We are THE バカップル
35



駅前の大衆居酒屋の前に辿りついたのは、それから三十分後のことだった。
落ち合う場所を決めたときに当然飲酒することが分かっていたので、車は出していない。
もうすぐ九月になろうというのに、歩いている内に薄っすらと汗をかく程度には蒸し暑い。

腕時計で時刻を確認すると、ちょうど九時をまわったところ。約束の時間だ。
定時で切り上げたサラリーマンが本格的に飲みなおすために河岸を移す頃合いの時刻でもある。
そんなものだから、駅前はわさわさと人であふれていた。
アスファルトが日中の間に溜め込んだ熱が行き場を失って足元から這い上がってくるような熱気。
駅直通のエスカレーターから降りてくる人の波の中の疲れた顔ばかりが目に付く。
他にも飲食店のわきの生ゴミとそれを突付くカラスの多さだとか、寝転がっているホームレスだとか、
少なくともポジティブな連想はしないであろう都会のパーツたちをやけに意識してしまう。
夜の駅前にこうも悪印象を持ったのは初めてだった。

心情のせいだ。
俺は半ば投げやりに理解していた。

少なくとも一時間前はこんな気分ではなかった。
会話一つだ。たった数分の会話一つで、世界というものはこんなにも違って見えるものなのか。
確かに数年前も、こんな風に世界が見えていた時期があった。
もちろん度合いは比べるべくもないが、あのときは”そうなってしょうがない”という状況だった、と思う。
だからこそ、あんな小さな出来事でどうやら結構落ち込んでいるらしい自分に半ば驚いて半ば呆れた。

更に情けないことは、こういうときに気分を改善する手段を酒しかもたないということだ。
しかしまあ、そう考えれば待ち合わせ場所に飲み屋を選んだのは僥倖だったのかもしれない。
河岸を移さずとも遠慮なく、好きなだけ酒が飲めるではないか。
ぐだぐだと考えた末に、やっと気分が上向いてきた。
これから人と会うのにこんなことではつまらん。

安っぽい木の引き戸をギシギシガラっと開け放つと、サラリーマン風の団体が立ち往生していた。
満席なのだろうか。チェーン店でも洒落た内装をしているわけでもない小汚い酒屋でも、
立地条件に恵まれているおかげか繁盛はしているらしい。

さてどうしたものかと突っ立っていると、塀のように視界をふさぐ人垣の向こうから、あっ、と声が聞えた。
すみません、すみません、と繰り返しながらリーマンを掻き分ける人物が、目の前にぽんと吐き出される。

「ふー、流石に混みますな」

よれた眼鏡をかけ直しながら、オリフィエルは苦笑いした。
こいつは海水浴の面子にいなかったから素顔を見るのはずいぶんと久しぶりだ。
相変わらず眠たげな目をしていたが、シャワーでも浴びたのか珍しいことに寝癖がついていなかった。
毛玉だらけのスウェットに妙な柄の付いた長袖のTシャツを着ている。
想像以上にダサかったが、らしいと言えばらしいので、思わず笑いそうになった。

「そこでずっと待っていたのか?」

「いやあまさか。そんな忠犬ハチ公みたいな真似はしやしませんよ。
先に飲んでました。お手洗いですよ。年を取ると近くなるって本当ですね。
あなたの背がもう少しでも低かったら見過ごして席に戻っているところでしたよー」

見れば、確かにハンカチで手を拭っていた。かわいらしい柄がついているから、子供からのプレゼントだろうか。
ずいぶんタイミングがよいことだと思ったが、あっちからすればタイミングがよいのは俺のほうだったろう。
そうこうしているうちに、サラリーマンの団体がばらばらと席に通された。
やっと新しい客に気付いた店員が近寄るが、オリフィエルはそれを手で制し、必要ない旨を伝えた。

「さて、我らが席にご案内いたしましょう。酒は大勢で飲むほうが楽しいですからね。
……と、その前に」

振り返りながら、オリフィエルはサスペンスドラマのサイコな殺人犯のような素振りで腕を広げた。
ただし、格好が格好なだけあって全くキマっていない。

「ようこそ、アサシンシャドウ殿。あなたは必ず私の元に聞きに来ると思っておりました。
よくぞお勤めを果たされ、ここまでたどり着きましたね。このときをどれほど待ちわびたことか。
ここまで来ればもはや共犯。今夜全てを打ち明けましょう」

