We are THE バカップル36
36




覚醒してまず感じたのは、痛みだった。
顔がちくちくと虫に刺されているように痛む。
特に頭が痛い。こめかみから後頭部に、心臓の脈動に合わせてズキズキ鈍痛が走った。

頭を抱えながら身を起こす。
目の前にもじゃもじゃした毛の塊があった。オリフィエルの頭だ。
隣に目を移すと、同じような格好でセレーナが突っ伏していた。
昏倒しているが、どことなく幸せそうにも見えるのはなぜだろう。
薄く開いた唇の端には生クリームが付着していて、むにゃむにゃデザートの名前をつぶやいていた。

テーブルの上は散々な有様だ。
空き瓶や半端に中身が残ったジョッキが散乱しているのはもちろんのこと、
パフェでも入っていたような巨大なガラス製の容れ物が数個、文字通り転がっている。
辺りを見回すと、同じようにダウンしているグループがちらほら見受けられた。
顔をさすると、木目の跡がびっしりと付いていた。痛いはずだ。

「居酒屋や、馬鹿者どもが夢のあと、か…」

思わず呟いた途端、

「あはははははは!」

「!?」

心臓が跳びあがる。
セレーナが椅子の上でそっくり返って腹を抱えていた。
あぁしまった、聞かれているならもっとマシなダジャレを言っておけばよかったと
一瞬のうちに後悔するが…、

「はははは…はは、はあ…。もう食べれないですよう…、嘘、嘘、おかわりぃ…」

セレーナは背骨を抜かれた猫のようにふにゃふにゃと机に戻っていった。
寝言だったようだ。
…まったく。

「オリフィエル…おい、オリフィエル!」

俺は手を伸ばし、テーブルに突っ伏しているモジャモジャの肩をゆすった。
オリフィエルはうぅんまだ六時ですよ、とうわごとをのたまっていたが、
しつこく揺すり続けていると、その内もぞもぞと頭を持ち上げた。

「なんですかあ…。あー、あれ…?ここは……。……あぁ夢か…」

「馬鹿、こっちが現実だ」

早速テーブルに戻ろうとするオリフィエルの肩を掴んで押し戻す。
オリフィエルは椅子の背もたれに伸びながら、カンベンしてくださいよ、と情けなく言った。

「大体今って何時なんですか?…あぁ、あぁ、いいですいいです。まだ朝ではないようですね」

「なんで分かる」

オリフィエルは窓のほうを指差した。

「もっとも古代的な時計ですよ。つまり、窓の外が明るいか暗いかです。
まだ明るくなってないので、いっててもせいぜい三時か四時くらいでしょう」

実にめんどくさそうに答えた後、寝ていいですか、と呟いた。

「お前は子供か。家で寝ろ。間接にガタが来るぞ。…それより」

上着から煙草と携帯を出し、オリフィエルのほうに差し出す。
オリフィエルはその上着を、老いぼれ犬が初めてヒヨコを目にしたような顔で凝視していたが、
やがて顔を上げて言った。

「いりません。ちょおっと趣味じゃないので」

「お前にプレゼントするぐらいなら捨てるぞ俺は。お前の隣の女にかけろ」

オリフィエルはあぁー、とかなるほど、とか言いながら上着を受け取り、
テーブルによだれを広げているセレーナの肩にぱさりと掛けた。

「紳士ですなあ」

「馬鹿言うな…過保護なだけだ」

「同じことのように思えますがねぇ」

オリフィエルはどうでもよさそうに言って、氷がすっかり溶けたお冷をちびちびと飲んだ。

「私だけ起こしたということは、話の続きですか。まだ何かありましたか」

「もちろんだ。肝心なところが…まだだからな」

…とは言ったものの。何から聞いたものか。
頭痛のせいか飲みすぎたせいか、一向に考えがまとまらない。
飲みすぎたせいで頭痛がするのだからやはり飲みすぎたせいだろう、
なんてくだらない自問自答をするぐらいには俺の脳はアルコールで萎縮しているらしい。
頭の鈍痛を緩和させんと後頭部に手をやってみると、ほつれたゴム紐にあたった。
むしるように解いてわさわさと癖のついた箇所を乱してやる。
首の血流がすっと楽になった…気がする。

ただ不精で伸ばしているだけの髪は、まさしく無駄なものだ。
男の髪が長くてなんの意味もない上に、ラーメンを食うときなど最悪だ。
長ければ長いでつい手入れをしてしまうからリンス代もかさむのも悪いし、
切ったら切ったでなぜ切ったのかと聞かれるのがまたわずらわしい。
明日散髪に行こうと思い当たるたびに先延ばしになって結局は忘れるから始末が悪い。
だからつまり、このだらだら長い髪は不精と腰の重さを象徴するようなものだろう。

