前例 3
前例 3




「それがねぇ、うちって双子でしょお。最初は楽だと思ったのよ。だって、おんなじ時期に大きくなるでしょうお。お互いがお互いの遊び相手になるから、よけいな手間もかからないだろうって。けど、大違いよぉ。反抗期も、洋服のサイズが合わなくなるのも一緒。せめて年子だったらねぇ。心の準備もできるってもんだけど。まあ、いまさら言ってもしょうがないんだけどさぁ」

 とげとげした針葉樹がずらり両側に生えそろった降り道を歩きながら、ソルディアはヴィクトリア夫人の長話に耳を傾けていた。
 ヴィクトリア夫人――つまりはレッド夫妻の住処は山のふもとにあるので、ソルディアの居付いた猟師小屋まではゆっくり歩いても二十分前後。朝の散歩ついでに井戸端会議に持ち込むには手ごろな位置だ。
 いつもはおしゃべりだけの朝の定期便だが、今日は週に一度の交換市とあって、ともに連れだって向かっている。

「うちは染物をやってるでしょう。継いでもらわなきゃ困るのよお。けど、ラムもパエラもうちの手伝いをするばっかりか、悪戯ばっかり、ほんと、将来が不安になるわぁ」

 目も鼻も体型もころころとしたヴィクトリア夫人は、両手いっぱいに羊毛を染めた生地の入った袋を抱え、ゆさゆさと横に揺れながらせわしなく歩いた。

――本当に、見た目もナンにもかも、丸っこい人なんだからなぁ

 対してソルディアはひょろりと長い痩身。食品と交換するために毛皮や獣肉を詰め込んだ麻袋を肩に担いでいるが、夫人と歩調を合わせるために、歩みはゆっくりだ。

「まだ六歳でしょうによ」

 ソルディアがころあいをみて口をはさむ。

「元気なのはいいことですよ、奥さん。体が丈夫じゃないと、どんな仕事もはかどらりゃしません。私だって、たいしたとりえもないのにこうして一人でも食っていけるのは、オッカァが丈夫に産んでくれたからですからね」
 
 ヴィクトリア夫人は、そうねぇ、そうかしらねぇ、と呟きながら、えっちらおっちら丸太ごしらえの階段をどうにか降り切って、

「体ばっかり丈夫でもねぇ……」

 と、再びぶちぶち言い出しそうな具合だ。
 ソルディアは、ヴィクトリア夫人の体型そのままに、まんまると膨らんだ布袋を軽く叩いた。彼女の腹を叩く代わりに叩いたのだから、半分は悪戯心だ。

「私らは、この中身を着て暮らしてンですよ。いずれ気付きますよ。機織りも毛染めも、やってくれる人がいなけりゃあ、この村の人間は裸で暮らさなきゃならないんだからさ」
 
 かれこれ十年来の付き合いだ。ふだんは余計な口をきかない性質のソルディアも、軽口を飛ばせる間柄である。

 もう両手の指を折っても足りないぐらいの昔、夫と連れだってこの山村にやってきた、ほんの小娘だったそのころから、レッド夫婦にはずいぶんと世話になってきた。夫人のほうも、そのころに言った「親類と思ってくれていいのよ」という台詞をいまだに覚えているらしく、ソルディアのことを娘か妹と思っている節がある。

 ソルディアのほうも、彼女の炊事のにおいが染み付いたエプロンに、ふっくらと林檎そのものに赤く染まった頬に、丸く結い上げた髪型に、母の面影を見ないこともない。彼女が双子の男女をもうけて元から備わっていた母性を増した、六年ほど前から……。

 素直に、うらやましいと思う。その母性と、エプロンと、夫と子供に囲まれた生活が。
 ただ、ソルディア自身がそうなろうと思ったことはない。根なし草の暮らしをしていた十代のころから、夫と出会い、夫を亡くした今でも、ただ静かにときを流すことが、ソルディアにとっての幸せだ。ソルディアはそういう女だった。

――それにしたって、髪型ぐらいには気を払うべきかねぇ
 
 そう思ったとき、小さな違和感があった。夫人の髪型だ。
 いつもはくるくる巻きのお団子が、今日に限っては三つに分けて編んである。丁寧なよそ行きの髪型だ。

「奥さん、どっかに出かけるんで?」

「あらぁ、気づいた? もう、誰も気づかなかったのに」

 夫人はうれしそうに、編みこんだ髪をぱっぱと撫ぜながら、主人も子供らも、全然そんなこと気付きやしないのに、ソルディアちゃんは気が効く子だよ、とごちる。

「そうなのよぉ、言い忘れるところだったわあ。今日ねぇ、交換市に行った後、街へ降りるのよ。街の洋品店さんに卸す布色の相談でさぁ。そんなもんぐらい、手紙で済ませちまっていいって思うんだけど、それじゃイヤって言うんだよぉ。だからって、あっちさんに山を登ってもらうわけにはいかないじゃなぁい?」

