We are THE バカップル8

 

「そろそろ出発するぞ」

「うん、あ、ちょっと待って。携帯忘れた」

俺は寮の入り口に止めた車の横に立ち、慌しく引き返すミルダの背を眺めた。
着込んだスーツの背中が、べたりと汗で張り付いている。
日差しは痛いほど照りつけ、アスファルトが茹っている。
俺は開いたままのトランクに片手をそえながら、寮の門を見上げた。
寮全体の活気が、いつもより薄れているように見える。
実家に帰省をする学生たちのせいで、人口密度が落ちているせいかもしれない。

そう、今は夏休みだった。
俺はミルダの里帰りに付き合うために、車をまわしていた。
しかし、今回のメインイベントは里帰りではない。
ミルダの両親に、俺と同棲をする許しをもらうための訪問だ。



交際をはじめて、通い妻よろしく毎日毎日俺の家に上がりこむミルダが、
同棲をねだりだすまで三ヶ月もかからなかった。
当然、最初は反対した。
しかし、例によって俺が流されるまで、これも一月とかからなかった。
内訳を聞きたいか?
しつこくねだられたのが二週間、悩んで二週間だ。
ミルダが俺の留守の間に自分の家具を運び込んでおいたあたりで、
俺は悩むのをやめた。ばかばかしくなったからだ。

ともあれ、そのためにはやることがあった。
まず、四国のミルダの実家に挨拶に行かねばならない。
もちろん、恋人としてではない。
東京で過ごすいっとき、息子の面倒を見る「親切な他人」として挨拶しに行くのだ。
いや、なんとしてもそう思ってもらわなければならなかった。
どこの親が十歳も年上のホモとの同棲を許せる。
別に俺は元からのゲイではなかったが、はたから見れば、そういうことだ。

とにかく、俺は自分をいたってまともな人物に見せかける必要があった。
まずミルダの両親に、就活の学生が企業相手にするような慇懃な挨拶の電話を入れ、
押入れの奥で眠っていたタンスにゴン臭いスーツを引っ張り出し、
額の傷を、いかにも”三日前階段から落ちた傷です”というように真新しいガーゼを張って隠した。
ついでに散髪もしようかとも思ったのだが、ミルダがしつこく止めたので、髪は結局そのままだ。
むろん髭も剃って行くつもりだった。
しかし、髭剃りを手にした俺を見て、ミルダが散髪を止める以上の激しさで駄々をこねた。

「チャームポイントを剃るなんてとんでもない!」

結局、俺がした仕度と言えるものは、額の傷を隠蔽することだけになった。
その後、俺はスーツケースに三日分の着替えを詰めて、背広に腕を通した。
久しぶりにスーツを着てみると、やはり、どこか引き締まった気持ちになる。
しかしそれでも、鏡の前に立った長髪の男は、うさんくさいことこの上なかった。
自分でもそう思うのだから、他人が見ればもっとあやしいだろう。
とてもサラリーマンには見えない。二年は臭い飯を食ってきたツラだ。
俺は不安になった。

(大丈夫なのか、これで)



しかし、大丈夫だった。
ミルダの母親はおおらかで、悪く言えば天然だった。
ミルダに良く似ていて、細かいところに大雑把な女性だった。
少しおっちょこちょいだが気がやさしく、俺の来訪を心から歓迎してくれた。
父親のほうは、厳しい目元をしていたが、特に反対はしなかった。
いい意味で、息子の暮らしを放任しているらしい。
一人で東京に送り込んだ以上、おおむねの決定権を息子に委ねる覚悟なのかもしれない。

俺はミルダの母親が作ってくれたチーズスープをご馳走になった後、
ミルダの実家近くにとったホテルに戻った。
四国に滞在した三日間、実家から毎日足を運ぶミルダが、
正岡子規博物館だの、夏目漱石ゆかりの地など、頼んでもいないのに案内してくれた。

ほとんど電車と徒歩の観光だったが、たまにミルダの実家にある古い自転車を借りた。
一台しかないので、大体の場合はミルダを荷台に乗せ、漕ぐのは俺の役目だった。
二人乗りなどする年ではないが、学生時代のことを思い出し、懐かしかった。
一度ミルダが漕ぎたいと言い出し、仕方なく運転を譲ったのだが、
案の定ふらふらの運転で、危うく転倒しそうになった。
恥ずかしそうに倒れた自転車を起こすミルダを見て、俺は腹を抱えて笑った。

このころには、俺とミルダはほとんど親しい友人のような関係になっていた。
もちろん、友人としてだけではないが、割愛させてもらう。
ともかく、久しぶりにはねを伸ばせて、俺は充分楽しかった。
ミルダも嬉しそうにしていて、気分がよかった。

四国の中でとりわけ都会のここでも、自然はゆたかだった。
田んぼがあちこちに残り、海が近いおかげで、そこかしこで潮のかおりがする。
沖縄の海のように透き通ってはいないが、それでも十分、きれいな海だった。
故郷を思い出し、心が和んだ。
俺は、釣り糸を垂らしながら俳句を考えているミルダの横顔を見た。

「友達に、会いに行かなくていいのか」

ミルダが少し、迷うようにうなって、「いないから」と言った。

「別にいじめられてたわけじゃないけど」

俺はそれ以上聞かなかった。
曖昧に相槌を打っておいて、動かない釣竿の先を眺めた。
沈黙の間に、ミルダが何か考えている気配がした。
昔のことを思い出しているのかもしれない。