この男は見た目に反し、どんなに長い台詞でもすらすらとしかも抑揚をつけて喋ることが出来る。
その代わり顔が半笑いだから効果半減である。

「ということで、レッツラゴー」

言いたい事は言ったとばかりにくるりと歩き出すオリフィエルの猫背について行く。

「お前から説明を聞くのが一番ましだろうと考えただけだ」

「ほー、それならサクヤ殿のほうがよろしかったのでは?
見目麗しいご婦人と話すほうが精神健康上有利に働くでしょうに」

「見目麗しいご婦人をこんな時間に呼び付けるほど、俺は無粋な男じゃない」

「あら、私のことは考えてくださらないのね」

不意に、声が割り込んだ。
奥のテーブルに青い髪に薄い紫の瞳の女性が座っている。
こざっぱりとした薄化粧が載った顔は、オリフィエルとそっくりな仕草で微笑んでいる。
アンジュ・セレーナだ。
オリフィエルと同じくシャワーでも浴びたのだろうに、クロワッサンを頭に乗せたような髪型は健在だった。
ワンピースの上に羽織った丈の短い上着から突き出た腕をテーブルに乗せ、組んだ手の指に顎を寄りかからせる。
悪戯っぽい上目遣いで俺を見る。

「自分で来いっておっしゃったのに」

「保護者同伴のやつは除外だ」

「まあ」

童女のように唇を尖らせるセレーナの斜め向かいに腰かける。
見目麗しいを否定しなかっただけ誉めて欲しいところだ。
オリフィエルは俺の正面、つまりセレーナの隣に座った。元々その席だったのだろう。
テーブルの上はすでに焼き鳥やらホッケやらの居酒屋定番メニューと共に、ジョッキグラスが二つ並んでいた。
オリフィエルは早速、焼き鳥の串に手を伸ばした。俺も早速切り出すことにした。

「お前、セレーナとはどんな関係なんだ?こいつは親族、だとか言っていたが」

「まこと正鵠。まさしくその通り」

砂肝を口に入れたまま、気にする事なくオリフィエルは喋った。

「もう少し詳しく補足するならば、叔父と姪の関係です。
アンジュは私の姉の子供なのですよ。だから性が違うのです。それだけのことです」

といっても、俺はオリフィエルの苗字など覚えちゃいなかったが。

「世間は本当に狭いものだな」

「あはは、そうですかねえ」

「笑いどころじゃないぞ」

俺はオーダーを取りに来た店員にジョッキビールとたこわさを頼み、視線をオリフィエルに戻した。

「海に行けば教師たちがのこのこ顔を出して、ついでにライフセーバーが隣人で?
今度は通院先の看護士が知り合いの姪だと来た。俺の頭には旗でも生えているのか?」

オリフィエルは、面白い発想ですが、と含み笑いをした。

「あなたの頭に旗など突き刺さってはいないし、知人を引き寄せる特殊なフェロモンも出ておりませんよ。
全部偶然です。いえ、当然あってしかるべき偶然でしょうね」

「あってしかるべき、なら必然じゃないのか。おおげさに言うなら運命だ」

「私は必然や運命なんてものは信じておりませんよ。一応医学者なので。
それに、あなたは知らなくて当たり前ですがね、私の家は医療関係者を多く輩出する家柄なのです」

聞きようによっては自慢か嫌味とも取れなくはない台詞だが、本人にそのつもりが全くないということは、
よく知っている。知ってはいるが、やはり自慢臭いと思った。

「私は医者でしたが諸事情で辞職し、養護教諭…ありていに言うなら保健室の先生になりました。
そしてこのアンジュは看護士になる。ここまでは当然の流れですよね。
問題はそんな医学コンビの私たちがあなたに出会う確率はいかほどかということですしょう。
これもさほど難しくはありません。私の実家は学校の近所でしてね。
アンジュは実家住まいですし、私は住んでこそいませんが近くに家を構えております。
であるからして…」

「ちょっと待て」

たこわさとビールが届いたのを契機に、俺はほとんど一息か二息でまくしたてるオリフィエルを制した。

「その話はいつまで続くんだ?」

「まあまあ。あと三行ぐらいで終わります。最後までお聞きなさい」

オリフィエルは焼き鳥の刺さっていた竹串を指揮棒のように振り回しながら続けた。

「であるからして。あなたは木彫りの先生として私の居る学校に来ましたね。
その後、体のある一部分を損耗して医者へ行った。そこでアンジュと出会った。
こうして私たちのラインが出来上がったわけです。何も不思議なことなんてないじゃないですか。
運命だとか気取った言葉を使いたくなるところは、せいぜい後半の部分です。
それとてあなたの主観だからそう思えるのです。一人が二人と知り合ったと考えるから。
二人が一人と知り合ったと言い換えればどうです?そう大したことでもないように思えるでしょう」