なにより、切るな切るなとうるさいやつがいるのが一番めんどうだ。
このまま伸ばしてばっかりだと、その内ホラー映画の毛のお化けみたいになってしまう。
あいつはその辺を何も分かっていない。
未来のことなどなにも考えず、今よければいい、今幸せならいい、今やりたいからだと平気な顔で言う。
俺は大人なんだからそんな考え方は出来ない。
いつかは絶対に切らなければならないのに。

「リカルドさん?」

「ん、あぁ…すまん」

顔を上げる。オリフィエルが不思議そうな顔で見詰めていた。
空咳をして気を取り直す。

「どうやってお前らがハスタにつなぎを取ったのかが分からなくってな。
それとお前たちが行動に移すにあたった理由、動機の部分。
こちらは見当は付いているが…お前の口から聞きたい」

水を向けると、オリフィエルは数秒考える間を置いて、

「ハスタくん、ですか。そういえば、彼はあなたとは古くからの知人だそうで。
しかし、知人ですかあ。ふぅむ、知人って便利な言葉ですよなあ…」

目だけで笑った。眼鏡がきらりと光らんばかりの好奇心が宿っている。
俺は多分、今までの人生の中でベスト3には入る嫌そうな顔をした。

「待て、やつとはそんなんじゃない。死んでも嫌だ。冗談でもやめろ気色悪い。
お前は俺を生粋のホモだと思っているようだが、俺は本来女好きだ」

「存じておりますよ。高校を出て数年はヒモ生活をしていらしたとか」

「な、なんで知ってるんだ。話してないぞ」

「なら記憶をなくしているんでしょう。さっき聞きましたから」

動揺の隙を付くように、オリフィエルはまくし立てた。

「それはもう克明にペラペラペラペラと、微に入り細を穿つ語り口でしたね。
どこまで話していただけましたかな、そう、確か…。
フられたショックでアルコールをしこたま飲んだあげく意識不明瞭な状態で用を足そうとし、
誤って便器に顔ごと突っ込みあわや救急車を……」

「あー、やめろやめろ!その先は喋るな」

強い口調でオリフィエルの言葉をさえぎる。これがこいつの手なのだ。
関係ない話で気をそらし、終わったときには本題は地球の裏側に吹っ飛んでいる。

「で、お前たちの衣装を作ったのもハスタなのか?」

ペースを与えないためには質問することが効果的だ。
そんな俺の意図が分かっているのか分かっていないのか、
オリフィエルはあくまで飄々と笑った。

「ノー。その時点はまだ、私たちはハスタくんの存在すら知りませんでした。
あれは自前です。彼ならもっと気の効いた衣装を用意していたでしょう」

「では、あれは…」

「ありあわせのもの……と言ったら信じていただけますかねえ?」

オリフィエルはふわああとあくびをした後、眠そうに頬杖を付いた。
俺はと言えば、盛大に不審そうな顔をしていたことだろうと思う。

「納得いかない?ふむ、ではそこからお話することにしましょうかね。
まずアスラ殿がお召しになられていた甲冑。あれは…家に代々伝わるものだそうです」

「甲冑を代々伝えるって、どんな家だそれは」

オリフィエルはしれっと言ったが、到底聞き流せる類の情報ではなかった。

「あの方はああ見えて名家の出なのですよ。
いわゆる家宝などというものではなく、骨董品の一つということです。
あんな甲冑は実家にゴロゴロしているそうですからね」

「あんなものがゴロゴロしていては、家が狭くってかなわんな」

発言して数秒後に、馬鹿なことを言った、と思った。
金持ちの家ってのはだだ広いものだし、そもそも蔵でもなんでもあるはずで。
まさしく貧乏人の思考回路を露呈したようなものである。

しかし、あの男がボンボンだったとは。
そんなところまでミルダと被る。俺は内心複雑な思いに駆られた。
20年後にあんな風になっているミルダを想像するのは、ちょっと、いやかなり嫌だ。
誰が賛同しようと俺だけは断固拒否する。抗議デモを開催してもいい。
まあ、ミルダがああなるにはゴリラとフュージョンするしかないだろうが。
俺がそう言うと、オリフィエルは物理的に無理ですね、とからかうように笑った。

「もっとも、他のメンバーはもっと簡素ですよ。
サクヤ殿は旅行先の中国で購入したチャイナドレスを短く切り詰めたもの。
イナンナ殿はタンスの奥に眠っていたドレスを改造したもの。
私のマントは息子の学芸会用に今は亡き妻がこしらえたものです。
下はあなたも知っての通り仕事着の白衣。その他の小物はドンキやハンズですねぇ」

