We are THE バカップル9



そこは、異様な光景だった。
夕暮れの空き地に、四人の男女の異様なシルエットが浮かび上がっている。
まず、大柄な男の横に寄り添う二つの影が目に入った。女性だ。

黒い髪の女性は目元だけを覆う蝶を象った形のマスクをしていた。
肩口がパッドでも入れたように盛り上がっている。
黒いチャイナドレスのスカートがこれ以上ないぐらいのミニ丈になっていて、
露になった太腿を、恥ずかしそうに手のひらで隠していた。

もう一人の女性はもっとすごかった。
華やかな桃色の髪をアップにしていて、こちらも露出度の高い装いをしている。
ぱっくりとへそまで裂けた胸元はその豊かさを見せつけ、
過剰に入ったスリットが白い太腿を惜しげもなくさらす。
それでいて彼女は、チャイナドレスの女性とは対照的に、
体を見せ付けるように腰に手をあててふんぞりかえっていた。
顔の大半を覆い隠すメタリックなマスクの下側で、
紅を塗った優雅な口元が誇らしげに微笑んでいる。

そして少し離れたところでは、白いマントを身に着けた男が、一人の女性をしいたげていた。
いや、語弊がある。
頭部を覆うヘルメットの隙間から寝癖の付いた頭髪をところどころのぞかせたその男は、
手に持った縄跳びのような鞭で、女性の横の地面をひまそうに叩いていた。
俺を見て、その男が軽く手を振り返してきた。
マスクの中に手を入れて、ずり落ちた眼鏡を直している。
そして、マントから除くタスキには”マッドサイエンティスト”と汚い字で書かれていた。

そのやる気のないマッドサイエンティストの足元では、
華奢な女性が、睫毛を震わせながらうずくまっていた。
腕を後ろで組まされて、その腕が漫画のようにロープでぐるぐる巻きになっている。
チャイナドレスの女性が、ときおり、ちらりと彼女のほうを気にしていた。
どこかで見たことがある。あぁそうだ、マティウスと一緒にいた女だ。

唐突に、中央の男がどすんと一歩進み出してきた。
彼は一番派手な出で立ちをしていた。
桃色の髪の女性と同じデザインのマスクを身につけて、
目に痛いほどの真っ赤なマントに身を包んでいる。
そしてそのマントの中で、いかにも重そうな、銀色の甲冑が光った。
重量感も光沢も、本物のようだった。もしかしたら、本当に本物なのかもしれない。
彼の長い銀髪が、ちょうどいいタイミングで、ばさりと風にたなびいた。
端正な口元が、不敵な笑みをきざむ。

「ようやくそろったか、聖なる五戦士よ。
よかろう、諸君らに免じ、この場は立ち去るとしようか。
だが、忘れるな!我こそがこのイノセンス横丁を支配する魔王なり!」

夕暮れでオレンジ色に染まった空き地の中に、野太い高笑いが響いた。

「貴様らの臓腑にそのことを刻んでやろうぞ!
我が名を聞くだけで血反吐を吐いて息絶えるように!」

そう言って、男は真っ黒に塗られた竹刀を高く掲げた。
俺の左右にいるミルダとベルフォルマが、ごくりとつばを飲み込み、
一番先頭のアニーミが、ぐっと拳を握り締めた。
ラルモだけが落ち着き払って、腕を組みながら、俺の顔をちらっと見返った。
そんな目で見るな。俺は何も知らん。
俺は一歩前に出て、男たちに言った。





「すまん。さっぱり意味がわからん」


まず、ここに至った経緯を話す必要があるだろう。
あれは、夏休みも半分を明けたころ。
そう、里帰りを終えて俺とミルダの同棲が一週間ほど経過したころだ。
俺が居間で甲子園を見ながらくつろぐミルダに、
仕事に出かけると言って家を出たときまでさかのぼる。


