベルフォルマは言葉を失っており、俺とラルモはそもそも周知のこと(もうそう考えてもいいだろう) なのだから、アニーミ以外に誰も異論を申し立てる雰囲気はない。 一瞬にしてその空気を読み取ったのか、あるいは役立たずだと判断したのか、 アニーミは孤軍奮闘、単独抗議することに決めたようだ。 「そんなくっだらない理由で一方的に終わらせるわけ?私らはどうすりゃいいのよ! 悪者がいなけりゃヒーローってのは成り立たないでしょうが! 魔王のいない勇者、セフィロスのいないFF7みたいなもんよ!」 アニーミが顎をがくがくさせて叫ぶ。 ここでさりげなく制止を入れるのがミルダかラルモの役目…なのだが、動く気配がないので、 「落ち着けアニーミ。まずは話を聞こう」 今度は俺が制した。 「そうしてくれるとありがたい。まあ、我らにも多少、多少だが、貴様らに悪いと思う気持ちもある」 大魔王は一旦咳払いをし、竹刀の先を床につけて居住まいを正すと、「理由を話そう」 「もともと、この治安の整った国で活動するのには限界があったのだ。 この日本は世界でも有数の法治国家。我らがいかに人知を超えた力を持とうと無理がある。 パトロンも一つ離れ、二つ離れ…。はっきり言おう。我々悪者ンジャーは資金難だったのだ」 マスクの間の目がふっと遠くなった。 「ならばいっそ起死回生、当たって砕けろと派手に悪の花を打ち上げ一発逆転を狙ったはいいが、 まさか貴様らのような正義の味方がいるとは露にも知らず…。度重なる戦いにも敗北し、もはや万策尽きた。 今日のことが知れたら我らの悪者としての立場はない。いずれ倒産しよう。 二度と歴史の表舞台には現れることは出来んだろう」 変なところが妙にリアルなようなうさんくさいような。どいつが考えたんだろう。 そう思って悪者ンジャーの面子の表情を追ってみたが、一様に沈痛そうな面持ちをつくろってうつむいていた。 「まあ、我々のような極悪な組織を倒産に追い込んだのも、一重に諸君らの功によるものであって。 ……もちろん、この場に集ったその他の勇者たちも素晴らしい働きだったぞ!」 取ってつけたように観客に向けてマントを広げる。 一瞬の間を置いて、呆気に取られていた観客がわーっと沸いた。今や箸が転がっても喝采が起こるテンションだ。 大魔王は満足げに、うむ、と頷くと、 「悪の組織は壊滅し、このイノセンス横丁の平和は人知れず守られた。 今後二度と大衆の前に姿を現さぬことを誓おう。よって、諸君らの任務もこれにて終了である。 だがそれとて、貴様らの功が消えてなくなるというわけではないぞ。 仲間と共に平和を守ったというかけがえのない真実を胸に、各々の日常へ戻るがいい!」 もっともらしいことを言っているが、要するに『金がないからもう無理』ということだ。 これからが勝負だと思っていた者にとっては、”大作と見込んで購入したRPG”が ”15時間でクリアできるボリュームのRPG”だったガッカリ感だろう。 しかし、アニーミもベルフォルマもあんまりな理由に拍子抜けして何も言わなかった。 それとも、悪の組織が解散すると言っているのに文句を言う正義の味方もなあ、という心情だろうか。 「あ、あのう…それはまあ、それでいいんですけど」 誰もが次の言葉を言いあぐねている中、ミルダがおどおどと前に出た。 この青タイツ少年は意外にもあっさり事実を受け入れたらしい。 大魔王が、言ってみろ、というように顎をしゃくった。 タイツ少年がごくりとつばを飲み込んで、一旦喉を湿らせる。 「これからどうするんですか?」 注目を浴びているせいか、少し声が震えている。 「だから、日常生活に戻れと言うておる」 「いや、あの、僕らはそれでいいんです。僕が言ってるのは、あなたたちのことで…」 「我々のこと?」 大魔王の口元が怪訝そうに歪む。 はい、とミルダは頷いた。 「あの…職とか。悪の幹部って経歴があったら色々大変なんじゃないのかなと思って。 