どうせサクヤが買いに行かされたんだろうな。
つくずく不憫…いや、ここは本人が満足しているから幸福な労働なのであろう。

「仮面は?あんなもの売ってるのか」

四人お揃いの金属の仮面。
雑貨店にもあるにはあるが、あそこにはペラペラのゴム製のものしか売っていないはずだ。
オリフィエルは、良いことを聞いてくれました、と顔をニヤニヤさせた。

「知りたいですか?」

もったいぶって体を前傾させる。
俺がイエスともノーとも答えないうちに、オリフィエルは笑いながら腕を組んだ。

「はっはっは、なんとネットのSMショップで注文したのですよ!」

「あははははは!SMショップ!SMショップ!」

俺がリアクションする前に、再びけたたましい笑い声がさえぎった。
どっはあ!と間抜けな声を上げてオリフィエルが跳ね上がる。
先ほどの俺もはたから見ればこのようなリアクションをしていたのだろうと思うと、
嫌な気分になった。

「ア、アンジュ?起きたんですか?」

「うーん…うん、うん、いいえ別腹ですわ。
デザートなき腹は空虚であり、腹なきデザートは盲目なので、す…」

オリフィエルは聞くが、セレーナは頭をぐわんぐわんと揺らし、またもや机にログインした。
困ったように頭をかいたオリフィエルが、珍しくため息をつく。

「はあ…、まったくこの子も困ったものですねえ。笑い上戸というかなんというか。
泣き上戸や絡み上戸よりはマシなので叔父としては安心ですが」

それはそうだろう。
酩酊状態というのは人の本能がむき出しになるという。
普段は押し隠している本性が理性に成り代わって表に出るのだ。
俺などは典型的な絡み上戸だから、本来はそういう人間なのだろう。
それに比べれば笑い上戸は根が明るいということだからよいことだ…と、
オリフィエルはそういうことを言いたいのだろう。

「あー、それで、どこまで話しましたかな」

「SMショップ」

あぁ、そうそう、とオリフィエルはポンと手を鳴らした。

「ですからね、ありあわせのもの、とは本当のことなのです。
ただ一人、この子のものを除いてはね」

ずり落ちた上着をセレーナに掛けながら、その顔を覗き込み、
ちょっと困った顔をして言った。

「セレーナのものだけは、ハスタが作ったんだな?」

「そう。急な依頼だったのに関わらず、ずいぶんと喜んでおりましたよ」

「それはまた…あぁ」

ハスタというのは何で喜んで何で怒るかさっぱり予想が付かない男だが、
今回ばっかりはやつが歓喜した理由を察することが出来た。

「やっと巨乳デザインができる!ってね」

俺の内面を読み取ったように、オリフィエルは悪戯っぽく目配せした。

「この子は胸と体重の発育だけは著しいですからなあ。
14のころにはもうCカップは…あいふぇふぇ」

したり顔で続けるオリフィエルの頬を、ぎううううっと音がしそうなほどつまむ手があった。

「オ・リ・フィ・エ・ル・さん。余計なことを言うのはこの口かしらあ?」

いつのまにか目覚めたセレーナが、腕だけ伸ばして叔父を睨みつけている。
ぐいと叔父に顔を近づけて、大きな目を半分以上に細める。
まだアルコールが抜けきっていないようだ。

「いくら叔父とはいえ、セクハラはいただけません。」

「いふぁいですよ、あんひゅー」

「ひねっているのですから痛くて当然です。神に代わっておしおきです。
オリフィエルさんは乙女の企業秘密と言う言葉をごぞんじないのかしら?」

「ひりませんよー」

「でしょうね。私が今作りましたから」

セレーナが頬肉をもぎとる勢いで指を外すと、うひゃあと情けない声があがった。
オリフィエルは泣きそうな顔で眉を下げながら赤くなった頬をさすっていた。
なるほど、似たもの同士でも上下関係というのはしっかり設定されているものらしい。
セレーナは口の端をカピカピにしているクリームをハンカチで拭って、もうっ、と言った。

「とすると、お前たちがハスタと知り合ったのは、俺たちへ顔見せした後か?」

俺は親族同士の痴話喧嘩を一切合財無視して話を進めることにした。

「いててて…あぁ、そうなりますなあ。時系列的に言うなら後のほうです」

「どうやって知り合ったんだ?」

「なに、彼の知り合いのツテで紹介させてもらったのですよ」

ハスタの知り合い。なんとも遺憾な慣用句である。
そんな奇特な人間がいるのだろうか。
あいつとて人間のはしくれだからいるにはいるのだろうが、
それにしても教師陣とハスタの間にはなんの関連性も見出せないように思えた。
俺がそう言うと、オリフィエルはセレーナと顔を見合わせて、にやりと笑った。
嫌な雰囲気だ。

「いるのですよ、そんな奇特で遺憾な人間が。
私の知人に、こう、髪がぞろりと長い無愛想な男がおりましてね。
これがもう目つきは悪いし額に傷はこさえているし、どう見てもカタギには見えないのですが…」

