宿の扉を開くと、蒸気と食べ物の匂いが鼻先をくすぐった。手袋をはずしていると、大きな鍋を抱えたエルとばったり目があった。 「おかえり! ルカ兄ちゃん。プレゼント、ちゃんと選べた?」 「うん、結構迷っちゃったけど、なんとか買えたよ」 「すごい人ごみやったやろー。座っとき。すぐにおいしい料理、ぎょうさん食わしたるからな」 「あ、うん……でも、手伝わなくていいの?」 エルがすすめてくれた椅子に座りながら聞くと、彼女はにかっと笑った。 「ええて、ええて。もう終わるとこや。料理って、食べるのも楽しいけど、作るのもごっつ楽しいな!」 あぁ、なんて可愛いんだろう。駄目だぞ、僕。変な気を起こすなよ。三股は流石に管理しきれないぞ。 「あら、ルカくん、戻ってたの?」 などという煩悩にとらわれていると、二階からアンジュが降りて来た。両手の指にワインボトルを挟んでいる。 「プレゼントはちゃんと買えた?」 「もう、皆してそれ聞くんだから。僕だって、一人でプレゼントくらい買えるよ。子供じゃないんだから」 「残念。お酒が飲めないうちは子供よ」 そう言って、アンジュはボトルを掲げて、にっこりとほほ笑んだ。あぁ、なんて色っぽいんだろう。なんでこのパーティには、こんなにも魅惑的な人ばっかり集まっちゃったんだ。前世の縁とは言え、因果なものだ。運命はいつだって僕を困らせるんだ。 と、懊悩する僕をよそに、アンジュはエルのほうを見て、 「エル、お鍋はいいの?」 「あ! アカンアカン、はよせな! クラムチャウダーの仕込みが終わってん! ほなら、アンジュ姉ちゃん、ルカ兄ちゃん、また後でな!」 「急いで転ばないようにねー!」 エルを見送るアンジュの横顔は、聖母のような包容力に満ちている。エルとアンジュ。二人の魅力は、セットにすることによって相乗効果を生み出す。1+1は2じゃない。200だ。右にアンジュ。左にエル。最強の盾と矛である。 僕は所在なさげにアハハと眉を下げて笑うふりをしながら、そんなことを考えたいた。 ふっと、アンジュの横顔がこっちに向く。考えていたことが考えていたことだけに、僕はどきりとした。 「それで、ルカくん。プレゼントはちゃんと買って来たのよね?」 「もう、さっきも言ったでしょ。ちゃんと……」 「そっちのほうの話じゃないの」 僕の言葉をさえぎったアンジュの目は、笑っていないように見えた。 一気に冷や汗が噴き出る。 「えっ、じゃ、じゃあ、なんの話?」 「あら、しらばっくれるのね? 悪い子だなあ」 アンジュの奇麗な顔が間近に寄る。 「私が気付いていないとでも思ったの?」 僕はアシハラの地蔵みたいに硬直していた。 「ア、アンジュ、僕……!」 ま、まさか! バレていた……!? 馬鹿な……どこから漏れた!? リカルドか……? いや、彼の口の堅さは折り紙つきだ。……いや、しかし……考えてみろ、ルカ・ミルダ。リカルドとアンジュの仲だったらあながちありえない話ではない……例えば、酒が入ったときにでも……そ、そうか! 酒は人を饒舌にする。いくらリカルドとはいえ、酩酊した状態だったらそんなこともあるかもしれない。酔っぱらって便器に突っ込んだ前科もある……ぼ、僕は、どうしたら……ここからどう巻き返せばいいんだ!? この間、だいたい一分ぐらいだったろうか。アンジュがいきなり、体を反らして笑い始めた。 「もう、ルカくんったら、深刻な顔しちゃって! あなたがイリアを好きなことぐらい、誰でも気付いてるわよ! ちゃあんと、彼女にあげるプレゼント、買ってきたんでしょうね? 忘れちゃダメよ、クリスマスは、女の子にとっても大切なイベントなの」 そっちかい! 僕は安堵と脱力で、どっと肩を落とした。 ふと見ると、アンジュの頬に少し赤みがさしている。 「アンジュ……もしかして、もう飲んでるの?」 「うふふ、我慢しきれなくて、ちょっとだけね。皆には内緒よ。ルカくんの想いも、イリアにはちゃんと黙っててあげるから」 それはありがとうございます。 「うん……ありがと……」 そうだ、そうだ。アンジュって、意外とにぶいんだった……。 「それじゃあ、私もエルを手伝って来るわ。貸し切りにさせてもらったみたいなものですもの、宿の人にも、たくさん美味しいもの食べてもらわなくちゃ」 鼻歌まじりに軽やかな足取りでキッチンのほうに向かうアンジュを見届けて、僕はそっと左右それぞれのポケットに収納したプレゼントを出した。青い包装がリカルドに、赤い包装をイリアへ。ここに来て、プレゼントの中身を間違えるようなヘマを起こす男じゃない。さっきは危うくおじゃんになるかと肝を冷やしたが、杞憂だったようだ。 なにより、アンジュが酒を持っていたという情報が大きい。パーティが終わった後、リカルドとアンジュは二人で飲むだろう。二人が席を外した後がチャンス。エルとスパーダが気を利かせて僕らを二人きりにしたとき、そっとイリアにプレゼントを渡す。 留意点を述べておくと、このとき顔を赤くすることを忘れてはならない。そして、彼女の目をしっかり見据えて、一生懸命選んだんだ……とでも言えばよし。 イリアの前では、あくまで普段はシャイで優柔不断だがたまに男らしい、そういう僕でいなければ。