「あ…あ、思いついた」

「ん?」

ミルダは、俳句、とつぶやいた。

「リカルドと、僕は一緒に、釣りしてる」

「季語がない」

「あるよ」

ミルダが小さく噴出して、釣竿を置いた。
両手をコンクリートにつき、首を伸ばしてくる。
やわらかいものが俺の唇にあたった。

「僕にとっての春は、リカルドだもん。夏も、秋も、冬もね」

近い顔がうっとりと笑った。

「罰金、千円」

「なにそれ」

「外でイチャつくな。これからは罰金をもらう」

「じゃあ、二千円払うね」

再びミルダが俺の下唇をついばんだ。
俺はカラのバケツでミルダの頭を小突きながら、
まあ、人気もないからいいか、と思っていた。

甘いにもほどがある。



そして、特に事件もなく、短い旅行が終わった。
俺はミルダの両親に別れの挨拶を告げて、立派な門の外でミルダを待っていた。
しばらくして、両腕をみやげ物のポンカンでいっぱいにしたミルダが出てきた。
眉を下げて、苦笑をきざんでいる。

「リカルドさんと一緒に食べて、だって」

「おおせつかった」

俺は笑い、ミルダの荷を半分持ってやった。
それから俺たちはフェリーに乗り、新幹線を経由して東京に戻ってきた。
帰りの車の中、”眠々打破”を飲んで車を運転する俺の隣で、
ミルダはすやすやと熟睡していた。
俺は渋滞の最中、その頬をつねってやったが、ミルダは起きなかった。





旅行から一週間経ったころには、ミルダはすっかり俺の家に馴染んでいた。
弱気で、気を使いすぎるほど使う少年だと思っていたのだが、
俺の前では驚くほど奔放に振舞った。
堂々と俺のベッドに忍び込み、風呂上りには当然のように裸でうろつく。
ところ構わず手をつなぎたがっては、俺を困らせた。

いわゆる、”夜の生活”と呼ばれる部類の話題でも、やつはわがままだった。
同棲なんてことになったからには、そっち方面にも話が及ぶことも想定していたが、
そもそも、俺はミルダとセッ…、失礼、直球すぎた。言い直そう。
…俺はミルダと体を重ねる気はなかった。
当たり前だ。犯罪者になってしまう。
長いこと女日照りだったので、別に2,3年待つことぐらいなんともない。風俗もあるしな。
しかし、やつはそんなことなど知らん顔で、たびたび俺のベッドに半裸で潜りこんできた。
ひどいときには、俺が寝ようと布団をめくると、全裸のミルダが腕を広げて待っていたこともある。


俺たちは夜になるたびに、そのことについて言い争った。
ミルダは思春期の性衝動の激しさとそれに我慢を強制することへの無慈悲さを訴え、
俺は痔から感染するあらゆる病気の危険性と道徳観について説いた。
そんな喧嘩が2週間ほど続いたところで、俺が折れた。
決して欲望に負けたからではない。睡眠時間の減少を懸念してのことだ。
そしていざセッ…、…ベッドインというときに、またもや事件がおきた。

「俺が上だ!」

「違うよ!僕が上だって!」

「いや、お前が下だ。どう考えたってそうだろうが」

「なにをどう考えたらそうなるのか説明して欲しいね!
リカルドが下だよ!絶対!ゆずれない!」

結局これも、俺が折れるというスタンダードな方法によって解決した。
これ以上は説明する必要が無いだろう。
次の日、俺が立ちながら仕事をしたことは、言うまでもない。


ともかく、今のミルダは、あの駅前で出会った少年と同じ人物とは到底思えなかった。
それがミルダ本来の性質だったのか、それともあのときから変わった結果なのかは、
俺にはわからない。

――必ず、幸せになります。幸せでいつづけます

俺は夏休みの自由研究のためにミルダが購入したひまわりの鉢に水をやりながら、
居間で甲子園の試合を観戦するミルダの横顔を眺めた。
でかいグラスに注いだカルピスを飲みながらくつろいでいる顔は、
なるほど、ムカつくほど幸せそうだった。



夏休みというのは短いもので、一旦始ってしまえばあっという間に過ぎ去ってしまう。
それはミルダにとっても例外ではないようで、8月も半分を超えたころ、
とっくに宿題を終えてしまっていたやつは、口々に遊びに連れて行ってくれとごねた。
やることがなくなって暇なのもあるが、何もしないまま夏休みが過ぎて行くのがさびしい、と言う。
俺が、里帰りをしただろう、と言うと、ミルダはくわえていたアイスを口から取り去りながら、
眉を吊り上げた。

「そういうんじゃないって!もっと、思い出を作ろうよ。
高校一年生の夏休みは一度きりしかないんだよ?」

「社会人の夏休みは、何十回もあるがな」

俺はミルダの提案を一蹴した。
学生にとって夏休みは年に一度しかない大切な行事なのかもしれないが、
学生時代の記憶がすでに薄れつつある人間としては、
街中にガキが増えるだけの時期でしかない。
俺は、まだふくれつらをしているミルダに背を向け、
そのうちな、と適当なことを言い置いて、仕事に出かけた。
特別なことをする気など、毛頭なかった。



事件はその日の夕方に起きた。
いや、事件だと思っているのは、俺だけかもしれない。
ミルダとアニーミとベルフォルマに、あれはなんだったのだ、と聞けば、
こう答えるだろう。

「地球を守るための戦い」

と。

さて、そろそろ煙草の量が増えるぞ。
用意はいいか?


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