「話してみると意外とよく喋るし、全然怖いところなんてないんですけどね。
むしろお人よしが過ぎていつも貧乏くじを引いてるような人なんですよ」

「そうそう。性分なんですかなあ。一度その辺りを詳しく聞いてみたいものですが…。
で、なんとその男は飛び入りで私たちの計画に乱入して来た人物でしてね」

「そう。おかげで私も出番を奪われちゃいました」

「その彼とハスタさんと知人だったというわけです。類は友を呼ぶと申しますか。
私はそのことわざは本当のことなんだなあと確信しましたよ」

示し合わせたような息の合い方である。
雪だるま式にムカつきが増幅してゆく。

「貴様らは一度サンドバックに生まれ変われ。
そして殴られ続ける一生を送れ」

叔父と姪は口をそろえて、それは遠慮いたします、と真面目腐った口調で答えた。

「…しかし、俺はあんなモノをお前らに紹介した覚えはないぞ」

「でしょうな。あなたは一切覚えがなくて当たり前です。
あぁ、もちろん催眠術や薬なんて使っちゃいませんよ」

オリフィエルは少し考えた後、

「あなたは、二通目の手紙が来たときのことを覚えていますか?
私が書いたものです。居酒屋にあるようなメモ用紙の…」

唐突だった。
汚い筆跡で、夏に熱い茶を飲むことの有用性という意味の分からないことが書いてあり、
発見した直後に捨てようとしたのをアニーミに見つかってしまったあれだろうか。

「俺の郵便受けに突っ込んでいたやつのことか?それなら覚えてるが」

「それです。あのときの実行犯はサクヤ殿だったのですがね、
実はその現場をハスタくんに目撃されたのです」

「なんだと?」

「順を追って説明しましょう」

私は不在でしたから後から聞いた話です、とオリフィエルは前置きした。
いわく。自分達はいつもミーティングと称した飲み会の席で作戦を練っていたのだそうだ。
酒の勢いで話はスムーズかつ杜撰にまとまり、出すなら早い方がいいとその場で書いた手紙を
いつものようにサクヤに届けさせた。

俺のマンションにたどり着いたときに、入り口に派手な服装の男が座っていたのを見たらしい。
男…ハスタはなぜか、なにをするでもなく煙草をふかしていたのだそうだ。
おおかた俺が出てくるのを待っていたのだろうが、知らぬ者からしたら一分の隙なく不審者である。
サクヤはかなり焦ったそうだ。
入り口には怖い男がいる。近づきたくない。
だが、アスラに命令された手前何もせずに帰るわけにはいかない。
勇気を奮い立たせて男のそばを横切り、郵便受けに手紙を投入したとき、
いつの間にか横に立っていた男が自分の手首をつかみ、ニヤニヤ笑っていたという。

相当怖かっただろうと思う。
そう俺が言ったら、オリフィエルは寿命が50年縮んだとおっしゃっていました、と笑った。

卒倒しそうなサクヤをよそに男――ハスタはのらりくらりと語ったらしい。
自分は今しがたあなたが手紙を投入した人物の知り合いである、
だから何か面白いことがあるなら教えろ、仲間がいるならそこに連れて行け…と。
なにがどうなって「だから」なのかは知らないが、要約されている分だけ分かりやすい。
実際は何十倍もの時間がかかったはずだ。よく警察を呼ばれなかったものだと思う。

で、結局断るに断りきれなかったサクヤはハスタの強引さに押し切られ、
他のメンバーが待っている居酒屋まで、あの変質者をのこのこと連れてきてしまったらしい。
イナンナなどは露骨に引いていたらしいが、なぜかアスラとは馬があった。
細かいことを気にしない豪放磊落な性質と、ハスタの無茶苦茶な性格が運よくかみ合ったのだろう。
とんとん拍子で話は転がった。
俺達の衣装製作とついでに、まだ変装を用意していなかったセレーナのものを請け負ったハスタは、
その日のうちに寸法を取りに俺の自宅に転がり込んだのである。
二通目の手紙が来た日とハスタが訪れた日は同日だったはずだから、恐るべき行動力である。

