監禁5





セレーナから解放された一日、そのほとんどを、俺は読書についやして過ごした。
古い本はかび臭く、つまらなかったが、他にすることもないのでしょうがない。
俺は、腹が減れば勝手に飯を食い、本を読み、飽きれば昼寝をし、
自分で傷の消毒をし、自分で包帯を変えた。
ささいなことだが、俺はこの自由を噛み締めていた。
なにしろ、部屋の外を気にしなくていいのが一番ありがたかった。
物音に怯えずにすむことが、こんなに素晴らしいことだと初めて気が付いた。
戦場でたびたび眠れぬ生活を送ることはあったが、そのときは仲間が居た。ライフルがあった。
己の力で、意志でもって切り抜けることができた。
だが、今はどうだ。俺の全てが、セレーナによって制限されている。
”ルカ”に餌をやりながら、俺は自嘲した。
俺は今、ペットのように管理され、餌付けされ、セレーナの気の向くままにいたぶられている。
その気になれば、いつでも俺を殺すことさえ出来るだろう。
俺の全てはセレーナの手中だった。
この地下室が、あいつの広げた掌の上のように思えた。
俺はあいつの手の上で眠り、飯を食い、鞭打たれる。
夢の中の出来事のように突拍子もないが、それが俺の現実だった。

いつのまにか、俺は眠たくなっていた。もう夜になったのだろう。
腹の上に”ルカ”を乗せて寝そべりながら、俺はこれが夢なら早く覚めてくれ、と祈った。
そして、俺が次に目を開くときには、ミルダが横にいる。
裸のまま俺の腕に頭を預けて、真っ直ぐな瞳が俺を見つめている。
俺が目覚めたと知るや、嬉しそうに微笑み、身を起こして俺の額にキスをする。
心地よさに二度寝をしそうな俺の肩を揺すって、ミルダはこう言うのだ。
”リカルド、朝食のがしちゃうよ。みんな待ってるんだから”
俺は腰から走る鈍痛にうなりながら、渋々起き上がる。
いつかの記憶だった。



俺の祈りは空しく却下された。
ベッドに横たわった俺の肩を揺すって起こしたのは、ミルダではなくセレーナだった。
わざとなのかどうか、肩口の火傷を指がこすって、俺は痛みに飛び起きた。

「おはようございます。朝に間に合わなくてごめんなさい。
思ったより遅くなっちゃった。あ、代わりに昼食持ってきましたから」

もう昼になっていたらしい。気が付かなかった。
俺は幸せな夢から無情な現実に叩き落され、気分が落ち込んでいた。
再びベッドに寝転がり、夢の続きを見たかった。
が、セレーナは俺のそんな心情など気付かず、さっさと机の上に飯を置いた。
皿の数が多い。二人分ある。いつもは俺の分だけなのだが。

「私もお昼、まだなんです。一緒に食べましょう」

食器を眺めている俺の視線に気付いたのか、セレーナが言った。
椅子に腰掛け、スカートを整える。
スプーンに手をかけず、膝の上に手を乗せて、俺を眺めている。俺を待っているのだろう。
俺は仕方なく、ベッドから起き上がり、セレーナの向かいの椅子に座った。
まずそうにスプーンを傾ける俺の姿をしばらくにこにこと眺めて、セレーナがやっと食事を開始した。
今度は俺がセレーナを眺める。
礼儀の良い所作で、しかし手を素早く動かして口の中にスープをパンを詰め込む。
うまそうに頬を動かして、幸せそうに飯を食っていた。
セレーナが俺の視線に気付き、顔を上げる。子供っぽく眉を寄せていた。

「そんなに食べるから太るんだ、とか思ってるでしょ?」

思っていない。お前をどうぶちのめしてやろうか考えていただけだ。
だが、俺は曖昧に肯定しておいた。

「昨日の晩から、何も食べていないんです。忙しくて」

そう言うセレーナは、確かに疲れているように見えた。
食事の途中、何度か手が止まり、疲れたため息をついた。
そうして、何かを考えるようにじっと黙り込む。
俺はセレーナの手が止まったのを見計らって切り出した。

「昨日、どこに行っていた」

「気になりますか?」

俺は眉を寄せた。セレーナが微笑む。

「私だって、ずぅっとこんな辺鄙な別荘にいられるほど、ヒマじゃないってことです」

――なに?

「ここは別荘だったのか?」

「えぇ」

セレーナはあっさりと頷いた。

「どこの」

「テノスです。アルベールさんの別荘ですから」

――やはり、アルベールもこの件に噛んでいるのか。
それもそうだろう。俺が薬で眠らされた現場を、彼は目撃している。
予測はついていたことだったが、それでも俺はショックを感じていた。
セレーナだけならまだしも、アルベールを敵に回すことはしたくなかった。
グリゴリたちへの支援が本意かは分からないが――俺をまんまとおびきよせるための
罠だったのかもしれない――今後のことを考えると、彼の権力を失うのはつらい。
そもそもここから無事に脱出できる確証もないのだが、
それでも貴重なコネクションが途絶えかねないことが気がかりだった。

「リカルドさん」

俺の思考をさえぎるように、セレーナの声が割り込んだ。
冷めたスープから顔を上げる。
セレーナの顔から笑顔が消えていた。俺はぎくりとする。
まさか、また焼きごてを持ち出すのではなかろうか。それとも次は水責めか?
古今東西の拷問器具を手に、俺をいたぶるセレーナの姿が頭に浮かぶ。
ひきつった俺の表情を見て、セレーナはおかしそうに笑んだ。

「怖い顔をしないで。いいお知らせです」

セレーナの顔を睨みつけながら、俺は怒りを感じていた。
こいつのいいお知らせが、俺にとっての幸運だとは限らない。
いや、むしろ悪い知らせの可能性のほうが多いだろう。
ぬか喜びして突き落とされるのはごめんだ。
俺は慎重に構えながらセレーナの言葉の続きを待った。
セレーナは、考えをまとめるように指先を回していた。

「うーん、なんて言ったらいいのかな。
私、これまでリカルドさんことを……鞭で叩いたり、火傷させたり……
そうね、たくさん痛い思いさせてきちゃったけれど」

――させてきちゃった、だと?
いよいよ怒りが沸騰してきた。机の下で、拳を握りこむ。
これ以上ふざけたことを言うなら、1、2発殴ってやる。
女だからなんだ。そうしても、誰も俺を責められないだろう。
俺の内心も知らず、セレーナがのん気に首をかしげた。

「でも、もう、それも必要ないかなって。今日で止めにします。」

俺は目を見開いた。なんだと?どういう意味だ?
セレーナが口元に手をあてて笑う。



「もう痛い思いはさせません。鞭も焼きごても無し。
もちろん他の痛いことも全部、しません。
ね?いいお知らせだったでしょう」




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