幸せ






戦況が一変するのは、一瞬の出来事だった。
この日は互いの陣営に、正規の軍と傭兵部隊の両方が混在する軍同士の争いだった。
しかし、ハスタが所属する傭兵部隊のほうが、敵の傭兵部隊より、数が多かった。
それは、決して自軍が有利ということではない。
傭兵たちは、個々の実力は間違いなく高いが、その分、統率が取れにくいものだ。
正規軍との連携もむずかしい。
加えて、この日は激しい雨が降っていた。
声の通りにくい雨風に阻まれ、伝令すらうまく機能していない状況だったのだ。
正規軍だけの戦いなら、うまく命令系統を保ったまま戦えただろう。
しかし、傭兵たちはそうではない。
傭兵たちは個々の戦い方を重視する傾向が強いため、命令系統がずさんだ。
両軍の総数が拮抗しているため、その差は顕著に現れるだろう。
この日の戦いは、軍の大半を傭兵でまかなっている自軍の負けだ、と、
戦いなれたものたちは戦が始る前から、ほとんど確信していた。

それゆえに、戦が始ってしばし、適当に敵をあしらった後、
正規軍を見捨てて逃げる手はずが傭兵部隊の間では交わされていた。
それも、傭兵部隊の7割の人間にだけだ。末端の傭兵には知らされていない。
逃走している間に、いくらか戦い続ける人間がいないと、困るのだ。
正規軍が、傭兵部隊が逃亡しようとする意志を悟り、降伏でもしようものなら、
戦況は一変する。傭兵たちは敵に捕らえられた後、もしくはその場で殺されるであろう。
傭兵たちを捕虜として扱うのはむずかしく、また、その意味もない。

そして、ハスタは、”知らされていない人間”だった。
彼が傭兵部隊で重用されていなかったわけではない。
逃亡を知らされない人間には二種類ある。
実力のない人間と、実力はあるが扱いづらい人間だ。
ハスタは、後者だった。
しかし、たとえ逃走の計画を知らされていたとしても、
ハスタがそれに従ったかどうかはあやしい。
最初は逃亡するつもりでも、敵兵を目にすれば、狂戦士さながらに
戦い続ける男だろうと、傭兵たちの大半は思っていた。
それは、ハスタが勇猛だからではない。
自分の命よりも殺しの快楽を取る、そういう男だと、思われていたからだ。



しかし、実際のところ、そうではなかった。
ハスタは、死を恐れはしないが、死を嫌う人間だった。

(まずいな)

ハスタは、殺到する敵兵を槍の一撃でなぎ払いながら、そう思った。
自軍の優劣などあまり気にしたことはなかったが、今あきらかに、
自分は劣勢の状況に置かれている、と感じていた。
いつもは後方から援護する銃弾や矢がない。
あればあれでうっとおしいと思っていたのだが、全くないとなれば、
一挙に5、6人の敵を請け負うことになる。
ハスタの腕があれば複数を相手にすることなどなんともないが、
こうも続けば、流石に疲弊を感じる。
激しく降る雨が、衣服にまとわりつき、疲労を手伝った。

もう何人目になるのか数える気もしない敵兵の胸部を鎧ごと石付きで
叩きのめしながら、ハスタは腕に持つ槍の重さを感じていた。
息を付く間もなく、フレイルを持った傭兵が襲い掛かってくる。
ハスタはフレイルが振り下ろされるのを待って、その軌道を読みきり、
最小の動作で横に避けると、そのむき出しの肘下を下から振るい上げた一撃で切断した。
絶叫を上げて崩れ落ちる男を見届けて息を付いた次の瞬間、
背中に重い衝撃を感じる。
殴られたものではない。もっと、小さなものがハスタの体にのめりこんでいた。

(撃たれた)

背後から、敵のいずれかが銃弾を叩き込んだのだ。
後方へ回られたということは、周囲の味方の数が、著しく減っていると見て間違いない。
ハスタは銃弾から隠れるために身を低くしながら、さっと辺りへ目を走らせた。
甲冑を着た正規軍らしき者たちが小競り合ってはいるが、傭兵たちの姿はない。
何かがおかしい、そうハスタは感じたが、だからといって、どう動くべきかは、はかれなかった。