 ソルディアは街の洋品店というものに行ったことがなかったが、夫人のいわんとすることはなんとなく分かった。
 育てた羊から毛を取り、毛玉や色むらが出ないよう、面倒な工程や重労働もいとわずに働いているのに、なにか相談事とくれば、出向くのは夫人たちのほうなのだ。
 それでも行かねばならない卸し元の悲哀と、街暮らしの人々の足腰のひ弱さの両方を皮肉っている。

「せいぜい媚売ってくるわよぉ。あぁ、もう、いやんなっちゃうよ。奥さん、また太ったね、それじゃあ旦那さんは詐欺にあったようなもんだ、なんていわれてもさぁ、夫婦そろってにこにこしてなきゃなんないのよお?」

 夫人はりんご色の頬をふくらませ、彼女にできる限りの青色吐息をついた。

 こういうとき、ソルディアは自分の暮らしぶりを……やろうと思えば完全に自給自足の生活が出来る己の職業を振り返り、めんどうがなくてよかったとほっとすると同時に、そのしがらみのなさに少しだけさみしくなったりもする。

「そうそう、それでねぇ、うちの子たちはパタスに預けておくけれど……、一応ソルディアちゃんも気にしておいてくれる?」

 夫人の申し出を、ソルディアは快く了解したが、内心苦い思いだった。

 パタスとは、夫人の弟にあたる人物で、木こりをしている山男だ。やはりソルディアの住処に近い場所に居を構えている。お互い山の住人らしく無口であることを信条としているので、あまり会話を交わしたことはないが、赤茶けた肌に頑健な体格は、いかにも頼りがいがあるように映った――と記憶している。

 夫人はどうやら、生涯独身と決め込んでいるらしい弟と、寡婦のソルディアを、どうにかくっつけさせれないかもくろんでいる節があるのだ。

 もちろん、悪意あってのものではないとはわかっているし、それで人間関係が気まずくなるほど若いわけではないが、なんとはなしにむずがゆい。もう、色恋沙汰に浮足立つ年齢じゃない。そういう性分でもない。

――困っちまうねぇ、本当に

 ソルディアは、夫人がその話に触れないうちに、ちょうど木立を割って見えてきた広場を指差した。

「奥さん、なンだか今日は人が多そうですね」

「あらぁ、そう? あら、あら、本当ねぇ。どうしたのかしら」

 適当に言ったのだが、本当ににぎやかだったらしい。

 山の中腹につくられた広場は、猟師や山男たちの領域である緑深い森林と、平らな平原に広がる牧場地帯のちょうど中間にある。

 四方を植え込みに囲まれた石灰色の段々の上は、元は何かの神さまをまつったものだったのか、石舞台の広場になっている。
 いつもはさっぱりと開けて人気もないが、週に一度、普段はそれぞれの仕事をしている農夫や牧場主、木こりに大工職人、そしてその奥様方でにぎわう。
 言いかえれば、こうして週に一度の集会があるおかげで、更地にされずに済んでいるような場所だ。
 
 石舞台の上は、がやがやわーわー、世辞や社交辞令、世間話にからかい話がところどころで発生し、あっちこっちに飛び火してうるさい。生まれたころから見慣れた顔が集う村の交換市では当たり前の光景だったが、いつもとは少し違う喧噪があった。異質な熱を孕んでいるのである。

 ソルディアはなんとはなしに見回した視界の中に、異質な賑やかさの原因を見つけた。
 子供たちだ。子供たちが、きゃいきゃいわいわい、見慣れぬ縦じまの入った木材のおもちゃを振りまわしながら、輪になってはしゃいでいる。

「あら、ラム! あんた、なんだってこんなところにいるんだい!」

 夫人が、双子の片割れの枯れ草色の髪の毛を輪の中に見つけ、抱えた大荷物をゆさゆさ揺らしながら駆け寄り、我が子の手を取った。
 まだソルディアの半身長しかない男の子は、そばかす顔を気まずそうに歪め、

「だってぇ、ベックがさぁ、すげぇ面白い兄ちゃんが来たから行こうぜって」

「馬鹿! 今日はオットォと街に行くから、パタスおじちゃんのとこに泊まる準備しろって言ったでしょ! パエラはどうしたんだい!?」

 ラムはへどもどに、知らないよお、そのうち来るんじゃない、と答えた。

「すみません、なにか失礼しましたか?」

 と、子供たちの輪を縫って、黒い頭の長身が、ぬっと抜け出してきた。はきはきとした、快活な声。
 短い黒髪をさっぱり刈り込んだ、日焼けした肌も若々しい青年だ。日よけの外套の下に、アシハラ風の前で合わせが交錯する衣服を着ている。およそ、見たことのない風体の男だ。

