監禁12

12




俺は墓地にたどり着いていた。
アルベールの別荘から逃げ出し、右も左も見ずに走り続けた結果、
いつのまにか迷い込んでいたらしい。
追っ手を撒き、爆発しそうな肺に息を吸い込んだとき、俺はやっと、
周囲を取り囲む灰色の墓石に気が付いた。
すでに日が落ちた墓地は不気味だったが、
身を隠すものがある場所にたどり着けたことは幸運だったろう。

氷のように冷えた墓石に背を預けながら、俺は感覚のなくなった足を撫でた。
ろくに除雪されていない雪道を裸足で走ったせいで、膝から下が凍りついている。
とてもこれ以上走れそうになかった。

――みじめだな

俺は自嘲した。何が傭兵の力だ。
あまたの戦場で敵の額を撃ちぬき、敵陣に乗り込み死体を作り上げた傭兵は、
今や靴すら履けず、すごすごと墓の裏に隠れてみじめに震えている。

実際はこんなものだ。

地下室から数ヶ月ぶりに出た俺は、みじめなほど弱かった。
今の俺は、敵地の中で武器も持たずに一人きりで逃げ隠れている、甘っちょろい小僧だ。
もし今この手にライフルがあったとしても、あの数の追っ手を向かい討てる気がしない。
なんとかここでやりすごすしかないだろう。

とはいえ、上着すら着ていない俺にとって、寒さは深刻だった。
ただでさえ、暖炉であたためられた部屋からいきなり放り出された俺に、テノスの気候はつらい。
寒気は容赦なく俺の体温を奪い去っていった。
足の凍傷が心配だった。指がなくなってしまうかもしれない。
アルベールのやつめ、靴ぐらい貸してくれてもいいだろうに。

――望みすぎか

逃してくれただけでも僥倖なのだ。
それがアルベールの本意かは分からないが、彼が足かせを外してくれなければ、
俺はあっけなくあの男たちに見つけられ、3秒で殺されていただろう。

追っ手の正体はわからなかった。
よく鎧を観察していればどこの所属か推察できたかもしれないが、
あのときの俺にそんな余裕は微塵もなかった。
彼らは一体なんなのだろう。なぜ俺を殺そうとしてきた。
セレーナが差し向けたものでなければ、一体なんの理由があって俺を狙うのだろう。
戦場で殺してきた者たちの親者が傭兵を雇ったのだろうか?
いや、やつらは同じ鎧を着ていた。何か統一された組織の兵士で間違いない。
では俺を殺そうとする組織があるということか?

わからない。
俺はただ、せまい地下室でセレーナにいたぶられていただけだ。
どう考えても彼らが俺を殺すメリットが見当たらなかった。



俺は懐の中に入れたままの”ルカ”をのぞきこんだ。
寒さに慣れていないこの猫が心配だった。
”ルカ”は、俺の服の中で、俺と同じように寒さに震えていた。
暖めようと着衣ごしに体をこすってやるが、
俺の指は死人のように冷え切っていて、あまり意味がない。

置いてくるべきだったのかもしれない。
猫一匹ごとき、あの男たちも命を奪いはしなかっただろう。
俺は自分のおろかさを噛み締めていた。
あいかわらず、俺は何もわかっていない。
外の世界に出ても、俺はかわらず無知だった。
どうしようもない馬鹿だ。何一つ正しい判断が出来ない。
俺がやることなすこと全てが、悪い方向にむかっている気がした。



”ルカ”を抱きながらうずくまっていた俺の耳に、
やにわに複数の足音が飛び込んできた。
とっさに身をかがめ、息をひそめる。
雪をかき乱す足音には金属音が混じっている。鎧がこすれる音だ。
俺は息をひそめながら、”ルカ”の体を握っていた。
俺は冷え切り、武器に怯え、憔悴しながら神に祈った。

ここで死ぬわけにはいかない。

まだやることがある。
俺がいくら愚かであろうと、今日ぐらいは見逃してくれてもいいだろう。
あわや精神崩壊という段階まで痛めつけられておいて、
意味もわからずに殺されるのはまっぴらだった。
俺がもし明日死ぬとしても、その前にミルダの顔を見る権利ぐらいあるだろう。
俺にはその権利すらないというのだろうか。
誰がそう決めたんだ。神か?セレーナか?

セレーナ、お前は今どうしているんだ。俺は今まさに殺されかけているんだぞ。
構うだけ構って、肝心なときに放っておくなよ。
セレーナ。
俺はまだ、セレーナの真意を聞いていない。
ここで死ねば、永遠にその答えは手に入らない。

どうあっても、死ねなかった。
だが、俺の首筋には、容赦なく死神が手をかけていた。



どれほど息を殺していただろうか。
追っ手の足音が遠ざかる。やり過ごしたのか。
思った瞬間、新たな物音が前方で聞えた。
俺の前には背の高い墓石がそびえたっていて、前がうかがえない。

俺はまた、自分の馬鹿さ加減に舌打ちをしていた。
なぜ前方を見渡せる位置に隠れなかった。初歩中の初歩だろう。
足音が近づく。金属音はしない。身軽な格好をしているのか。
ナイフを片手にもった追っ手が、墓の裏から飛び出して、
俺の首を真一文字に掻き切る姿を想像した。

俺はうまく動かない膝を立てた。自信はないが、迎撃するしかないだろう。
覚悟を決めた俺の目に、雪の上に伸びたうすい影が見えた。
俺は先制して飛び掛ろうと体を動かしかけ、硬直した。
現れた人影は鎧を着てはいなかった。



セレーナだった。





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