「彼はなかなかいい仕事をしてくれましたよ」

話の終わりに、オリフィエルはそう締めくくった。

「一風代わっていますが、根は真面目…いえ、真面目なところもあるのですね。
なんにせよ魅力的な人物だとは思いますよ。類は友を呼ぶ。そのとおりです」

オリフィエルは俺を見て笑った。
誉めているのか、と訪ねると、もちろん誉めています、と即答する。
どうだか。

「ハスタの行動については分かった。
あまり噂をすると沸くからこの辺で切り上げよう、それより…」

すかさずオリフィエルが割り込んだ。

「またまた。本当は沸いて欲しいんじゃないですかあ?」

「リカルドさんの酷いおっしゃりようは、愛情の裏返しですものね」

阿吽の呼吸でセレーナが合いの手を入れる。

「わかりますわかります。このガキ!だとか、このモジャモジャ!だとかね。
俗に言うツンデレってやつですかあ。わかりにくいようでわかりやすいお人です」

「まー、やだオリフィエルさんったら。ツンデレはもう古いですよ。
今はヤンデレっていうのが流行みたいですよぅ」

「ほー、それはヤンキーデレですか?なんともはや…」

こうなるともう、女子高生か井戸端のおばちゃんだ。
いちいち否定して突っ込んでいても話が長くなるばっかりなので、
ここは潔く無視を決め込み、煙草に火をつける。

「それより、肝心の部分がまだなんだが」

いらだった声を隠そうともせずに言うと、流石におしゃべりが止んだ。
のはいいのだが…、

「肝心の部分?」

二人そろって首をかしげてしまったからたまらない。
からかうためではなく本気で忘れているのだろう。
俺はバン、と乱暴にテーブルを叩いた。

「だから、お前らがなんであんなことをしたかの説明だ!」

空のジョッキがゴロゴロと転がって落ちそうになるのをキャッチして、
驚いた顔のオリフィエルが眼鏡を上げた。
セレーナも小さく目を見開いている。

「お、怒らんでくださいよ。ほんのオトボケじゃないですか」

「お前らのボケに付き合っていたら夜明けが来ても話が終わらん!」

「わかりました、わかりましたよ!怒鳴るのはやめてください。
ほら、店員さんがこっちを心配そうに見ている。
いついかなるときも怒鳴るのはいかんです。はい、はい。
今からお話しますからどうか落ちついて下さい」

オリフィエルは、あなたは顔が怖いから怒ると本当に怖いんですなどとボヤきながら、
テーブルの上に放り出した俺の煙草を勝手に取って火をつけた。

「ふーう。あぁマズいなあ相変わらず。
どうしてこんなもんを皆吸うかなあ。理解できないなあ…。
それはさておき、話の続きですが…」

反省しているのかしていないのかサッパリ分からない態度ではあるが、
どうやら話す気にはなったようなので憤懣をこらえて続きを待った。

「うぅん。なんとも言葉にしにくいですな。
私たちのやりたいこととやったほうがいいことが一致したといいますか」

オリフィエルはそこで、ふーっと煙を吐き出し、

「やりたいこととは、もちろん私達自身のウサ晴らしとヒマ潰しです。
そうですなあ。あなたは、やったほうがいいことの定義をごぞんじですか?」

「知らん。考えたこともない」

「なんとも明快な返事です。
そう、そんな曖昧なものに定義などない。人によって違いますからな。
私達の場合はということを念頭に置いてお聞き下さい。えー…」

オリフィエルは咳払いし、

「教師はすべからく生徒のために働くべきだ、と私達は考えています。
なにも勉強を教えていい点を取らせることだけが教師ではない。
青臭い理論ですが、これは本当にそうなのです。私はそう思います。
教師である私達に出来ることは一体なんなのか。
部活もボランティア活動もありきたりです。
ならば、誰もがあっと驚く目新しいことをやってやろう。
子供たちのために。勉強では教えられない体験を。それが教師としての勤めである。
そして行動した。それが私達にとって、やったほうがいいことだったからです」

俺はふん、と鼻白んだ。

「お前は話が長い上に理屈っぽいからかなわん。
要はヒマだからガキどもをダシにして騒いでやったってだけだろうが」

反論すると思いきや、オリフィエルはそうですその通りです、と嬉しそうに肯定した。

「”子供たちに夢と希望と熱い友情を”というスローガンではありましたけどね。
教師という職業に根ざした行動ではあるんですけれども。
そこはまあ余暇というか、楽しくなければやってられないというか。
そもそもこのアンジュは教師ですらありませんし」

ちらっとセレーナを見てから、溜まった灰をトン、といささか乱暴に落とす。
その拍子に吸殻が散乱して、オリフィエルはそれをパッパっと掌でテーブルから落とした。
見た目や物越しに似合わず、こういうところはものぐさというか大雑把というか。

「うぅん、だから、言ってしまえば子供たちを楽しませるためでもあり、
私達が楽しむためでもあったのです。
どちらが”ついで”だったかはこの際どうでもいいじゃありませんか」

結局みんな楽しんだんだから、とオリフィエルは言った。
それもそうだと思った。
俺はちょっとばかり胃に穴が開きそうになったが、それでも嫌ではなかった。
ミルダたちに関しては言わずもがなである。

