ルカの大冒険9






僕は熱を出し、寝込んでいた。
この集落に、科学的な薬なんてものはもちろんない。
ここでの病気治療法はシンプルなものだった。
気休め程度の薬草と、ヘンな飾りをつけた祈祷師の儀式だけが頼りだ。
もちろん、そんなもので病状がよくなるはずもなく、元々体が弱いのも手伝って、
僕は三日三晩もだえ苦しんだ。
半壊した屋根からぽつぽつと滴る嵐の残り香が、僕を更に憂鬱な気分にさせる。

(僕は馬鹿だ)

熱にあえぎながら、僕は思った。


荒れ狂う海の中から僕を救出したのは、ザザだった。
彼女と僕は荒波にもまれながら、なんとか一命を取り留めた。
海中で意識を失いかけ、ぐったりとした僕を、彼女は懸命に浜辺に引き上げた。
そのときのことは、おぼろげだが覚えている。
海水を飲んだ僕の腹を、彼女は思い切り殴って水を吐き出させてくれた。
息を吹き返した僕は、その場で昏倒した。
彼女は重い僕の体をひきずって、ジャングルを抜け、村まで辿りついたのだろう。


――ルゥカ、ごめんね、ごめんね

目を覚めたとき、僕は毛皮の上に寝かされていた。
その手をザザが握り、泣いていた。

「ワタシのせいよ。イカダ、バラバラしたら、ルゥカが、まだ行かない、思った」

ザザはしゃくりあげながら、何十回目だろうか、ごめんね、と告げた。

「ソトから来た人は、ソトに帰る、神様が決めてる。
ワタシが決まりにイヤしたから、精霊が怒ったよ。ごめんね、ルゥカ、ワタシのせいだよ」

彼女はまた、ごめんね、ごめんね、と繰り返すと、部屋の端から何かを引っ張り出した。
スパーダの帽子だ。それを僕の胸の上に置いて、立ち上がろうとした。
僕に、返すつもりなのだろう。もう引き止めないから、と、言葉にはしないが、言っていた。

僕はザザの細い手首を掴んで、引き止めた。
そして、彼女の頭の上に、帽子を戻す。
僕は微笑みながら、

「これはきみのものだよ」

と、言った。
帽子の上から彼女の頭を撫でる。

「僕なら大丈夫。すぐ元気になるから。そうしたら、また一緒に狩りに行こう。ね?」

彼女は泣きながら、僕の手を握り返してくれた。





一週間後、僕の体はもとの健康状態に戻っていた。
村の様子も、嵐が来たことなど嘘のように、元通りの活気を取り戻している。
しかし、僕は流石に一週間も伏せていたために、本調子とはいえない。

そして、なにより、僕の心は折れかけていた。
今まで心を燃やしていた気力が、ごっそり損なわれている。
それは、イカダが跡形もなく流されてしまったことだけが原因ではない。
僕は自分が、何一つわかっていなかったことに気付いた。
島から脱出することばかり考えて、僕を見詰める黒い瞳に気が付かなかった。
彼女のことを誰が責められるだろう。
もちろん、状況だけを見れば彼女に非があったのは確かだ。

しかし、彼女の気持ちに気が付いていれば、さけれたことだ。
注意深く見なくても、少しまわりを見る余裕があれば、難なく気が付いていたことだ。
僕は彼女が、僕の旅立ちを祝福してくれているものだと疑っていなかった。
全ては僕のおろかさと視野のせまさから来たことなんだ。
何が理想的な人間関係だ、と、僕は心の中で吐き捨てた。

僕を有頂天にさせていたものはまやかしだった。
うまくいっていたはずの全てが、陽炎のようなものだったと知った。



それから一日経ち、僕は体を慣れさせるために、ジャングルの中を散歩していた。
なにより、家の中にこもってばかりいたら、悪い方向にばかり物事を考えてしまう。
僕は、ジャングルの空気を吸って、日差しを浴びながら、考えを整理したかった。
僕は簡素な石槍でつたをなぎ払いながら、考えた。

やはり、僕はここから脱出すべきだ。その思いは動かない。
僕はしょせん客人だ。いつかは出て行かなければならないし、
それに、何をおいても、父や母、旅の仲間、そしてリカルドに再び会いたい。

しかし、再びイカダを制作するやる気が、僕に戻るだろうか。
情けないことに、僕はその点に思い悩んでいた。
再度木を切り倒し、木材をそろえて、数週間かけてイカダを作る。
めんどうだとは思わなかったけど、気の重さは誤魔化しようがない。