******************************



その日の昼、俺は大衆居酒屋でクライアントの一人と飲んでいた。
ミルダには仕事と言って出かけたが、実際にはクライアントとのプライベートな飲み会だ。
しかし、この仕事は実力よりもコネがものを言う。
ただの飲み会でも、立派な仕事の一部だ。
なにせ、酒が入った人間ほど交渉は進みやすい相手はいない。
相手の意図を、求めるものを推察し、口説き落とすのはわけない。お手の物だ。
犯罪者を尋問し、なだめ、すかす手管を、少しだけ流用してやればいい。
昔とった杵柄というやつか。
そしてこの日も、俺は見事に新しい契約にこぎつけた。
まだ口約束だが、次に顔をあわせるときには具体的な話になっているだろう。
積極的に仕事を取らなければならない。
なにせ、無駄な荷物が家に転がり込んでくれたのだ。
俺は前に増して、仕事熱心な人間になっていた。

(まるで乞食だな)

熱心に働く一方、俺は苦々しい思いも抱いていた。
警察官になったばかりのとき、彫刻家を目指したばかりのとき、
こんな風に契約を取ることだけに奔走する自分の姿を想像しただろうか。
あちこちに媚を売り、八方美人をしながら、それがバレないように手を回す。
俺ももう若くない。
そうしなければ生活が出来ないことも理解している。
しかし、十代のころのような純粋な正義感や創作意欲は、
もう二度とこの手に入ってこないだろう。

俺はほんの僅かにだけ、ミルダがうらやましくなった。
あの少年は、そのときどきの感情と、自分の中にある衝動だけで生きている。
彼が感じている混じりけのない青春の愚直な輝きを、
俺はもう感じることが出来ないのだ。

淡い苦さを胸に、俺は帰路についていた。
もとから飲むつもりで外出したので、徒歩だ。
昼過ぎから飲み始めたので、まだ6時となっていないだろう。
家で腹をすかしている、あの、生意気なかわいい王様に夕飯を作ってやらねばならない。
そういえば、目玉焼きを乗せたハンバーグが食べたいと言っていたな。
卵料理はミルダの好物だった。
確か、今朝あいつに玉子焼きを作ってやったせいで、もう卵の在庫がないはずだ。
それをふと思い出し、俺はスーパーに向かった。



ミルダ用の菓子とジュース、俺用のビールとつまみが入ったカートを押しながら、
俺は肉コーナーの前で立ち止まった。
頭脳の中の情報網が、俺の迂闊を告げる。

――しまった。

後一時間ほど遅く来れば、タイムサービスで半額になっていたのに。
出直すのも面倒だが、半額の誘惑は強い。
ついでに、ここのタイムサービスはトイレットペーパーが三個まで半額で買えるのだ。
われながら主婦のような思考だと思うが、しょうがない。
食費が一気に二人分に増えたのだ。
ミルダは育ち盛りの年頃の割りにはそれほど食欲旺盛なほうではなかったが、
それでも食費はめまぐるしくかさむ。
ミルダの両親からの仕送りは、やつの将来のために貯金するように言ってあるので
(さすがに家賃はもらっているが)、ほとんどの食費や光熱費等の維持費は俺の懐から出ていた。

ミルダを呼んで、タイムサービスまで時間をつぶすか

挽肉を手に思案する俺の背中に、のうてんきな声がかかった。

「あれ、なあ、もしかしてリカルドのおっちゃん?」

振り返ると、背丈の小さい少女が、カートに片手をもたらせながら、俺の顔を見上げていた。
ノースリーブの薄手のパーカーに、ジーンズ素材の短パンを履いていた。
ベリーショートというのだったか、短く刈った頭髪とあいまって、ぱっと見では少年に見えた。
しかし、真っ黒に日焼けした顔にはそれでもほのかな甘さがあって、
高校生になるころには結構な美少女になるだろう、と俺は常々思っている。
決して俺がロリコンなわけではない。客観的な感想だ。
その少女は、俺の横にひょいと手を伸ばして100グラムのバラ肉を取ると、
ネギや洗剤などいかにも家庭的なにおいのする物品が転がっているカートの中身に加えた。