「ここでクエスチョンです。この計画を最初に言い出したのは誰だと思いますか?」

「アスラだろう。あの男が考えそうなことだ」

オリフィエルは、うん、そう思いますよね、と頷いた。
それは答えが外れであると言っているのと同じことだ。
俺が眉をひそめると、セレーナがとりなすように割り込んだ。

「リカルドさんは、エルは編集者のような役目だとおっしゃいましたよね」

「それがなんだ」

昏倒する前の記憶を思い出している内に、あることに思い当たった。
ここでその名前が出るということは、まさか…。

「そのまさかです。エルこそ、この物語の作者だったんです。
イノセンス戦隊も、悪者ンジャーも、考えたのはあの子です」

俺の顔色を読んでセレーナが答えた。
オリフィエルが後を請け負う。

「ですからね、編集者と言うなら私共のほうなのです。
彼女が書いたシナリオを現実に実行可能なように修正したのは私達大人です。
彼女のために仲間を集め、ときには脚本家自身が驚くようなサプライズを入れて…」

「待て。ラルモが大筋を考えたことは、まあ分かった。
だが、なんでお前らが片棒を担がなければならないんだ?」

最初に変装したこいつらを見たときは、とんでもない子供だましだと思った。
まるで子供が空想した絵空事を現実に持ち込んだような滑稽さだった。
それもそのはずである。全部子供が考えたことだったからだ。
しかし、どんな因果で子供が考えたシナリオをこいつらが演じなければならないのか。
オリフィエルはうぅんと唸って二割ほどしか吸っていない煙草を揉み消した。

「あなたは知らなかったのですか。エルちゃんの祖父はイノセンス学園の理事長ですよ」

「ヴリトラのばあさんがか?」

新事実の目白押しである。俺が知らなかっただけなのだが。

「そうです。最近はお腰を悪くされて引退の話も出ていますが、
なに、まだまだ現役ですよ、あの方は。
金持ちは金持ち同士というか、アスラ殿の家とも親交があります。
と言っても、アスラ殿とエルちゃんは数えるほどしか会ったことがないようですが…」

全ての発端は、ラルモが空想を書き散らしたノートをヴリトラが発見したことだった。
孫一人祖母一人で構ってやれない状況だから、ラルモはそうしたことをよくしていたそうだ。
暗いだとか子供らしくないなどとは思わない。

俺もあの年齢のころは、自分の前世は傭兵のスナイパーだったのだと信じ込んでいた口だ。
今でも実家の押入れを漁ればその頃にしたためたこっぱずかしいノートが出てくるだろう。
確かそいつの前世は死神で、そのおかげで魔法を使えるという設定だったと思う。
その魔法というのが火だとか氷ではなく土属性なのだから渋い小学生だ。
それにしても前世の前世があるのだというから、我ながらよく作りこんだものである。

俺がそう言うと、セレーナは腹を抱えて笑った。

「奇遇ですね。私は前世は聖女って設定で、回復魔法が得意って設定でした。
パーティでも組みます?あ、でもバランス悪いですね。剣士がいないと」

どうやらこういったものはほとんど全ての人間が通過してきたことらしい。

それはともかく。

孫の空想ノートを発見したヴリトラは、そのときたまたま親族代表で見舞いに来たアスラに
そのノートを見せてしまったそうだ。
書いた当人からしてみたら家出でもしよう暴挙だが、親や保護者というものはその辺りに疎い。
孫がこんなものを書いててねぇ、ほら上手でしょう、ぐらいの軽い気持ちだったのだろう。
もちろん孫の空想を現実に持ち込もうなんて考えていなかった。

しかし、見せた相手が悪かった。
生徒のために何か目新しいことをしたいと思っていたアスラは、そこでピンと来たのだそうだ。
あの男が思いついてしまったら、それはどんな無茶なことでも必ず実行される決まりらしい。
ヴリトラからノートを借り受けたアスラは早速身近な教師を集め、計画に加わるように
強要し、命令し、あるときは説得したらしい。
類は関係者の親族にまで及び、セレーナやマティウスやチトセも引っ張り出されることになった。

数回しか会ったことがない男のとんでもない計画をラルモが知ったのは、
ほぼ全ての手配が済んだころだった。

「流石に怒ったみたいですね。戸惑いも大きかったようですが。
まあ、そりゃそうでしょう。流石の私でも怒ります、それは。
頭の中で温めていた妄想を見られたのですからね。家出ですよ普通は」

しかし、ラルモは子供がやるもっともスタンダードな抗議活動には出なかったらしい。
まず何をしたかと言うと、ヴリトラとアスラを並べて説教をしはじめたそうだ。
小柄なラルモが人一倍図体がでかいアスラを叱り飛ばしている様はさぞ滑稽だったろう。
ひとしきり二人を叱り飛ばすと、今度は筋書きを考え直すからノートを返せと言ったそうだ。