ペラペラと喋くるオリフィエルの言葉が三行でまとまっていたかどうかは置いて、

「お前の小理屈はわかった。しかし俺が言いたいのは、そんなことじゃないんだが」

オリフィエルは微笑と共に首を振った。

「そんなことですよ。人と人の関わりなど、手繰ればいくらでも出てくるのです。
知り合いの知り合いが芸能人と友達だったなんてこと、真偽はともかくよくある話でしょ。
今回はあなたの出会った医療関係者内に叔父と姪がいた、それだけのこと。
だからそれだけのことに運命やなんやかんやと大層な言葉をつけるなんて畏れ多いです。
因果関係の蓄積で発生する結果を漢字二文字で簡単に表現したいなら、偶然を使うべきです。
私と出会ったのも運命、その隣人とやらと海でかちあったのも運命じゃあ、こりゃあ運命の無駄使いだ。
運命なんて言葉は、もっとロマンチックなシチュエーションでこそ語られるべきではありませんか」

オリフィエルは言葉の終わりと同時に、セレーナに意味ありげな視線をよこした。
セレーナが続きを請合う。

「それこそ、恋人同士の出会いぐらいの状況で使わなくちゃ味気がないってことですよ」

それがこの話の締めくくりだったらしい。
そっくりな仕草で頬杖を付いた叔父と姪は、やはりそっくりに目を輝かせて俺を凝視していた。
自然の眉と眉の間がこわばる。

(…野次馬め)

俺はため息をつくかわりに、ビールを喉に流し込んだ。
今はとうていそのことについて語る気分ではなかっただけに無性に気分が悪い。
不覚にも、長々と前置きをされてしまったせいではぐらかそうにも面倒だ。
しかし、そんなときに使える魔法の言葉を俺はよーく知っていた。

「そんなことはどうでもいい」

「えー」

「えー」

叔父と姪は同時に口を尖らせた。ムカつく。

「そんなことを話しにわざわざ集まったわけじゃないだろう。
女子高生やOLじゃあるまいし。いい加減にしないとしまいには帰るぞ」

オリフィエルはため息をつきながら、座席にもたれた。

「と言われましてもねぇ?今更あらたまってお話するようなことがあるとは思えませんし。
話したいならあなたがお話になればよろしいじゃないですか。あぁ、そっちのほうが楽でいい」

「あいにく穴だらけな上に正しいかどうかも分からんのでな。
俺が聞きにくると分かっていたのだろう。なら、お前だってある程度まとめていたはずだ」

「そんなヒマありませんよ。あぁ、あなたとの会話を軽んじているという意味ではございません。
他の方と違って私はホラ、子持ちですし?
だったらあなたが話したほうが早かろうと、こう言っているのですよ」

「お前さっき、このときをどれほど待ちわびたとか全てを打ち明けるとか言ってたろう」

「いやですなあ。あれはリップサービスですよ」

オリフィエルはやる気のない箸使いで、俺の注文したたこわさを勝手につまんだ。
……駄目だこりゃあ。
どうやら運命論だか偶然論だかいう屁理屈をこねた時点でモチベーションが尽きたらしい。

「仕方ないな…」

うかうか押し問答を続けていたらまた話をミルダとのことに戻されそうだ。
おそらくそれこそが狙いだろう。舌戦でこいつらに勝てるとは思えん。

「さっきも言ったとおり、全てが憶測だから抜けや穴もある。補足と訂正はしろよ」

そう前置いて、俺は話し出した。

「まず、そこでホッケを貪り食っている女について確かめたいことがある」

セレーナは箸を止め「美味しく食べてるんです」と眉をひそめながら反論した。

「私になにを確かめることがあるんですか。私はただの敵キャラゲスト、戦闘員Aです」

「そのことなんだがな。そもそも俺はイノセンス戦隊などではなかったんじゃないか」

オリフィエルとセレーナは、一瞬虚を突かれように動きを止めた。
数秒の間を置いて、オリフィエルが早口で言った。

「これまた珍妙な意見ですな。突飛と言い換えてもよろしいが。
あなたはイノセンス戦隊作戦参謀、アサシンシャドウのはずでしょう」

「本来は、と言う意味だ。確かに俺は数週間に渡ってそんな名前の変態だった」

「分かりませんな。その心は?」

「つまり、俺の位置に本当に居るべきだったやつは他にいるってことだ。
偶然だか運命だか知らんがな、お前の言葉を借りるならあるべくして立場が入れ替わった。
スケープゴートの本体、そして、イノセンス戦隊の本当の五人目は…」