会社も倒産するんでしょう?不良債権とか…。社長は大魔王さんですよね?自己破産……ですよね?」 ミルダの眉が心底心配げに下がった。 反面、大魔王の顔には動揺が走った…ように見えた。 「僕、親戚のおじさんが自己破産しちゃったことがあるので、少しだけどつらさは分かるつもりです。 大丈夫なんですか?いや…大丈夫じゃないですよね。なんだか、悪いことしちゃったな…。 知らなかったとはいえ…。こんなことになるならもっと他の方法を考えたんだけど…。 あの、僕がこんなこと言うのもなんだけど、ごめんなさい。…って、謝るのも失礼ですね。駄目だな、もう…」 一人でまくし立てて一人で落ち込んで、あげくのはてにはがっくりと肩を落としてしまった。 「ぬ、ぬぅ、そ、それは…」 そんなところまで突っ込みが入るとは予想していなかったのだろう。悪者ンジャーたちがたじろいだ。 故意の追求ならどうとでもはぐらかせるだろうが、あいにくこのミルダは心の底から奴らを心配しているに違いない。 こいつはいつもこうなのだ。ふやけているように見えても、腹の底は常に真面目だ。 笑っているときも、落ち込んでいるときも、俺にふざけたことを言っているときも。 だからこそ始末におけないし、こいつ相手だとどんなことでも許してしまう、いわゆる”流されて”しまうのだろう。 それがこいつにとって良いことか、悪いことかはさておいて、動かしがたいルールのようなものだった。 本当に。 良い事なのだろうか。悪いことなのだろうか。 俺はとんでもない間違いをおかしているのではないか、と時折思う。 そうなると決まって、ミルダと特別な関係になって以来、腹の底に溜まっていた澱のようなものが頭をもたげる。 後悔や不安とは違う、限りなく似ているが違う、なんとも形容しがたい感情が胸にのぼってくるのだ。 「ブルーくんは優しいのですねぇ。しかし、ご心配にはおよばずです」 ぐだぐだと重なり出した俺の思考を分断するように、ミスター毒物が鷹揚な声を出した。 顔を上げて奴を見ると、いかにもやれやれ重い腰を上げてやった、という仕草で指を組んでいた。 「何を隠そう、すでに身分証明書の偽造は済ませているのですよ。 債権もございません。もともと我らは悪の組織、非合法な存在です。融資もなにもあったもんじゃないです。 元々悪い事をしたお金で運営していた会社ですしね。不良債権など発生しようがないのですよ」 猫背気味の寝癖男は顎に手をやると、うぅん、とうなった。 俺はその仕草を、『あぁ、もうちょっと作ったほうがいいかな』と考えているように読み取った。 「そうそう。善良な市民から巻き上げた金銭も、ビルや土地の売却等でまかないましょう。 過去に遺恨は残しません。立つ鳥後を濁さず。えてして悪者というものはすっきり消えてなくなるものです。 まあ、これについてはそう重く考えず、我々がシャバに戻るケジメとでも思ってください」 俺は半ば呆れていた。前から考えていたにしろ今思いついたにしろ、次から次へと口が回るものだ。 毒物はゆっくり振り返ると、大魔王以下悪者ンジャーの四人を見回して笑顔を浮かべた。 「今後の身の振り方も、それぞれ考えておりますゆえ。ねぇ?皆さん」 薄く開いた目が見ている先、大魔王がびくりと肩を揺らした。 「お、おぉ、その通りだ。うむ。一介の営業サラリーマンとしてひっそりと生きてゆくさ」 「はいそうですか。あぁ、もちろん戦闘員Aも考えてますよねー?」 いきなり水を向けられた戦闘員Aが、下げていた両手を胸の高さまでびくんと持ち上げた。 「ひゃ、ひゃい!?」 「どうしました?戦闘員A?あなたはどうするのですか?当然考えてありますよね?」 俺はやつの柔和な笑みとのんびりとした口調の裏側に、サディスティックなものを見た。 「あ、え、えーっと…!そ、そう、OL!OLとして生きていきます! だ、大丈夫ですよ、お茶組みは得意だし、簿記二級持ってるし…」 見るだに汗の分量が増えている彼女は、セクシーローズを助けを求めるように見た。 