”アカンアカン!このままじゃモノにならへん。ビシーっと書き直すからちゃんとやりや。
うちも恥を晒すんやから、おっちゃんらも恥ずかしがったらアカンで”

なんともラルモらしい言葉である。
そして、ラルモ原作”イノセンス戦隊VS悪者ンジャー”の脚本が完成した。

「それはもう、ところどころ相談しながら修正しましたよ。
例えば二千年生きた賢者との問答とか、実現が困難なものを。
まっさか齢二千歳のおじいさんを探しにいくわけにもまいりませんしねえ。
中国の山奥辺りには存在しているかもしれませんが
そんなことしてたらコッチがおじいさんになっちゃいますから。
結局はクイズ大会って形で残しましたが、ああなっちゃ別物ですよねえ」

オリフィエルはそう言って、あっはっはと笑った。
セレーナが、話の最中に頼んだチョコパフェをつまみながら補足する。

「ドッジボール勝負も、ほんとはお互いの気をぶつけあう戦いだったんです。
そこで悪者ンジャーは皆死んじゃうんですけど、そこは、ねぇ。
まさか市民体育館で殺しあうわけにもいかないでしょう」

デザートを食いながら殺し合いという単語を口にする女をはじめて見た。

「そっちの事情は分かったが、こっちのメンバーはどうやって選んだんだ。
まさか適当にあみだクジで選んだんじゃないだろうな」

もはやそうですと断言されても信じてしまいそうだ。

「アスラ殿はそうしようとおっしゃっていたのですがね。
私が却下しました。ここでまた質問。
この計画に一番重要な要素はなんでしょう?」

「知らん。分からん。考える気もない」

オリフィエルは質問のしがいがないですねぇ、と先ほどと打って変わったことをのたまい、

「サンタクロースの存在を信じる気持ちと、信じていなくとも
そんなものはいないと断言しない心の余裕です」

そう言った。

「いくら私達がお膳立てしようがね、主役は子供たちです。
彼らがサンタクロースなどいない、馬鹿馬鹿しい、やめると言い出したらお終いです。
人選は慎重かつ厳密に行うべきですよ」

「それで、ミルダ他三名が選ばれたのか」

確かにあんな連中は滅多にいない。
その純粋さと思い込みといったら天然記念物ものだろう…などと月並みに例えてみたが、
ベルフォルマは気付いていたのだ。他のやつらも気付いているのかもしれない。
それでさえ、思っている以上に馬鹿か思っているよりは馬鹿じゃなかったという違いなのだが。

「まあそうです、と言って差し支えないでしょう。それだけではありませんがね」

またもや歯に物が挟まった物言いである。

「あぁ、そんな顔をしないでください。ちゃんとお話しますよ。
ただ少し、語るのがはばかれることだったので」

オリフィエルは、ふぅむ、そうですねぇと言って腕を組んだ。

「あなたは、彼らがそれぞれ問題を抱えていることにお気づきでしたか?」

「そんなもの、誰だって抱えているだろう」

「私もそう思いますよ。でも、彼らの問題は、私達が教職の立場でいる限り、
解消しようがないものだったのでね。例えば、そうですねぇ…」

ふぅむ、と再びオリフィエルがうなる。

「そう。ミルダくん。彼は内気な性格な上に親元を離れて一人暮らしと来ている。
教師としてはどうにも世話を焼きたくなる存在だ」

実際はあなたと暮らしていたわけですが、と付け加えるのを忘れない。

「ベルフォルマくんは非行少年。悪い仲間とツルんでいる。
あなたも見たでしょうが、学園内で窓ガラスを殴り割るのは彼ぐらいですよ。
原因はどうやら家関係らしい。これもやっぱり、教師としては捨てて置けない」

話の途中、オリフィエルは僅かに顔を歪めた。
本人がいない場所でプライベートなことを公言するのは嫌なのだろう。
根掘り葉掘り尋くべきではなかったかと、少しだけ後悔する。

「そしてエルちゃん。彼女は例外的ですがね、我々としては看過できない。
あの子は強がってはいますがね、両親が他界したら、そりゃあ寂しいですよ。
いくら達観していても子供は子供です。
私も一応親のはしくれですから、特に気になりますよ。
お節介とは分かっていても、どうにかしてあげたいと思うのが人情ってもんです」

オリフィエルは首を左右に振って、小さく笑った。

「はい、ここでクエスチョンその3。そんな彼らの問題を緩和するには、
なにが一番友好的に作用するでしょうか」

俺が答えないでいると、オリフィエルは勝手に後を続けた。

「友達、ですよ。仲間と呼べるぐらいに絆の強い友達です。
アスラ殿はそう考えた。エルちゃんのノートを見て計画を思いついたのも、
元はと言えばミルダくんたちのことが頭にあったからなのでしょう」