それに、やっぱりザザだ。
彼女に、これが永遠の別れではないと説き伏せてからではないと、
僕は心残りをのこしたまま島を立たねばならない。
うまく、彼女を安心させる言葉が、出るだろうか。

(こんなこと、考えること自体が、僕が未熟な証拠なんだろうな)

僕はそう、思った。
きっと、イリアやスパーダなら、何気ない言葉で、その不安を払拭してくれる。
アンジュやエルなら、そもそもそんな不安を抱かせないのではないか。
リカルドなら…彼なら、きっと、あの無愛想な口調で、背を向けたまま、
説得力のある一言で、全てを済ませてしまうだろう。

なぜ、僕は彼らのように、言葉がうまくないんだろう。
説得力がないんだろう。僕は自分の薄っぺらさに、心底腹が立った。
先行きは、不安ばかりが募っている。





思考に沈んだ僕の耳に、動物が草を揺らす音が聞えた。
僕は反射的に石槍を構える。
考え事をしながらさまよっている間に、ずいぶん奥地まで来てしまっていたようだ。

虎か、蛇か。
僕は注意深く闇の向こうに目を凝らしながら、体を前傾させた。
しとめようとは思っていない。僕は今一人だし、武器は粗末な石槍一本だけだ。
相手が猛獣であれば、うまく逃げるために神経を研ぎ澄ませていた。
むしゃくしゃした気持ちを発散させたい心もあったが、命を失ってしまっては元も子もない。
心臓の鼓動が早まり、槍の柄を持つ掌が、じっとりと汗ばむ。

不意に、影が大きくなった。
僕の体から緊張が消えた。
影は、人型をしていた。それも、かなり長身だ。
集落の者だろうか?
それは、そうだろう。この島に、部族の者以外が――僕以外――
いるとは考えられない。
僕は声をかけようと、片手を上げようとしたときだった。
僕の耳が、信じられない音を聞いた。
同時に、僕の背後の木のうろが、弾かれて砕ける。
小さな跡から、わずかに白煙がたちのぼっていた。

紛れもない、銃弾によるものだ。
ひさしぶりに聞いた銃声に、僕は一瞬それがなにだか分からなかったけど、
闇の奥から響く金属音に、しげみの向こうに居る人物は銃を持っている、と理解した。
僕はぽかんと口を開いたまま、呆然とした。

――なぜ、銃が?この前の嵐で流れ着いたのだろうか

僕はすぐに、その考えをうちけした。
あの嵐にもまれたものは、全て原型がないほど粉々になった。
繊細な部品を持つ銃など、真っ先に引きちぎられる。
そもそも、海水に濡れた銃など、使い物にならないはずだ。

かすかな音がして、暗がりの人物が動いた。
銃の切っ先が日差しに照らされて、見えた。
銃口は、僕のほうを向いていた。

僕は槍を放り捨て、逃げ出した。
後ろから銃で狙われているというのに、僕の足は信じられないほど遅い。
久しぶりに感じた生命の危機に、僕の体は竦んでいた。

(侵略者だ、島の向こうから、侵略者がやってきた!)

僕はそう思った。きっと、僕を攻撃した人物の他にも、仲間がいるに違いない。
彼らはこの島を自分の版図にくわえようと、侵略してきたのだ。
海賊か、それとも僕が知らないだけで、敵対していた部族があったのかもしれない。
彼らは東部から銃を輸入し、ついにこの島を侵すために乗り出したのだ!

僕は、早くザザたちに知らせなければ、と思った。
僕は走りながら、あの、派手な帽子をかぶった長老のことを思い出していた。
彼は村の最高権力者だ。真っ先に捕らえられるか、殺されるだろう。
村の男たちはのきなみ殺され、女たちは捕虜となり、彼らに従属を強いられるだろう。
彼らが海賊なら、慰み者にされてしまうかもしれない。

――慰みもの?冗談じゃない!

