前例 2
前例 2




「センサス、ラティオ、センサス、ラティオ」 

 まだちょっと肌寒い気がする朝ぼらけの牧場で、ダリアはサイロ塔から飼料を取り出しながら、自作の鼻歌を口ずさんでいた。
 一人のときにしか口に出せない、特別な単語を歌詞にして。

 今日もまた、あの夢を見た。

 神さまとか悪魔とか竜みたいなものが、二つの国に分かれて戦争をしている。
 絵本を見てるような、俯瞰した間隔ではない。もっともっと、リアルなのだ。
 だって、当のダリア自身が、神さまのひとりとして戦場を駆け回っているのだから。不思議で圧倒的な力をふるって、ばったばったと敵を倒していく……。

 かすかに甘い匂いのたつ乾草を腕いっぱいに抱えて、ダリアはため息をついた。

 倒すといえば聞こえはいいけど、ようは殺し合いだ。
 戦場の怒号、肉を切り裂き骨を砕く手ごたえ、動いているものと動かなくなったものの両方が焼け焦げるにおい、そして、なにより、熱にうかされたような闘志……あらゆる感触のなまなましさ。

 夢から覚めても、感触は一日中ついてまわった。だから、小さいころは、この夢を見るとゆううつだった。本当に嫌だった。
 だが、先月十八歳の誕生日をむかえ、思春期を通り越した今となっては、

「アッスラアスラ、イナンナイナンナ、オリフィエル」

 なんて茶化し気味に口ずさみながら、牛舎の中に牧草を捲いてまわる余裕ができた。
 めぇめぇ、もぅもぅ、のん気きわまりない動物たちの鳴き声に囲まれて暮らしていたら、いやでも鈍感になる。酪農一家の仕事は多い。立派に親の手助けが出来る年ごろで、いちいち今朝の夢のことなんて、気にしていられないのだ。
 
 ダリアは、うっすら額を濡らしてきた汗をふきふき、エサのやり忘れなんてお間抜けなミスがないか一匹ずつ指さし確認し、問題ないことを確信すると、十五匹ぽっちの牛がうろつく畜舎の中で伸びをした。
 さてさて、次は一日で一番最悪な時間、糞の掃除をしなくちゃならない。終わったら、二度目の朝食でも作ってもらおう。
 飼料をあげるのはダリアの仕事でも、細心のいる乳搾りはまださせてもらえない。だから、朝の仕事は、ひとまずおしまい。視界の端にちらちら見える、オガクズの上にこんもりと山になった糞のことは、忘れてしまいたいけど……。
 
 と、牛小屋のドアの隙間から、黒いものが二匹、もみあいながら転がっているのが見えた!

「あっ、こら!」

 ダリアは飼い葉のくっついたスカートの端を持ち上げながら、牛小屋のドア体当たりで押し開けた。

 思ったとおり、二匹のぶち犬が、お互いの喉をかみ合って、足を蹴り土を舞い上げ、とっくみあいの大騒ぎをしていた。
 乾期の間だけ牧草地に放牧する牛をくせの悪い野犬から守るために飼っているこの犬たちは、ダリアが眠りにつく前に、ちゃんと塀でへだてた犬小屋に戻してやっているのに、どういうことか、朝起きると磁石の入った玩具みたいにくっついて、勝手に喧嘩しているのだ。
 
 ダリアは短靴で二匹を蹴る真似をして追い散らし、

「デュランダル! ゲイボルグ! いい加減にしないと、山に捨てちゃうよ!」

 同じ犬種のくせに仲の悪い二匹にお似合いの名前で叱りつけた。
 デュランダル。ゲイボルグ。
 夢の中の、空想のお名前。
 ダリアひとりだけが知っている、他に誰も知らない、秘密の名前。

 だって誰かに、あらなんでそんな名前にしたのなんて聞かれたら、できそうにないし、うそをつくのは苦手だ。あたふたしちゃって、妙な誤解を招くかもしれない。

 ダリアはほうほうのていで別々の方角に逃げ出す犬どもを眺めながら、深いため息をついた。こればっかりは、ダリアひとりの問題なのだ。

 そりゃあ、さすがの田舎ぼけした両親だって、ダリアが真剣に話をしたら、信じてくれると思う。
 けど、きっと、とっても心配されるだろうな。自分の娘がそんな変な子だって知ったら、ショックで寝込んじゃうかも!
 だからって、友達に相談するのも考えものだ。この村ときたら、ちょっとでも普段と違うことをしようものなら、その噂が、半日かけないうちに村中を二週してるんだから。
 あんな血なまぐさい夢をしょっちゅう見る子だなんて知れたら、お嫁の貰い手がいなくなっちゃう。

「やんなっちゃうよなあ、もう……」

 わかってくれる人がいないつらさは、どんな小さなものであれ、いつまでもひっかかっているもの。日常の営みの中では心の隅に追いやっていても、ふとした瞬間に後ろめたくなってしまう。

 せめて、話すことができたら。悩みを共有してくれとまでは望まない。ただ、静かに、耳を傾けてくれる人がいたなら……。

 でも、そんな、口が堅くて、思慮深くて、物静かで、子供の空想みたいなお話をからかわずに聞いてくれる……そんな出来た人間、この村にいるかしら?

 そのとき、ふわっとダリアの心に浮かび上がる顔があった。

 もしかしたら……あの人なら。聞いてくれるかもしれない。

 山の中腹近くにあるダリアの農場とは広場をはさんで正反対、三年前に旦那さんを亡くしていらい、ずっと一人ぼっちで暮らしている、猟師のソルディアさん。
 彼女は必要以上のことはしゃべらないし、笑ったところもあんまり見たことがない。女の人にはめずらしいタイプ。
 だから、ダリアのお母さんやその友達のおばさまがたにはあんまりよく思われてないみたいだけど、ぜったいに冷たい人じゃないのだ、とダリアは確信している。

 週に一度、ふだんは別々の仕事に追われている村人たちの、それぞれの収穫物を交換しあう集会にだって、毎回顔を見せている。
 そのとき、ソルディアさんは、ダリアみたいな年下の娘や、年端もいかない子供たちに、小動物の毛皮で作った縁飾りや、骨で組み合わせた模型の玩具を、こっそり持たせてくれるのだ。
 年頃の娘にとって、ささやかなお洒落は、なにごとにも代えがたい宝物だ。
 だからダリアは、ソルディアのことが大好きだった。

 そうだわ。日の高さを見ているうち、ダリアは、はっと嬉しいことを思い出した。
 今日のこの日こそ、週に一度の物々交換の集会だ。昨日の夜にお母さんに言われたはずだったのに、すっかり忘れてしまっていた。

 様子を見て、あの夢の話を切り出してみよう。もし、変な顔をされたらショックだけど、けど、それでも、心の中でおかしな子だなって思っていたって、ソルディアさんなら、他の人に言いふらしたり、絶対にしないもの。
 ついでに、ソルディアさんのベーコンと引き換えにする生乳にちょっとだけ色をつけて、とれたて卵でも渡せば、年下の女の子の世迷いごとなんて、すっかり忘れてくれるにちがいない。 

 そうと決まったら。
 ダリアは畜舎のドアの前、牛糞をすくうスコップを取り、力強く握りしめながら、大きく深呼吸した。

 とっとと一仕事終わらせて、広場に向かおう!



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