「えらいひさしぶりやな〜。なんや、たまには顔ぐらい出しぃな。
マメやない男はモテへんで。で、作品作り、うまくいっとるん?」

俺は、ぼちぼちだ、とだけ返した。
このエルマーナ・ラルモという少女は、大きな瞳を懐かしそうに細めた。
本当にひさしぶりだ。
ラルモは俺のマンションの隣の一軒屋に住んでいる少女で、たびたび近所ですれちがう仲だ。
元は関西に住んでいたらしいのだが、不幸な事故で両親を一度に亡くし、
今は東京の祖母と一緒に暮らしている。
しかし、彼女もその祖母も、己の不幸を悲観しているようなところはなかった。
祖母一人、孫一人で、そこそこ幸せそうに暮らしているように見えた。

二年ほど前、俺が仕事で食いつめ、家賃を残して全財産が尽きたときに、
見かねて夕食に誘ってくれたのが彼女だ。
彼女の祖母は齢70を越していたが少しも耄碌したところはなく、さばさばとした性格の人物だ。
ラルモ自身も、全く人見知りをしない性格をしている。
彼女が作ってくれた飯のあたたかさを、俺は生涯忘れないつもりだ。

「学校は、どうだ。もう中学生になったのだろう」

「ぼちぼちや。…ん?ちょい待ち。失礼するで」

ラルモは快活そうな笑顔をみせると、爪先で立ち、俺の顔に鼻先を近づけた。
すんすんと鼻を動かしてから、悪戯っぽく笑う。

「やっぱり!酒臭〜。なんやおっさん、昼間から飲んどるん?この酔っ払い」

「仕事でだ」

「ほんまに?2年前も同じこと言うて、ガリガリに痩せとうたやん」

ラルモは妙に目ざといところがある。
両親を幼い頃になくして、世慣れした結果か。
俺は彼女が可愛い顔で説教をしてくれないうちに、話題を変えることにした。

「ヴリトラのばあさんは元気か。足を痛めていたはずだが」

「う〜ん、そっちもぼちぼちやなあ。足っつーより、腰のほうが問題なんよ。
まああの年やし、しゃあないよ。あちこち出歩かれてもかえって危ないでな。
むしろ安心しとるわ」

俺は、そうか、と答えて、考え込んだ。
ラルモの祖母――ヴリトラは、確かどこぞの学校の理事長をしていはずだ。
仕事に差し支えなければいいのだが。
ヴリトラは、齢70を超えながら、美しい女性だった。
見た目だけ見れば、50代にも見える。やさしげな目元は母性に満ちて、明朗な声をしていた。
しかし、彼女の美しさは外見ではない。
内面からにじみ出る包容力、背筋がぴんと伸びるような生命力が、彼女を美しく見せていた。
ともあれ、俺はあたたかで寛容な雰囲気を持つ彼女を、好ましく思っていた。
念のために言っておくが、俺は老女趣味はない。再度言う。客観的な感想だ。

「んで、おっちゃんは今日なんにすんの?ハンバーグ?」

俺の買い物かごの中身をのぞき込んで、ラルモが言った。
肯定すると、ラルモは俺のカートから素早く挽肉のパックを奪い取り、
肉屋の定員に向かって、

「おっちゃーん!これマケたって〜な!」

と、店中に響き渡る声で言い放った。
周囲の客の目が一斉に集まる。
…おい、ここは大阪じゃないんだぞ。
居心地の悪い思いをしている俺をよそに、
肉屋の主人はやに下がった笑顔とともに、はいよー、と愛想良く答えた。

「…おい、ラルモ…」

「なん?あ、ちょ、これもオマケして。にんにく醤油。ええやろ〜」

「おい」

「なん?今ええとこやから邪魔せんといてくれん?

ラルモがさも迷惑そうに言って、交渉に戻った。

「あ、おいちゃん、このラード、ええ品使っとりますな〜。
ええなあ、これ付けてくれたら、思わずおいちゃんに惚れてまうのにな〜…」

俺は顔面の温度が3℃は上昇しているのを感じていた。
しばらくして、山ほどの戦利品を俺の買い物かごの中に押し込んだラルモが、
俺の顔を見上げて、にかっと白い歯をのぞかせた。