照れ屋なイリアはすぐさまプレゼントを人目に触れぬところに持ち込み、開封する。 彼女のことだ、スパーダあたりに突っ込まれても”そ、そんなの知らないわよ!”とか言ってうやむやにしてくれるはず。ほんと可愛いんだから、イリアって。 しかる後、今度はリカルド攻略に移る。こちらも勝算は十分だ。明日からはまた旅が始まる。彼の性格から考えて、深酒はしないだろう。よって、彼が酔い潰れてそのまま就寝といった事態になる可能性は限りなく0! 後は彼が部屋に戻った瞬間を見計らい、そっと自室を抜け出して受け渡しを行えばいい。 対リカルドのチェックポイントは、やはり赤面することだ。イリア相手とは違うことは、彼には多少涙目になること。保父さん並みの父性を持ち合わせている彼には、とことんいじらしくかわいらしくしてみせることが肝要なのである。 そうしたら彼は、やれやれなどと言いながら、優しく頭をなでてくれるだろう。可愛いやつめと僕のことを思っていようが、僕にとってはリカルドこそ可愛いやつである。 とにかく、対象によってこちらが取るべき態度もつぶさに変わってくるということだ。ま、これが甲斐性ってやつですかあ? 脳内シミュレートは完璧。この分だと、僕のクリスマス大作戦は成功しそうである。 「うっふっふっふっふっふっふ……」 おっと、いけない。こんなところで、まだ笑うな。堪えろ、堪えるんだ僕。全てが終わった後に、ぞんぶんに笑うがいいさ。 「たっだいまー!」 「うっふわぁ!」 バァン、とけたたましい音を立てて開かれるドアに、思わず僕は椅子から飛びのき、さっと握ったままのプレゼントを背後に回した。 扉の前に、きょとんとした顔の、僕の細腰ベイビー、イリアが立っている。 「なによあんた、んな驚くことないじゃない」 「あっ、いや、これは、その……!」 「おーう、どうしたー?」 ひょこっとドアの隙間から顔を出したのはスパーダ。 「おう、ルカ! お前も帰ってたのか。どした、顔が真っ青になってんぞ」 灰色の瞳を不思議そうにまたたくスパーダ。あぁ、普段はオレって男だぜって顔してても、こういうふとしたときに見せる屈託のなさがたまらな……って、そんなこと考えている場合じゃなかった! 「な、な、なんでもないよ……」 僕はじりじりと後退しながら、後手に持ったプレゼント……今は地雷と言ってもさしつかえのないそれをしっかりと握った。 「なんでもないってこたぁないでしょーが! ……あ、あんた、後ろになんか隠してない?」 「ほ〜お、オレに隠しごとかあ? いい度胸してるなあ、ルカくぅん?」 「い〜い度胸なんだな、しかし」 ドアの隙間から覗く二人と、おまけにコーダが、そっくりな顔で笑っていた。 「もう、だからなんでもないって! ほっといてくれよ!」 このままだと……暴かれる! 助けて神様! 「入り口でもたもたするな。さっさと入れ」 そのとき、救世主の声が響き渡った。リカルドが、片腕に紙袋を抱きながら、半開きのドアに並んだ二人の頭をこづく。 「痛ぇ! あにすんだよ!」 「お前らの分の荷物まで持っている俺の身にもなれ。さっさと進め、肩がこる」 「あんたがジャンケンに負けるからでしょー? 逆恨みなしって言ったじゃない! こーの、ネチネチ男!」 イリアとスパーダはぶつくさ言いながらも、大人しく宿の中に入って来た。イリアがマフラーをほどいた瞬間、すん、と鼻を鳴らし、 「あら、いい匂いじゃない。もう出来てんの?」 「ま、まだだよ。今、エルが手伝ってて……」 「あぁ、そうなの? うっしし、ちょっとつまんでこよーっと。リカルド、ちゃんと片付けてなさいよ!」 例の顔面が崩壊しかけた意地悪な笑い(僕はそこすら愛しているからね。念のため)を浮かべたイリアが、ぴょんと仔兎のように跳ねてキッチンに向かう。 「あっ、ずりぃ! オレだって腹減ってんだからな!」 「コーダもコーダも! ハラペコなんだな、しかし!」 「げぇっ、やめてよ〜! あんたらつまむ程度で済まないでしょーが! 完成する前に鍋の中空っぽにするつもり!?」 「おめーだって同じようなもんだろーが!」 二人と一匹は、わいわいぎゃーぎゃー声を上げながら、仲良くキッチンに去って行った。もはや、僕の不審な態度など気にとめてもいない。あの三人の食い意地が張ってて、本当によかった……。僕は心底胸をなでおろした。 「どうかしたのか、お前」 見ると、リカルドが無表情で袋の中身を机に出していた。種類別に分けているらしい。見かけに似合わず、こういう細かい作業が好きなんだから。本当にぶっきらぼう可愛いなあ、リカルドって。 「うぅん……」 僕は安堵の吐息をつきながら、彼の目がこちらに向いていないことをいいことに、プレゼントを両ポケットの中に戻した。 「やっぱ、困った時はリカルドだなあって……」 「……何のことだ」 「こっちの話! それじゃあ、リカルド、今日の夜楽しみにしててね!」 僕はるんるんの足取りで、二階への階段を上がっていった。 最後の段を踏む時、背後でリカルドが、 「おかしなやつだな……」 と、呟く声が聞こえた。 そうとも。恋の前には、人は誰でもおかしくなるのさ。二人分の想いを抱えている僕なんて、もはや愛の奴隷と言ってもさしつかえない。 さあ、今夜、がんばるぞ! |