We are THE バカップル34
34



打ち上げが終わったのは、日もとっぷり暮れてからのことだった。
菓子とジュースと揚げ物中心の惣菜で腹を満たしてうつらうつらと船を漕ぎ出したガキどもを追い出し、
ミルダを寝室に放り込み、ゴミ袋やらプラスチックケースやらが散乱する部屋を片付ける前に。
俺はある人物に電話を入れた。
オリフィエルだ。
やつにしては珍しくワンコールで出た。
まるで俺から電話がかかって来ることなどお見通しだったようなタイミングだ。
だから話し込むまでもなく、今日中に近所の居酒屋で落ち合うことが実にすんなりと決まった。

約束の時間までまだ余裕がある。
とりあえず外着に着替えた後、部屋中を縦横無尽に飛び散ったゴミを片付けることにした。
「宴の後」という題目で写真を撮ったら賞がもらえるのではないかと思うほど、判を押した見事な散らかりぶりだ。
燃えるゴミをいっしょくたにビニール袋にぶちこみ、床に散った食べかすを粘着テープ付きのコロコロで除去する。
少しずつ部屋が片付き、少しずつ馬鹿騒ぎの余韻が消えてゆく。
本当に全てが終わったのだという実感が、身に染みとおっていくようだった。


そもそもの発端はなんだったか。
あの日。いつもと変わりない一日になるはずだった。
それがミルダの誘拐騒ぎなどに発展して。
スーパーの出口でアニーミに胸倉をつかまれて、嫌というほど揺さぶられた。
そうこうしているうちに、ベルフォルマがバイクで滑り込んできて、ラルモはそんなときもマイペースで。
いかがわしい怪文書の内容を追って辿りついた空き地にはすっとんきょうな四人組が待ち受けていて。
口に上らせるのも恥ずかしいコードネームをいただき、そうしてなしくずしに舞台の上に立たされた。
作戦本部なんて名目を付けられた俺の家がガキども溜まり場になったのもそのころだ。
大した接点も持っていなかった五人が毎日のようにつるんでいたのだから、不思議なものだ。

ガキどもの悩みを聞いて、ときには俺が彼らに教えられて。
本気で怒ったこともあったし、それ以上に笑った。思いもよらないことも沢山あった。
ハスタが出てきたときなど本気で驚いたものだ。
あれはクイズ大会があった日だったか。あのぐだぐだなクイズ大会。
あの後。キムチ鍋を囲んで、コスチューム製作のために採寸を取られて。
ドッジボール勝負でも紆余曲折あった。
今日のことなのに、まるで数年前の出来事のように感じられる。

そういえば、強化合宿と称して海にまで行った。
海水浴のために水着を買ったなんて、何年ぶりだっただろうか。
調子にのったミルダとベルフォルマが妙な水着を持ち出してきたり。
海難事故と間違えられてライフセーバーを出動させてしまったり。それから。
それから――。

「年のせいだな」

軽くかぶりを切る。
らしくない。
こんなのは、ガキどもの役割だ。
舞台に片足だけ突っ込んだ、しかも中途半端に脚本を見た役者がやることではない。
あくまで主役はあいつらで、俺は役者を演じる楽しさとシナリオを演出するやりがいを両方手にする代わりに、
手放しで思い出を綺麗なまま保存する権利を、放棄したはずなのだから。

あらかた片付いたリビングは、元の姿よりがらんとして見えた。
誕生日会が終わって散会する友人を見送るときような、幼稚だが純粋なものさみしさ。
床に転がったジュース缶を拾い上げる。軽かった。
本当に、宴の後だ。


缶の底に僅かに残った得体の知れない液体をシンクに捨てていたとき、やにわに寝室のドアが開いた。
見ると、寝巻き姿のミルダがぼんやりと立っていた。いつもは竹のように真っ直ぐな背筋がたわんでいる。
とろとろと壁を辿っていた目がキッチンの片隅に立つ俺の姿を見つけ、ふらふらと近寄ってきた。

「…起きたのか?」

「んー…」

曖昧な返事が返る。
我ながら愚かな問いだ。立って歩いているのだから寝ているわけがない。
なぜそんな間抜けな問いをしたかというと。若干焦っていたからだ。
俺は今、外出用の服を着ているわけで。
ミルダに何も言わずこそこそと外出する気だったのだと知ったら、いい気はしないだろう。
まさか起きるとは思っていなかったから、うまい言い訳を考えていなかった。

しかしミルダは問い詰めるでもなく、ゆるく腕を組むと、無言で冷蔵庫にもたれた。
その態度の違和感に、俺は水道の蛇口を締めて後ろに首をめぐらせた。

「どうした。目が覚めたのか」

返事はない。

「おい」

もう一度声をかけてみたが、やはり答えは返ってこなかった。
返事がないならどうしようもない。
とりあえず放っておいて、中断した洗い物に取り掛かることにした。
蛇口から漏れ出す水流がシンクを叩く音だけが響く。斜め後ろにミルダの気配だけを感じる。
妙な雰囲気だ。
水切りに五つほど缶が溜まっても、ミルダはまだぼうっとつっ立ったままだった。