俺は箸先でセレーナを示した。

「お前だな、セレーナ」

「……まあ」

セレーナは口元を手で覆って目を丸くした。
正直、仮説の一つでカマをかけただけなのだが、それは言わないでおく。

「当たりか」

「はい。でも、なんで…」

セレーナはちらりとオリフィエルを見た。
オリフィエルは、いかにもまいったなあという顔をして髪をかき、苦々しく切り出した。

「そのことはお話しするつもりではありませんでした」

「俺の心情をおもんばかってか」

「そうです。自分は本来つまはじき者だったとわかったら、面白くなかろうとね。
しかしあなたは知っていたのですね。いや、推測していたということですか。
けど、なぜ…どこでわかったのです?私にはそれがわかりませんな」

オリフィエルは少なからず当惑した様子で眉をしかめた。
俺は少し気分がよくなり、ビールを煽った。

「お前の言う因果関係が蓄積した結果を考えてみただけだ。
結論を導き出したのは今日だが、気付いていたと言えば最初から気付いていた。
理由は…長くなるから飛ばす」

「飛ばすじゃ酷い。酒の肴にもならないじゃないですか。教えてくださいよ」

「自分は肝心なところは喋らんくせして人には語らせるのか。困ったものだなお前も。
まあいい。疑わしい点はいくつもあったんだ。時系列順に話すか」

俺は箸先を伸ばし、セレーナが箸先で解し散らかしたホッケの身を口に放り込んだ。

「これは確認するまでもないが、ラルモはお前達の仲間なんだろう。悪く言えばスパイだ。
この無茶苦茶な状況をミルダたちが受け入れられるようにさりげなく修正を入れる裏方だ。
いや、編集者のようなものか。どっちでもいいが。そのラルモが最初に言ったんだ」

脳裏に、広い額の愛嬌のよい顔を思い浮かべる。

「なんとかなりそうや」

「は?」

オリフィエルは眼を丸くした。

「だから、ラルモがそう言ったんだ。俺を見ながら。
二人でスーパーを出て、入り口でアニーミに捕まった後のことだ。
ラルモは実に嫌そうに電話に出て、短い会話をした。内容はこう。
なんなんやあ。それなら仕方ない。大丈夫、こっちはなんとかなりそうや」

俺は箸先を回しながら、うろ覚えの台詞をイントネーションを真似てそらんじた。

「電話の相手は、たぶんセレーナだったんじゃないのかと思ってな。
どうだ?こんな感じのことを言っていただろう、確か」

「よく覚えておりませんけど、そうだと思います。電話の相手も私で合ってます。
でも、なんでそう思うんです?もしかして私の声が聞えちゃってたとか」

「聞こえちゃいないさ。そのときは単に祖母と話しているのだと思っていた。
その割には様子がおかしかったら覚えていただけだ。まあ様子がおかしいのも当然だな。
彼女にはあの電話がかかってきた時点で、何か不具合が生じたのだと分かったのだろう」

あの子供は悲しいぐらい察しがいいからな。
セレーナは、うーん鋭い、と箸を持ったまま腕を組んだ。

「実はその日、私は万全を期してお休みをいただいてたんですの。
リカルドさんのおっしゃった通り、私は本来イノセンス戦隊の一員でしたので。
でも、当日に同僚の看護士が具合を崩してしまって。しかたなく、代わりに…」

「なぜ早めに連絡を入れなかったんだ?」

あらかじめ知っておけば、ラルモを焦らせることもなかったろうに。

「違うんです。それだけならどうとでもなりました。もちろん全員に伝達もしましたよ。
ほんとは定時には上がれる予定だったんです。でも、急患が来ちゃって。
私の勤めている科は急患なんて本当に稀なんで、想定してなかったんです」

運悪くトラブルが重なって、やむをえぬドタキャンが発生したというわけか。

「なるほどな。まあ細かいことはどうでもいい。とにかくお前ら、というよりラルモは焦ったはずだ。
手紙に書いてあった聖なる戦士は五人。あのままでは四人しか集まらないことになる。
しかし、あのときラルモは、なんとかなりそうだと言った」

俺はぐいっとビールを飲み干して、空のジョッキをどんっとテーブルに置いた。

「俺がいたからだ」

どうだ、とばかりに二人の顔を見比べる。

「うーん、なるほど…。しかし、それだけで私の秘密に気付くなんて…」

「前々からヘンな人だとは思ってましたけれどねぇ…。まさかエスパー?」

誰がヘンな人で誰がエスパーだ。

「馬鹿どもが。だから最初に言っただろう、根拠は他にもいくつかあると。
どんどん行くぞ。おい、おかわり頼む奴はいるか。今のうちだ」

ぱらぱら、と二人の手があがる。
俺は店員を呼びつけ、三人分のビールおかわりを注文し、顔を戻した。

「では次。時系列順だから…あれは…空き地で初めてお前ら四人とお目見えしたときか」

「チトセ殿を入れて四人プラスアルファですな」

「だから細かいところに突っ込むなと言っている。補足修正と揚げ足は違う。
とにかくあのとき、ブラックパピヨンが…、…どうも恥ずかしいな、この呼び方は」

今まで素で呼んでいたのに、不思議なものだ。

「まあいい。ブラックパピヨンことサクヤが、俺たちを指差しながら名前を呼んだことがあったろう。
ミルダを指差してイノセンスハワイアンブルー、アニーミを指差してイノセンスレッド、とこうな」