 ソルディアは、そこで異質な賑やかさの根底に気付いた。
 大人たちは警戒している。隣人と親しげなおしゃべりをしながら、視界の端では、油断なくこのよそものを見張っているのだ。この山奥では、身元の知れないよそものは歓迎されない。もっとも子供たちにとってはそんなことは関係ないから、青年の珍しいことも手伝って、彼の周りには小さな黒山の人だかりができている。

「あぁ、いえ、うちの子がどうも……」

 今度はヴィクトリア夫人がへどもどになる番だった。よそものを警戒こそすれ、直接言葉を交わすのはごめんなのだ。ぱっとラムの手を離すと、解放された少年は同じ年頃の友だちたちの輪に素早く帰る。

 ヴィクトリア夫人が二の句に迷っているとみて、ソルディアは助け舟を出すことにした。

「行商の方でございますか?」

 青年の目が、ふっとこちらを向いた。
 
――なンだ?

 黒い眼が、一瞬、異様な光を帯びた気がしたのだ。
 青年がこちらへ歩いてくる。ひどくスローモーションだ。ソルディアの心臓は、勝手にどくんどくんと鳴り始める。
 近づいて欲しくない。こいつは――

「紹介、遅れました。ケン・スオウと申します。アシハラ産の、薬と工芸品を流して歩く商いをしております」

「そうですか……それで、」

 ソルディアは言葉に詰まった。心臓は鳴りやまないままだ。
 どこが悪いというわけではない。爽やかな若者である。物言いもちゃんとしていて、怪しいところはどこもない。
 だが――

――これは、嫌な男だ。胸が悪い。

 黒い瞳の奥に、とほうもない秘密が隠れている気がする。日焼け肌の間で光る白い歯に、ありもしない尖った犬歯を想像してしまう。快活に笑んだ顔が今にも溶け落ちて、醜い怪物の姿に変じてもおかしくない。そんな男だ、こいつは。
 
 不愉快だった。

「どうか、なさいましたか?」

 ケンの声が、思考を遮った。

「いいえ――」

 ソルディアは軽くかぶりを切って、理不尽な虚妄の想像を払おうとした。

「ちょっと、昨夜の酒にやられたみたいでしてねぇ。なに、心配いりませんよ。私は、ソルディアです。山で猟師をしております。ようこそ、はるばるおいでくださいました」

 ソルディアは半ば挑む気持ちで右手を差し出した。青年は少し間を置いた後、その手をにぎった。互いの手は汗ばんでいた。掌と掌が密着する瞬間、ぬるりと不快な感触。
 ソルディアは思わず目を上げた。そして、ぎくりとした。

 青年もソルディアを見ていた。
 人懐っこい目。黒曜石のように真っ黒な目は、まるでよく磨かれた大理石のように、ソルディアの顔を映し出している。瞳に映った自分の顔を覗き込んでいるうちに、青年に顔色を、心を、点検されているような気分になる。その視線が、手のひらのぬるつく感触が、たまらなく不愉快だ。

――いや

 この男がここに存在していることが不愉快だった。
 この男ががここに”いる”だけのことがたまらなくいやだ。

 胸がむかむかする。何かがつっかえて取れないような気分になる。
 やがてそれは痛みになった。

 なぜこいつがここにいる?
 なぜ自分は、こいつと……こんなやつと握手をしているのだろう?

 そう考えると、とたんにたまらなくなった。
 手のひらから蟻が這い上がっているような心地になる。首筋がうずき、背筋を千匹の虫が這った。
 
 たまらず手を離した。
 体を這う虫は消え去った。たった数秒の出来事だったのに、ソルディアにはそれが何時間にも感じられた。

 とつぜん握手の手を振り払われて、青年は驚いている。

「すいません、強すぎましたか?」

 青年は本当に申し訳なさそうに言った。だが、それが、逆に疎ましい。いまいましい。胸のいらつきは、もはや抑えられそうになかった。「お構いなく」ソルディアは早口に言った。

「急ぎの用があるので、失礼します」

 声が震える。青年に背を向けた。後ろを、ヴィクトリア夫人が心配そうに追いかける。なにごとか声をかけてくれているが、ソルディアは聞こえない。さきほどまで青年と触れ合っていた手のひらを、ズボンでぬぐうことに必死だった。背中を、青年の黒い眼が見ているような気がした。胸が悪い。心臓の裏まで痛い。吐き気がする。

――なンだ、あいつは。

 手のひらが摩擦で熱くなってきたころ、なぜだか急に、今朝の夢を思い出した。




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