「……」

本当に夢遊病者じゃないだろうな。
その場合何科に連れて行けばいいのだろう。

「…寝てるのか?」

「起きてる」

耐えかねて訪ねた質問に、今度はちゃんと答えが返ってくる。
微妙に喉にからんだような声をしていた。寝起きの声だ。

「冷蔵庫はベッドじゃないぞ」

「トイレ」

会話がかみ合っていないぞ。皮肉を込めて言ったつもりだったのだが。
トイレ。この短い三文字の言葉から推理すると――などともったいつけるまでもなく。
今しがた寝ていたが目が覚めたのでついでに排尿衝動を片付けに行く途中、と容易に推測できる。
少なくとも洗いものをする俺の背中を冷蔵庫に寄りかかって眺めるためだけに起きたということはないだろう。
今まさにそんな状況なわけだが。

「トイレはあっちだ、お嬢さん」

俺は廊下の奥を顎で示して、最後の缶の中身を注ぎ、蛇口を締めた。
ぴたりと、音がなくなった。
よく耳をすませばベランダの室外機が働いている音が聞えるが、それだけだ。
ミルダは無表情で、ぴくりとも動かない。
初めて、この楽天家でのん気な少年のことを、不気味だと思った。

(なんなんだ、一体)

なぜか無性に腹が立ってきた。困惑しているのかもしれない。
いっそ怒鳴りつけてやろうかと思った間際、ミルダが口を開いた。

「片付け、手伝えなくてごめんね」

面食らった。
頭の中から怒りの成分が消えて、困惑が台頭する。

「何を。今更」

本当に今更だ、と思うと同時に、安堵が広がる。
不気味だと思っていた無表情も、今なら申し訳無さそうに顔を強張らせているように見えるから不思議だ。
俺は冷蔵庫のわきに吊るしてあったハンドタオルを取り、手を拭きながら笑った。

「食うだけ食って、散らかすだけ散らかすのがお前の役目だろう。困ったガキだ」

冗談のつもりで言ったのだが、ミルダはにこりともせず、

「うん、その通りだ。作るのも掃除するのも全部リカルドがやってくれてる。
僕がなにもしない分、リカルドの負担になってるんだよね」

などと、真面目くさって言い出した。
俺は無断外出がバレる危惧をしていたときよりも焦った。
また、ミルダお得意の自虐モードに入ったのかと思ったからだ。

「責めているわけじゃない。俺が好きでやっていることだ。
苦痛ならとっくに追い出している。そのことはお前も……」

「でもさ、僕って色々リカルドに任せすぎじゃない?それってよくないことだよ」

俺が全てを言い終える前に、ミルダが強い口調で割り込んだ。
口調は穏やかだったが、その内心は静かに興奮しているように思われた。

「どうしたんだ、一体」

もう不気味だとは思わなかったが、不可解だった。
いつもなら、すっかり片付いた部屋を見て「流石リカルドだねー」などとへらへらのたまうのに。
部屋の掃除を手伝わなかったという理由だけで、思いつめるなんて妙だ。

「なにがあった?誰かに何か言われたのか?」

ミルダはちがうよ、と言った。

「昼間、リカルドに言われたことを思い出したんだ。
そのことについて、ちゃんと話し合おうと思って」

「俺がお前に?何か言ったか?」

「俺はお前のためだけに生きているわけじゃないって。言ったでしょ」

「あぁ…」

ぼんやりと記憶が蘇る。
あれは、敵も味方も観客もしっちゃかめっちゃかになっていたとき。
どうにか事態を収拾しようとしたミルダを、冷たく突き放したときのこと。
”俺はお前のわがままを聞いてやるロボットじゃない。なんでもかんでも俺に頼るな”
……というようなことを言った気がする。いや、言った。確かに言った。
今思えば、結構、いやかなりきつかったか。もう少しやさしい言い方も出来ただろうに。

「あれは…俺も悪かった。頭に血が昇っていただけだ。
いつまでも気にするようなことじゃない」

「でも、本心でしょ?リカルドってくだらない嘘はつくけど、そういうとこで嘘つけないじゃないか。
根が正直っていうか、年の割りには素直っていうか、単純っていうか…」

ひどい言われようだ。
そもそもそれは全部お前にも当て嵌まるんじゃないのか、と思わんでもないが。

「俺の大人気なさを指摘したい気持ちはよく分かった」

「ちがうよ。僕はリカルドのそういうところが好きなんだよ。
僕もリカルドを責めたいわけじゃない。むしろその逆だ」

ミルダが少し困ったように眉を下げる。
冷蔵庫から身を離して、俺の前に立ちはだかる。
この話題を終わらせるまでは逃すつもりはない、と言われているようだった。

「ただ僕は、リカルドに甘えっぱなしの状況が許せなくなってきただけなんだよ。
リカルドにはリカルドの生活があるのに、僕の世話ばかりしてたらやりたいこともやれないじゃないか」

