監禁16

16




俺はアルベールの屋敷から旅立つために、身支度をしていた。
セレーナやアルベール宅のメイドが俺の世話をかいがいしく焼いてくれたおかげで、
俺の肉体は完全に健康体だ。
すでに教会とのごたごたはセレーナが片付けてくれていた。
これ以上この屋敷に居る理由がない。

俺がその旨を伝えると、セレーナは大して残念そうな顔もせずに、分かりました、とだけ言った。
メイドを呼び、旅支度に必要なものを整えるよう申し付け、部屋から出て行った。

俺は監禁前に着ていた服へ着替えた。
体の傷はあいかわらずだったが、コートを着てしまえばほとんど隠れた。
首筋の焼印すら、スカーフを巻いてしまえば見えなくなった。
もしかして、セレーナはそれも計算に入れて傷を付けていたのだろうか。
最後に髪を結わえ、鏡の前に立つ。
見慣れた俺の姿だった。


アルベールはいなかった。代わりに、セレーナが港まで送ると申し出てきた。
俺はてっきり馬車でも用意してくれるものだと思っていたが、
セレーナは歩きやすい靴に履き替えながら、首を横にふった。

「少し、歩きたいから」




船着場へ至る道は綺麗に舗装されていたが、それでもところどころに雪が残っていた。
その中央を、俺たちは肩をならべて、ゆっくり歩いた。
お互いなにもしゃべらなかった。まばらな人ごみの中で、二人して黙っていた。
潮のにおいが近づき、船が視認できる距離まで来たとき、セレーナは唐突に、
私はアルベールさんを愛してる、と呟いた。

「愛は永遠。私はずっとあの人と生きていたい。あの人を愛してる気持ちに偽りはありません。
でも、片思いも永遠なのね。ようやく分かったわ。片思いだからこそ永遠なの」

それは、独り言だった。
俺は彼女の顔を見ず、歩きながら耳に入るまま、言葉を聞いた。

「その片思いも死にました。私が殺してあげたの。私のために。私だけのために。
あの雪の墓地で殺してさしあげた。でもね、知ってました?リカルドさん。
想いって殺しても、幽霊になっちゃうのね。やんなっちゃう」

困っちゃうなあ、と軽くセレーナは言った。
俺はセレーナを見た。
寂しげな目で、俺のコートの中から、珍しそうに周囲を眺めている”ルカ”を見ていた。
何事もないように、”ルカ”が彼女の顔を見上げる。

「この子の名前、とってもいい名前ですね。リカルドさんらしいわ。
……素敵な名前をつけてくれてありがとう」

セレーナの顔に、憎しみはなかった。
俺は何も答えず、歩いた。





「リカルドさん」

桟橋の前まで来たとき、セレーナが俺を呼び止めた。

「片思いってしたことあります?」

今度は俺を見ている。俺に語りかけていた。

「ない」

俺は答えた。セレーナが噴出す。

「そう。だからなのね、にぶいと思った」

彼女はあかるく笑った。

「片思いって、つらいんですよ。だって、自分だけが想ってるわけだもん。
最初は幸せな気持ちになって、それから段々つらくなるの。
恋は病って言うけれど、ほんとそうよ。病気になっちゃうんです。絶対に治ってくれないの。
想えば想うほど、苦さだけがずっと付いてくる。……結局そうなのね」

ふっ、と諦めたように吐いた息が白く濁る。

「でも、あなたも痛手を負った。そうですね?体のことじゃないわ。私は呪いをかけましたから」

永遠の、とセレーナは微笑んだ。

「大変でした。8ヶ月もかかったんだもの。……もう満足」

セレーナが告げた瞬間、出航を知らせる汽笛が響いた。

「さ、行ってください。あなたの顔を見るのはもううんざり」

セレーナは体の後ろで手を組み、くるりと背中を見せた。
ぐっと体を伸ばし、空を見ていた。

「どこぞへと消えて。今すぐに」






俺はグリゴリの里に戻った。
安堵した笑顔で出迎えてくれたグリゴリたちの顔を、俺は決して忘れない。
セレーナの言ったとおり、グリゴリと教会の間ではひともんちゃくあったようだ。
それも俺がテノスの片田舎で地下室暮らしをしている間に解決していた。
セレーナは綺麗に仕事をしていた。
教会のグリゴリ反対派の主だった面子は、セレーナに口説き落とされ、
アルベールにおどされ、手を引いたらしい。

アルベールは苦笑まじりに、

「見返りは期待しませんが、独立の準備はしてくださいよ。
僕はグリゴリの保護者じゃないんですから」

と、言っていた。

彼の厚意に報いるためにも、グリゴリの里で、何か産業を興すことを考えていた。
枯れた土地を耕して自給自足の暮らしを確立させることも考えたが、数十年かかる。
そうしている間に、俺も彼らもアルベールも干上がってしまうだろう。

アシハラから移住した職人を呼んでみるか。
彼らの文化を取り入れて、何か特産品でも作ってみるか?
観光地にするのもいいかもしれない。
そのうち、グリゴリ名産キーホルダーなどが出回ることになるのか。

俺は力なく笑った。頭が痛い。またアルベールの力を借りねばならんだろう。
ともあれ、俺は八ヶ月分の不足を取り戻すため、
寝る間も惜しんで働いた。
”ルカ”はすっかり、グリゴリたちになじんでいた。
俺の家事の世話をしている女性にかわいがられ、幸せそうに一日の大半を寝て過ごしていた。




一月後、俺は再び旅立ちの準備をしていた。
忙しさはあいかわらずだったが、それでも行かなければならないところがある。

もうミルダは、とっくに16歳になっている。
新しい学校に行って、友達も出来ていることだろう。
俺はレグヌム行きの船に乗るために、グリゴリの里から旅立った。





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