ザザを、彼女の母親を、あのやさしい女の人たちを、そんな目に合わせてたまるか!
僕は彼らと一緒に、槍をたずさえて戦ってやる。
銃相手に戦ったことは何度もある。その経験が生きるだろう。
あの時のような力はないけれど、僕は決めていた。
長老と、女たちを守るため、最後の一人になっても抵抗してやるぞ。
僕はそう強く思った。
あの集落は、僕の第二の故郷だ。

僕は村を救うため、走った。
僕は歯を食いしばり、枝を踏み抜いて駆けた。
くだけた木片が足裏に突き刺さったが、知ったこっちゃない。


しかし、僕の気合を、天はあざけ笑った。
僕がジャングルから勢い良く抜けたとき、僕の足は地面を踏むことはなかった。

「あぁっ、クソッ!」

木々が途絶えた切れ目は崖になっていて、僕は抗う術もなく転落した。
いつかと同じように、全身を強打しながら転げ落ちる。
あの時は全身を包む服によっていくらか守られたが、ほとんど体をむき出しにした
今の僕には、酷だった。全身が赤くすりきれ、血が滲んでいる。

しかし、不幸中の幸いか、僕は崖下まで転落することはなかった。
崖の途中で出っ張った岩の上に落ちたのだ。
ここに引っかかっていなければ、僕は木に串刺しになって死んでいただろう。

「うっ…」

僕が痛みにうめいた瞬間、草をかきわける足音が聞えた。
僕は全身にふりかかった草を払い、上を見た。
あの、銃を持った恐ろしい侵略者が迫ってきたのだ。
間抜けにも崖から落ちた敵の生死を確かめに。
やつは崖下を覗き込み、僕の姿を発見するだろう。
そして、逃げ場のない僕を、高場からゆうゆうと狙撃するだろう。

僕は左右に目を走らせた。もちろん、身を隠すものなどない。
僕の命は、いまここで潰える運命になっていた。

――父さん、母さん…

僕は両手を顔の前で組んで、かたく目をつむった。
最後まで戦うつもりだったけど、こうなってはどうしようもない。

ごめん、ザザ。きみは女の子だけど勇敢だ。きっと槍を持って戦うだろう。
きみの武勇を祈る。どうか、生き残ってくれ。
ザザ。僕のがいこつは、きみが持つことになるのだろうか。
彼女の腰で、彼女の父親のがいこつの隣に吊るされることになるのだろうか。
きっと彼女は、僕の眼窩からも飾りを吊るして、大事にしてくれるだろう。

スパーダ。本当にごめん。でも、自分のせいだと思わないで欲しい。
僕が海に落ちたのは、僕のミスだ。断じてきみのせいじゃあないんだから。
きみは勇猛だ。それに、意外と頭が良い。
きみならば、必ず海軍で、しかるべき地位を得られるだろう。
そして、騎士は血筋だけのものではないことを、世の中に示してくれ。

イリア、エル、アンジュ。
いつもやさしくしてくれてありがとう。
きみたちの言葉に、僕はいくら励まされたか分からない。
ときに厳しい言葉をくれたのも、うれしかった。
きみたちは美人だ。聡明だ。きっと幸せな人生を送れるだろう。
エルも3年後には、びっくりするほど綺麗になってるよ。
出来ればそんなきみの姿を見たかった。
どうか幸せに。


(リカルド)

僕は最後に、リカルドのことを思い浮かべた。
彼に語りかける言葉を探したけど、見つからない。
ただ、最後に、一目だけでいいから彼に会いたかった。
僕は泣いた。

「リカルド…」

僕は、つぶやいた。
きみに向ける言葉がなくて、本当にごめん。
会いたかった、リカルド…。あぁ、なんだか眠くなってきた…。
もう撃たれたのかな…。
さようなら、リ、カルド……。





「呼んだか?」

不意に、彼の声が聞えた。
あぁ…幻聴か。僕もつくづく、彼のことが好きなんだなぁ…。
僕はその場に横たわった。
彼の声を聞きながら、天使の迎えを待とう…。
あ、ほら、降りてきたよ。
羽を生やした人間。それは、ピンク色の髪の毛をしていた。
毒々しい色の服を着て、片手に槍を持ち、高笑いをしながら僕に近づいてきている。
僕は、うっと眉を寄せた。

「出来れば違う人にして…」

「おい」

僕が呟いた瞬間、僕の頭に、ごつんと石が当たった。
僕は自分が撃たれたことも忘れて――いや、撃たれていない、
どこも痛くないし、血も噴出していなかった。
僕はばっと起き上がりながら、全身を触った。
そんな僕の頭に、再び石があたる。
上からだ。僕は上を見た。

そして、心臓が止まるほど驚いた。

「ずいぶんと、趣味のいい昼寝だな。死にたいのか」

崖上の人物は、掌の上で石を跳ねさせていた。
複雑そうな表情で、僕を見下ろしている。

リカルドが、そこにいた。





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