あのときは流石は僕のハニーだね!なんてうかれていたくせに、何を言い出すのやら。

「言いたい事は大体分かった」

俺はため息を吐いて、ハンドタオルを元の位置に戻した。
真っ直ぐミルダの目を見る。茶化すのは簡単だが、それだけでは済みそうにない雰囲気だ。

「分からないのは、なぜいきなりそんなことを言い出したか、だ。
あのときもあの後も、お前にそんな自省をする素振りは見えなかった。
俺が気付かなかっただけで、昼間からそんなことを考えてたってことか?
それとも以前から思いつめていて、今日のことがきっかけで話す気になったのか?」

「どっちも違う」

ミルダは即答した。

「そのこと言われたときも、言われる前も、今の状況が駄目だなんて思いもしなかった。
気付かなかった、って言った方が正しいのかもしれないけど。
リカルドが優しすぎて、それが当たり前だと思ってたんだ。僕、勉強はできるけど馬鹿だから」

俺から目をそらし、色の薄い髪の毛を指先で巻き取るようにいじる。
言いにくいことを告白するときの仕草だ。

「正直に言うとね、そう考え出したのはちょっと前。つい今さっき。
ベッドに入って、横になって、うとうとしてるうちに、昼間の記憶が浮かんできてさ。
最初は楽しい思い出ばっかりだったけど、そのうちリカルドに言われたことがひっかかって。
そのまま寝ちゃったんだけど、夢にまで出てきてさ。夢でも考え事してたみたい」

青い目が見上げる。

「そういうことって、ない?」

「あると言われれば、あるが…」

俺は答えに窮して、曖昧な返事を返した。

「何度も目が覚めて、そのこと考えて。寝るんだけど、やっぱり夢に出て。
どこからどこまでが夢なのか現実なのか分からなくなって。
朝起きたら言おうと思ってたんだけど、このままじゃすっきり眠れないと思った。
だから、今伝えに来たんだ。……って」

髪をいじっていた手で、こつんと自分の頭を小突く。

「なんか、僕ばっかの都合だよね、これ。ごめんね」

「それは別に構わないし、なぜ突然そんなことを言い出したのかも分かった。
要は、今のままだと俺の負担になるし、お前にとってもよくないと。そう言いたいんだな?」

ミルダがうなずく。俺は顎をさすり、考えた。
やつが言っていることに間違いはない。
むしろ、常識の範疇内で考えるなら、確実に喜ばしい変化だ。
ニートの息子を持つ母親が求人雑誌を眺める我が子を目撃したような、そんな分かりやすい状況。

だが、嬉しいだけではないのはなぜだろう。
胸の底に、小さな鉛の塊が居座っている。
きっとそれは、考えてはいけない想いなのだろう。
このことについて突き詰めて考えたくなかったので、俺はミルダの頭にぽんと手を置いて、笑った。
今は水を差すようなことを言うべきではない。絶対に。

「なんにせよ、お前に自立の精神が芽生えたことはめでたいことだ。
それに、お前が色々手伝ってくれるなら、ずいぶん楽になる。すまんな」

「リカルドのすまん、は、ありがとうって意味だよね」

俺の手を上からぽんぽんと叩きながら、ミルダがあかるく笑った。

「僕、もっとしっかりするから。料理も掃除も洗濯も。ううん、もっと難しいことだって。
なんでも一人で出来るようになって、リカルドにうんと楽させてあげる」

「気合だけはいっちょまえだ。まあ、期待せずに待っていよう」

「も〜。そこは期待して待ってるよ、って言うとこだよ」

情けない声をあげるミルダの頭から手を離す。
いつのまにか、ミルダの背筋がちゃんと伸びていることに気付いた。
少しだけ大人びてみえる。
数分で背が伸びたわけでもあるまいし、気のせいだとは分かっていても、そう見えた。
子供というのは、大人が思いもよらないところで成長するものなのだと、ぼんやり思う。


”あなたを幸せにする自信はないが、僕が幸せになる自信はある”
耳の中で反響する声がする。
もう、数ヶ月も昔に言われたこと。風化してしまうには、まだ新しすぎる記憶。
電話越しの声は震えていたが、自信に満ち溢れていた。
あれから成長した結果が、今なのだろうか。


「どこかに行くの?」

そんなことを考えていたからか、言われてからも一瞬、何を問われているのかわからなかった。
ミルダの目線が俺の服を見ているのだと気付いて、やっと意味を理解する。

「あぁ…ちょっとな」

うやむやな返事に、ミルダはただ、そっか、と言った。

「もう遅いから気をつけてね」

俺は鼻で笑った。

「小娘じゃあるまいし、何を気をつけることがある。
痴漢でもひったくりでも通り魔でも、逆に取り押さえてやるさ」

「あはは、うん、そうだよね」

ミルダは笑ったが、その笑顔はどこか白々しかった。


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