「ロ、ローズさんは?」 「わ、私ですか?う、うぅん…」 セクシーローズは斜め上に視線を持ち上げて、そのまま固まってしまった。 指先で宙をかき回し、なにかいいアイディアが脳髄から飛び出してくるのを待っている。 今まで矢面に立つことを知らなかった女王様は、アドリブに弱いらしい。まさか教師と言うわけにもいかないしな。 「ローズ殿、どうなさったのです?まさか、何も…。戦闘員Aですら考えていたのに…。 あぁ、いえいえ。”あの”才色兼備で知られたローズ殿に限ってそのようなこと。失礼しました。 不躾な予断を向けてしまったことをお許し下さい」 毒物は”あの”の部分をやけに強調した。こうなったら毒物無双、やりたい放題である。 ローズは一瞬憎らしげに確信犯野朗を睨んだが、それが脳の新たな部分を刺激してアイディアが出たのか、 ぽん、と手を叩いて音を鳴らした。 「ホ、ホホホ!私は一介の主婦として生きていきます!毎日お味噌汁でも作っているわ!」 さあ、私は言ったわよ!パピヨン!」 美貌を汗でダラダラにしたローズが、パピヨンにタッチした。 「私は一介のフリーターとしてやっていきます。資金を溜めて、いつか文学系の大学に行くつもりです」 彼女はさすがに数多の艱難辛苦を乗り越えてきたせいか冷静で、すらりと答えた。 パピヨンが遠慮がちに毒物に視線を向けた。 「私は一介のニートです。実は副業で蓄えた貯金がありましてねぇ。さて、一日中ネットでもしましょうか。ハハハ」 毒物は鷹揚に笑って、用意していたであろうことを言った。 「う、うむ!毒物はともかく、他の四人はすでに身を預けるところが決まっておるのだ! 分かったか、イノセンスブルー。お前が気に病むことなど一つもないのだぞ!一つも!」 ミルダが、はあ、と気の抜けた返事をした。 「ともかく、そろそろ我らは退場させてもらうぞ!異論がなければ失礼する!」 大魔王が、ざっと俺たちを見回した。 異論といわれても、俺にとっては知っていたことだし、ラルモとミルダに関しては聞くまでもないだろう。 アニーミとベルフォルマは、二人でごそごそと話し合っていたが、抗議を申し立てる雰囲気でもなかった。 たっぷり十数秒は待った後、大魔王が竹刀を担ぎなおした。 「ないようだな。では、我らはこれにて失礼する」 衆人があっけにとられている間に、悪者ンジャーたちはさっさと体育館の出口へ引き上げていった。 毒物が去って、戦闘員Aが引っ込んで、パピヨンが、ローズの姿が玄関のガラス戸の向こうに見えなくなった。 やけにあっさり引き取ると思ったら、ここは目立ちたがり屋の大魔王、去り際に竹刀を振り上げながら振り向いた。 「勇猛果敢な戦士たちよ!忘れるな!我々を退けたのは経営難ではない! 貴様の努力・友情による勝利だ!これにて、あまねく騒動、一件落着なり!!!」 くるりと背を向けた拍子に、マントが大きくふくらむ。 竹刀を持っていないほうの手で、びしっと親指を突き上げた。 I'll be backとでも言い出しそうな雰囲気だが、それとは正反対のことを、やつは言った。 「さらばだ……」 哀愁のある余韻を残して真っ赤なマントが出口方面に消えた。 演出が功を奏したか、舞台の最終公演後のような爆発的な拍手が巻き起こる。 「…………ハ、ハハ…」 ミルダが苦笑いをして、頬を掻いた。 「お、終わり?……ほんとに、これで終わり?」 「主役って…俺たち、だよな…?」 アニーミとベルフォルマが、肩を付き合わせて途方に暮れていた。 その斜め後ろで、ラルモがそっとため息を吐いた。 「…おっさんたち、目立ちすぎ…」 「正義の味方が引き立て役になる時代…か」 最後に俺が締めくくると、全員床に座り込んで、ドロドロに疲れた体を弛緩させた。 こうして、ドッジボール勝負は幕を閉じた。 同時にイノセンス戦隊、約半月の短い歴史も。 |