幸せ4
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「ハスタ、か?」
ライフルを担いだリカルドが、わずかに目を見開いた。
「あ、リカルド氏。おひさしぶり〜」
ハスタも、同じ仕草を返した後、昨日会った友達に話しかけるような声で、
そう言った。
そこは、レグヌムの国境に敷かれた野営地だった。
レグヌムの人間は、西の戦場、と呼んでいる戦地の近くだ。
ハスタとリカルドが再会したのは、まさしく、偶然のたまものだった。
リカルドのほうは、ハスタもこれから傭兵として生きて行くならば、
いつしかまみえるときもあるだろう、と思っていたのだが、
ハスタは、リカルドのことをすっかり忘れてしまっていた。
正確には、忘れていたのではない。
ハスタにとっては、毎日毎日が人生であり、生きる楽しみを甘受する日々だった。
人はあまりに楽しい出来事に遭遇すると、過去も未来も忘れ、
そのときを楽しむ。
ハスタにとっては、毎日がそうだったのだ。
だから、リカルドのことを思い出すこともなかった。
そして今、こうして目の前に眺めて、ある欲求が、ハスタの内心でくすぶりはじめた。
7年ぶりに見たリカルドは、雰囲気が変わっていた。
それは、髪が伸びたとか、髭が生えたという、外見によるものではない。
身にまとう固い気配や注意深さのようなものが強まっている。
ハスタがそうしてきたように、リカルドも数多の戦場を潜り抜けてきたのだろう。
十代のころに比べ、細かい仕草に隙がなく、眼光がするどくなっていた。
それでもハスタを目にしたとき、一瞬、目の端になつかしさがよぎったのを、
ハスタは見過ごさなかった。
もっともハスタは、それがどんな感情によるものか、理解はできなかった。
感情が麻痺しているからではない。ハスタにも、人並みの感情はある。
だが、自分の感情も他人の感情も、ハスタにとって、重視するべきことではなかった。
リカルドの感情は、ハスタには、わからない。
そして、ハスタには、そんなものより、よほど重要視することがあった。
(やっと殺せる)
殺しそこねてきた、あの男を、今こそ殺すときだ。
それは、長い時間をかけて育て上げた欲望だった。
「リカルド氏」
ハスタは背を僅かに屈めて、リカルドに視線を合わせた。
リカルドが、わずらわしそうに、なんだ、と聞き返す。
「部隊、どこになった?」
「奇襲部隊。お前は」
奇襲部隊の作戦については、ハスタも聞いている。
確か、糧食と指揮官の両方を狙う作戦だ。
同時にこなすのは難しいことだと、ハスタでさえ思った。
しかし、リカルドには自信があるのだろう。落ち着き払っていた。
リカルドがいるからこその作戦なのかもしれない。
そう思わせるだけのものが、目の前の男にはあった。
「オレはいつもの。バリバリ前衛ヨ。特攻一筋だ」
リカルドは、そうか、と言うと、うるさそうにハスタから目を外して、
話すことはもうない、とばかりに去っていった。
ハスタは、リカルドと別れた後、嬉しくて踊り出しそうになった。
あとは、誰にも邪魔されない時間と場所を用意するだけだ。
その用意も、ハスタには検討がついていた。
リカルドは、奇襲部隊の要員に入っている。
ほかならぬ、リカルドがそう言っていたのだ。間違いない。
当面の目的――リカルドを殺すこと――は決まった。
次は、そのためにどう行動をするべきか、だ。
ハスタは動物的な反射で生きている人間だったが、動物ではない。
物を考え、計画するだけの頭はあった。
(きりのいいところで抜け出そう)
ハスタは、4,5人の小隊を槍で薙ぎ倒しながら、そう考えた。
幸いハスタは単独行動を許されている。
ふらりと姿をくらましたからと言って、誰も気付きはしないだろう。
ガラム軍の戦法は、単純ながら効果的なものだった。
まず、林の中に兵を潜ませておき、進軍するレグヌム軍を半ばまで見送る。
そして、隊列の中央に差し掛かったところで、挟撃させた。
このとき、敵を多く殺そうとする必要はない。ただ、混乱を招ければいいのだ。
決して深追いはせず、ガラム兵はそのまま、林の中へ散り散りと姿を消した。
