Gluttony8






彼が身じろぐ気配を感じて、僕は目覚めた。
僕の頭の下に、枕のように彼の白い腕が通っている。
目を伏せた彼の顔が、カーテンから梳ける朝の光に照らし出されていた。
規則的に彼の胸が上下する。まだ眠っているようだ。


僕はたびたび、自分にあてがわれた部屋を留守にした。
もちろん、彼の部屋に行くためだ。
彼を部屋に誘うこともあるけれど、僕は、一晩といえども
彼のにおいがする部屋で過ごすのが好きだった。
彼は、みんなにバレるのを懸念していい顔はしないのだけれど、
僕を追い返すようなことはしなかった。

――なんだかんだで、僕に甘いんだ、リカルドは

僕は思わずニヤニヤしてしまった。
手を伸ばし、彼のピアスをいじって悪戯をしてみる。
すぐに、うるさそうに僕の手が払われる。けど、僕はわざとしつこくした。
彼は不機嫌そうにうなると、腕枕を抜き、シーツを巻き込んで背を向ける。
裸のままの僕は、纏うものが何も無くなってしまった。

「寒いよ」

そう言いながら、そっと彼の背筋を上から下になぞった。
ぴくっと体を動かした彼が、気だるく舌打ちをする。
流石に目が覚めたらしい。

「やめろ」

寝起きのかすれた声がそうつぶやいた。
彼は朝が弱い。
反面僕は目覚めがはっきりしているので、
たびたびこういう悪戯をしては嫌がられた。
朝方の彼は、抵抗が弱いので、僕は結構好き放題する。
これも僕が彼の部屋を訪れる理由の一つだった。

「リカルド…」

僕は彼の肩を引いて、無理矢理仰向けにさせた。
眠たげにまばたきする、不機嫌な顔をながめて、僕は顔が笑うのをとめられなかった。
彼は可愛くて、カッコイイ。そして、信じられないほどやさしい。
僕は、彼の隣で眠れることが、嬉しくてたまらなかった。

「大好きだよ」

彼の額に顔を寄せて、キスする。
そして、少し顔を離して、真正面から深い青色の瞳をみつめた。

「食べちゃいたいぐらい。うん、そうだ、食べるのもいいかも。
ねぇ、リカルドが僕より先に死んだら、食べちゃうからね」

僕は、がるる、とうなりながら、彼の肩を甘噛みした。

「悪趣味なことを言うな…」

彼はうんざりしたように言い、僕の頭を片手で押し返した。
僕はひょいと彼の掌を掴んで、その厚い掌にまた軽く歯を立てる。

「そうかなぁ。これって究極の愛の言葉だと思うんだけど」

「……お前は、愛という単語の意味を、辞書で引きなおせ…」

彼は疲れたようなため息を吐いた。

「大体…俺のほうが先に死ぬか。
どちらかと言えば、前衛のお前のほうが先にくたばる確率が多いだろう」

彼はそう告げると、もう話は終わりだ、
というように僕の手を振り解いて、体を戻した。
僕はしつこく、彼の裸の背をぺちぺちと叩く。

「じゃあさ、僕が先に死んだら、僕のこと食べてくれるの?リカルドは」

「お断りだな」

彼の体が小さく動いた。欠伸をかみ殺したのだろう。
その背は不機嫌だった。無理矢理起こされたことに腹を立てている。
それでも、二度寝の訪れを待つように、じっと身じろぎをしない。
僕はため息をついて、再び規則的に上下しだした彼の背を眺めた。

彼は優しいけれど、徹底したリアリストだ。
ロマンチックなことにてんで興味がない。
僕はそれが、少しだけ不満だった。
二人きりでいるときぐらい、もう少し甘い言葉を言ってくれてもいいじゃないか。
僕は頬を膨らませた。





「ドブ川」

「へ?」

すっかり二度寝をしていると思っていた彼が、不意につぶやいて、
僕はきょとんとしてしまった。

「お前が先に死んだら、死体をドブ川に流す」

彼は肘を立てて、顔だけ振り返った。
僕を見て、悪童のようににやりと笑う。

「どのドブ川がいいか選んでおけよ」

僕は絶句していた。

「レムレース湿原のあたりはどうだ。山ほど仲間がいるぞ」

彼は顔を戻すと、今度こそ眠りに入った。







彼は平たく裂いた小腸を、はさみで短く切っていた。
長いこと漬け込んでいた内臓が、ようやく食べれるようになったのだ。
これでもう、”僕”は三分の一も残っていない。
僕は目を閉じた。


頭の中に、映像が流れ込んでくる。
まず、手元が見えた。
僕ははさみを手に、ぬるつく内臓を切り裂いていた。
ふと、僕の肩に、さらりと何かが落ちる。
僕は手の甲で、それを邪魔くさそうに払う。
服だろうか。いや、見えた。
黒い髪の毛だ。
長くて、少し毛先が荒れている、見覚えのある髪の毛だった。
僕は細かくした内臓をスープに入れて、煮込んだ。
しょうがや唐辛子を刻む手の感触が、事細かに伝わってくる。

しばらくして、僕は”僕”をスープと一緒に杯によそった。
そうしてワインとグラスとスープを持って、テーブルに向かう。
僕は、テーブルの上に食器を置いた。
スープの中に、僕の顔が映りこんだ。
彼の顔だった。



がしゃん、と何かが落ちる音して、僕は目を開いた。
細かに砕けたワイングラスの横で、彼がテーブルの根元に掌を付き、うずくまっていた。
口元を押さえた指の間から、吐瀉物があふれている。
彼は苦しげに体を揺らして、吐いていた。

僕は慌てて彼の元に駆け寄った。
その背に手を当てて、無駄だと分かってるけれど、さする。

「大丈夫?」

僕が問いかけた瞬間、彼はまた消化しきれなかった昼食の残骸を吐き出した。
びちゃびちゃと床に嘔吐したものが広がり、においを立てる。
彼の長い髪の毛が吐瀉物に触れそうで、僕はとっさにすくい上げようとしたのだけれど、
もちろん、空をかくだけだった。

「俺が殺したんだ…」

やにわに、彼がつぶやいた。
血を吐くような声色とは、こんな声だろうか。
彼は目の端に生理的に滲んだ涙を浮かべて、歯を食い締めた。

「お前は俺が殺したんだ」

彼はまた、そう吐き捨てて、そして再び嘔吐した。
床に広がった吐瀉物の上に胃液が降りかかる。
彼はその後、4,5回吐いた。
涙が筋になって、彼の頬を伝う。

僕は彼を慰めるため、抱き締めたかった。
けど、僕の腕はすでにない。
そして、”僕”の腕はすでに彼の体の中だ。
僕の腕は永遠に彼に触れることが出来ない。
僕の声は永遠に彼に届かない。
僕は無力だ。
ここに来てようやく、そのことを実感した。





静かな部屋の中で、彼がスプーンを動かす音だけが聞えている。
彼はひとしきり胃の中のものを吐き出すと、口をゆすいで、グラスの破片を拾い集めた。
そして、新しいグラスを取り出して、ワインを注ぎ、食事を始めた。
何事もなかったように淡々としていた。
彼が、”僕”を一切れ口に含んだ。
”僕”を噛み砕いて、飲み込む。

静かな晩餐だった。





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