「アスラ殿は、と言うからには、お前はそう思っちゃいないってことか」

そうです、と答えると思った。
しかし、オリフィエルは今度も予想を裏切った。

「いいえ、私もアスラ殿の意見には賛同します。
だけどもそれは、私の本意でもありません。
友達などいなくとも人は立派に生きていけますよ。
あの子には友達が必要だからお膳立てをしてやろうなんて考えは…出すぎです」

「出すぎ…か」

オリフィエルは出すぎですよ、と呟き、

「ですから私は意見の内容そのものには賛同していないのです。
アスラ殿が掲げた意見だからこそ賛同したのです。
私はこう見えても、あの方を深く敬愛しております。
あの方は恋愛に関しては盲目になるきらいがありますが、
それは根が真っ直ぐだからです。
アスラ殿が掲げる奇麗事なら不思議と信じる気分になってしまう。
サクヤ殿はもちろん、イナンナ殿も同じ気持ちでしょう。
あの人がそう言うならそうなのだと、信じてしまうのですよ」

「なら結局、あいつの意見ごと信じてるってことだろう。
お前もその奇麗事ってやつを信じてるじゃないか」

「そうなりますかな。そうかもしれませんね。
結局は、とてもよい形に収束したようですし。きっと、正しかったのでしょう。
ミルダくんは心を許せる友達を見つけ、ベルフォルマくんは非行を止め、
エルちゃんはさびしい思いを紛らわすことができた。
いいえ、きっとこれから先も、あの三人とあなたがいますからね。
大丈夫なんでしょう。私もやれ一安心ってとこですかね」

オリフィエルは曖昧に笑った。

「ですから、あれは彼らに良い仲間を作るために、
エルちゃんが考えた脚本を下敷きにアスラ殿が下準備をし、
私たちが用意した計画だったのです。
クイズ大会でプロフィールクイズなんてものをやったでしょう。
ベルフォルマくんの趣味はなんでしょう、というあれです。
あれはまあ、言ってしまえば相互理解を深める手助けですよ」

「まとめてしまえばそれだけ…か」

言葉にしてしまうと、なんと味気ないことだろう。

「えぇ、それだけのことです。
あなたの予測していたものとは違いましたか?」

違わない。大体同じようなものだ。
だが、頭の中で考えるのと、いざ言葉された事実を聞くのとでは、ずいぶん違う。
俺は気が抜けて、すっかり根元まで燃え尽きた煙草を灰皿に捨てた。

オリフィエルもそれを契機に店員を呼びつけ、ビールを注文した。
俺はもう飲むつもりはなかったが、止めなかった。
隣を見ると、セレーナがパフェの底をスプーンでほじくっていた。
展開する話に口を挟まずにただその場にいる、という気分はどんなものなのだろうか。
聞いてすらいないのかもしれないが。

そこで俺は、いままでは俺自身がそうだったのだと思いだして、内心苦笑した。
ガキどもの騒ぎを見守って、行き過ぎたら叱り、基本的には傍観で過ごす。
いい気分だった、と思う。もう、何ヶ月も前のようだ。
それがオリフィエルの言う出すぎたお節介の産物だとしても。
実際にミルダもベルフォルマもラルモも良い方向に向かったのだから、
きっとあれでよかったのだろう。
きっかけがなんであれ、考えたのも行動したのもあの三人なのだから。

三人…。

「三人…?」

「は?」

思わず口をついて出た呟きに、オリフィエルが反応した。
そうだ、あいつだ。あいつのことを忘れていた。

「おい、アニーミはなんなんだ?
アレは別にあのままでも構わんだろう。
誰かに背中を押してもらわんと立ち行かないタマじゃないぞ」

そう、あろうことか、我らが特攻隊長のことを亡失していたのである。
オリフィエルは、ああー、と言って手を叩いた。

「そういえば忘れてましたねえ。
彼女はねぇ、そう、背中を押される側ではなく押す側です。
言わばシチュエーションをスムーズに運ばせるための推進剤ですねぇ。
多段式ロケットについている小型燃料エンジンのようなものですよ。
ほら、ロケットが大気圏を突き抜けるために必要な、切り離し方の。
まあオマケみたいなもんです。一人は必要でしょう、ああいう爆発力のある子」

ずいぶんな言い草である。
本人に聞かれたら鎖骨ぐらいはへし折られるだろう。

「まあー彼女なら、エンジンだけで単独飛行に成功して
宇宙を一周したあげくドカーンと戻ってきそうですが。
結局、アニーミさんが一番張り切ってたし楽しんでましたよねぇ。
はっはははははは!こりゃ一本取られた」

しんみりとした空気が吹き飛んだ。
さすがは、アニーミである。


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