監禁13

13



俺は全身の力が抜け落ちるのを感じた。
たった一週間ぶりだというのに、セレーナの姿がひどく懐かしかった。

「セレ」

「しっ」

セレーナは唇の前に指を立てた。
青い瞳が注意深く周囲を伺う。
辺りに人気がないことを確認して、セレーナは身を低くし、
足音を立てないように慎重に雪を踏みしめながら、ゆっくり近寄ってきた。
俺のかたわらに屈みこんで、ふっと白濁した息をつく。

「遅くなりました」

余裕のない顔をしていた。
うっすらと汗を掻き、額に髪を張り付け、着衣が乱れている。
寒さのせいか頬と鼻先が赤い。肩が息で上下していた。
セレーナはさっと周囲に目を走らせながら、法衣のケープを脱いで、俺の体にかけた。
セレーナの体温が移った布が、氷のようになった俺の体を僅かにだけ癒す。
不意に、セレーナが凍りついた俺の裸足へ目を止め、眉をひそめた。
アルベール、と吐息混じりにつぶやく。

「靴ぐらい用意してよ、もう。肝心なところで抜けてるんだから。
……ひどいですね。早くお湯に浸けなきゃ」

セレーナが俺の足に触れる。感覚はなかった。
俺は足先をなでるセレーナの指先をやんわり払って、彼女の目を見た。

「彼らはなんだ?」

俺は目下のところの問題をセレーナに投げかけた。

「教会の私兵です」

「なんだと?」

俺は眉をひそめた。

「私のミスです。あんなにたくさん兵力を投入してくるなんて思ってなかった」

「なぜ教会のものが俺を狙う」

「今は説明できません。…少し静かにしていただけます?」

セレーナが俺の肩越しに、じっと前をうかがった。
訪ねたいことはやまほどあったが、黙っていろといわれれば黙るしかない。
セレーナは定期的に白い息を吐きながら、なにも喋らない。
黙ったまま、何か音も無い気配のようなものを探っていた。

不意にセレーナが、赤ぎれた指先を法衣の中に差し込んだ。
手袋もしていない。よほど急いでいたのだろう。
真剣な目をして俺の前に膝を付いたセレーナの横顔に、
あの地下室での狂気は見えなかった。
俺もまた、いつの間にかセレーナを前にしてもたいして心が揺れていない事実に気が付いた。

いや、そうではない。

セレーナが黙っている間にも、背中につけた墓石は俺の熱を奪う。
俺の心はこの墓石のように冷え切っているだけだ。
色々なことが起こりすぎて、心が麻痺している。
愕然としていて、何の感情も作用していなかった。

「リカルドさん」

そろそろ歯の根があわなくなってきたころ、セレーナが俺を呼び、俺は顔をあげた。
セレーナは雪の上で膝をすり合わせ、距離を詰めた。
顔が近い。長い睫毛がよく見える。なにか言いたげな目をしている。
俺の指に針を刺す前にみたものと、同じ目だった。


「ごめんなさい」


セレーナが呟いた瞬間、腹に違和感を感じた。
ゆっくり体が傾く。倒れそうになり、俺は雪の上に片掌をついた。
目の前の雪が赤くなる。俺はもう片手で腹を触った。
何か平たいものが、俺の腹に突き刺さっていた。
じわじわと痛みを知覚しだす。
セレーナの手から、ナイフが伸びていた。

セレーナの指先が、そっと俺の肩をおさえる。
腹に刺さったナイフをゆっくり引き抜く。
俺はひきずられるように雪の上に倒れた。
すんでのところで、”ルカ”が俺の懐から抜け出す。
体の下敷きになった傷口から、どっと血があふれた。

「ごめんなさい」

雪の上に伏した俺の頭上で、セレーナがもう一度同じ言葉を繰り返した。
痛かったが、俺はなぜか驚いてはいなかった。
血を流しながら、俺は平然と、顔に触れた雪が冷たいな、と思った。

「……そっか、そうだったんだ」

セレーナの声が聞える。
さくり、と俺の顔の脇にナイフが刺さった。
雪の上につきたったナイフは、血に濡れた雪の色を反射して、赤い。
朦朧とした意識の中で、俺は、まずいな、と思った。


――思ったより傷が深いな。早く立ち上がって、ミルダたちに加勢をしなければ。
セレーナ、回復を頼む。ベルフォルマ、ラルモ、セレーナが詠唱をする時間を稼いでくれ。
おい、ミルダとアニーミ、振り返るな。そのまま戦え。お前たちは器用じゃないんだ。
目の前の敵にだけ集中をしていろ。すぐに後方から支援をするから。
どうしたセレーナ、詠唱はまだ終わらないのか?お前としたことが、呪文を忘れたのでは――
あぁ、そうか。天術はもう使えなかったんだった。


そこまで考えて、俺は笑った。
馬鹿らしい。俺を刺したのはセレーナなのだ。

「結局こうするしかなかったのね……私は」

その声色はあきらめで満ちていた。

ぬるい血が体の下から染み出して、周囲の雪に広がる。
全身の血が流れ出すのもそう遠いことではない。
倒れ付しているはずなのに、体がふわりと軽くなった。
現実感がなくなってゆく。
何度か味わったことがある。紛れも無く死のにおいだった。

何も分からないまま、俺は死ぬ。

追っ手の理由も、セレーナの気持ちも、グリゴリの今後も、ミルダの成長も見届けられないまま。
俺は、あいつの卒業も祝ってやることが出来なかった。
俺はなすべきことを一つも達成できないまま、この世から追い出される。


――あぁ、そうだな。愚かな願いだが
来世で彼らと、そして彼女の行く末を見守りたい。
それが俺の最後の願い、せめてもの祈り。


悲しげな目で、馬鹿な、哀れな女が俺を見下ろしていた。
放っておいても追っ手に殺されていただろうに。武器も持っていないのだから。
本当に馬鹿な女だ。俺なんかのために悲しむな。なんであんなことをした。
アルベールと幸せになるはずだったんだろう。
人生を棒にふるもんじゃないぞ。お前は計算高い女じゃなかったのか。
俺なんかに構うなよ。


セレーナが泣いている。涙は流れていないが、泣いていると思った。
なんで泣いているんだった?
ガルドでも落としたか。お前らしいな。
 
「セレー…ナ……。……泣く、な…」

はっとセレーナの目が見開かれた。
それを境にふっと視界が暗くなる。目をつぶったのかどうかも分からない。
雪の冷たさも、血の熱さも、何も感じなかった。
耳のそばでルカが泣いている。どっちのルカだ?ミルダ?ルカ?
お前も泣くな。そろそろ親離れする時期だろう。

思った瞬間、”ルカ”の声が遠くなった。
そうだ、向こうへ行け。新しい主を探せ。お前ならうまくやれるさ。
鳴き声が離れて行く。余韻を残して消えてゆく。

それが俺が最後に聞いた音だった。





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