「なに?ええんよええんよ、うち、お得意様やから。
ほいじゃあなあ、おいちゃん!ありがとさん〜!」

「……礼を…言う…」

いつの間にか、精肉コーナーの周囲には人だかりが出来ていた。
ラルモの値切りの見事さに拍手が沸きあがる。
俺は肉屋の店員に会釈を返すと、その場から足早に逃げた。





「なんや、まだ恥ずかしがっとるん?大阪やと日常の風景やで」

「ここは東京だ」

俺は二つ分の買い物袋――俺の分とラルモの分――を両手に持って、
スーパーから出るところだった。
安くすんだ上に山ほどオマケを貰ったのはありがたかったが、
俺は次このスーパーに来るときは変装をしてこよう、と決意していた。

「なあ、リカルドのおっちゃん」

頭の後ろで腕を組んだラルモが、ひょいと俺の前に進み出た。
少しはにかんだように笑っている。

「せっかくやから、久しぶりにうちで食うてかへん?ばあちゃんも喜ぶし」

「あぁ…、いや、俺は…」

同居人に飯を作ってやらなければいけないから。
そう言おうとした俺の言葉は、スーパーの自動ドアをぶち破らんばかりの怒号にかき消された。


「こんの誘拐犯!!!豚野郎!!!!!!」


唐突に、本当に唐突に、俺の胸倉に小柄な影が突っ込んできた。
俺は買い物袋を取り落としそうになり、あわてた。

なにをする。卵が入っているんだぞ。

俺は食料品を守るために足をふんばった。
そんな俺をよそに、体当たりをしてきた少女は、俺の胸倉を掴んで激しくゆさぶった。
揺れる視界の中で、彼女の手からはらりと三つ折りの紙が滑り落ちたのが見えた。

「あんたっ!ルカを!ルカをどこにやったのよ!素直に白状しないとひどいわよ!」

アニーミだった。
懐かしさすら感じる、あの勝気な猫目が、今やレーザーような視線で俺を睨んでいる。
夏休みだと言うのに夏用の制服を着ている。
スポーツバックを肩からさげているから、部活の帰りなのかもしれない。
しかし、そんなことよりも、聞き逃せない一言があった。

――ルカ?ミルダがどうしたって?

「ま、待て、揺するな、意味がわ、か、ら…」

視界ががくがくと揺れる。舌を噛んでうまくしゃべれない。
脳震盪になるのも時間の問題ではないと思えた。

「えぇいやっかましい!しらじらしいのよ!や〜っぱあんただったのね!
前々から怪しいと思ってたのよ!その額の傷とか超あやしい!
こんの……ショタコン野郎!!!」

ショタコンは否定できないが……なんだって?
誘拐犯?あやしいと思っていた?なにがだ?意味がわからん。
しかし、アニーミの様子からして、ただならぬ状況なのだろう。
その気になればかめはめ波でも撃てそうな雰囲気だ。
アニーミが、白状しやがれ!チンピラのような口調で俺を怒鳴りつける。
しかし、白状するもなにも、俺は荷物を落とさないことに必死だった。それどころではなかった。

ぽかんと俺たちの様子を見ていたラルモが、アニーミが取り落とした紙切れを拾い上げた。

「なんや、この紙」

首を傾げながら、紙を広げる。
文面を追って視線が左右するうちに、徐々に眉がよっていった。
どうした。読むなら早く読んでくれ。吐きそうだ。
しばらくして、ラルモがその広い額の中央をおさえた。

「一言で言う。電波や」

ラルモが、聞きたい?と俺に目で問いかけた。
俺も目でうなずいておいた。

「ほんなら……」

ラルモが、すっと息を吸い込み、

「”我々は悪者である。いきなりだが、ルカ・ミルダの身柄は預かった。
今日中までに聖なる戦士を集め、我らが秘密基地へおとずれよ。
さもなくばルカ・ミルダの命の保障はできない。基地の場所はイノセンスライダーが知っている。
一刻も早くイノセンスライダーを見つけ、基地の場所を聞き出すのだ。
まずは駅前のスーパーへ向かうがいい。そこにヒントはあるだろう。 by謎の男X”」

ラルモが、ところどころなまった台詞で、手紙を読み上げた。

「……えっらい親切な悪者やなあ。うわ、サインまであるし。最近の悪者はこっとるなあ…」

そして、俺を見上げながら、のんびりと言った。

「で、ルカ・ミルダって誰やのん?」






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