Gluttony11

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「無理です。もう俺たちでは、止められなくて…、
今すぐ来てくださらないと、もっとひどくなります」

日焼けした肌を持つ青年が、そう気色ばんだ。

「いさかいは起こすなと言っておいただろう」

僕は青年に言いながら、ペンを走らせた。
耳障りのいい低い声。背中に長い髪の感触を感じる。
腕があり、足があった。目が、部屋にたちならぶ家具を見ている。
机の上に置いた指先は、色白で、無骨だった。
目の前の青年の顔が、情けなく歪んでいる。今にも泣きそうだ。

「……まあいい」

僕は書きかけの手紙の横にペンを置き、椅子から立ち上がった。
視界が高い。見慣れた高さより、10センチは上なのではないか。
僕は青年についてくるように顎で示すと、扉を開いた。
数軒の粗末な家屋が見える。
もっとも、僕にとっては見慣れた風景だ。
ここはグリゴリの里だった。


僕が書斎で各国の有力者にあてた手紙を書いていたとき、
グリゴリの青年が血相を変えて飛び込んできた。
聞くと、他国から派遣された職人との間で小競り合いが起きたらしい。
最初はささいな口喧嘩だったらしいのだが、すぐさま大勢を巻き込んで、
今や合戦の様相を呈しているらしい。

――グリゴリは、扱いづらい民族だ

僕はそう思っていた。
彼らはきむずかしいところがある。
まがりなりにも、彼らに流れる神の血の誇りが、他者との交流を拒むのだろう。
これから、更に大勢の人間と関係を持たねばならないのに。
先が思いやられる。
僕はかすかにため息を吐き出した。

――兄者も、とんだ置き土産を残してくれたものだ

だが、不満はなかった。自分で選んだ道だからだ。
それに、だからこそ、達成のしがいがある、と僕は思っていた。
彼らはときにわがままな子供のようだが、誇り高い民族である。
その高潔さを維持したまま、島を発展させる。古今類をみない大仕事だろう。
僕は扉を片手で支えながら、振り返り、

「場所は分かるな?」

と、言った。
グリゴリの青年は、びくんと肩を動かした。

「はい!もちろんです、リカルド殿。ご案内します」

慣れない口ぶりで敬語を使う青年に、僕は笑み返した。
僕は、彼になっていた。



彼がライフルの引き金を引いた瞬間、僕の意識は途絶えた。
僕が次に目を覚ましたときに見た風景は、船の上だった。
海原を眺める目、手すりを撫でる手、甲板に立つ足は、彼のものだった。
僕の意識は彼の中に入り込んでいた。
いや、僕は完全に彼だった。そして、彼も僕だった。
彼の記憶と僕の記憶、彼の意識と僕の意識が混ざりあい、彼の中にあった。
僕は戦場で駆け巡る感触を、僕のものとして感じていた。
彼の幼い頃のこと、傭兵時代のこと、そしてあの旅の途中に感じた気持ちの些細な一粒まで、
僕は自分のものとした。
彼も同様に、僕の生きてきた人生の軌跡を感じていた。
両親の記憶、友達の記憶、イリア、スパーダ、エル、アンジュ、そして彼への想い。
それは、僕が前世でアスラとして戦った記憶を受け継いだことと、似ているかもしれない。
しかし、僕と彼はもっと密接に、彼の中で混在していた。

僕は”僕”になり、”僕”は彼になった。
彼が、”僕”を全て血肉としたときに。



ライフルで自殺を図ったかのようにみえた彼は、生きていた。
なぜか。僕はもう、分かっていた。
彼の記憶がそれを教えてくれた。
ライフルの中に、弾は入っていなかったのだ。
彼は、己に向けて空砲を撃つと、じっと魂のおとずれを待った。

僕と一つになるために、彼は一度死ぬ必要があった。
リカルド・ソルダートという個人を殺し、生まれ変わる必然があった。

彼はすぐさまロッジを引き払い、その日の内に出発した。
そしてグリゴリたちのもとへ戻り、己の仕事をはじめた。
諸侯へ手紙を書き、政策をまとめ、未来へ向けて最善の策を考慮した。
それは、僕がそうしたに他ならない。
僕は彼なのだから。
僕――彼は、度々胸に手をあて、もはや自分のものとなった記憶に想いを馳せた。

――僕の願いは、これだったのか

僕は、やっと、自分の言葉のゆえんが分かった。

――僕を食べて。全部。そうしたら、僕は

きみと一つになれるから。

きみは僕を守れなかった自分を責めるだろう。
どうしたって、自分を許せないだろう。
だから、僕と一つになって。
僕を取り込んで、僕と一緒に生きて。
そうしたら、きみが幸せになることで、僕も幸せになれるのだから。

おろかな方法だったろう。
僕の願いのせいで、彼はぞんぶんに苦しんだ。
僕の願いを愚直に守る自分を、狂人だとすら思い、嘲った。
けれど、と僕は思った。

僕は最後の最後で、つたない知恵をしぼった。

僕は忘却を祈っていた。
彼を苦しめる後悔から、のろいから、彼を解き放ってあげたかった。
でも、彼はそれを許さないだろう。
一生自分を責め苛み続け、幸せを遠ざけるだろう。
僕は、彼を悲劇の最中に置いていきたくなかった。

あのまま僕が死ねば、彼はグリゴリの里に戻らなかったろう。
自分は何も為せない人物だと信じこみ、生涯を独りで過ごしただろう。
自ら命を絶っていたかもしれない。
あの時のように、ライフルをくわえて、誰にも見つからないところで。


僕は、幸せになりたかった。
その思いに嘘はない。
突然の死に、僕は絶望した。
そして同時に、彼にも幸せになって欲しかった。
僕を幸せに。彼を幸せに。僕の願いはないまぜになった。
僕は死にゆきながら、おろかで、残酷で、しかし唯一の解決法を、彼に祈った。
最期の願いという、逃れられない形で。







僕は涙を流した。
黒い髪を長く伸ばした男が、泣いていた。





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