俺はとりあえず、ハスタとスパーダのそばへ歩み寄った。 面倒臭いことこの上なかったが、自宅の前で騒ぎを起こされるのも気持ちよくはない。 なにより、一度注目を浴びたことで、俺は撤退のタイミングを完全に失っていた。 俺はスパーダに、手始めに自己紹介をした。 このマンションの住人であること。イノセンス学園に講師に来ていること。 ハスタと知り合いで、先ほどまで部屋で話をしていたこと。 そして、学校で今日の騒ぎを見ていたから、スパーダの名を知っていることを、手短に話した。 騒ぎの件に触れたとき、スパーダは一瞬、複雑そうな表情を浮かべた。 ともかく、俺が話している最中、彼がまとう険のようなものが、少しだけ緩んだ気がする。 このまま興を削がれて立ち去ってくれるといいのだが。 しかしここで、空気を読む能力が壊死しているハスタが、 「わかった。キミのあだ名はガラスクラッシャーくんだ」 と言ってくれたおかげで、俺の努力は元のもくあみと化した。 3秒後にはつかみ合いの喧嘩が始っているだろう。 俺は素早く二人の間に割って入った。 「まあまあ、待て。そもそも、どうしてこんなことになったんだ」 「なんでてめぇに答えなきゃなんねぇんだよ」 スパーダが、疎ましそうに俺に言う。 しかし、その視線は、ハスタに向いていた。 生理的に受け付けないものを見る苛立った目だった。気持ちは分かるが。 「マンションの目の前で問題を起こされては困る。事情ぐらい知っておいてもいいだろう」 本音だったが、正直なところ、原因などなんだってよかった。 しかし、とりあえず場を繋ぐことが大事だ。 俺はハスタに、視線で、いらんことを言うな、と訴えながら、スパーダに言った。 「別に、言うほどの事情もねぇよ。 こいつがガンくれてきやがったから、のしてやろうとしてただけだ」 スパーダは、意外と素直に答えた。 なるほど、アスラの言うとおり、道理に耳を傾けることは出来る男らしい。 「あん、今の深く傷ついた。リカルド氏ぃ〜ん、 オレってそんなに、アブない目つきしてるかい?」 「してるな」 俺はハスタの胸をどつき、だまらせた。 そして、スパーダのほうを向き、 「スパーダ。……スパーダでいいんだよな?苗字はなんだ」 と、聞いた。スパーダは軽く頷いた後、 「ベルフォルマ」 と答えた。 「では、ベルフォルマ。もう行け。これ以上こいつと話をしても得にならんぞ」 「なんでお前の命令に従わなきゃなんねぇんだよ」 「命令ではない、忠告だ。これ以上騒ぐつもりなら警察を呼ぶ。 こんなつまらん男のために、警官の世話になりたくはないだろう」 俺の後ろで、ハスタが「オレって面白い男デスよー」などと声を上げたが、 スパーダは俺のほうを見ていた。 納得がいかなそうな顔の中に、葛藤の色が見える。 そういえば、スパーダ――ベルフォルマは、家庭の事情とやらで荒れているようだから、 親を呼ばれるとまずいのかもしれない。 彼はしばらく俺を睨み付けた後、すっと視線を外した。 そして、手に持ったままだったヘルメットをかぶる。 「引いてくれるか」 「……あんたに免じてな」 ベルフォルマはそういいながら、バイクにまたがった。 「すまんな」 発進しようとハンドルに手を掛けたベルフォルマが、身を起こした。 フルフェイスのヘルメットのシールドを手で押し上げて、俺を見る。 まだ子供っぽさを残した目元がまるくなっていた。 「なんで、あんたが謝るんだよ」 「謝罪ではない。礼のほうの、すまん、だ」 「同じじゃねぇの?」 そう言って、ベルフォルマは笑った。 目元しか見えていないので些細な変化だったが、 今まで険しか映していなかった瞳が、わずかに穏やかになったのが見えた。 「ヘンなやつ」 ベルフォルマは再び目元をプラスチックで覆うと、今度こそバイクを発進させた。 マフラーの固い音が遠ざかっていく。 完全に彼の姿が見えなくなった瞬間、俺は深くため息を吐き出した。 「で、お前はどんないらんことを言ったんだ」 「あ?」 「なにか言ったんだろう」 俺はハスタをにらみつけた。 ベルフォルマは、もう一度言ってみろ、と叫んでいた。 絶対に、この阿呆が神経を逆撫でするようなことを言ったに違いない。 なにより、あのベルフォルマという少年は、 目が合っただけで喧嘩をふっかける類の人間ではない、と俺は確信していた。 「そういや、ナンか言ったっけか?ん〜……、あぁ、もしかしてアレかにゃ。 でも、一言しか言ってないんだけど。あれぐらいで怒らなくてもいいジャンネェ。 完全にあいつが悪いよ、これ。オレ被害者だって。ほんと一言だったんだぜ?」 俺は、顎で、言ってみろ、とうながした。 「ダッセェバイク」 「お前が悪い」 俺は携帯灰皿で、やつの広い額を殴っておいた。 やつが、アイタ!と言いながら、額をおさえる。 「いいか、次、俺のマンションの前で問題を起こしたら、出入り禁止にするぞ」 俺はやつに言い聞かせながら、その胸に携帯灰皿を押し返しておいた。 もしかしてこいつは、俺を面倒ごとに巻き込むために、わざと忘れ物をしておいたんじゃないだろうな。 本人に聞いてもはぐらかされるだけだろうから、いちいち確認はしないが。 「りょ〜かい了解、軍曹殿。お届けご苦労であります」 俺はハスタの膝の裏を蹴り付けた後、振り向かずにマンションの中へ戻った。 どっと疲れていた。早く、テレビでも見ながらだらけたい気分だ。 しかし、この二日後、今日の出来事が頭から吹っ飛ぶほどの衝撃がやってきた。 そう、くだんの”三日後”の話である。 大体予想は出来ているだろうが、その日、ミルダが家にやってきた。 そして、あのハスタと並ぶほどのビックリ発言の数々を、演じてくれたのである。 |