監禁7






セレーナに腕を打たれて以来、俺は肩から下をうまく動かせなくなっていた。
自分ひとりでは着替えも出来ない。体も拭けない。本も読めない。
飯すら食えない。二度の食事のとき、俺は介護されている老人のように、
セレーナに口元までスプーンを運んでもらっていた。

一番問題なのが、俺が馬鹿になってきているということだ。
常に思考に霞がかかっていて、難しいことが考えられない。
俺はしばしば、セレーナの訪ねる単純な質問
――今日の飯はなにがいいか、傷の具合はどうか、といったものだ――
に時間をかけて答えた。頭の中から、うまく言葉がでてこなくなっていた。

結局、今日限りで俺をいたぶるのを止めにする、と言った言葉はあっけなく反故にされた。
あの後も毎日、あいかわらずセレーナは俺を鞭打った。
だがあれほど苦しんでいたはずの鞭の痛みを、俺はあまり感じなくなっていた。
頭だけではなく、体もにぶくなっていた。




「……う、……っ…」

今日も、俺はいつもと同じように柱のそばに立たされ、鞭を浴びていた。
背中に衝撃が走るたび、力ない声が漏れる。
痛いことは痛いが、やはり、どこか痛覚がぬるい。
不意に打つ手が止まる。疲れたのだろうか。

「リカルドさん」

声がかかる。なんだろう。今日は焼きごての日だったか?

「振り返って。分かる?振り返っていいんですよ」

言い聞かせるような猫なで声が聞えた。
俺はのろのろと振り返り、ぼんやりとセレーナの姿をみつめた。
セレーナは、舞踏会に出る淑女のように、スカートを両手でつまんで持ち上げていた。
にっこりと人好きのする笑みを浮かべている。

「靴にキスして」

俺は素直にセレーナの足元に跪いて、その靴の先にキスをした。
靴先に唇が触れた瞬間、やにわにセレーナが俺の顔を蹴り上げる。
俺は大して抵抗もせずに、背中を床に打ち付けた。

(――つっ)

顔がずしりと軋む。セレーナが俺の顔を踏みつけている。
セレーナはひとしきり俺の顔を踏みにじると、今度は爪先で蹴りつけた。
瞼が切れ、あたたかい血が目の中に滑り込み、俺は目を伏せた。
しばらく蹴られる。顔のあちこちがひりひりと痛い。
セレーナが屈む気配がし、両頬に手がそえられた。顔が持ち上がる。

「いい子」

セレーナの吐息が顔にかかり、血が冷え、
俺は初めて自分の顔が血まみれになっているのだと知った。
腫れ上がった瞼の上にセレーナの唇を感じながら、俺は意識を闇に落とした。







――セレーナ。なにをしている?

レグヌムの森はさんさんと陽が注ぎ、あたたかだった。
木々が自然に開けた天然の広場では、ラルモやアニーミが昼飯の準備をしている。
俺は薪を集めるために、森の中を歩いていた。
そして、前方の茂みで、見慣れた白さの法衣がちらちらとうごめいているのを見つけた。
訪ねた俺の言葉に、セレーナは地面に手を付いたまま、振り返らずに答えた。

「ガルド、落としちゃったんです。やだなぁもう。ちゃんと結んでおいたはずなのに」

「いくら落としたんだ?」

セレーナが振り返った。眉を寄せて、泣きそうな顔をしている。

「10ガルド!」

「……諦めろ」

俺は溜息をついた。

「やです。リカルドさん、10ガルドがどれほどのお金か分かってます?
1ガルドを笑うものは1ガルドに泣くって言うでしょう。
10ガルドを笑ったら、10回泣かなきゃならないんですよ」

「10ガルドぐらい俺がくれてやる。早く戻れ」

「そういうんじゃないんです!分かってないなあ」

ぶつぶつと言いながら、セレーナは再び茂みと格闘しだした。
白い法衣を茶色く汚して、くまなく地面に目を走らせている。
青い巻髪が枝にひっかかり、セレーナが悲鳴を上げてもがく。
俺は再び溜息を付き、ガサガサと茂みに入り込んだ。
枝に絡まった髪を解いてやる。

「この辺りで落としたのか?」

俺はセレーナの落し物探しを手伝った。
数十分経ったころだろうか、やにわに、セレーナが、あった!と声を上げた。
振り向くと、セレーナが汚れた布袋を宝物を発掘した考古学者のように高く掲げ、
誇らしげに笑っている。
いつも清潔にしている顔は、子供のように土で汚れて、
白い法衣のあちこちに枝を引っ掛けていた。
俺も同じようなものだろう。二人して泥まみれだった。
セレーナはスカートに付いた泥を軽く払うと、俺のほうへぱたぱたと歩を詰めた。
深々と礼をし、ほつれた髪を耳に掛けて笑う。

「ありがとうございました。リカルドさんのおかげです」

「別に。見つけたのはお前だ」

「でも、一緒に探してくれました。嬉しかった」

ちょっと待って、とセレーナは言い置いて、土で汚れた指先を布袋の中に滑り込ませた。
しばらくまさぐって、何かを握った手で俺の掌を持ち上げる。

「はい、お駄賃」

言いながら、1ガルド硬貨を五枚俺の掌の上に置いた。
唇の横に人差し指を寄せて、悪戯っぽくウィンクをする。

「お酒代の足しにでもしてください」

白い歯をのぞかせてセレーナは笑った。
レグヌムの森のように、あたたかな笑顔だった。





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