(死ぬのは嫌だけど)

ふと、ハスタの脳裏に、あの日のことが蘇った。
傭兵部隊に加わる直前の、空腹で倒れそうだった、あのときのことを。
あの日も、死を覚悟した。そして、幸運にも生きることが出来た。
しかし、あのときのような幸運は、二度と降ってくるまい。

(死ぬ前に、たくさん殺しておこう)

ハスタはそう思い、槍を握りなおした。
やけになったわけではない。
それが、ハスタの本質だったからだ。
しかし、再び前線の中に飛び込もうとするハスタの背後から、声がかかった。

「ハスタ!」

雨の音に紛れて、聞きなれた叫び声が聞えた。
思わず一瞬動きが止まったハスタへ剣を手に突撃してきた兵士が、
銃弾に頭を砕かれて倒れ伏せる。
銃弾が飛来した直線上に、リカルドが立っていた。
だいぶ伸びてきた髪をべたりと顔に張り付かせ、青い顔をしている。

「なにをやっている!早く来い!こっちだ!」

言うが早いか、リカルドは、背中を向けてその場から走り去った。
前方から襲い掛かる敵兵を、器用に狙撃して道を拓く。
ハスタは一瞬とまどったが、リカルドの言うとおりに、その場から逃げることにした。





戦場からいくらか離れた森の中で、ハスタは上着を脱ぎ、応急手当を受けていた。
といっても手持ちの薬草や包帯、そしてグミなどによるものだ。
背にめりこんだ弾丸さえ取り去られていない。
当然、常に激痛が走ったが、痛みには特別無頓着なハスタには、あまり気になるものでもなかった。
リカルドが、木のそばに座り込んだハスタに包帯を巻きながら、
「もはやこれまでだな」と、いみじくも言った。

「背後に伏兵を潜ませていたらしい。予定していた逃亡ルートが使えなくなって、
傭兵部隊は混乱している。頭も殺られた。立て直すことは出来ないだろう」

ハスタは、首を傾げた。
逃亡ルート?聞いていない。そう、言ったつもりだ。

「……知らされてなかったのか?」

ハスタは、無言でもって、質問に答えた。
リカルドが眉間を押さえ、口の中で2、3悪態をつく。

「まあいい。俺がしてやれるのはここまでだ。
傭兵部隊は解散する。お前も後は、好きなところへ行け」

と言って、リカルドは立ち上がり、背中を見せた。無防備な背だ。
今、殺すべきか、と考えたが、ハスタはそうしなかった。
その理由は、ハスタ自身にも分からない。
怪我を負った今、リカルド相手に分が少ないと見たのかもしれないし、
もっと後に、彼が更に強くなった後、改めて殺そうと思ったのかもしれない。

「また会えるかい?」

ハスタは、そう問いかけた。
リカルドが、わずかに目を見開きながら、振り返る。
そして、少し考えた後、にっと口の端を持ち上げた。

「戦場で。敵としてまみえても、容赦はせんぞ」

そう言って去って言った背中は、すぐに、ハスタの記憶から消えてしまったものだった。
恩を感じる性格ではないし、感謝する心などというものが、もとから、ハスタにはないのだ。
あのリカルドと言う青年が、勝手に世話を焼いて去って行った。
自分の判断で、自己責任で。そうしてなくても、ハスタは別段困らなかったろう。
ただ、死への残念な思いだけを胸に、敵の首をかききりながら死んでいっただけだ。

それは、ハスタがさびしい人間だということではない。
ハスタにとって、この世に、ハスタと、殺すに足る人間、虫たちがいれば十分だった。
いや、事実、ハスタの世界には、それだけの登場人物しかいない。



しかし、この7年後、ハスタは青年の背中を思い出すことになる。
リカルドが、再びハスタの前に表れたからだ。






戻る TOP 次へ



inserted by FC2 system