監禁2
2
ベッドの上にうつぶせに寝そべりながら、俺は辟易していた。
背中の鞭傷が痛み、仰向けに眠れない。
セレーナは特に背中を好んで打つ。
今や俺の背中は、すでに付いていたものの数十倍の傷跡が残っているだろう。
かと言ってうつぶせが楽ということでもない。
セレーナは容赦なく体の前面も打った。
背中に比べて皮膚が薄いことを知っているだろうに、楽しげに鞭を振るう。
腹の皮膚が長く横にやぶけたとき、俺は思わず叫んだ。
皮膚がこびりついた鞭の先を眺めるセレーナの顔は、満足気に微笑んでいた。
セレーナ。
俺は混乱していた。
よりによって、なぜあのセレーナがこんなことをするのかが分からない。
理知的で、賢そうな目をしていて、しかし気さくで、聖職者であることを鼻にかけない女性が。
共に戦い、苦楽を共にし、全てが終わった後は教会の復興に尽力していたはずの、あのセレーナが。
今頃はテノスの広大な屋敷でアルベールと睦まじく暮らしているものだとばかり思っていた。
いや、事実そうだったのだろう。そして突然、俺を監禁していたぶり出した。
アルベールはこの状況をどこまで知っているのだろうか。
――分からんことだらけだな
俺は、ラルモを抱き締めたときの、慈愛に満ちたセレーナの瞳を思い出していた。
ベルフォルマの冗談をいさめるときの仕草が女性らしく、可愛らしかった。
人を良く見ていて、頭痛に苦しむアニーミの様子に一早く気が付き、心配をしていた。
時間を見つけては、ミルダに教会の歴史などという眠い話を楽しげに語っていた。
ミルダもそれを真剣に聞いていた。仲の良い姉弟のようだと思ったのを覚えている。
――そういえば、ミルダは元気にしているだろうか
もう数ヶ月顔をみていない。柄にもなく、俺はあの少年が恋しかった。
ミルダはしばしば俺に手紙を寄越してくれていた。几帳面な字で、長々と近況を書きつづった手紙を。
最後に届いた手紙は、あいつの卒業を知らせるものだった。
その頃俺は四方八方を飛び回っていて、ろくに返事もしていなかった。
俺がその手紙を目にしたのさえ、届いて一月経ってからだった。
せめてまめに手紙を返しておけば、異変に気付いてくれたのかもしれん。
考えても詮無いことだが、考えずにはいられない。溜息がもれる。
俺はまだ、あいつにおめでとうも言っていない。
「卒業おめでとう」
実際に口に出してみる。我ながら弱弱しい声だった。
俺は笑った。弱くなっている。わけのわからない理不尽にさらされて、俺は脆弱になってきている。
だが、そんな些細な言葉が、俺の心の支えだった。
ベッドに伏せた俺の顔の隣に、ひょいと”ルカ”が飛び乗った。
小さな足を動かし、特に心配そうな顔もせずに、のんびりと丸まった。
ともかく睡眠はとらなければならない。
いくら精神が磨耗していようと、身体的に弱ってしまいたくはない。
俺は目を閉じ、無理矢理眠ろうとした。
眠りの精はなかなか訪れない。
傷の痛みはもちろんのこと、グリゴリたちのこと、ミルダのこと、そしてセレーナのことを考え出すと眠れなかった。
やっと意識が闇に落ちた次の瞬間には、あいつが俺の肩を揺すって起こしに来る。
スープの皿を片手に持って、なかなか起きない俺を子供を見るような目で眺め、
くすくすと笑いながら、決まってセレーナはこう言う。
「お寝坊さん。朝食が出来ましたよ。起きてくださいね」
やさしい声だった。
朝食を食べ、本棚の本の目に付いたものを適当に広げたり、
”ルカ”と遊んでやったりして暇を潰している間、いつのまにか夜になっていた。
セレーナが運ぶ晩飯を食い終わり、いつもの時間がやってくる。
俺に手枷をはめ、好き放題に加虐の限りを尽くす時間だ。
気持ちが重かった。
晩飯を平らげてしばし、セレーナが訪れるまでの間、俺はいつになく憂鬱になる。
それもそうだ。いたぶられるのが分かっていて、浮かれた気分になれるはずがない。
扉の外で聞えるささいな物音にすら俺は反応し、ぴくりと肩が動いた。
俺は、今やはっきりとセレーナを恐れている。
もはや昔日の彼女ではなかった。
表面上は変わらない。笑みも仕草も見慣れたセレーナそのものだったが、
その内面は激しく変化していた。
やさしい笑みで俺をいたぶり、鼻歌すら歌いながら、躊躇なく鞭を振るう。
悪魔に取り付かれているとしか思えなかった。
扉の鍵を開錠する音が響いた。
思わず体が動いたが、俺は椅子に座ったまま、努めて動かないようにした。
彼女を恐れていると悟られるのは、流石にしゃくに障る。
つまらない意地だが、俺は頑なにこの意地を守り通した。
セレーナが部屋に入ってきても、俺は振り返りもせず本に目を落としたままだった。
だが、ろくに文字が目に入らない。心臓の鼓動が早い。次第に息がつまる。
セレーナが俺の肩越しに本を覗きこむ。
鈴が鳴るような笑い声が耳のすぐそばで響いた。
「リカルドさん、それ、逆さですよ」
俺は振り返った。反射的に腕で本を隠した俺を、セレーナはさもおかしそうに笑った。
苦し紛れに皮肉を口にしようとした俺の口はしかし、開くことはなかった。
セレーナの手元に視線を固定したまま、硬直する。
鞭はなかった。
変わりに、真っ直ぐな棒の先に、平たい板が付いたものを持っている。
冷や水を浴びたように血の気が引いてゆく。
うまく動かない首をめぐらせて暖炉を見る。赤い火が燃えていた。
セレーナが持っているものは、焼きごてだった。