俺は身振り手振りを交えて解説した。

「他のメンバーの名前はすんなり名づけたのに、俺の順番になってあきらかに戸惑った。
あろうことか後ろを振り返って、大魔王様、どうしましょう、とのたまった。
俺はまあ、髪は黒いし性格的にもナントカブラックという呼び名が一番似合うと思う。
事前に俺を折り込み済みで打ち合わせをしていたなら必ずイノセンスブラックになっていたはずだ。
実際なりかけてたしな。その場はイナンナの思いつきでずいぶんカブいた名前をいただいたが…。
だから、俺は全くの飛び入りだったというなら全部説明がつくし…ん?では、もしかして…」

二杯目のビールが届くと同時に、俺はあることに閃いて、箸で空のジョッキを弾いた。
チン、と俺なりのひらめきの音。

「どうしました?」

とオリフィエル。

「なぜミルダがハワイアンブルーなんてふざけた名前を付けられたか合点がいった」

「と言いますと?」

これはセレーナ。

「ブルーは二人居たんじゃないか。セレーナとミルダの二人。だからバリエーションをつける必要があった」

「まあその通りです。リカルドさんって、ほんとはほんとに鋭い人だったんですね」

いかにも前は馬鹿だと思ってました、と言いたげな物言いだ。

「ホワイトってのも考えたんですけど。でもほら、白って汚れが目立つでしょう。
それに並んだときの見映えも、赤、青、ピンク、白、ライダーじゃねぇ。地味、薄い、見映えが悪い」

青が二人いる時点でちぐはぐだしそもそもライダーが混じっていて絵面もへったくれもないと思ったが、
どうやらそうは考えないらしい。

「それはまあなんでもいいが…、お前は本当はなんという名前だったんだ?」

「スパイシーブルーです」

またおかしなネーミングを。
内心が顔に表れていたのか、セレーナは鈴が鳴るように笑った。

「あら知りません?スパイスガール。好きなんですよ」

今度CDでも貸しましょうか、とのん気に続ける。
今更気付いたが、ある程度真剣に聞くオリフィエルに比べて、セレーナはどこか気が抜けている。
あまり関わりあいがなかったから当たり前かもしれないが。
俺はあえてオリフィエルのほうを向いて、話題を打ち切った。

「で、だ。セレーナとベルフォルマはずいぶん古くからの知り合いらしいじゃないか。
ならもう決まりだ。お前はさっき、人と人のつながりは手繰ればいくらでも出ると言ったな。
手繰るまでもない。結び付けろと言わんばかりのあからさまなつながりだ」

「しかし今までの推論は全て、アンジュが本来の仲間だということに根ざしている部分がありませんか。
確かにあなたがアンジュの代わりだったと考えればその辺りのひっかかりは全て解消されます。
だけどあなたは肝心の、あなた自身が実は外れ者だったことに対する考察には触れていません。
そこに確信を持てなければ、イコールアンジュが本来の仲間だったという推測は立たないでしょう。
立てようがないのです。卵と鶏の押し問答の、卵がないようなものです」

オリフィエルの反撃はよく分からないような例えだったが、言いたい事はおおむね理解できた。
俺が本当は仲間ではなかった、という仮説を立てない限り、セレーナが実は仲間だった、とは結び付けられない。
そう言いたいのだろう。

「あなたがどんな些細な可能性まで想像して考察し、なおかつ空想の枝葉をどこまでもつきつめる、
詰め将棋のような根気強い思考回路の持ち主なら不思議ではありませんがね」

「職業柄想像力は豊かだし、前の職業柄で詰め将棋思考は得意だ」

「元刑事に元医者で現養護教諭と、現看護士かあ。よく考えたら私たちって公務員メンバーですね」

セレーナが茶々を入れる。
ここまで来れば三人とも、随時杯を傾けながらの会話である。
三人ともザルやウワバミと種別される人物ではないので、段々顔色が赤くなってきている。

「大体なあ、俺があの集団に混ざっていること自体がおかしいんだぞ」

酔いが回ってきたせいか、気をつけていても口調が砕ける。

「ふー…む?おかしいですかね」

「おかしい。自分で言うのもなんだが、俺はいたって現実的な思考をする人間だ。お前らはそれを知っていた。
いつこんなくだらんことは時間の無駄だからやめろ、あいつらの正体はこうだ、と言いださん保障はない。
だから、俺を仲間に引き込むなら絶対に事前に打診しに来ていたはずだ。来ても断っていただろうがな」

