夜になった。これ以上ないぐらいの田舎だから、星がはっきり見える。 オレは、男から窓にはあまり近づくなといわれていたので、昼間にうたた寝をしたソファに座ってそれを見ていた。たぶん、目撃者を気にしているのだと思う。窓ガラスを掃除していたのも、同じような理由だろう。 ただ、散らかっているのがイヤだったのかもしれないが。 オレはあくびをしながら、首をまわした。 ひまだった。やることがなかった。この部屋は、テレビも本もなければもちろん、パソコンもない。もしパソコンがあったなら、オレのしでかした行為がどんな風評で流れて、どこのどんな人種がどういう意見を持つのか少し見てみたかった。しかし、屋根のどこにもアンテナが見当たらなかったことを思えば、この屋敷にはコンピューターはおろか、インターネットすら通っていないだろう。もっとも、オレが見つけてないのかもしれないし、人目に触れるところに設置していないだけかもしれないが。 だから本当に、やることがない。 いや、殺ることならあったかもしれないが、オレには男を殺すことができない。あくまで、物理的な意味で。 そこで、ふっと気づいた。 あの男が銃を持っていなければ、オレは男を殺すことが出来るのだろうか? やつだってサイボーグってわけじゃないんだろうから、銃を奪えれば、勝機は十分ある。できるかどうかは別として、オレに長生きする理由はないのだから、やぶれかぶれで特攻しても全然かまわないのだった。 だが、なぜか、男を殺す自分が想像できない。 ”そういう”対象ではないと、誰かにあらかじめ教えられていたように。 オレは思わず、首をかしげた。 不思議だった。ちょっと、試してみようと思った。それは、なんでラジコンのヘリは真っ直ぐ飛ばないのだろうとか、なんで炭酸を飲むとゲップが出るんだろうとかと、同じレベルの疑問だったが、やることがないので仕方がない。 オレは夕方降りた階段を、また降った。 男は、夕方見たのと変わらない様子で、例の猫足のテーブルについていた。 たぶん酒でも飲んでいるんだろうと思っていたが、グラスがぬれた様子はない。小さなウィスキーグラスからは、煙草の吸殻がこんもりと、こぼれ出ん限りに積もっていた。 戸口に立つ。 「どうした」 男が振り向かないまま言った。 背中を見せているからといって油断しているとは限らないが、やるなら今だろうと思った。 しかし、オレの足は動かなかった。 長年かけて溜まった澱が、オレ自身が決めた判断の足をつかんで、ためらわせているようだった。 その正体がオレにはわからない。けれど、たぶん、男にはわかっているんだと思う。 だから男は振り返らないで、背中を見せたままなんだろう。 男は心の中で数を刻んでいるんだと思う。わざと背中を見せて、オレが襲いかからないことを確認している。 飼い主が犬にするように、待ての指示が今回は何秒持つか記録しているのが分かる。 不思議だった。 「腹が減ったのか」 男の肩が少し揺れる。オレはますます、男を襲うことを考えなくなる。 やっぱり、大人しくかくまわれているほうが正しいんだろうという気分になる。 「飯、作って」 オレは言いながら、テーブルに腰かけた。男はすぐに立ち上がった。 男が料理をする間、オレはテーブルに肘をついて、色々と質問をした。 というのも、テレビがなかったからだ。一階に降りても、何もすることがないというのは同じだった。オレがひまで死んでしまっては、男はたぶん困ると思ったから、オレはオレがひま死にしないよう、色々話しかけてやっているという寸法だ。 どこかで会ったことがあったか、家族はいるのか、彼女はいるのか、好きな食べ物はなにか、最近いいことあったか。男のために色々聞いてやってるのに、しかし、答えはどれも、いいや、とか、そうだ、とか、簡素なものだった。だいたい五秒以内に会話が終わる。 ひとつだけ、五秒で終わらない会話があった。 「あんた、仕事はなにしてんだピョロ?」 「IT関係だ」 嘘だ、そんな武装するエンジニアだかプログラマーだかがいるものか、とオレが言う前に、 「と言ったら、お前は信用するのか? 答えるだけ無駄だ。あと……その語尾はやめろ」 と言ったので、オレはその後の会話で、必ずピョロを付けて話すようにしてやった。 男はいらいらしているようだった。オレの退屈は少しだけ紛れた。 男が作った料理は、一言でいえば大雑把だった。 厚切りの牛肉を、にんにくと一緒にフライパンで焼いただけだ。付け合わせすらない。 高級な肉らしく、口に含めば溶けるような柔らかさだったが、オレはあんまりやわらかい肉が好きではない。おまけに味付けはというと、やっぱり大雑把で、ほとんど胡椒の味しかしなかった。 男はオレの食事風景を眺めながら、ナイフの手入れをしていた。料理に用いたやつだってことは柄の形で分かったが、IT関係の仕事に就く男が肉を切るために扱うナイフじゃなかった。 山登りのときに枝や草を払うのにちょうどよさそうな、もっと言ってしまえば、人間の喉元を掻っ切るのにちょうどいい大きさと形ね、といった感じのブツだ。 「オレが食ってるのは、本当に牛の肉デスか……? モ・シ・カ・シ・テ……」 「牛だ」 つまんねぇやつ。 オレは肉の脂身だけ残し、腹をぽんっと叩いた。満腹の合図。もちろん、皿は自分で片づけない。男は肩にショットガンを担ぎながら、めんどくさそうに食器を下げた。 「ビールが飲みたい」 とオレが言うと、男は馬鹿でかい冷蔵庫の何個もあるドアを全部開けて、 「今、ない。あきらめろ」 と言った。 男はあっさり言ったが、今ないということは明日も明後日もないということで、オレはこの家にいる限り、ビールを飲まないまま死ななければならなそうだ。別に、いいけど。 オレの一生で、なすべき事柄は、もう成しているのだから。 この家にいる時間は、いわばオマケだ。映画の後のスタッフロールみたいなもんだ。 オレはしばらく、リビングの猫足テーブルでだらだらした。 男はオレが話しかけない限り口を開かなかったが、何か物言いたげだった。 こいつはいっつも、こんな顔してんなあ。 いつも。変わり映えすることなく。 なんの根拠も理由もなく、オレはそう思って――男の何か、全てに、 呆れた。 |