レグヌム軍は当然、そのまま進撃するわけにはいかない。
しかし、後退するわけにも、全軍を林の中に進ませるわけにもいかない。
結局、レグヌムが取った処置は、100ほどの兵をニ隊ほど追っ手として差し向けることだけだった。
これは、野戦に長けたガラム兵相手に有効な戦術とはいえなかったが、他にどうしようもない。
そして、これこそがガラム軍の思惑どおりだった。
ガラム軍はそれから、何度もこの奇襲を繰り返した。
これを繰り返すだけで、徐々に兵力を分散させたのだ。
数で劣るガラム軍にとって、真正面から戦いを挑むことほど、おろかな戦略はなかった。
しかし、いくら兵をばらけさせたと言っても、それだけでは意味がない。
ガラム兵は自然の中の戦いに秀でてはいるが、圧倒的に優位に立ったわけではない。
むしろ、不利なのはガラム側のほうなのだ。
なにせ、王都レグヌムは徒歩でも一週間ほどの位置にある。
早馬を使えば三日とかからないだろう。
レグヌムは、王都を守備する兵力を抱えている。
その数は、ガラム全兵の総数の半分ほどにもなるのだ。
王都からの援軍を、その半数でも回せば、戦の趨勢は容易に変わる。
ガラムはあっさりと敗北し、独立の夢は露と消えるだろう。
しかし、ガラムにとって、これは勝つための戦争ではなかった。
もとより、王都にまで攻め込むつもりもない。
ガラムはレグヌム国家から独立するために戦っている。
ようは、これ以上戦を続けるよりも、独立を認めたほうが得だ、と思わせればいいのだ。
今回の戦の要は、奇襲部隊の活躍による。
隊列を組むレグヌム側に対し、ガラム側がゲリラ作戦を用いたのも、
奇襲部隊へ裂いた人員の不足を見破られないためだ。
彼らが糧食の焼き討ちに成功すれば、レグヌムは撤退を余儀なくされる。
糧食がなければそもそも戦にならないので、このときレグヌム側の兵力にいくら余裕があろうが、関係ない。
彼らは王都へ取って返し、この壊走を言い訳するだろう。
そして、次こそはガラムを叩きのめすために、食料と物資の供給を要求する。
しかし、今度それを拒むのは、王都の民だ。
軍を動かすのに必要な経費を捻出するのは、ほかならぬ、民の税からなのだ。
王都の民のほとんどは、戦争に無関心だ。むしろ、否定的な声のほうが多い。
ガラムの独立など、とっとと許可してしまえ、と思っている者がほとんどだろう。
王都の民の反抗を煽り、レグヌムを内から攻撃する味方に変える。
それが、ガラム側の狙いだった。
今回の戦を退ければ、ガラムの勝ちはゆるがない。
ガラム側は、そう考えていた。
そして、リカルド属する奇襲部隊は、見事に仕事を成し遂げた。
指揮官の暗殺には失敗したものの、レグヌム軍の糧食はほとんどが焼かれ、
もはや戦を続けることは不可能な状況を作り上げた。
ハスタも、そのことを肌で感じていた。
もはやレグヌム軍もガラム軍も双方が撤退をし、
戦場に残った者は、そう、奇襲部隊の者たちぐらいだろう。
舞台は整ったのだ。
ハスタは意気揚々と、レグヌム軍の野営地へ足を踏み入れた。
そこで、信じられないものを目にすることになる。
煙がくぶる野営地の中央で、リカルドが、数人の少年少女たちと戦っていた。
そして、彼らは、信じられないことに、火球を操り、風を巻き起こし、氷を生み出していた。
それらをたくみに避けながら、リカルドが、何事か呟くと、彼の足元に、見たことも無い
魔方陣が光の帯となって浮き上がる。
同時に、前触れなく地面がせりあがり、細かな石つぶてを少年たちに浴びせた。
(ヒュプノス)
ハスタの頭に、聞いたこともない名前が浮かび上がる。
その光景は、見覚えがあった。
戦場で目にしたことがある。戦場?いや、戦場で、こんな光景は見たことがないはずだ。
(アスラ、イナンナ、…デュランダル)
思った瞬間、ハスタは思い出した。
青い燐光を放つ、巨大な槍が見える。
いや、見えるのではなく、感じていた。
ハスタ自身の身の丈の二倍ほどもあるその槍が、ゆっくりと体に下りてくる。
そしてそれは、形をねじまげて、ハスタになった。
ハスタはその瞬間、理解した。
それが、前世の自分だということを。