「うぅむ。そう言われればそうしていた気もしますがなあ。……おっと、すみませーん」

オリフィエルが手を上げて、勝手に全員分のおかわりを頼んだ。
まだ飲みきっていない杯があるので、新旧入り混じりもうどれが誰の杯だかよく分からない有様だ。

「それにしたってお前らの計画はずさんな部分が目立つ。
あの奇天烈な騒動にわざわざここがおかしいだの変だのと文句をつける趣味はないがな。
チンドン屋を捕まえてちょっと格好が変ですよと忠告するようなものだ。
だからそれについては何も言わんが…こと俺のことについては、気にかかる点がある」

「ありがたいお心がけです。で、それはどういう?」

オリフィエルが合いの手を入れる。
こいつは喋らせてもうまいが、喋らせるのもうまい。医者よりセールスマンに向いている。

「お前らの計画に元から俺の名前などなかったのではないかと思ってな。
俺を仲間に据えるどころか…はなから俺の存在など度外視だったんじゃないか」

オリフィエルは体をゆすって笑った。

「また大胆な仮説ですな。まあ今までの話は全部そうですが。それで?」

どうにも気に障る言い方をする。わざとだろう。
弁論の上で負け惜しむ人物ではないから、恐らくおちょくられているのだ。
いちいち気にしていては話が進まないので結果的に無視することになる。

「考えるに、お前らは俺とミルダの関係を知らなかったんじゃないのか。
寮を移ったことは流石に知っていただろうが、まさか知り合いの臨時講師の家に移ったとは思うまい」

「ほう、仮説に次ぐ仮説ですね。そう考える理由は?」

「お前も分からんやつだな。俺はミルダが失踪すれば率先して探す立場にある人間なのだ。
同居人なのだから当たり前だ。お前たちがそこを読み違えるとは思えん。
お前らはアニーミにあの妙ちくりんな怪文書を寄越してミルダを探させたわけだろう」

ミルダの身柄を預かった、と記した手紙をラブレターよろしく下駄箱に放り込んでおいたのだったか。
その話を聞いたときはどこの変態か暇人の仕業かと思ったものだが、ところがどっこい犯人は
学園内の教師だったのだ。誰が実行犯かは知らんが、赤子の手を捻るより容易かったろう。

「そのアニーミをベルフォルマと鉢合わさせ、あらかじめ待機していたラルモが二人を誘導し、
お前らの元に聖なる戦士であるレッドとライダーを導く手はずになっていたのだろう。
しかし、もし運悪く、ミルダ捜索中のアニーミと俺がかちあえばどうなる」

実際、早とちりしたアニーミに犯人だと勘違いされて、胸倉をつかまれた。

「俺はとりあえず焦っているアニーミに話を聞き、ミルダの失踪を知り、ともに行動しただろう。
いや、そんな偶然に頼らずとも、アニーミが俺とミルダの関係を知っていたならもっと話は簡単だ。
彼女はすぐさま俺に連絡を寄越す。どちらに転んでも俺といういらんオマケがくっついてくる。
今回はたまたま前者の状況が起こった。お前らも俺もラルモも誰一人想像していなかった事態だ。
しかし、不運と幸運は重なったのだな。不運がひるがえって幸運に転じたと言うべきか。
急用でこれなくなったセレーナの代わりに、俺という本来は厄介なオマケは穴埋めに最適だった」

ビールを取り、ぐびぐびと喉の奥に流し込む。もう喉越しなどほとんど感じない。

「なるほどね。しかし、その辺りの仮説は先ほどもうかがいましたよ。
その仮説は、もしあなたの立場がアンジュだったなら、に起因するものでしょう。
やはり予断、こじつけの域を出ない。あなたが己の立場に不信を抱く要素がない」

あくまで仮説とつけるのは忘れないらしい。

「お前も分からんやつだな。いいか、あのとき俺はミルダに電話をかけたんだぞ。
繋がらなかった。なら電源を入れ忘れていたか充電が切れたか電波の通じないところにいたんだ」

「ですな。まあ、あの子はマメそうですから充電のし忘れは考えにくいし電源を切る理由もない」

「俺もそう考えた。なら電波の届かない場所にいたんだろう。
しかし、学校帰りのミルダがわざわざそんな場所に行くか?
言っておくが、あいつは家大好きの半引きこもりで趣味が勉強というもやし人間だ。
直帰しないなら、誰かがどこかに誘ったんだ。場所は電波が通じないならどこでもいい
連れ込んだのはもちろんお前らの息がかかった者…多分マティウスだろう。
やつなら事情を知っていても不思議ではないし、ミルダとは知り合いだからな」

「マティウスさんはイナンナ殿の妹君であらせれますからね。
同じ学校の生徒ですから、下校間際のミルダくんを足止めするには適役です」

オリフィエルは腕を組んだ。

「まあミルダくんに関してはそうなんでしょう。実際にそうであった確率は高い。
しかし、同じ条件のハルトマンさんはずっと屋外にいたはずですよ。
そちらに連絡を取ってしまえばどちらにせよ終わりです。破綻しているのでは?」

何が破綻だ、と俺は酔っ払いらしくすごんだ。
もちろんオリフィエルはぴくりと動じもしない。

「なら携帯を所持していなかったに決まってる。もしくは電源を切らせてたかだ。
ハルトマン氏というのは聞けば結構な年らしいし、携帯を持っていなくても不自然ではない」

「なるほど」

「ともかく、俺はそんな瑣末な上にどうでもいい事情を言い当てたいわけじゃない。
お前らがそこまで周到に、かつ用心深く用意していたという事実が重要なんだ。
そこまでやるやつらが、なぜ俺に関してはずさんなんだ?
先ほど言ったとおり、俺の性格はお前らのばかげた計画にとってこれ以上ない不安要素だ。
なのに俺に対しては打診もなければフォローもない。全く手付かずだ」

そこで俺は息を付き、言葉を切った。
喋りすぎで疲れていたが、酔いが手伝って口はまわるので、プラマイゼロだ。

「いいか、お前らの計画は周囲に理解者が多ければ多いほどいい。
なにせ元の作戦が無茶苦茶で不確定要素が山盛りだからな。フォローできる人員は欲しい。
だから、お前らの知り合いであり、なおかつ当事者のミルダと密接に関係している俺が、
何も知らされていかったのはやはりおかしいだろう。知っていたら必ず打診に来た。
仲間に引き込むか、駄目ならただ静観していてくれと頼んだはずだ」

俺だってそのくらいのことは引き受けたと思う。
頼まれて断るほど野暮でもユーモアがないわけでもない。
それに、その場合の俺はただ黙っているだけでいいのだ。何の労力も面倒もない。
つまり何のリスクも追わずに右往左往するガキどもを眺めていられる立場。
なんとも面白そうだ。断るはずがない。

「つまり、私達があなたのことを知らなかったこそ、あの状況が生まれたと言いたいのですね。
なぜならあなたとミルダくんの関係をあらかじめ知っていれば、事前に必ずコンタクトを取ったはずだから。
私達があなたの存在を知らなかったからこそ、あなたはあの場所に居合わせることが出来た」

オリフィエルの言葉はさきほどから、どこか俺の弁を補強するような響きだった。
暗に事実だと肯定しているようなものだ。いや、しているのだろう。
俺はそうだ、と頷いた。

「逆に、お前らが俺とミルダのことを知っていたのなら俺はあの場にいなかったろう。
鶏が先卵が先だの言葉をこねるなら、これにこそにあてはめるべきだ。
俺が自分の立場に疑念を持ったのはそういうことだ。
そして今日セレーナが現れ、こう考えれば辻褄が合うという理屈を思いつき、それが…」

「真実だった、と」

にこりと微笑みながら、オリフィエルが後を繋いだ。
両手を挙げて降参のポーズを取った。

「観念しました。あなたの仮説は全て正しいものです。
確かに私たちはあなたのことを知らなかったし、アンジュは本来あちら側のメンバーでした。
私たちがあなたの存在を認知したのはあの空き地が最初です。
ミルダくんを地下に連れ込んだのもマティウスさん。
言うまでもなくあなたにはお見通しなのでしょうが、アンジュを飛び入り参加させたのも、
このまま関わらずに終わらせてしまうのはかわいそうだったからです。
全てを大人しく認めましょう。まさかそこまで理屈を通しているとは思いませんでした。
見事と言えば見事ですが……あなたも、まあ、ヒマな人ですねぇ」

オリフィエルは、呆れたように俺を眺めてため息を付いた。

「…俺もそう思う」

本当に、なんて無駄なことに頭を使ったのだろう。
無駄と言うならここ数週間の行動は無駄のバーゲンセール状態なのだが。
しかし、人生なんてどうせ無駄の積み重ねか、と思いなおす。

「まあいい。無駄ついでにもう一つ」

「まだなにか?」

オリフィエルが顔を上げる。
セレーナはもう叔父と知人の話が己の範疇外であると判断したのか、
さきほどからメニューのデザートのページを眺めて動かない。

「ハルトマンが相談に乗っていたという中学生…あれは、お前の息子だな?」

「えぇ、そうですが」

オリフィエルはあっさり肯定した。
全てを認めた手前、のらりくらりかわすのも飽きたというところか。

「そうですが、なぜ分かるのです?」

「簡単だ。該当する年齢の者がいないからだ。
あの付近の中学校に通っており、なおかつ事情を知っていて、なおかつあの場にいなかった中学生。
お前の息子が中学生だというのは聞いていた。知っている範囲で思い当たる該当者は一人だけ。
結びつけるのは簡単だ…などともっともらしいことを言ってみたが」

俺は大きく息を付き、安っぽい椅子に背を預けた。ビールを飲んで笑う。
酔いが回ってきたせいか、どうにも口が回りにくい。

「お前、去り際に”うちのヒン…”とか言っていただろう。
息子の名前は聞いていなかったが、あれで気付くなといわれるほうが無理だ。
本っ当に穴だらけ隙だらけツッコミところだらけだお前らは。
ガキどもが気付かなかったのが奇跡だとしか思えん。もはや七不思議の一つだ」

用意だの周到だの少し持ち上げすぎたか――と顎ひげをさすると、オリフィエルがつられて笑った。

「いえいえ、そんな微細なところまで推察するなど私どものような人間にはなかなかできません。
推理する対象の品格は置いといて、なかなかどうして大した名探偵ぶりでしたよう。
おかげさまで長々と有意義なのか無駄なのかよくわからない時間を提供していただけて、
もう本当に本当に感謝の念がつきませんねぇ」

慇懃無礼とはこのことだろう。
つまり慇懃でありつつ無礼でもある。こいつの場合は慇懃嫌味か。

「お前があれこれ聞くから余計な枝葉まで語らねばならなくなったのだろうが。
長くなるから省略すると言ったはずだ。それを酒の肴にもならんと文句をつけたのはお前だ。
くだらん与太話を聞くハメになったのはおまえ自身のせいだ」

「あらー、私は結構楽しんで聞かせていただいてましたけどねえ」

メニューとにらめっこしていたセレーナが割り込む。
そこまでならただのフォロー上手だが、半分ぐらい聞き流しましたけど、と叔父とそっくりな口調でのたまう辺り、
やはりこの叔父と姪は似ているのだ。
俺は怒る気すら失せて、深々と息を付いた。

「もういい。お前らの気持ちもよーく分かる。
こんなもん、たいていは馬鹿馬鹿しくて考えること自体をせんか途中で放棄する。
ここまで突き詰めて思考を巡らせた俺を力の限り誉めてねぎらえ」

「ははは、いいですよー誉めます誉めます。すごいですねぇリカルドさんは〜!」

「ひゅーひゅー、リカルドさんかっこいいー!よっ、名探偵!」

オリフィエルがジョッキを掲げて、セレーナがメニューを開け閉めして擬似拍手を贈る。
馬鹿にされている、と思う。いや、二人の顔が赤い。
……酔っている。

「当たり前だ馬鹿どもが!こちとら何年この道で食ってきたと思っている。
こちとら昔はなあ、尋問室にこの人ありと言われたほどなんだぞ!
それをどいつもこいつも…特にガキどもときたら…こっちの苦労も知らずに…。
誰が料理だの洗濯だのしてると思ってるんだ…収入だって俺一人でなあ…」

そして俺も酔っていた。
口が勝手に言わなくてもいいことまで喋り出す。
長話の末に何かの糸がプツっと切れたらしい。酒の席にはよくあることだ。

「ガスだの水道だの光熱費だのの家計簿はもうたくさんだ!俺は主婦じゃない!
これからは家事なんてしちめんどくさいもんは全部ミルダにやらせてやる!」

「おぉっと出ました亭主関白宣言!」

「あははははは!リカルドさん、昔ながらのお父さんみたい!」

セレーナは笑い上戸らしい。テーブルに上半身を乗り出して、バンバンと俺の肩を叩き出した。
顔と言わず首まで茹でられたように真っ赤だ。
恐らく俺も同じような顔色をしているのであろう。

「そうだ俺が亭主だ!なら家計を圧迫するほど呑みまくるのが男ってもんだろうが!
ぐでんぐでんで帰って見返してやる!おい酒だ!酒を持って来い!お前らも頼め!」

「了解しましたリカルド隊長!あ、私この”鳳翼熾天翔”って焼酎で。鹿児島産ですよ鹿児島産」

「ちょっとオリフィエルさぁん、それすっごく高いじゃないですか〜。いいんですかあ?」

「いい、俺が許す。なんなら俺が出す。どんどん頼んでどんどん呑め!」

「えっ、本当ですか!?じゃあ私このページのデザート全部!あとワインを赤で」

肝心なことを聞き忘れていることに気付いたのは、それから二時間後のことだった。
本当に、酒って怖い。


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